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【NPJ通信・連載記事】内田雅敏の「君たち、戦争ぼけしていないか?」/内田 雅敏

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内田雅敏の「君たち、戦争ぼけしていないか?」
自民党改憲草案と靖國神社参拝の思想的水脈

2014年5月6日

「靖國神社で会おう」 と語られたことがあったが、「アーリントン墓地で会おう」 と語られたことはなかった。 靖國神社は、「夢にでてきた父上に、死んで帰れと励まされ…」 (露営の歌)と唄われた狂気の時代の遺物である。

1 世界が懸念  米国政府からのメッセージ
2014年1月2日付時事通信によれば、同年1月2日午前、安倍政権与党公明党の山口代表は、都内で街頭演説し、 安倍首相の靖國神社参拝について 「韓国や中国の反発はもちろんだが、米国、ロシア、欧州連合(EU)からも心配する声や厳しい声が聞かれている」 と、 「世界が懸念」 していることに憂慮する旨述べたという。2013年12月26日の安倍首相の靖國神社参拝について、 米国は、同日、駐日米大使館を通じて、「近隣諸国との関係を悪化させる行動をとったことに、米国政府は失望している」 と声明した。

安倍首相の靖國神社参拝については、中国、韓国はもちろんのこと,フィリピン、シンガポール、インドネシア当局も批判していること(12月29日共同電)。 豪の有力紙オーストラリアンは、12月28日付社説で、安倍首相の靖國神社参拝を 「日本のオワンゴール」 との表現で、 自ら招いた外交的失点と指摘している(同)。アジアだけでない。ロシア、欧州連合(EU)からも批判され、国連事務総長も懸念を表明した。 かっての 「同盟国」 独も、ザイベルト政府報道官を通じ、「日本の国内問題についてのコメントは控えたい」 としながらも、 「すべての国が20世紀の悲惨な出来事に対し、真摯に向き合わねばならない」 と述べ、安倍首相の靖國神社参拝を疑問視した(12月31日共同電)。

すでに米国は、昨2013年10月3日、来日したジョン・ケリー米国長官、チャック・ヘーゲル同国防長官両名をして、 東京、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪づれ献花させることによって、米国は靖國神社参拝を認めないというメッセージを日本政府に送っていた。 にもかかわらず、12月26日、安倍首相は靖國神社参拝を強行した。米国の批判が 「失望した」 というかなり強烈なものになったのは当然である。 米国のこのような素早い、かつ 「強烈な」 批判は、あらかじめ英文の声明を(何故、英文であって中文、ハングルではないのか)用意するなど、 織り込み済みであったとはいえ、安倍首相にはかなり強力なボディーブロウとなったことは間違いない。

2 「聖戦」 思想という靖國歴史観に目を閉ざしてきたマスディアの覚醒
靖國問題の本質は靖國神社、それも、過去だけではなく、現在もなお先の戦争をアジア解放のための 「聖戦」 だとする靖國神社の歴史観 【注1】 にこそあることを理解しなければならない。私はこのことを機会あるごとに述べてきた。 巷間A級戦犯の分祀がなされれば靖國問題は解決するかのような言説も見られるが、事の本質はA級戦犯の合祀にあるのでなく、 A級戦犯が合祀されるにふさわしい靖國神社の歴史観にあることを理解しなくてはならない。靖國神社がA級戦犯を分祀することは絶対にありえない。 何故なら、分祀した瞬間に、「聖戦」 思想を根幹とする靖國神社の歴史観が崩壊し、靖國神社でなくなってしまうからである。 しかるに新聞、テレビ等メディアの多くは、A級戦犯分祀論にとどまっていた。

昨2013年8月16日、産経を除く各紙の社説は、前日15日、安倍首相が靖国神社参拝を見送ったことを評価したが、北海道新聞8月16日付社説が、 「閣僚靖国神社参拝 戦争の反省どこえ」 というタイトルの下、「だが靖国神社は先の戦争を正当化する歴史観を持ち、A級戦犯を合祀している。 閣僚の参拝は侵略戦争の肯定と受け止められる」 と述べていること、同じく、同日付信濃毎日新聞社説が、 「追悼の場、歴史を共有するために」 というタイトルの下、「(遊就館について)先の戦争については 『大東亜戦争』 の呼称で統一されている。 日本が戦争に踏み切ったのは米国に経済封鎖され、いわば無理やり追い込まれての事と説明している。 アジアに兵を進めたのは、列強の植民地支配から解放するのが目的だったと。そこには、アジアの人々に苦しみを強いた事への反省がない。 遊就館が主張する歴史観は、戦争への反省から出発した戦後日本の歩みと相いれない。神社はA級戦犯を合祀してもいる。 戦没者を悼み、不戦を誓う場とするには問題がありすぎる。」 と述べているのを除いては、靖國神社の歴史観には踏み込まず、 A級戦犯分祀論にとどまっていた。

