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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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第89回「七五郎沢の森とンドキの森(続編)」

2018年1月9日

         写真341:伐採により消えていく森の風景©西原智昭 

▼ピグミーが望むこれから

 第一回目の映写会のときの討論の後、もう一度ゆっくりと映像を見せた。時折映像を止めて、ぼくの方から補足説明も追加していった。そのあと、「じゃ、これから君らはどうしたいと思う?先住民族アイヌも本来の生活は崩されてしまった。君らも同じではないか?」と、参加者のピグミーに聞いてみた。

 すると、何人かが、「ぼくらでなにか意見や主張を決定していかないといけない」と積極的な発言だ。従来ピグミーはシャイなところがあり、集団としてなにか明確な主張をしていくと言った傾向が強くない。これは、彼らが昔から備えていた平等主義という社会メカニズムによるのかもしれない。集団の「代表者」のような立場の人間はいるが、決して強い権力を持っているわけではない。長年の経験と知識を活かしてなにか問題への解決策を示唆する「長老」もいるが、彼らも権力者ではない。狩りの上手な人間が狩りに成功した後も偉ぶった態度を示してはいけない。否、獲物は狩りのできなかったもの、仮に参加しなかったもの、すべての人間に「平等に」分配されるのが原則であった。

 こうした社会の仕組みの中、だれかが「こうだ」と強く主張しても、それが集団としての声になりにくいのを理解するのはむずかしくない。あくまで「合議制」を基礎とするのであるが、ただ、核となるリーダー的存在がいないため、みなの意見をまとめていく作業に不慣れである。そうした中、「ぼくらでなにか意見や主張を決定していかないといけない」という発言は、何かたくましいものを感じたのである。

 最初の主張は、自分らの居住区の森を切る伐採会社に関する話だった。「いまこそ、彼らと話をしてみないと。ぼくらの森を切るのは彼らなんだから。それに、道路を作ってくれたことは貢献しているけど、その同じ道は密猟者にも容易なアクセスを与えてしまった」。異なるピグミーが次々と話をしていく。「昔は動物を取ったあと自分らで歩いて運んだからたいへんだったけど、いま木材を搬出する道路と車を使って、密猟者は殺した動物を簡単に運べてしまう」。

 「伐採会社に何か要求したいなら、みんなで意見をまとめないとダメなのでは?もし言わないと彼らはきっと何もしないのでは?」とぼくが話を振ると、「伐採会社との小さな会議はよくあるけど、ぼくらのことは話していない」、「言わないと彼らはなにもしないだろう」と口々に言う。

 「日本の先住民は他の人間に差別され、不当な扱いを受けてきた。でも、いろいろな先住民はくじけず自らを主張してきている。同時に、他の先住民がどういう状況下であるかも知りたいと思っている。だから、彼らはこの映像をくれたんだ。是非ピグミーにも見せてほしいと。そして君らがどうこれから対処していくかを知りたがっているんだと思う」とぼくは補足説明をすると、彼らはさらに伐採関係のことを語る。

 「彼らが木を切った場所では、ぼくらが以前使っていた森の道がなくなっている。別の新しい道が森のなかにできているので戸惑う」。「伐採のあと、彼らはなんらかの人工的なものを森に置いていくんだ。森のなかには、いやな匂いも漂っている」。「この村に住んでいると、森の産物が少ないから、いつも腹をすかせているんだ」。「大きな町の周辺の森はヤブだらけだ。ヤブだらけということは動物がいない証拠だ。ほら、もし国立公園の森に行ったらヤブなんかない。そこは動物がたくさんいて、動物が普通どおりに生活しているからだ。ぼくらが生活の場にできるそうしたヤブでない森を確保してほしい」。「伐採会社はチェーンソーを使っていとも容易に、大きな樹木を切ってしまう。その音を聞いたら、動物も逃げてしまう」。

 ぼくは、そこで「いろんな意見が出たのはいいことだ。もっと自分らで話をしてみて、意見をまとめて、伐採会社に陳情したほうがいい」と助言する。「そして、それを日本の先住民にも知らせる。彼らもみんながどういう問題に直面しているのか知りたいんだ。そうして、いろいろな先住民がそれぞれ抱えている問題を世界に訴えるんだ。それが、君らの森や君ら自身を守っていくのに大切なんだ。お金じゃないぜ。お金で酒を買って、酔っ払ったらなんにも意味がない」と言うと、みなクスクス笑う。

 「ぼくらもまず同じテーブルで話をして、伐採会社の反応を見たい」と積極的で前向きな意見が出た。「ここの伐採会社はFSC認証を持っているから、先住民への何らかの配慮は義務なんだ」とぼくはさらに彼らを励ます。しかし、彼らの不満は続く。「認証を持っているのに、なにもしてないぜ」。「カカオのプランテーションも始めているけど、ぼくらには恩恵がない」。「伐採会社は木材をぼくらに送って、ぼくらの家をちゃんと建て直してくれるはずだった。でも、なにひとつ、やっていない」。「ぼくらが食料や生活で強く依存しているのは森なんだ。カカオのプランテーションがあってもいいけど、ぼくらには森が必要だ。だから、ぼくらの森を守ってほしい。ぼくらの森のことを考えてほしい」。「いまや、キノコだって、近くでとれやしない」。「昔はそこら辺に食料となる森の産物があったけど、いまじゃ、取れない」。

 彼らの意見をまとめた2ページに渡る文書は作成された。ぼくはそれを伐採会社に届けた。FSC認証を持つ数少ないコンゴ共和国の2つの伐採会社の責任者に問うたところ、先住民専用の学校づくりなどはしているが、それ以外、彼らの知識や技能・文化の伝承への配慮は意外とされていなかった。また先住民が従来の森での狩猟採集などができるような森を供与することもできないでいる。これは、伐採区が国有地で、伐採会社の思うとおりにはできないという障壁があるからだ。

 経済振興と生物多様性保全、先住民配慮のバランスを問う中で、FSC認証制度は希望の一縷ではあるが、まだ課題は多いようである。

 「七五郎沢のキツネ」はすでに英語に翻訳されているほか、フランス語、中国語、ポルトガル語などが準備中で、世界中に流布される予定である。

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