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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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(46)「1984年」の倒錯世界と岡倉天心

2017年8月29日

目下、北朝鮮をめぐって極東の日本では「存立危機」に言及する防衛相がいる。
厳しい立場上、そう言わざるをえないのだろう。
では、ソウルから北朝鮮の国境までは東京から千葉あたりの距離にあるが、韓国民は「絶滅危機」感を抱いているのだろうか。

そして、相変わらず嫌中または反中の論評が書籍、マスコミ、インターネットに顕著に散見する。

そういう人々には是非、反ユートピア小説の白眉、ジョージ・オーウェルの「1984年」を読んでほしい。

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オーウェルは、当初「ヨーロッパ最後の人間 ( The Last Man in Europe )」のタイトルを考えていたが、執筆を終えた年1948年の最後の二桁を倒錯して無機的でデジタルな響きを持つ「1984年」とした。

私は1984年、ロンドン大学で開催されたセミナー「バーナード・クリック教授後援のオーウェル・サマースクール」に参加した。
クリック教授は講演後、自分は読めないからと言って自署のオーウェルの評伝の日本語訳(上・下)を私にくださった上、パブにも誘っていただいた。

しかし「1984年」は楽しい読書ではない。
私は論文を書く為にバーナード・クリック氏の詳細な注釈のある原文を3度通読したが、気骨が折れてさらに読む気はしない。
「1984年」は様々な読み方があるはずだが、私には、オーウェル自身の歴史的体験にもとづく西欧に根ざした悪の政治学の黙示録である。
もちろん本書を分析すれば、支配者に高度で有益な支配思想のソフトを提供する。
その意味において権力者批判の書と言う風に表面的に考えるのは禁物だ。

クリック氏の注釈を参考にしながら読んでゆくと、ユダヤ・カトリック的情念が深く沈殿したかのような雰囲気において、世界は常に相互対立する三大政治勢力に分断されている。
本書には、権力の本質、歴史の改竄、拷問を含む高度な洗脳技術、人間をunperson (非人間化)する仕組み、人類の総背番号制、自由の言葉の背後の支配情念、個人的独裁者か権力組織か永遠に不明の Big Brother なる権力中枢、二重思考、エリートと大衆の分断などの様々な問題が黙示的に複雑にからみあっている世界が描かれている。

日本が、特に戦後マッカーサーの支配政策と、さらにその上位のアメリカ政治と、それをさらに包み込んでいるアングロサクソン的言語支配構造の中にすっぽりと包み込まれていることに気がつくためにも、「1984年」は必読書である。

関東軍731部隊が犯した行為は、弁解の余地のない非道であるが、「1984年」の極限的な欺瞞の世界においては単純な悪行に過ぎない。
当時のアメリカは、 すでに日本軍より先んじてマサチューセッツ工科大学で細菌研究を行っていたが、 731部隊の関係者らの免責と引き換えに細菌部隊の実験資料を押収していった。
米軍は、広島と長崎の原爆被害の資料もしっかりと採取していったといわれる。

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西欧の支配の本質は、“ 自由”というソフトと“法治主義”という何人も是認せざるえない言説支配である。
中国は、この点で今後とも西欧世界から批判し続けられるだろう。
しかし、自由にも法治主義にも、常に二重義があることを「1984年」は暗示する。
それは、虚偽が、多くの人々が信じ込んでいる真実の一歩先に常に先行しているという支配言説である( the lie always one leap ahead of the truth) 。
現在、日本は、マッカーサー支配の呪縛、その背後のアメリカ政治の支配情念、さらにその背後にあるアングロサクソンの英語による言説支配という三重の情報空間の中に、言説を絡めとられている状態ではないだろうか。

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中国は、現在、壮大な「一帯一路」構想を展開し、「中国の夢」は世界に飛躍し、時に疑心暗鬼をもって見られているが、その原動力はなんだろうか。
・1840年、イギリス政府の直接指令の下に、当時清朝政府の中国に対する第一次アヘン戦争 勃発。
・1842年、イギリスに対して、中国は主権を喪失する「南京条約」に調印。
・1857年~1961年、第二次アヘン戦争に中国は敗北。
・1894年~1995年の日清戦争(中日甲午戦争)に敗北。
・1900年には、8カ国連合軍の北京侵攻に敗れた。
その結果、西欧からは700余の不平等条約を結ばされた。
その屈辱を背景に中国は現在、唐の大帝国の再現を図るかのように、長期的展望のもとに万里の長城を超えてグローバルに展開しようとしている。