同年年10月4日、フジテレビは、ジャーナリストの池上彰をメインキャスターとして、 開局50周年特別番組 「池上彰緊急スペシャル」 として1時間半にわたって靖國神社特集を行った。 フジ・サンケイグループのフジテレビにしては、かなり踏み込んだ靖國神社論であったが、そこでもA級戦犯分祀論にとどまり、 靖國神社の 「聖戦」 思想については全く触れられなかった。 ジャーナリストの評価の高い池上彰の番組ですら、靖國神社の本質に迫ることをしなかったのである。

ところが12月26日、安倍首相の突然の靖國神社参拝(或るメディアは 「電撃的参拝」 と報じた)について、各紙は、A級戦犯合祀を問題にしつつ、 分祀論にとどまることなく、靖國神社の歴史観を問題にする論評をなすに至った。

朝日新聞2013年12月27日付社説は、「首相と靖国神社 独りよがりの不毛な参拝」 のタイトルの下、「戦後日本への背信」 という小見出しをつけて、 「戦前の靖国神社は、亡くなった軍人らを 『神』 としてまつる国家神道の中心だった。 戦後になっても、戦争を指導し、若者を戦場に追いやったA級戦犯をひそかに合祀(ごうし)した。 境内にある 『遊就館』 の展示内容と合わせて考えれば、その存在は一宗教法人にとどまらない。 あの歴史を正当化する政治性を帯びた神社であることは明らかだ」 と主張している。

同日付毎日新聞社説は、「外交孤立招く誤った道」 というタイトルの下、「靖国は首相が戦没者を追悼する場所としてふさわしくない。 先の大戦の指導者たちが祀られているからだ。、、、、合祀の背景には、東京裁判の正当性やアジアへの侵略戦争という歴史認識に否定的な歴史観がある。 戦後日本は、52年に発効したサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れ、国際社会に復帰した。 それなのにこうした背景を持つ靖国に首相が参拝すれば、日本は歴史を反省せず、歴史の修正を試み、 米国中心に築かれた戦後の国際秩序に挑戦していると受け取られかねない」 と主張した。

日経新聞12月27日付社説は。「靖国参拝がもたらす無用なあつれき」 というタイトルの下、 「赤紙で戦地に送られた多くの戦没者を悼むのは、日本人としての当然の感情だ。問題は、靖国がそれにふさわし場所かどうかだ。 靖国には東京裁判でA級戦犯とされた戦争指導者14人がまつられている。1978年になって、当時の宮司の判断で 『昭和殉難者』 として合祀(ごうし)された。 日本政府はサンフランシスコ講和条約によって 『東京裁判を受諾した』 との立場だ。 戦犯を神格化することが好ましくないことは言うまでもない。東京裁判の正当性を疑問視する向きがあるのは事実だ。 しかし、戦犯問題を抜きにしても、日本を無謀な戦争に駆り立てた東条英機元首相ら政府や軍部の判断を是認することはできない」 と主張した。

A級戦犯分祀論が完全に拭い去られているとは言えないにしても、各紙の論調は、前述した半年前の2013年8月16日の社説とは異なり、 靖國問題の本質が靖國神社の歴史観にこそあるという見解に近づいてきた。 マスメディアも、12月26日の安倍首相の靖國神社参拝について、「世界が懸念」 していること、 とりわけ、米国の 「失望」 という強烈な批判に目を覚まされたといえよう。
ちなみに、わが東京弁護士会も、12月26日、安倍首相の靖國神社参拝について、憲法20条の政教分離原則に違反する疑いが強いと指摘したうえで、 「加えて、靖国神社は、先の 『大東亜戦争は正しい戦争だった』 とする歴史観(聖戦思想)に立ち、A級戦犯を合祀しているだけではなく、 そもそも戦死者の 『追悼』 施設ではなく、『顕彰』 施設である点にその本質がある。 すなわち、国のために戦死することを最大の栄誉としてまつる精神システムとして機能してきた点を、 見逃すことはできない」 と会長(菊地祐太郎)の抗議談話を発した。

