NPJ

TWITTER

RSS

トップ  >  NPJ通信  >  事故原発への管理と対応がいったん放棄された事実を確認しなければならない ー 3月15日午前中に行われた、福島第1原発作業員650名の福島第2原発への移動は誰の指示によるものであり、どのような意味を持つものなのか ー

【NPJ通信・連載記事】読切記事

過去の記事へ

事故原発への管理と対応がいったん放棄された事実を確認しなければならない ー 3月15日午前中に行われた、福島第1原発作業員650名の福島第2原発への移動は誰の指示によるものであり、どのような意味を持つものなのか ー

寄稿:海渡雄一

2014年9月20日

第1 結論

1 問題

650名の2F(福島第二原発)への移動が、吉田所長の「関係のない人は退避させる。」「1Fに近い線量のひくいところで待機」という指示と矛盾していないかどうかという点がポイントである。私は明らかに矛盾していると考える。

2 事故時の実人員と緊急対策本部体制

事故発生当時、この原子炉では、東京電力の社員が755人、協力会社の社員5660人ほどの作業員がいた。15日早朝の時点でも、この中の720名程度の作業員が残り、事故対策に当たっていた。

そして、この原子炉の緊急対策に必要な緊急対策本部の要員数は400人と定められていた(吉田020 10ページ)。この数字は、残された人員で十分な対策がとれたかを判断するうえで、重要な数字である。

3 政府官邸と東電側とのやりとりと吉田供述をどのように統一的に理解できるか

14日夜から、2号炉は圧力が上昇し、水が入らず冷却が不能状態に陥り、東京電力の清水社長以下の最高幹部は、官邸(海江田経産大臣、枝野官房長官、細野剛志首相補佐官)に対して、「全面的な撤退(退避)」についての了解を取ろうとしていた。このことは、東電のテレビ会議録画でも、「最終的避難についてしかるべきところと詰めている」と報告されている。官邸側の政治家の証言は、例外なく全面的な撤退の申し出であったとする点で一致している。

官邸(菅総理大臣)は、15日未明に清水社長に対して、撤退は認めないと宣告し、清水社長もこれに同意した。

しかし、15日の朝5 時30 分頃の段階で、菅総理が東電本店に来たあと、IFの現場で爆発が生じ、1Fの現場も、官邸に詰めていた武黒フェローも、班目原子力安全委員長も2号炉は完全に冷却不能となっており、メルトダウンは不可避で、水蒸気爆発などによって、大量の放射性物質が、拡散する事態は避けがたいと考えていた。

吉田所長は、全員撤退は考えていなかった、自分は残るつもりだったし、必要な要員は残すつもりだった、必要でない要員は1Fに近いところで待機するよう指示したと述べている。

私の推測では、東京電力最高幹部らは、吉田所長の指示とは別個に、70名程度の要員を残し、緊急事故対策にも必要な者を含む、残りの職員・作業員650名は2Fに退避するオペレーションを、官邸の意向にもかかわらず実施したのだと考えると、前後の事態が合理的に説明できるように思われる。

4 吉田調書は当時の現場の混乱を如実に示している

吉田所長が「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。」「伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。」「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。」と述べた(吉田077-1-1 55ページ)。2Fに行けと言っていないという点こそが、明確な指示であり、2Fに行った方がはるかに正しいというのは、あとからの判断である。この供述自体は、このことが、論争になる前の2011年8月段階での供述であり、さまざまなバイアスがかかる前の証言で信用性が高い。

この本社指示と思われるオペレーションを、現場指揮者として、あとから追認したものであると評価できるが、部下が移動した先を把握していないという深刻な事態が発生し、所長の指示が末端まで伝わらないほど原発の現場が混乱していたことを示している。

問題は、この時点で吉田所長の下に残された70名程度の要員で、緊急事態を深めている4機の原発の事故管理、対応が可能だったのかと言う点こそが、日本国民の命運のかかった事実であり、最大のポイントである。事故時には、高線量地域に近寄り、弁の開閉など何らかの機器操作を行うためにも、多人数の作業員による人海戦術が必要であった。このような対応が可能な状況にあったのかが問われなければならない。

