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【NPJ通信・連載記事】心の免疫・体の免疫/佐藤 義之

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第9話 笑いは本当に元気の源か?

2018年1月16日

私は「明るくて、前向きにと思うくらい脆いものはない」と思っている。
体調は良いのに、主治医から検査結果の表を見せられ「よくない」と言われると、とたんに絶望の渕に立たされるのと同じように我々の心持ちというのは揺らぐものである。

私は、今まで、笑いだけでなく、泣くことも同じくらい体に良いことを説明して来た。
「涙は魂の浄化」とも言う。明るく前向きに生きることは大切である。
心身に良いことではあるが、無理をすることはない。泣きたい時、落ち込んだ時は、自分の感情のままに泣き、溜め息をつけば良い。
人間は本来、そんなに明るい存在ではない。「悲しくて、寂しいものだと決めようではないか」と言って来た。
人は誰でも死を迎える。はっきり言えば例外なく死ぬ。この世はつかの間の旅。
それぞれ1人1人が、重荷を背負って生きていくものと考えると、すごく楽になる。

鬱を広辞苑で調べると、(1)草木の茂る様、物事の盛んな形とあって、(2)として気のふさぐこととある。鬱とは、本来、勢いのある元気を意味する言葉である。

冬になり、細い枝に雪が積もると、その枝はしなう。更に降り積もると更にしなってやがてその雪をおとす。それをくり返して春を待つのである。
太い枝は、しなうことを知らず折れる。冬の風物詩に金沢兼六園の雪吊りがある。
雪吊りは太い枝だけに行われる。

「しなやか」という言葉は、元々「しなう」と「なえる」の合語である。
それが「しなえる」となり「しなやか」に変化したものである。
憂いは誰にも存在し、その時心はなえる。なえて、しなうから折れないのである。

鬱を得体の知れない快物のように恐れない。人は鬱と共に生きると覚悟する。
人は鬱を感じる瞬間があって生きているのだと考える。今の時代、社会も企業もプラス思考の人間ばかりをもてはやし、又必要としている。
なえて、しなって、はじめて心の免疫が育っていくのに。

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