3 読売新聞の狼狽といら立ちと産経新聞の 「堂々たる」 論陣
滑稽なのは、読売新聞である。12月27日付同社社説は、「首相靖国参拝 外交立て直しに全力を挙げよ」 というタイトルの下 「『電撃参拝』 である。 なぜ今なのか。どんな覚悟と準備をして参拝に踏み切ったのか多くの疑問が拭えない」 とし、「国立追悼施設を検討すべきだ」、 「気がかりな米の 『失望』」 という小見出しを掲げ、「気がかりなのは米国が 『日本の指導者が、 近隣諸国との緊張を悪化させるような行動をとったことに失望している』 と異例の声明を発表したことである。 日米関係を最重視する首相にとって誤算だったのではないか。中国は東シナ海上空に防空識別圏を一方的に設定し、 日中間の緊張を高めている尖閣諸島を巡ってさらに攻勢を強めてくる可能性もある。 日本は、同盟国の米国と連携して領土・領海を守り抜かねばならない。 この微妙な時期に靖国神社に参拝し、政権の不安定要因を自ら作ってしまったのではないか」 と述べ、 さらに 「中韓の悪乗りを許すな」 という小見出しを掲げ、「首相は、参拝について、『政権発足後、1年間の歩みを報告し、 戦争の惨禍で再び人々が苦しむことのない時代を創る決意こめて不戦の誓いをした』 と説明した。 中韓両国などに 『この気持ちを説明したい』 とも語った。だが、中韓両国は、安倍首相に耳を方けるどころか、 靖国参拝を日本の 『右傾化』 を宣伝する材料に利用し始めている。 中国外務省は 『戦争被害国の国民感情を踏みにじり、歴史の正義に挑戦した』 との談話を表明した。 韓国政府も 『北東アジアの安定と協力を根本から損なう時代錯誤的な行為』 と批判している。 誤解、曲解も甚だしい。日本は戦後、自由と民主主義を守り平和国家の道を歩んできた。中韓が、それを無視して、靖国参拝を批判するのは的外れだ。 そもそも対日関係を悪化させたのは歴史問題を政治外交に絡める中韓両国の方だ」 といら立ちを表している。
安倍首相の靖國神社参拝に対する中・韓の批判は、きわめて真っ当なものであり、「悪乗り」 では全くない。 読売社説氏は、安倍首相の靖國神社参拝について 「世界が懸念」 を示していることに目を閉じているとしか思えない (国立追悼施設の検討は評価できる)。

このように、安倍首相の靖國神社参拝について世界から批判、あるいは懸念が表明される中、 「首相靖国参拝 国民との約束果たした 平和の維持に必要な行為だ」 と 「堂々たる」 論陣を張っているのがあの産経新聞だ。
前記タイトルを掲げた同紙12月27日付社説は、「安倍晋三首相が靖国神社に参拝した。多くの国民がこの日を待ち望んでいた。 首相が国民を代表し、国のために戦死した人の霊に哀悼の意をささげることは、国家の指導者としての責務である」 と手放しで称賛し、
「靖国神社には、幕末以降の戦死者ら246万余柱の霊が祭られている。国や故郷、家族を守るために尊い命を犠牲にした人たちだ。 首相がその靖国神社に参拝することは、国を守る観点からも必要不可欠な行為である」 と述べ、
「今後、国土・国民の防衛や海外の国連平和維持活動(PKO)などを考えると、 指導者の責務を果たす首相の参拝は自衛官にとっても強い心の支えになるはずだ」 と、 靖國神社参拝の狙いのある処 ― 靖國神社の創建目的は、戦死者の追悼にあるのでなく、「英霊」 の顕彰とその再生産にあった。 ―  を露骨に語っているのには驚く。《死んだら、靖國神社に祀って、参拝してやるから、安心して死ね》 というのであろうか。