5 パラメーターもとれなくなっていた

15日の段階で1Fの1,2,3,4は中央操作室に常駐できないほど線量が高かった。定期的に人を送ってデータをとっていた(吉田051 58ページ)。

「中央操作室も一応、引き上げさせましたので、しばらくはそのパラメータは見られていない状況です。」(吉田077-1―4 56ページ)

東電HPに公表されているプリントパラメータデータ アーカイブによると、3月15日午前7時20分から11時25分まで、約3時間にわたって、プラントデータの記録すらできていない。

同時に4つの原子炉で深刻な事態が発生していた14-15日の状況では、むしろ1000人単位の作業員を追加して、集中的なオペレーションをしなければならない状況だったはずである。しかし、そのような状況で、東電の最高幹部らは、吉田所長の指示にも反して、バスを手配し、事故対応の判断に不可欠なGMレベルの幹部を含む650人の作業員を2Fに移動させたのだと考えざるを得ない(吉田077-1-4 54ページ)。

この点に関する14-15日の状況について、吉田調書の原文は次のようになっている。

(吉田077-1-4 49ページ)

「完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで何回目かに死んだと、ここで本当に死んだと思ったんです。

これで2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出ていってしまう。そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。チェルノブイリ級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。そうすると、1号、3号の注水も停止しないといけない。これも遅かれ早かれこんな状態になる。

そうなると、結局、ここから退避しないといけない。たくさん被害者が出てしまう。勿論、放射能は、今の状態より、現段階よりも広範囲、高濃度で、まき散らす部分もありますけれども、まず、ここにいる人間が、ここというのは免震重要棟の近くにいる人間の命に関わると思っていましたから、それについて、免震重要棟のあそこで言っていますと、みんなに恐怖感与えますから、電話で武藤に言ったのかな。1つは、とんな状態で、非常に危ないと。操作する人間だとか、復旧の人聞は必要ミニマムで置いておくけれども、それらについては退避を考えた方がいいんではないかという話はした記憶があります。

その状況については、細野さんに、退避するのかどうかは別にして、要するに、2号機については危機的状態だと。これで水が入らないと大変なことになってしまうという話はして、その場合は、現場の人聞はミニマムにして退避ということを言ったと思います。それは電話で言いました。ここで言うと、たくさん聞いている人聞がいますから、恐怖を呼びますから、わきに出て、電話でそんなととをやった記憶があります。ここは私が一番思い出したくないところです、はっきり言って。」

(吉田077-1-4 55-56ページ)

あと、一回退避していた人間たちが帰ってくるとき、聞いたあれだと、3月15日の10時か、午前中に、GMクラスの人たちは、基本的にほとんどの人たちが帰ってき始めていたと聞いていて、実際に2Fに退避した人が帰ってくる、その人にお話を伺ったんですけれども、どのクラスの人にまず帰ってこいとかいう。

○回答者 本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなととろに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰ってきてくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです。

○質問者 そうなんですか。そうすると、所長の頭の中では、1F周辺の線量の低いととろで、例えば、パスならパスの中で。

○回答者 今、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで、言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して。

○質問者 最初にGMクラスを呼び戻しますね。それから、徐々に人は帰ってくるわけですけれども、それはこちらの方から、だれとだれ、悪いけれども、戻ってくれと。

○回答者 線量レベルが高くなりましたけれども、著しくあれしているわけではないんで、作業できる人間だとか、パックアップできる人間は各班で戻してくれという形は班長に。」

6 事故対応に必要な要員も2Fに撤退していた

現時点でわかっていることは、15日の正午ごろから順繰りに作業員を戻しているということである。東電が公表しているプラントデータでも午前11時25分までの3時間、原子炉内の水位や圧力の計測ができていない。いったん事故原発は管理を放棄された状態に陥っていたのである。

戻した人員の中にはGMレベルの職員や運転員まで含まれている。吉田氏は「作業ができる人間だとか、バックアップできる人間は各班で戻してくれという形は班長に」と述べている(吉田077-1-4 49ページ)。事故対応の作業を続けるために必要な人間までが2Fに撤退してしまっており、吉田氏の発言からも明らかで所長の指示に反した事態が生じていたのである。

