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【NPJ通信・連載記事】憲法9条と日本の安全を考える/井上 正信

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北朝鮮は一方的に非核化の約束を破ってきたのか(上)

2017年12月6日

1 安倍首相は、北朝鮮との対話は無意味だとして、経済制裁強化と軍事的圧力強化路線を突っ
 走っています。すべての政党も同じように北朝鮮側の約束違反だけを指摘しています。マス
 コミも25年間の北朝鮮との交渉では、北朝鮮があたかも一方的に約束を破ってきたと報道し
 ています。そして現在の朝鮮半島の危機の責任が専ら北朝鮮にあると印象付けています。私
 たちもそのことを疑うことなく、それを前提にして北朝鮮問題を議論しています。
 ですが、この見方は25年の歴史の検証に耐えるものでしょうか。私にはそうは見えません。

2 91年に米国は韓国配備の戦術核兵器撤去を発表し、92年に撤去が完了し、92年春の米韓合
 同軍事演習チームスピリッツが中止される中で、南北朝鮮は非核化共同宣言をしました。そ
 の結果既にNPT加盟国であった北朝鮮は、IAEA保障措置協定を締結し、IAEAの核査察を受け
 ることとなりました。

  その後核開発疑惑が出たため、IAEAの特別査察を拒否し、NPT脱退宣言を行ったことか
 ら、朝鮮半島第一次核危機が発生します。94年には米国が北朝鮮の核施設に対する空爆を計
 画し、朝鮮半島での大規模な戦争が始まる寸前まで危機が高まり、6月にカーターが金日成と
 トップ会談を行い、戦争の危機を脱して同年10月のジュネーブ(「枠組み」)合意締結に至りま
 した。

3 その後の経過の詳細は省きますが、2003年8月までは米朝二国間で北朝鮮核開発問題が協議
 されます。
  ジュネーブ合意に基づき、北朝鮮に軽水炉二基を建設するため朝鮮半島エネルギー開発機
 構(KEDO)を設置し、関係国も出資しました。軽水炉完成までの間、米国は毎年50万トンの
 重油を北朝鮮へ提供する約束をしました(ジュネーブ合意の秘密覚書)。しかしその後軽水炉
 二基が完成していたはずの年度までには、基礎工事までしか完了しませんでした。

  ブッシュ政権は2002年には北朝鮮のウラン濃縮疑惑を理由に、米国は重油支援を打ち切り
 ました。これに反発した北朝鮮は、ジュネーブ合意で凍結していた黒鉛原子炉の稼働を再開
 させてプルトニューム抽出作業を始めました。さらに2003年1月には北朝鮮はNPT脱退宣言
 をします。その後ブッシュ政権はジュネーブ合意を破棄しました(第二次核危機)。
  米朝による互いの合意不履行から朝鮮半島での核危機が深まる中で、中国の仲介により
 2003年8月から六者協議(米、中、露、日、韓、北朝鮮で構成)が開催されることとなりまし
 た。

4 ジュネーブ合意から六者協議開催までの期間を振り返ると、第二次核危機のきっかけを作
 った責任の第一にブッシュ政権の北朝鮮強硬路線があります。
  クリントン政権の末期である99年10月には、それまでの米国の北朝鮮政策を包括的に見直
 した超党派レポート「ペリー報告書」が発表され、「米朝の相互脅威相互削減」が提言され
 ます。2000年10月金正日の特使として北朝鮮の趙明録将軍がワシントンを訪問し、米朝間の
 敵意解消を宣言する「米朝共同コミュニケ」を発表し、その直後にオルブライト国務長官が
 平壌を訪問します。オルブライト訪朝の目的はクリントンと金正日の米朝首脳会談の準備の
 ためでした。しかし、当時のクリントン政権は、北朝鮮問題と中東問題の二つを取り組みな
 がら、クリントン政権の残された期間に二つを取り組んで成果を上げることは不可能でし
 た。PLOのアラファト議長から強く要請されたため、クリントン政権は中東問題解決を優先
 させた結果、ここまで改善された米朝関係改善を後継のブッシュ政権にゆだねることとなり
 ました。
 
  しかし、ブッシュ政権は2002年1月の大統領年頭教書において、北朝鮮をイラン、イラ
 クなどと並べて「悪の枢軸」と呼び、米朝関係は完全に断絶することになります。
  北朝鮮は血の繋がりと先代金日成の遺訓政治を金正日政権の正当性の権威付としている独
 裁国家です。彼らからすれば、大統領が替わったとたんに北朝鮮政策が友好から敵対へと
 180度転換するなど、およそ考えられない背信行為と考えたことは想像に難くありません。
 
  さらに米国はジュネーブ合意に基づく軽水炉の建設を遅らせました。米国の本音は、いず
 れ北朝鮮政権は崩壊すると見越していたとも言われています。ペリー報告書の中にもそれを
 うかがわせる記述があります。他方で北朝鮮はジュネーブ合意に基づいて、黒鉛原子炉の稼
 働を凍結して合意を遵守する姿勢を示していました。軽水炉建設工事の遅延も、北朝鮮から
 見れば米国の背信行為と映ったでしょう。その上、米国はジュネーブ合意に反して50万トン
 の重油支援を停止したのです。
 