同紙12月28日付 「産経抄」 は、「長生きはしてみるもので、きのうの朝日、毎日両新聞の1面にそろって 『国益』 という活字が躍っていた。 朝日新聞ではコラムでも使っており、『国益』 より 『平和と民主主義』 が大事と考えておられる両紙の愛読者はさぞ失望されたのではないか。 両紙ともに安倍晋三首相の靖国神社参拝に中韓はもとより、米国も 『失望した』 と表明したのを喜ぶかのように 『国益を損なった』 と筆をそろえている。 日頃の紙面からは想像できぬほど国益を重視する筆致に感心した。 確かに、中国、韓国の対日嫌がらせは増し、進出企業が少なからぬ損害を受けるのは免れまい。日中韓の首脳会談実現も望み薄だ。 ただし、参拝せずとも対中関係は冷え込みっぱなしだったから、影響は 『雪の上に霜が降りる』 程度にしか過ぎない。 むしろ、首相の靖国参拝で得られた国益はかなり大きい。第一葉首相が公約を守ったという事実だ。、、、政治家が自らの発言に責任を持ち、 実行に移すのは当たり前の姿であり、『政治力』 アップは間違いなく国益に資する。米国務省が 『失望した』 と、表明してくれたのも、国益に大いに役立った。 日米同盟が永久不変なものではなく、歴史認識ひとつとっても日本が逐一主張しなければ、 中韓のプロパカンダ(宣伝)工作にしてやられかねないことを教えてくれた」 与太コラムを掲げる。

「雪の上に霜が降りる程度」 といういい方には、言葉を失う。 隣国中国・韓国について 「近くて遠い国でいい」 と声高に語る札付きの 「評論家」 を多用する同紙の面目躍如である。

4 安倍首相の弁明のまやかし追悼、慰霊が批判されているのではない
安倍首相は、靖國神社参拝に際し、談話を用意し、「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に対して、 哀悼の誠をささげるとともに、尊崇の念を表し、御霊(みたま)安らかなれとご冥福をお祈りしました。 また、戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀(ごうし)されない国内、および諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝しました」 と述べた。

いま、「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた」 云々はさておき、韓国、中国が何を批判しているかは正確に認識しておかなければならない。 靖國神社参拝を巡っては、戦没者の追悼・慰霊はどこの国でもやっていることで、批判される筋合いのものではない、 内政干渉だというようなことが声高に語られる。韓国、中国らは死者への追悼、慰霊を批判しているのであろうか。 このことは、同じ8月15日に日本政府主催で行われる 「全国戦没者追悼式」 と比較してみれば、容易に分かる。 韓国、中国らが、この 「全国戦没者追悼式」 を批判したことはない。それは、まさに 「どこの国」 でもやっていることだからである。 韓国、中国らが批判しているのは、死者に対する追悼、慰霊でなく靖國神社に参拝することであることを理解しなくてはならない。

安倍首相は米外交専門誌 『フォーリン・アフェアーズ』 6月号のインタビュで 「アーリントン国立墓地には南北戦争で戦死した南軍将兵の霊も収められている。 その墓地にお参りをすることは(南軍が守ろうとして戦った)奴隷制を認めることは意味しないでしょう。私は靖国についても同じことが言えると思います。 靖国には自国に奉仕して、命を失った人達の霊が祀られているのです。」 と答えている。 一知半解、子供だましの言い草だ。アーリントン墓地は 「奴隷制」 を肯定してはいない。 しかし、靖國神社は、先の戦争を 「聖戦」 として肯定し、戦死者を 「護国の英霊」 として顕彰している。 さらある、靖國神社はアーリントン墓地の 「南軍」 に相当する、戊申戦争における奥・羽・越列藩同盟の戦死者は 「朝敵」 なので祀っていない。 西南戦争における西郷軍も同様だ。さらに重要なことは、アーリントン墓地は靖國神社と異なり、 本人・遺族の意向を無視して祀るようなことはしていないことである。 かつて 「靖國神社で会おう」 と語られたことがあったが、「アーリントン墓地で会おう」 と語られたことはなかった。 靖國神社が、「夢にでてきた父上に、死んで帰れと励まされ…」(露営の歌)と唄われた狂気の時代の遺物であることを否定することはできない 【注2】

