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【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑

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第62回:「平和」、「憲法」は禁句?
—杉並区主催の女性作曲家コンサートで言語規制を被って

2018年1月15日

 まさに底抜けの恐ろしい事態のまま、2017年も残り6日。クリスマスなどと浮かれている場合じゃない!今回は谷戸の担当で…のはずだったのに、私がシャシャリ出たのは、11月23日、杉並区主催で行ったコンサートが、あまりにも想定外のトラブルを引き起こし、到底黙ってはいられない、との思いに駆られたからである。12月15日、日隅賞の授賞式に参加した際、梓沢事務局長にこの件を愚痴ったところ、これはぜひNPJに書いて!とお墨付きをいただいたためもあり、本年最後の更新の材料とすることにした。事務局のご配慮に感謝します。

 実はコンサート終了の2日後に、女性誌「ふぇみん」主催の年末バザー(千駄ヶ谷市民センター)にて、編集者の女性に出会えたので、早速この話をしたら、それじゃ投稿して!と即決、怒りに任せた口調そのままの拙稿が12月15日号に掲載された。今回の更新タイトルも、掲載紙そのままだ。まずはその記事をここに転載させていただく。

「平和」、「憲法」は禁句?          2017・11・30  小林緑(杉並在住)

 去る11月23日、東京・杉並区主催で『女性作曲家を知る楽しみ―ピアノ独奏と連弾作品を集めて』が実施された。問題は音大教員として女性作曲家を紹介してきた私の企画意図の文言をめぐり発生。驚き呆れ、地元区政に対する不信感をますます募らせている。
 「…彼女たちは抽象的なソナタより標題付きのわかりやすい小品を、一人が目立つのでなく、連弾など、息を合せバランスを取る作品を多く残しました。平和憲法さえも危機にある世界の現状を、こうした女性たちの音楽から見直すためにも…」の傍点が政治的だから直せ、と印刷予定の前日になって要求されたのだ。この改変を指示したのが誰か、具体的にどの言葉が不可なのか、説明を求めて目下区の責任者と交渉中だ。“アベ政治を許さない”のタグを手放さない私なのに、ここではその為政者の名前も出していない。一体何が悪いの?
 そもそもこの企画は、杉並の女性団体連合が発案、そこに区が便乗した形だった。「地域単位で行動し、地球規模で考える」を標榜する私は二つ返事で引き受け、連弾には普通の4手用に3手や8手も加え、独奏には鳥の鳴き声や秋の情景、踊りを模した作品を選んだ。いずれも平和な自然があってこその音楽だ。だのにこの体たらく!杉並区男女共同参画都市宣言20周年記念事業」と銘打ちながら区の実質責任者たちはコンサート本番中もまるで無関心な様子。実務担当は女性なのに上司は男性ばかり…おなじみのジェンダー差別を地元で、それも本業の絡みで体験したショックは言い尽くせない。“

 しかしこの一文、冷静に読み直すととんでもない欠陥記事である。肝心かなめの、改編したのかどうか、がどこにも書いてないのだから。実は“やったよ!”とばかり、親しい友に渡したところ、早速にメールで「気持ちはよくわかるけど、結局改変要求に応じたのかどうか、読んだ限りではわからない」との苦言が届いた。まさに!もちろん書き直した。印刷予定も直前のことだし、お客様と、そして何より出演していただく方々に安心してプログラムをお渡しせねば、との一念で、止むなく応じたのである。

 念のため、改変前と後を見比べていただこう:
 ☆改変前=「平和憲法さえも危機にあるにある世界の現状を、こうした女性たちの音楽から見直すためにも、本日のコンサートが少しでも皆様の印象に残るよう、心より願っております」     
 ⇓
 ☆改変後=「こうした女性たちの肩肘張らぬ音楽に耳をから向け、世界が平和に、男女が等しく、自然体で命を紡ぎ続けられるよう、心より願っております。」

 音楽とは、人と人が心通わせ、平和な自然に囲まれつつ営むもので,戦争の脅威にさらされるようでは存立しない。私が現下の改憲論議を踏まえて、「平和憲法」の字句を使いたかったのはそこに尽きる。ところが、主催者杉並区の担当責任者(男性課長)は、当方の要求で設定されたさる12月13日の面談でも、その後文書で届いた回答でも、何故この文言が悪いのかという問いに対して、「男女共同参画」と「「平和憲法」はまったく無関係だから、の一点張り…こんな頓珍漢が女性にとってとりわけ大切な部署の責任者とは、あまりに情けなく、絶望的な気分に陥ってしまった…

 ところが、このプログラムをめぐってはさらにもう一つ、怒髪天の事態が起きたのである。
 A3用紙一枚の両面、つまりA4用紙4ページ分の、その中身は、折りたたんだなかの第2ページに演奏曲目、第3ページに5人の女性作曲家の紹介がレイアウトされていた。問題の企画意図は普通、プログラム全体の一番目立つ場所に来るのが当たり前なのに、ここではなんと、3ページの最下段にギリギリの枠で押し込まれてある![図版]。




 だが、さらに驚いたのは、データの提供もなく、校正作業もないまままに、当日初めて目にした表紙の第1ページである(図版)。「ピアノコンサート~女性作曲家を知る楽しみ―ピアノ独奏と連弾作品を集めて」とタイトルはこちらの指定通りに記されてあるものの、企画者、および演奏者の名前はおろか肩書も全く記されていないのだ!およそコンサートのプログラムとしてはあり得ないお粗末なというか無礼な事態は、一体どうして起こり得たのか!?
 上記面談の席で、実務に当たった女性二人は、さすがに「これは申し訳ないことでした」と一応詫びを入れた。だが責任者の男性課長は黙過。おそらくきっちり謝罪したら、ことがさらに大きくなると、予防線を張ったからではないか。