一方、日本は、かつて広島と長崎に二種類の原爆を落とされ、東京を火の海にされ、独立を獲得した後も米軍基地を全国に駐留させ、首都圏一都九県に及ぶ空域はアメリカ空軍の管轄下にある。
そして、一部の日本のマスコミと評論家は、中国の海外進出に危惧を抱き、時に反中を煽り、テレビでは日本文化を欧米の外国人に誉められて喜んでいる多くの視聴者たちがいる。

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アメリカ人にせよ中国人にせよ、彼らの過ぎ去った歴史に対して、日本人として私は、いずれにも一概に肩入れするつもりも批判するつもりもない。
おおくの善良なアメリカ人や中国人と国民レベルで友好を促進すべきと考えている。
しかし、北米原住民を絶滅までに追い込み、アフリカから奴隷を駆り集めてきたアメリカに、未だに KKK (白人至上主義団体)が厳然として活動しているアメリカに、軍産複合体と深く結びついた一部のアメリカ大統領たちに、古代以来の積年の負の遺産の清算のために奮闘している中国を一方的に批判する資格はあるのだろうか。

アメリカは大国として文明的レベルで中国と対話すべきではないだろうかと思うが、西欧の政治は「1984年」の世界から抜け出せないようだ。
オーウェルの父親はインドにおける大英帝国の国家産業たるアヘン局の役人であった。
オーウェル自身も父親を継いで、大英帝国のビルマの警察官であった。
それだからこそ、オーウェルは自国の帝国的植民地政策を徹底批判することができたのだ。

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しかし、日本人がもっとも注意しなければならないことは、中国やアメリカではない。
われらが日本人の内なる、典型的に旧日本軍の一部に見られた自国民差別の、そして戦後は、一部の知識人たちに見られる媚米、嫌中のいびつな情念である。

1970年頃、親しくしていた在日マレーシア大使館の商務官はマレー半島における一部の日本兵の残虐な行為を語ってくれた。
今、存命していれば90歳を超えている旧日本軍飛行隊員が住む一部屋のアパートを10年前ほど前に訪れたことがあった。
独り住まいの彼の部屋の片隅には、日本刀が備えてあった。
そこで私が直接聞いた話は、日本兵が仲間の人肉を切り取る修羅場であった。
映画「蟻の兵隊」に描かれた、中国大陸に部下たちを見捨ててさっさと帰国した上官たちは、現在、どのような生活を送っているのだろうか。

「わがこころのよくて殺さぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人・千人を殺すこともあるべし」(親鸞「歎異抄」)
まさに親鸞の指摘する悪業の世界だ。

もちろん、軍の上層部の命令の下に、戦闘に駆り出された多くの日本兵は善良であったろう。
1970年ごろ訪問したパラオ諸島のペリュリー島の年配の住民は日本語を話し、日本をなつかしむ人々であった。
しかし、帝国軍隊の一部に温存された忌まわしき情念と無知は、明治維新前から始まって日清戦争で肥大化し、東条英機政権で顕在化した情念ではないのか。
その情念は、現在の我々の心の奥に潜んでいるかも知れない。

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しかし明治時代に、西欧の覇権文明の本質を敏感に感知した健全な心の日本人がいた。

岡倉天心だ。

「西欧人は、日本が平和でもの静かな芸能に身を任せていた間は野蛮国とみなしていたものだが、日本が満州の戦場で大規模な殺戮に関わって以来、日本を文明国と呼んでいる。
彼らは、最近は武士道、つまり吾等がサムライたちをして自死することに狂喜させる死の儀礼に大いなる関心を寄せているが、吾等がいのちの芸術と呼ぶべき茶道にはほとんど注意が向けられていない。
文明というものについての我々の主張が、戦争という身の毛のよだつ栄光であるなら、我々はよろこんで野蛮人でいたいと思う。
我々の芸術と様々な理想に対して正当な尊敬の念がなされる時がくるまで、その時を我々は喜んで待ちたいと思う。」(岡倉天心「茶の本 ( The Book of Tea) ;1906」)

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最後に、天心にまつわる逸話を紹介したい。
1903年(明治36年)、天心はアメリカのボストン美術館からの招聘を受け、横山大観、菱田春草らの弟子を伴って渡米した。
羽織・袴で一行が街の中を闊歩していた際に、1人の若いアメリカ人から冷やかし半分の声をかけられた。
「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。
そう言われた天心は「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と流暢な英語で言い返した。」*
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*齊藤兆史『英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語』(中公新書)
“What sort of nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?”
“We are Japanese gentlemen. But what kind of kee are you? Are you a Yankee,or a donkey, or a monkey?”

                                  (2017/08/14 記)

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