5 鎮霊社という奇策
ところで、前記安倍談話中には 「鎮霊社」 という見慣れない施設の名前がある。靖國神社発行のチラシ 「やすくに大百科」 は、 「鎮霊社」 について 「靖國神社本殿に祀られていない方々の御霊(みたま)と世界各国すべての戦死者や戦争で亡くなられた方々の霊が祭られています」 と解説している。この解説だけでは何もわからない。靖國神社参拝に対する批判の一つに、同神社は天皇の軍隊の死者だけを祀っており、 すべての戦没者を祀っていないから、国の代表者が参拝する追悼施設としては適当でないという見解がある。 前述したように、奥・羽・越列藩同盟の戦死者、西南戦争における西郷軍の戦死者は 「朝敵」 だから祀られていない。 先の戦争についても、空襲や、原爆による国民一般の死者については、「天皇の兵士」 でないから祀っていない。 この批判を躱す目的で作られたのが 「鎮霊社」 である。鎮霊社は1965年に当時の筑波宮司によって靖國神社の境内の端っこに作られた小さな社である。 筑波宮司の後任の松平宮司(A級戦犯を合祀したとして裕仁天皇の不興を買った)は、鉄柵をめぐらし、一般人が参拝できないようにした。 その後の大野宮司の時代も同様であり、その存在は秘せられていた。ところが湯澤宮司時代、靖國神社に代わる国立追悼施設が論じられた際に、 「当社にも敵味方わけ隔てなく、世界中の戦争で死んだ人々を祀る鎮霊社というものがあります」 とその存在を明るみ出し、国立追悼施設論を躱そうとした。 南部前宮司の時代になって前記鉄柵は取り除かれ、一般人も参拝できるようになったが、その存在はほとんど知られていなかった。

安倍首相は、これに飛びついた。A級戦犯に参拝するのは問題だという批判に対しては、否、靖國神社参拝はA級戦犯に対する参拝でなく、 246万余の一般の戦死者に対する参拝だと躱し、すべての戦没者に対する参拝ではないのではないかという批判に対しては、 否、鎮霊社にも参拝していますと躱すつもりのようだ。米国アーリントン墓地を引き合いに出しての弁明と同じく姑息としか言いようがない。 国内外を問わず世界中の戦争の死者を祀っている 「鎮霊社」 とは一体何であろうか。 ヒットラーも、フセインも祀られているのか、冗談もいい加減にしてほしい。

「靖国神社に合祀されない国内、および諸外国の人々を慰霊するする鎮霊社にも、参拝いたしました」 という安倍首相の談話については、早速、 中国から、国外の戦没者の慰霊というならば、南京大虐殺記念館、あるいは盧溝橋を訪れるべきだという批判がなされた。当たり前だ。

1970年、ポーランドのワルシャワを訪れた西独のブラント首相(当時)がユダヤ人犠牲者の碑に膝まづいて謝罪し、 それが両国の歴史問題の和解のきっかけになったことを思い起こすべきである。

安倍首相は、就任以来、対中、韓との絡みもあってシンガポール、ベトナムなど東南アジアを歴訪しているが、 例えば、シンガポール市庁舎の近くにある戦時中の日本軍による華人虐殺(2万から5万人と言われているが正確な数は不明)の 『日本占領時期死難人民紀念碑』 に献花しただろうか。

6 安倍首相の靖國神社参拝は中国の軍拡派に対する贈り物
2014年12月30日付、米ウォール・ストリート・ジャーナルは 「現職の首相として、2006年以来初めてとなる安倍首相の靖国参拝は、 日本の軍国主義復活という幻影を自国の軍事力拡張の口実に使ってきた中国指導部への贈り物だ」 と指摘している。 安倍政権の掲げる、改憲、集団的自衛権行使の容認、戦後体制の否定は、アジアの緊張を高め、中国の民主化を妨げ、 中国国内の軍事的冒険主義者を勢いづかせる。そしてそのことが、又日本国内の反中感情を煽る。 不信の連鎖である。この不信の連鎖が、双方の国家主義者たちを跳梁させる。

一昨2012年は、1952年発効したサンフランシスコ講和条約から60周年、1972年の沖縄復帰、同じく、日中国交正常化から40周年であり、 盛大に祝うとともに、日本のこれまでの歩みを顧み、将来を考えるべき節目の年であった。 それを石原東京都知事(当時)の東京都による尖閣諸島購入発言→国有化がぶち壊したことは記憶に新しい。 石原の挑発とそれを好機として挑発に乗り、反日感情を煽った勢力が中国にいたのは事実であろう。 石原らの狙いは、その反発を利用して、中国脅威論、反中感情を煽り、改憲、国防国家への途を突き進もうとしたところにあった。 まさに現代版 「ハーメルンの笛吹き男」 であった。安倍首相に靖國神社参拝により中国、韓国を挑発し、その反発を利用して、 一気に戦後の日本の歩みを覆してしまおうとする意図はなかったか。 まさしく 「戦後日本への背信」(朝日新聞社説)である。さらに、差し迫った沖縄辺野古を抱える名護市の市長選への深謀はなかったか。