7 朝日新聞報道は誤報といえるか疑問

650人の作業員の大半の者たち、とりわけ下請け作業員らにとっては、吉田所長の必要な要員は残るという指示は徹底されておらず、東電社員の指示に従って移動したという認識であり、朝日新聞報道によって「所長の命令違反」と言われたことに、違和感があったことは理解できる。しかし、所長自身が「しょうがないな」というように、所長の指示には明らかに反した状態になっているのである。

そして、問題の本質は、15日の午前中の1Fは、沈み行く船と運命を共にする覚悟を固めた所長と、これに従う少数の作業員だけを残し、事故対応のために不可欠なデータもとれない、絶望的な状況に陥ったと言うことである。吉田所長の「死を覚悟した、東日本全体は壊滅だ」というイメージこそ、国民的に共有しなければならないことである。

朝日新聞の報道は、このような事故現場の衝撃的な混乱状況を「所長の命令違反の撤退」と表現したのであり、これは、取り消さなければならない誤報とまでいえるだろうか。私は大変疑問に思う。

8 線量が絶望的な状態のまま継続しなかった理由はわからない

このような絶望的な状況が現実のものとならなかった理由は何か。15日の昼の段階で、吉田所長らが予測したように、現場に近寄れなくなるほどの線量の上昇が継続するような事態にはいたらず、いったんは10000マイクロシーベルト/hに達していた線量は当日の午後2時には10000マイクロシーベルト/hを切り、その後必要不可欠な要員を徐々にではあるが、呼び戻すことができたこと、東京消防庁、警察、自衛隊などの協力により、必死の冷却作業が遂行され、最悪の事態が避けられたからである。

しかしながら、現場に近寄れなくなるほどの線量の上昇が数時間でおさまり、その後徐々に下がっていった理由は解明されておらず、まさに僥倖であったというほかない。

このまま、吉田所長らが予測どおりに線量の上昇が継続していれば、吉田所長以下の要員は1F内で、急性放射線障害によって死にいたり、現場には他の作業員も戻ることはできず、2号機以外の原子炉も次々に最悪の事態を迎え、4号機の使用済み燃料プールも冷却不能によって燃え出していただろう。近藤最悪シナリオメモのに記述されたような最悪の事態が現実のものとなった可能性が差し迫ったものであったと言うこと、このことを確認することが、決定的に重要である。

9 その他の問題点

吉田調書には事故対応だけでなく、中越沖地震の対応、津波想定の問題など重要な問題が含まれている。

今回吉田調書以外にも、政府関係者、専門家らの調書が公表された。しかし、他の東電の役員らや政府機関職員の調書は全く公開されていない。

今回は、撤退問題以外の問題は時間の関係で検討できなかった。これらの論点については、次の機会を期したい。

第2 基礎的な事実関係整理のためのデータ

1 吉田調書の原文<補足>

先に引用した部分の中間の部分を引用する。

077-1-4 53-54ページ

○回答者 撤退というのは、私が最初に言ったのは、全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然、操作する人間は残すけれども、最悪のことを考えて、これからいろんな政策を練ってくださいということを申し上げたのと、関係ない人関は退避させますからということを言っただけです。

○質問者 恐らく、そこから伝言ゲームになると、伝言を最後に受ける菅さんからすると、ニュアンスの伝え方があると思うんですね。

○回答者 そのときに、私は伝言障害も何のあれもないですが、清水社長が撤退させてくれと菅さんに言ったという話も聞いているんです。それは私が本店のだれかに伝えた話を清水に言った話と、私が細野さんに言った話がどうリンクしているのかわかりませんけれども、そういうダプルのラインで話があって。

○質問者 もしかすると、所長のニュアンスがそのまま、所長は、結局、その後の2号機のときを見てもそうですけれども、円卓のメンバーと、運転操作に必要な人員とか、作業に必要な人員を最小限残して、そのほかは退避という考えでやられているわけですね。

○回答者 そうです。

○質問者 菅さんは、それもまかりならんという考えだったのかもしれませんけれども、撤退はないとか、命を賭けてくださいとか、遅いとか、不正確とか、間違っているとか、あるいは、これは日本だけではなくて世界の問題で、日本が潰れるかどうかの瀬戸際だから、最大眼の努力をしようとか、そんなのが延々と書かれてあるんですよ。ニュアンス的にはそういうニュアンスですか。

