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沖縄県民の苦悩と向き合え
 問われる民主主義の根幹  

寄稿:飯室 勝彦

2019年2月26日

 米軍に提供する新しい飛行場を建設するため沖縄の美しい海を埋め立てる計画に対し、沖縄の県民投票で示された答えは3度目の「ノー」だった。投票のテーマは、同県宜野湾市にある米軍普天間飛行場を廃止する代わりに、同県名護市辺野古に新飛行場を建設するための海面埋め立て、いわゆる「普天間移設」の是非である。知事選などを通じ県民が相次ぎ示した拒否回答を無視してきた安倍政権は、こんどこそ民意を真摯に受け止め、投票結果に表れた沖縄県民の苦悩と今度こそ向き合わなければならない。民主主義の根幹が問われている。
 同時に本土に住む人々は沖縄の基地問題をわがことと受け止めるべきだ。

◎圧倒的多数が反対
 埋め立てに賛成19.10%、11万4933票、反対72.15%、43万4273票と反対が圧倒的多数を占めた県民投票の結果は、翁長雄志氏に続いて玉城デニー氏が勝った昨年9月の知事選、1996年の県民投票の結果などから予想されていたが、知事選で玉城氏が得た過去最多の39万6600余票を反対票が上回ったことは県民の強い意志を物語っている。
 ここでのもう一つの注目点は52.48%という投票率と8.75%に達した「どちらでもない」票である。有権者の半数近くは投票さえせず、5万2600人以上が投票所に行きながらあえて明確な意思表示を避けた。安倍首相をはじめ政権側がこれらの数値を「埋め立て賛成」「容認」などと受け止めているとしたら、とんでもない勘違いである。
 いくら県民が基地縮小を訴えても動かず、既成事実を押しつけてくる政治の現実に対する怒り、無力感、諦念などさまざまな感情の交じった複雑な心理が「どちらでもない」票、投票棄権となって現れたとみるのが至当だろう。

◎想起させる戦前
 政府は県民の意思を無視し続けてきた。「米軍基地の整理縮小と日米地位協定の見直し」がテーマだった1996年の県民投票は投票率約60%、賛成が約90%だった。それから20年余たっても全国の米軍専用施設の70%が沖縄に集中する現実は変わらない。
 安倍政権は玉城知事の対話要求に応じず、投票結果がどうあろうと辺野古埋め立てによる新基地づくりを進めることをあらかじめ明言して工事を続行、新たな区域で護岸づくりにも着手した。「沖縄の人々に寄り添う」だの「丁寧な説明」は口先だけで、沖縄の声など聞く耳を持っていないのだ。
 安倍政権は「安全保障、外交は政府の仕事であり地方自治にはなじまない」「辺野古が唯一の選択肢」などとして県民の声に耳を傾けようとしない。「黙って政府のいいなりになっていろ」というのだ。この姿勢は国家、国防のためと称して個人を犠牲にしてきた戦前を想起させる。それにもめげず沖縄県民は3度目の「ノー」を突きつけた。これに安倍政権がどう対応するか、県民投票の結果に法的拘束力はないとはいえ、民主主義の根幹が問われている。

◎強権を支える本土の無関心
 強権的姿勢で自説を押し通すのは安倍政治の特徴だが、特に沖縄の基地負担については本土の人たちの関心の薄さが強権政治を結果として支えている。それを自覚している人はどれだけいるだろうか。
 朝日新聞による直近(2019年2月)の世論調査では、普天間飛行場のいわゆる辺野古移設について、沖縄では賛成21%、反対68%、「その他・答えない」11%だった。沖縄県民が問題をわがこととしてとらえ正面から立ち向かおうとしていることの表れだろう。

 沖縄県民以外はどうか。前出の朝日調査によると、全国では辺野古移設に賛成34%、反対37%、「その他・答えない」29%だった。賛成と反対が拮抗し、30%近くが明確な意思表示を避けている。対岸の火災視している人が多いことの表れだろう。
 沖縄と本土との温度差は大きく、本土側の“感度の鈍さ”が安倍政権を強気にしている。

◎主体性を欠く報道
 沖縄と本土との温度差を生む最大の要素は、沖縄県と沖縄県民が問題の当事者という現実であり、第2次大戦末期の地上戦の体験という歴史的事実だろう。沖縄の米軍基地がベトナム戦争や湾岸戦争で前線基地として機能したのもそんなに遠い昔ではない。沖縄に暮らす人々にとって戦争はリアルであり、基地は戦争と切り離せない「わがこと」なのである。
 沖縄のマスメディアはそれを理解しているからこそ県民に寄り添い、というより県民の一員として主体的に、新基地建設をめぐる安倍政治を批判的に報道している。現地の動きも詳細に監視し伝えている。
 しかし、本土のメディアの多くは選挙や住民投票、裁判など節目の出来事こそ大きく伝えるものの日常の出来事はほとんど報道しない。現象をニュースとして消費するだけでメディアによる主体的な取り組みがあまり見られない。
 その陰で強権安倍政治による既成事実が重ねられて行く。沖縄だけではない、高額な兵器を爆買いする軍拡、防空ミサイルの配備強化、南西諸島で進む自衛隊基地の増強など国民の目が十分届かないまま“逆コース化”が進んでいる。いまこそ報道の主体性が求められている。

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