沖縄米軍基地 「永久化」 をもくろむ米国の動向も複雑である。米軍基地強化のためには日・中間にある程度の緊張があった方が好都合である。 確かに、米国は、今回の安倍首相の靖國神社参拝について、「失望した」 と声明した。 しかし、同声明は同時に、「米国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する」 とも述べている。 安倍首相は、今般の靖國神社参拝に先立ち、談話を用意していたが、ご丁寧に英文のものも用意していた。 米政府の前記声明は、前半 「失望した」 部分は、中国政府向け、そして後半部分は日本政府向けと理解されなくもない。

7 自民党改憲草案と靖國神社参拝に通底するもの
間もなく戦後70年にならんとする、今なお、私たちは、先の戦争をアジア解放のための 「聖戦」 だとする靖國歴史観を克服していない。 この靖國歴史観は、「政府の行為によって、再び戦争の惨禍を起こさないようにすることを決意して」 (憲法前文)を国内外に宣言して、 戦後の出発をなした日本国政府の公式見解と真逆な関係に立つものである 【注3】。 戦後日本の法体系が、憲法体系と日米安保体制という本来相容れないはずの二つの法体系の奇妙な同居であったと同様、戦後日本の精神世界は、 人権、民主主義という 「顕教」 と靖國歴史観という 「密教」 との奇妙な同居であったことに気付かざるを得ない。
安倍首相を総裁とする自民党の改憲草案は憲法前文中から、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、 その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり。 この憲法はかかる原理に基づくものである」 という 「人類普遍の原理」 を削除し、代わりに 「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、 国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、、、」 とし、さらに 「政府の行為によって、 再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」 という日本の戦後の反省と誓いを削除し、 代わりに、「「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて、発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、、、、」 としている。 この改憲草案と安倍首相の靖國神社参拝は、戦後の否定という点で通底することを理解しなければならない。

戦後の護憲運動は、「平和憲法」 の下、戦没者と真摯に向き合うことを十分にはせず、靖國歴史観との対峙を回避してきた。 沖縄の米軍基地についても同様であった。
一部の指導的部分は別として、先の大戦で夫を、父を、息子を、兄弟を亡くした圧倒的多数の遺族からすれば、 《確かに、先の大戦は侵略戦争であったかもしれない。しかし、夫、父、息子、兄弟らは、残された家族への想いを残しながら、国の命令によって出征し、 「戦陣に死し、職域に殉じ、非命に斃れた」(終戦の詔勅)のではないか。 出征させた国は、責任をもって彼らの死を悼み、祀ってほしいと思うのは当然である。国は、遺族らのこの思いに応えるべきである。 一宗教法人に過ぎない靖國神社にゆだねるのでなく、国自らが、だれでも参加できる、無宗教の国立追悼施設を設け、 不断に死者たちの声に耳を傾けるべきである。死者に感謝したり、顕彰したりしてはならない。 死者に対する鎮魂は、死者をひたすら追悼することにつきる。 感謝、顕彰した瞬間から死者の政治利用が始まり、死者を生み出した者の責任があいまいにされる。

8 日中共同声明の精神に立ち戻ろう
1972年9月29日、日・中間の国交正常化を宣言した日中共同声明は、その前文において 「日中両国は一衣帯水の間にある隣国であり、 長い伝統的友好の歴史を有する。両国国民は、両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つことを切望している。 戦争状態の終結と日中国交正常化という両国国民の願望の実現は、両国関係の歴史に新たな一頁を拓くことになるだろう。 日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」 と述べ、その末尾において
「両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは両国国民の利益に合致するところであり、 又、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである」 と述べている。

今、日中は、領土問題、靖國神社参拝等々を巡って 「不正常な状態」 にある。 不信の連鎖を断ち切るためには、日中共同声明の精神に立ち戻らなくてはならない。   昨2013年8月20日、ミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所跡を訪れたメルケル独首相は、 「犠牲者たちの運命を思い起こすと、私は深い悲しみと恥の思いでいっぱいになる。 どうしてドイツは人間の尊厳を簡単に否認するところまで行き、大多数のドイツ人はそれに反対しなかったのか。 この記憶は世代から世代に伝えて行かなければならない」 と述べたという(2014年1月2日松井健朝日新聞ベルリン支局長)。