○回答者 そんなニュアンスのことを言っていましたね。

○質問者 来られたのは、閣僚というのは、海江田さんとかは来られたんですか。

○回答者 菅さんと、官房長官が来たのかな、海江田さんはあのときいたのかな、よく覚えていないです。ここは、済みません、どっちかというと、私の記憶より本店にいた人間の記憶の方が正しいと思います。

○質問者 本店の人が記憶どおりきちっと勇気を持って言っていただくのが一番いいんですけれどもね。

○回答者 言わないですね。

○質問者 もう少し私のことを信用してくれればいいんです。

○回答者 そのメモは、ほとんどそのようなことをおっしゃっていると思っていただいていいです。そのタイミングで、うちはうちで、例の2号機のサプチェンがゼロになって、音が関こえたので退避しますと。さっき言った意味でですね。必要ない人間は退避しますという騒ぎが朝あったときに、ちょうど菅さんが来ているときに、テレビ会議で、その辺でとりあえず(・・・)

○質問者 2号機に異変が生じて、必要人員残して退避というような、その状況のときに、例えば、菅さんなりがテレビ会議を通じて、こっちに状況を聞いてくるとか、そういうことはなかったんですか。

○回答者 このときはそれ以上のことはなくて、細野さん、これは危ないですというか、まだ水が入る前ですね。水が入らなかったらえらいことになると。炉心が溶けて、チャイナシンドロームになりますということと、そうなった場合は何も手をつけられないですから、1号、3号と同じように水がなくなる、同じようなプラントが3つできることになりますから、凄まじい惨事ですよという話はしていました。

○質問者 それは細野さんに対して、電話でですか。

○回答者 電話しました。

2 東電幹部らは全面撤退を官邸に求めたか

事故後の事故調査の過程で、事故後の経過の中で、その評価が著しく分かれていた点の一つは東京電力が事故収束作業中に一旦,撤退を決定することなどにより作業の停滞を招いたかどうかをめぐる論争である。

すなわち,清水ほか事故当時の取締役らは,収束作業中の2011年3月14日夜ないし15日未明,現場職員全員の退避もあり得る旨を官邸閣僚に報告し,東京電力が福島第一原発から全面撤退することの了解を求めようとしたかどうかが争われている。

3 政府事故調の認定

政府事故調の認定は次の通りである。「3 月14 日夜、吉田所長は、2 号機の圧力容器や格納容器の破壊等により、多数の東京電力社員や関連企業の社員に危害が生じることが懸念される事態に至っていたことから、福島第一原発には、各号機のプラント制御に必要な人員のみを残し、その余の者を福島第一原発の敷地外に退避させるべきであると考え、東京電力本店に設置された緊急時対策本部と相談し、その認識を共有した。

他方、清水正孝東京電力社長(以下「清水社長」という。)は、同日夜、吉田所長が、前記のとおり、状況次第では必要人員を残して退避することも視野に入れて現場対応に当たっていることを武藤副社長から聞かされ、同日夜から15 日未明にかけて、順次、寺坂保安院長、海江田経産大臣、枝野官房長官に電話をかけ、「2 号機が厳しい状況であり、今後、ますます事態が厳しくなる場合には、退避も考えている」旨報告し、その了承を求めた。この時、清水社長は、「プラント制御に必要な人員を残す」旨を明示しなかった。

清水社長からの電話を受け、東京電力が福島第一原発から全員撤退することを考えているものと理解した枝野官房長官、海江田経産大臣らは、協議の上、この全員撤退の申入れを受け入れた場合、福島第一原発周辺のみならず、より広い範囲の国民の生命・財産を脅かす事態に至ることから、同月15 日未明、その場にいた福山官房副長官、細野補佐官及び寺田補佐官に加え、班目委員長、伊藤危機管理監、安井保安院付らを官邸5 階の総理応接室に集め、「清水社長から、福島第一原発がプラント制御を放棄して全員撤退したいという申入れの電話があった」旨の説明を行うとともに、今後の対応について協議した。その結果、この協議においては、「プラント対応について、まだやるべきことはある」との見解で一致した。