  他方で、北朝鮮もプルトニュームによる核開発は凍結しましたが、密かにウラン濃縮による
 核開発を進めていたことは、その後の事態の進展で明らかとなります。ジュネーブ合意はプ
 ルトニューウムによる核開発を放棄させるものでしたから、ウラン濃縮による核開発は形式
 的にはジュネーブ合意に反するものではありません。他方で北朝鮮は91年12月に韓国との間
 で朝鮮半島南北非核化共同宣言を発表していますので、この趣旨に反する行為でした。
  ジュネーブ合意から六者協議発足までの期間の北朝鮮核開発問題の深刻化の原因は、主要
 には米国の北朝鮮政策の転換と封じ込め強硬姿勢にありますが、他方で北朝鮮にもそれなり
 の責任があると言えるでしょう。

5 六者協議の経過
  六者協議は紆余曲折がありましたが、第四回協議において2005年9月に画期的な共同声明が
 合意されました。主要な内容は以下の通りです。

  ・米国は朝鮮半島で核兵器を持たず、北朝鮮に対して核・通常兵器で攻撃する意図がな
   いことを確認
  ・朝鮮半島非核化共同宣言を確認
  ・北朝鮮への軽水炉提供について議論する
  ・米朝国交正常化
  ・平壌宣言に基づき日朝の国交正常化
  ・北朝鮮への経済協力、エネルギー支援
  ・北東アジア地域の永続的な平和と安定のための共同の努力を約束
  ・朝鮮戦争終結のための平和条約協議
  
  この内容は、北朝鮮の核施設の廃棄を目的にしながら、朝鮮半島問題の包括的な解決と、
 朝鮮半島を含む北東アジアの恒久的な平和構築の仕組みを作るという内容でした。
  ところが共同声明が発表された直後から、米国務省による北朝鮮に対する経済制裁が発動
 されました。香港にある中国の銀行バンコ・デルタに対する金融制裁です。北朝鮮からすれ
 ば、共同声明のインクが乾かないうちからそれを破り捨てるような行為となります。
 
  北朝鮮は2006年7月長距離弾道ミサイル「テポドン」を発射し、10月には初の核爆発実験
 で米国の背信行為に応えました(第三次核危機)。第一次安倍政権発足間無しの日本では、周辺
 事態法発動の動きまでありました。これを見たブッシュ政権はそれまでの強硬な北朝鮮政策
 を転換し、一気に対話路線を始めました。このときホワイトハウスでは、北朝鮮強硬派の
 チェイニー副大統領による妨害をさせないため、彼を排除してコンドリーサ・ライス大統領
 補佐官とクリストファー・ヒル(国務省アジア太平洋担当国務次官補で六者協議米国主席代
 表)とが密談したという裏話もあるくらいです。ヒルと北朝鮮の金桂冠第一外務次官とがベ
 ルリンで協議し、翌年2月に合意された「初期段階の措置」の合意内容を詰めたのです。米
 朝ベルリン協議を経てこの二人が分担して中、露、日、韓を根回ししました。

  その結果2007年2月に開催された六者協議で「初期段階の措置」という合意文書が採択さ
 れました。これは北朝鮮の完全な非核化を目指したプロセスの最初のステップの合意で、
 2005年9月共同声明を実行するためのより詳細な合意です。概ね以下の内容です。

 ・初期段階の措置として、寧辺の核施設の稼働の停止と封印、IAEAの監視、検証を受ける。
  共同声明に記載されたすべての核計画の一覧表につき協議。米朝国交正常化協議とテロ支
  援国家指定の解除等。日朝国交正常化協議。経済、エネルギー、人道支援。初期段階の措
  置が60日以内に実施されること、そのための調整された措置をとる。
 ・初期段階の措置を実施するため5つの作業部会を設置。
   ①朝鮮半島非核化②米朝国交正常化③日朝国交正常化④経済・エネルギー支援⑤北東ア
    ジアの平和及び安全のメカニズム
 ・初期段階の措置及び次の段階の期間中、北朝鮮に対して100万トンの重油に相当する経済・
  エネルギー・人道支援を提供
 ・朝鮮戦争の終結のための平和条約締結交渉
 ・初期段階の措置が実施された後、六者は北東アジア地域での安全保障面での協力を協議す
  るための閣僚会議を開催

  いかがでしょうか。2005年9月と2007年2月の共同声明は、北朝鮮の核開発を最終的に解
 決するための画期的な内容であることを理解していただけるでしょう。
  六者協議は2007年10月非核化第二段階の措置について合意し、北朝鮮は2007年11月核施
 設の無能力化作業へ着手しました。具体的には黒鉛原子炉の冷却塔を破壊したのです。さら
 に北朝鮮はIAEAによる検証を受けるための核開発のリストとして2008年6月数万頁に及ぶ核
 計画申告書を提出しました。米国は同年10月にテロ支援国家指定を解除しました(トランプ政
 権が再指定したものです)。

  しかし申告された北朝鮮の核施設に対する検証方法(サンプル採取を認めるか認めないか)を
 めぐり、米朝間での対立が解消されないまま検証方法を定める合意文書が作成できず、2008
 年12月に六者協議が決裂してしまいました。その後は現在まで開かれていません。
  2009年3月から米韓合同軍事演習(フォールイーグル、キーリゾルブ)が始まり、北朝鮮は強
 く反発して同年4月弾道ミサイルを発射し、5月には核爆発実験を行い、6月には核放棄を拒
 否、ウラン濃縮作業に着手、使用済み燃料再処理と抽出プルトニュームを兵器化との外務省
 声明を発表しました。
 
  この様に2009年以降再び北朝鮮核開発問題が深刻化し、2010年3月の米韓合同軍事演習の
 直後に韓国の哨戒艦天安が北朝鮮の魚雷により撃沈させられます(北朝鮮は否定しています)。
 その結果朝鮮半島南北間の関係も決定的に悪化します。

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