 「ふぇみん」への投稿にも記したが、この企画は年頭の新年会で、杉並区女性団体連合から発案があり、レクチャー・コンサート単体としてのイヴェントと思い込み、喜んで企画を請け負ったのだった。ところ4月の新年度人事移動を経て次第に妙な具合に話が拡大、ついには元オリンピック選手と紅白出場経験のある歌手など3人によるトークの部分を主軸とした形になってしまった。
 問題の表紙には、まず式典として主催者区長の挨拶(実際には欠席、副区長が代弁)、来賓の区議会議長の祝辞が大書されてある。ついで第一部記念トークとして、3人の出演者の名前がしっかり肩書付き、敬称付きで大きく記載。そしてようやくその下に第二部コンサート…これが上記の有様で誰が何をするのか、まったく不明、単に最後の余興として付け足したかに見えてしまう。おそらく課長始め上司の意識には、女性作曲家とか、音楽の視点からの男女平等などはこれっぽっちもなかったのであろう。
 4ぺージ目の裏表紙に「杉並区男女共同参画都市宣言」を麗々しく掲げているのも鼻白む。これは事前に多方面に拡散されていたチラシにもすでにきちんと掲げてあるのだから、このページに演奏者の紹介や写真も載せられたではないか。あくまでコンサート主体に考えてきた企画者として、憤慨するのもご理解いただけよう。
 実際、9月には公表・拡散されていたそのカラーチラシ[図版]では、トークイヴェントと同じ扱いでコンサート出演者の経歴と写真もしっかりレイアウトされていた。事前の打ち合わせでは、このチラシも当日配布用のプログラムとして再利用するとのことだった。くわえて、このチラシには「杉女連」も協力者として、小さすぎる字体ではあるが、きちんと記されているから、「そうそうそうしてね」、という気持ちだった。このチラシ裏面をあのプログラム第4ページに張り付けるなりして、プログラムとして一体化させればよいのだから…ところが当日、チラシはそれとは別に、区の配布物に紛れてファイルに挟まれ、プログラムの補完らしく見える具合でまったくなかったのだ…


 実はその配布ファイルには、本連載でも紹介済みの「女性作曲家ガイドブック2016」も加えてあった。勿論こちらが提供したもので、本音を言えば、なによりこれがコンサート資料として肝心と考えていたのである。だから、演奏曲と作曲家の紹介はA4一枚の裏表に印刷してガイドブックに挟めばよい。そう考えていた。ところが、まったく想定外のトークイヴェントが先に行われることとなったために、コンサート資料としてまるで意味をなさないプログラムなど、この上なく後味の悪い結果を引きずってしまった。取り分け、一番目立つべき演奏者の名前と顔写真が一目ではわからず、折りたたんだ中のページでしか見られないのでは、いくらお詫びしても済む話ではない。昨年来、文京区をはじめとする自治体の主催でいくつも企画の依頼をいただいてきたけれど、かくまで不快、不満足な経験は皆無である。

 担当課長にはもう一点、イヴェント全体の予算配分も明示するよう求めてあった。コンサートの発案当初から、予算は10万きり…とはっきり伝えられていたので、いつものように自腹を切る覚悟で準備し、実施し終えたのだが、このようにコンサートだけでなく3人のゲストを登場させた第一部の出費を考慮すれば、10万では賄えるはずもない。一体すべての予算配分はどうなってる!?これはこちらも知る権利があるはずだ。
 回答は総額およそ40万…私には予定通り10万として契約書も送付済みであったから、トーク関係には3倍の額が振り向けられたことになる。いくらなんでもでもそれはないでしょう…コンサートの出演者4人はみな、初めての曲をさらい、人前で披露するに恥ずかしくないまでにリハーサルも積む、その労力と時間は、トーク出演者が払ったそれよりはるかに過重だったはずなのから!無償のヴォランティアに徹した私が、出演者への交渉と顔合わせ、楽譜・音源提供や事後の打ち上げなどに費やした諸経費は全く度外視した上での話である。

 以上、個人的な感情までさらけ出して愚痴ってばかりの駄文を書き続けたこと、幾重にもお詫びしたい。ただ、文化的民度が高いと思われているらしい地元杉並で、ごく普通に使ったつもりの「平和憲法」という言葉から、区政をつかさどる職員全般の認識のありようが暴き出され、実際には誰も本気で恐れているわけでもないのに不必要な「忖度」がまかり通った、その事実を、ともかく広くお伝えしたかったのである。第一部のトークよりも第二部のコンサートへの評価が明らかに高かったアンケート結果にも後押しにされた。
 最後に言い訳をもう一つ。そもそもの提案者である杉並女性団体連合(杉女連)の方々が、私以上に怒り、憤慨して、課長たちとの面談にも同席、このままなし崩しにはさせない、男女共同参画の本源/意義を真摯に捉え直し、実行に移すよう区政に働き掛けを続けよう、との意を明確にしてくださったことにも報いたったのだ。ついでながら、本件については「ふぇみん」のほかにも、いくつかのメディアの担当者が関心を示してくださったので、いずれ記事化されるのでは…どうぞご注目ください。

 
追記
「週刊金曜日」2018年1月12日号、金曜アンテナ欄  執筆・往住嘉文(編集人)
 ”平和憲法を女性たちの音楽から見直すのは政治的? 杉並区「憲法」文言の削除要請”

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