この協議は、同月14 日深夜から翌15 日3 時頃にかけて行われたが、その頃の福島第一原発2 号機の状況は、同日1 時台から、原子炉圧力が継続的に注水可能な0.6MPa gage 台を推移するようになり、依然として危険ではあるものの、注水の可能性が全くないという状態ではなく、更に安定的注水が可能と考えられていた0.6MPa gage 以下に減圧するため主蒸気逃し安全弁(SR 弁)の開操作が試みられていた。しかし、官邸5 階にいたメンバーは、このような2 号機の状況や対処状況を十分把握しないまま前記協議を行っていた。

枝野官房長官らは、原子炉の状態が依然として極めて危険な状態にあるとの認識の下、引き続き事故対処に当たる必要があるものの、清水社長の前記申入れを拒否することは福島第一原発の作業員を死の危険にさらすことを求めるという重い問題であり、最終判断者である菅総理の判断を仰ぐ必要があると考え、同日3時頃、総理執務室において、菅総理に報告した。これに対し、菅総理は、東京電力が福島第一原発から全員撤退した場合、福島第一原発の各原子炉等のみならず、福島第二原発のそれも制御不能となり、その結果、大量の放射性物質が大気中に放出される事態に至る可能性があると考え、即座に、「撤退は認められない」旨述べた。

菅総理ら総理執務室にいたメンバーは、総理応接室に移動し、ここには、松本龍内閣府特命担当大臣(防災担当)、藤井裕久内閣官房副長官らも加わって、改めて協議を行い、全面撤退は認められないことを確認した。これを受け、菅総理は、東京電力の意思を確認するため、清水社長を官邸に呼ぶよう指示した。また、菅総理は、この時の撤退(退避)申入れを契機として、東京電力の事故対応についての考え方に強い不信感を抱いたが、それ以前においても、東京電力から事故に関する十分な情報提供が受けられておらず、また、東京電力との間で十分な意思疎通ができていなかったことから、適切に事故対応に当たるには、東京電力本店に統合本部(後に設置された福島原子力発電所事故対策統合本部。以下「統合本部」という。)を設置し、そこに詰めて、情報収集に努めるとともに、東京電力と直接意思疎通を図ることが必須であると考え、この協議の同席者に対し、その旨述べた。

その後、菅総理は、同日4 時頃、前記メンバーが同席する中で、官邸に到着した清水社長に対し、東京電力は福島第一原発から撤退するつもりであるのか尋ねた。清水社長は、「撤退」という言葉を聞き、菅総理が、発電所から全員が完全に引き上げてプラント制御も放棄するのかという意味で尋ねているものと理解し、「そんなことは考えていません。」と明確に否定した。<この発言の正確性には以下に述べるとおり、疑義がある>さらに、菅総理は、前記のとおり、政府と東京電力との間の情報共有の迅速化や意思疎通を図る一方法として、東京電力本店内に政府と東京電力が一体となった統合本部を設置して福島第一原発の事故の収束に向けた対応を進めていきたい旨の提案を行い、清水社長は、これを了承した。

同日5 時30 分頃、菅総理らは、東京電力本店2 階の本店緊急時対策本部を訪れ、同本部にいた勝俣恒久東京電力会長、清水社長、武藤副社長その他の東京電力役員及び社員らに対し、自らを本部長とし、海江田経産大臣と清水社長を副本部長とする、統合本部の立ち上げを宣言するとともに、「日本が潰れるかもしれない時に撤退などあり得ない。命がけで事故対処に当たられたい。撤退すれば、東京電力は必ず潰れる」旨強い口調で述べた。」(政府事故調202-204ページ)

この認定では清水社長が撤退について官邸に了解を取ろうとした際に一部の要員を残すという留保は付けられていなかったことが認定されている。木村英昭『官邸の一〇〇時間』では、清水社長が「「そんなことは考えていません。」と明確に否定した。」とされている部分について、菅首相が「撤退などあり得ませんから」と告げたのに対して「はい、分かりました」と答えたとされている。周りにいた、海江田大臣、伊藤哲朗、安井正也らは清水社長は撤退したいとあれだけ述べていたのにと不審な思いを抱いたと証言しているという(241-242ページ)。官邸の誰もが、東京電力は全面撤退を計画しており、総理にこれをとめてもらおうと考えていたことがわかる。