【注1】 靖国神社の歴史認識を具体的に表現しているのが同神社の遊就館の展示である。 展示室15、(大東亜戦争)の壁に、「第二次世界大戦後の各国独立」 と題したアジア、アフリカの大きな地図が掲げられ、以下のような説明がなされている。
「日露戦争の勝利は、世界、特にアジアの人々に独立の夢を与え、多くの先覚者が独立、近代化の模範として日本を訪れた。 しかし、第一次世界大戦が終わっても、アジア民族に独立の道は開けなかった。 アジアの独立が現実になったのは大東亜戦争緒戦の日本軍による植民地権力打倒の後であった。 日本軍の占領下で、一度燃え上がった炎は、日本が敗れても消えることはなく、独立戦争などを経て民族国家が次々と誕生した。」
「大東亜戦争」 は侵略戦争でなく、植民地解放のための戦い、聖戦だったというのだ。 そして戦後独立したアジアの各国について、独立を勝ち取った年代別に色分けし、彼の国の指導者、 例えば、インドのガンジ一氏などの写真が展示されている。 ところが日本の植民地であった台湾、韓国、朝鮮 「民主主義共和」 国については色が塗られてなく、彼の国の指導者の写真も展示されていない。 ただ、朝鮮半島については南北朝鮮につき小さな字で、1948年成立と書かれているだけである。
このような 「聖戦思想」 に立つ靖國神社には、A級戦犯こそふさわしい。

【注2】 天皇制も同じように 「遺物」 であるが、しかし、天皇制については、1956年頭に 「人間宣言」 がなされ、 「現人神(あらひとがみ)」 思想が否定され、憲法上も 「統治権ノ総攬者」 から 「象徴」 に変わっている。 追悼ではなく、顕彰を目的とする靖國神社は、この様な 「脱皮」 をすることができない。 なお、安倍首相は、1月6日、都内の会合で、国立追悼施設を作っても戦死者の遺族は参拝しない、兵士らは 「靖國で会おう」 と戦地に赴いた。 戦死者の魂は靖國神社にあると述べたという(朝日新聞2014年1月7日)。

【注3】 1945年8月14日、ポツダム宣言を受諾し、翌15日、戦争を終結した日本は、 前文に 「政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」 と謳った日本国憲法を制定し、戦後の再出発をなした。 「日本側は過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことを痛感し、深く反省する」 と述べた1972年日中共同声明、 「戦争終結後、我々日本人は、超国家主義と軍国主義の跳梁を許し、世界の諸国民にも、 また自国民にも多大な惨害をもたらしたこの戦争を厳しく反省しました」 と述べた1985年の中曽根首相国連総会演説、 「慰安婦は、当時の軍当局の要請により、設置されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、 旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、 その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したことが明らかになった。 また、慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった」、 「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい」 と述べ、 従軍慰安婦に国家の関与を認めた1993年の河野官房長官(宮沢内閣)談話、「我国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで、 国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大な損害と苦痛を与えました。 私は未来に過ちなからしめんとするがゆえに、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここに改めて痛切な反省の意を表し、 心からのお詫びの気持を申し上げます。」 と反省を述べた1995年の村山首相談話、 「3・1独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的、軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、 その意に反して行われた植民地支配によって国と文化を奪われ、 民族の誇りを深く傷つけられました」 と述べた2012年韓国 「併合」 100年迎えての菅直人首相談話等々、 歴代の日本政府の公式見解は、憲法前文に云う 「政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こすことのないようにすることを決意し」 を踏まえたものである。 統治行為の理論で判断回避し、政治に追随したものとして、評判の悪い、 1959年12月16日の砂川事件最高裁大法廷判決も冒頭部分において 「そもそも憲法第九条は、わが国が敗戦の結果ポツダム宣言を受諾したことに伴ない、 日本国民が過去におけるわが国の誤って犯すに至った軍国主義的行動を反省し、深く恒久の平和を念願して制定したものであって」 と述べている。 村山首相談話は、1998年の日韓共同宣言中でも、「小淵総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し、 植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、 これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた」 と再確認されており、2002年の日朝平壌宣言でも 「日本側は過去の植民地支配によって、 朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」 と述べられるなど、 日・韓・朝間での国際的合意となっている。                                                                         2014年1月3日 1月12日更新

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