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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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ホタルの宿る森からのメッセージ
第3回 「交“狂”曲 HIROSHIMA」

2014年5月5日

前回の日本への一時帰国時に、いつも立ち寄る銀座のCD屋に立ち寄ったとき、店内の入口にたくさん平積みされ売り出されていたCDに目を留めた。 「全聾で交響曲を作った佐村河内氏…ベートヴェンの再来…」 の宣伝文句と共にぼくの気を引いたのは、「HIROSHIMA」 という曲のタイトルだった。広島はぼくと無縁ではない。父の生まれ故郷である。佐村河内氏と同世代であるぼくも、ちょっと事情が違っていれば 「被爆二世」 になっていたであろう。 原爆投下日よりも前に、広島市内に住んでいたぼくの父は、偶然にも東京の大学に行っていたのだ。 ぼく自身はその後神奈川県で生まれたが、父の親族を訪ねる目的で、「平和祈念資料館」 も含めて、広島には何度も訪れている。 小学生の時は、自由研究などで原爆のことをずいぶんと勉強したものだ。

これまでの信頼のおけそうなニュースで見る限りでは、「自分の作曲」 として宣伝しCDを売っていた佐村河内守氏自身、 そして彼の依頼を受けて作曲をしていたゴーストライターの役であった新垣隆氏。 ぼくにとっては、「お金とか名声のためじゃない」 と弁解しても、どのような理由であれ、何年も隠ぺいしたまま、多くの人を欺いてきた事実は許せない。 仮に、「音楽の質」 が高く評価されても納得はできない。尋常でない経緯で書かれた交“狂”曲としか思えない。

佐村河内氏を扱ったNHKも、このからくりを見抜けないまま、ドキュメンタリー番組を報道した。CDを宣伝したメディア媒体も同様である。 おそらく、その番組をご覧になった多くの視聴者やそのCDを購入されたあまたの音楽ファンがそれに気づく余地はなかった。 ぼくもその一人で、CDを購入した張本人だ。なぜ、メディアは見抜けなかったのだろうか。これもメディアのもつ課題の一つと通底する。

番組作成の前のリサーチの段階で、情報源も不明なネットからの情報をコピー・ペーストしているだけのケースもよくみかける。 しかし、そうした企画案が通り、実際の番組になる場合も少なくない。視聴者はそれを見て、ときには鵜呑みにしてしまうことも間違いあるまい。 実際、アフリカにいるぼくにそのような企画をもちかけてきた 「とんでもない内容」 のテレビ局の依頼を断ることもたびたびである。 一方、CDという商品の売買以前の段階で、作曲家の経緯や背景に、関係者は少しも検証をしなかったのであろうか。 一般庶民を前に、メディアはさらに精細に信憑性を高めるべきである。

原発はいうまでもなく、原子力爆弾で使用された 「核エネルギー」 であり、無論放射能を含む。 それが、2011年の東日本大震災で安全への信頼性が崩壊した。いまだに汚染水は流れ出ているし、 避難された地域住民の多くの方々も、まもなく3年経過する今でさえ、当時の生活に戻れていない。

それなのに、なぜわが国民の多くは 「見て見ぬふり」 をしているのだろう。アフリカから客観的に見ていると、そのよう見えてしまう。 あるいは、メディアが操作して、そういう印象を与えているだけかもしれない。国民が選んだ巨大政党は 「再稼働」 を強引に進めようとしている。 原発不在下での 「経済への打撃」 「電気料金の高騰」 は憂慮すべき問題ではあるが、それは、地震国でしかも安全性の確約できない、 似たような事故が起こりかねない状況で、現在進行中の課題である 「避難住民や荒れ果てた町の復興」 や近い将来同様に十分起こり得る 「被ばく・汚染の恐れ」 と同じ秤にかけられる事柄ではない。そこを、混同してはいけない。

都知事選も 「原発反対派」 は敗れた。それを強調せずして 「オリンピック」 を前面に出す人間が都民に選ばれた。 そこで、新たにインフラを作る過程で一部の経済振興にはなっても、その建設に必要なエネルギーは一体どこから取るのだろう。 エネルギーを使うだけの都民はよくても、 そのエネルギー源は東京から離れた小さな町の原発になる可能性が高いことを政治家や都民はあたかも忘れているかのようである。 しかも、福島第一原発の適切な処理を含めた震災復興には十全な予算がなく、すでに多大な時間が経過しているというのに、 オリンピックに投資する莫大な予算はどこから捻出するのだろうか。

写真4:いまだ変わることのないコンゴ共和国の原生熱帯林の中
(ゾウの作った “ゾウ道” をのぞむ:遠くに人が見える) © 西原智昭撮影

 

原発は 「遠くの町」、「田舎」 だから設置してよいということではない。結局、犠牲となるのはその土地の人々で都民ではない。 なにより、われわれ人間すべてがよりどころとしている地球環境を考慮に入れるべきだ。 化石燃料は有限であるし、それによる地球温暖化などへの影響も無視できないかもしれない。 しかし、われわれは原子力を使用続けることによる自ら人類の次の世代の首を一層強烈に絞めているのだ。 たとえば、放射能を浴びた地域の森林生態系や、放射能漏れで汚染されている生命のゆりかごであった海洋生態系は、今後どう変わるのか、 それを憂慮している日本人はどれだけいるのだろうか。 地球上の生態系のある一部(写真4)を保守しようとしているぼくにとって、同じ日本人として、こうした日本をめぐる 「交“狂”曲」 を拝するに極めて歯がゆい。

奇しくも今日は2月26日、父が鬼籍に入った日だ。ぼくは12年前のそのとき、父の病状悪化を知りながら、コンゴの森の中で、 日本のテレビ隊と仕事をしていた。「父のことが気がかりだろうけど、メディアとの仕事を中途半端にせず最後まで全うし、 よい番組を提供出るようにしたらいい」 と母は衛星電話でぼくに繰り返した。 その日の晩、ぼくが森の暗闇の中でひとりすわっていたとき、とても奇妙なホタルが舞ってきた(写真5)。 ぼくの目の前を何回も周回して、ぼくのそばをずっと離れない。その4-5日あとに日本に戻ったぼくが出会ったのはもはやものを語らぬ父の姿であった。

あたかも、そのホタルは、父の魂とともに、はるばるコンゴの森まで来て、ぼくに最後のあいさつをしたかのように思えてならない。

写真5:コンゴ共和国の原生熱帯林の地上付近の一風景。12年前の2月26日の夜にホタルを見た場所から遠くない地点。近くに湿地帯がある(上記参照) © 西原恵美子撮影

 

 

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