4 国会事故調査報告書の認定とテレビ会議録画との矛盾

これに対して、国会事故調は「3.1事業者としての東京電力の事故対応の問題点」において、「発電所の現場は全面退避を一切考えていなかった」、「テレビ会議システムで繋がっていたオフサイトセンターにおいても全面退避が議論されているという認識がなかったこと等から判断して、全面撤退は官邸の誤解であ」ると断じている(国会事故調査報告書251頁)。

また、「9)「全面撤退」か「一部退避」か、その真相」の項において、官邸は東京電力が全面退避の相談を申し出たものと捉え、他方、東京電力は「作業に直接関係のない人員」の退避を申し出たのにすぎず、「両者の見解は食い違っている」とある(国会事故調査報告書 276頁)。そして、「福島第一原発の現場においては、当初から全員の撤退は考えていなかったものと認められ」るとしている(国会事故調査報告書313頁)。

しかし、これらの認定は、次項において紹介する官邸側の証言者の調書と矛盾するだけでなく、最も客観的な証拠である東電テレビ会議録画と矛盾している。

3月14日の午後から夜の部分を引用する。

16:57 清水「最悪のシナリオを描いたうえで対応策をしっかり把握して報告してください」

17:45 清水:OFCから移動中の武藤副社長に電話

19:28 OFC小森「退避基準の検討を進めて下さい。」

19:45 武藤副社長→原・退避手順の検討指示(ヒアリング及び国会事故調での発言)

19:55 高橋「武藤さん、これ、全員のサイトからの退避っていうのは何時頃になるんですかねえ。」

20:16 高橋「今ね、1Fからですね、いる人達みんな2Fのビジターホールに避難するんですよね。」

20:20 清水「現時点で、まだ最終避難を決定している訳ではないということをまず確認して下さい。それで、今、然るべきところと確認作業を進めております。」「プラントの状況を判断・・あの、確認しながら・・決めますので。」

ここで清水社長が述べている「最終避難」という言葉は要員のほとんどの引きあげを意味するとしか考えられず、「しかるべきところ」とは官邸にほかならない。

その清水社長はその日午前4時17分、官邸に着き、菅総理と一対一で会った。菅総理は、「ご苦労さまです。お越し下さり、すみません」とあいさつしたあと、いきなり結論を述べた。「撤退などあり得ませんから」と。これに対して、清水社長は、「はい、わかりました」と応じたと言う。清水社長は決して「そんなことは考えていません」とは述べていないのである。

このやりとりに続いて、官邸は、東電本社内に政府と東電の統合本部を作り、細野補佐官が常駐するという体制を清水社長に提案し、了承を取り付けている。

多くの東京電力社員や関連企業の社員の生命の危機に際して、企業のトップとして社員の命と安全を考えたことは責められないかもしれない。

全面撤退の計画はなかったとした国会事故調の野村修也委員は、東京電力側の「一部退避」に過ぎなかったという主張を鵜呑みにしている。しかし、野村委員はテレビ会議の記録を見た上で「最悪の場合は10名ぐらいかなというような様子が見受けられる」とあり、これを清水も認識していたという(国会事故調査報告書 会議録 392頁)。

緊急対策メンバーを残すといっても、清水社長が考えていたのは、10名程度であり、それでは福島第1原発の6機とりわけ危機的な状況に陥っていた1ないし4号機の過酷事故状況には全く対応できなかったことは明らかである。

事故発生当時、この原子炉では、東京電力の社員が755人、協力会社の社員5660人ほどの作業員がいた。15日早朝の時点でも、この中の720名程度の作業員が残り、事故対策に当たっていた。高線量下では、ひとつの弁を操作するだけでも、10人単位の作業員が必要であった。この「緊急対策メンバー」とは、残されたとしても、線量が上がってくれば生き残る可能性はほとんど皆無だったわけであり、吉田所長の死を覚悟していたとの発言からも残留する者たちは、いわば沈没する船と船長が生死を共にするという覚悟を示す発言ではあり得ても、事故の緊急対策は実質的にほぼ放棄された状態であったとはいえる。

5 650名の退避により、事故対応作業に支障が生じたか

ここで、問題は次のように特定できる。650名の退避によって緊急対策メンバーは残すという吉田所長の意図に反する事態が生じたかどうかが問われなくてはならない。まさに、現場ではプラントデータすらとれない状態が生じていた。

15日の段階で1Fの1,2,3,4は中操に常駐できないほど線量が高かった。定期的に人を送ってデータをとっていた(吉田051-58ページ)。

プラント関連パラメータ(水位、圧力、温度など)- アーカイブ(2011年)によると、東電が公表しているプラントデータでも午前11時20分までの数時間、原子炉内の水位や圧力の計測ができていない。いったん事故原発は管理を放棄された状態に陥っていたのである。

3月15日の午前9時には11000マイクロシーベルト/Hという異常な高線量を示したものの、午後0時25分に1000マイクロシーベルト/H台に、午後1時50分台に1000マイクロシーベルト/H以下に下がってきた(東電HPに掲載されているモニタリングデータより)。

この時に放出された放射性物質が大規模な環境汚染をもたらしたものであるが、その後この数値は少しずつ下がっていった。

同時に4つの原子炉で深刻な事態が発生していた14-15日の状況では、むしろ1000人単位の作業員を追加して、集中的なオペレーションをしなければならない状況だったはずである。

しかし、そのような状況で、東電の最高幹部らは、吉田所長の指示にも反して、バスを手配し、事故対応の判断に不可欠なGMレベルの幹部を含む650人の作業員を2Fに移動させたと考えるほかない。

後から戻した人員の中には運転員まで含まれている。吉田氏は「作業ができる人間だとか、バックアップできる人間は各班で戻してくれという形は班長に」と述べている(吉田077-1-4 55-56ページ)。事故対応の作業を続けるために必要な人間までが2Fに撤退してしまったことは、吉田氏の発言からも明らかなのである。

650人の作業員の大半の者たち、とりわけ下請け作業員らにとっては、吉田所長の必要な要員は残るという指示は徹底されておらず、東電社員の指示に従って移動したという認識であり、朝日新聞報道によって「所長の指示違反」と言われたことには、違和感があったことは理解できる。

しかし、問題の本質は、14日の午前中の1Fは、沈み行く船と運命を共にする覚悟を固めた所長と、これに従う約70名の作業員だけを残し、事故対応のために不可欠なデータもとれない、絶望的な状況に陥ったと言うことである。吉田所長の「死を覚悟した、東日本全体は壊滅だ」というイメージこそ、国民的に共有しなければならないことである。

6 菅、海江田、福山、細野調書は全面撤退の計画を裏付けている

(1)菅元総理大臣の供述要旨

--東電が撤退するようだということは、どういういきさつで聞いたのでしょうか。

菅氏 15日の午前3時ごろに秘書官が来て、(海江田万里)経産大臣から話があると。東電が撤退したいと言ってきている、どうしましょうかと。

--誰も1Fからいなくなるという認識だったのですか。

菅氏 経産大臣や他のメンバーもそういう認識でした。

--東電の本店に行って、関係者を激励し、打ち合わせをしたと。

菅氏 私なりの気持ちを込めて話をしました。(原発を)放棄した場合、すべての原発、核廃棄物が崩壊することになり、日本の国が成立しなくなる。皆さんは当事者。命をかけてください。日本がつぶれるかもしれない時に、撤退はあり得ない。撤退したら東電は必ずつぶれる。

(2)枝野元官房長官の供述要旨

私あてに東電の清水正孝社長から電話がかかってきた。生の言葉は記憶していないが、間違いなく全面撤退の趣旨だった。『必要のない人は逃げます』という話は官房長官にする話じゃないので勘違いはあり得ない。人命にかかわることで、私は菅さんほど腹が据わってなかったので、『撤退はあり得ない』とは言えず、『私の一存ではいとは言えない』と答えた。

『東電が全面撤退の意向を政府に打診した』という報道があり、3月18日の会見で質問されたが『承知していない』と答えた。さすがにこの段階では言えなかった。『そんな打診もあったが断った』と言ったら、いろいろな意味でもたない。

(3)海江田元経産大臣供述要旨

記憶では(最初に)清水正孝社長から『退避』という言葉を聞いた。『撤退』という言葉ではない。そこで『何とか残ってください』『そうですか』みたいなやりとりをした。東電に対する不信感が頂点に達した時ではないか。僕は全員(退避してしまうのか)と思った。総理が『東電に行こう』と言ったから、もろ手を挙げて大賛成した。

(4)細野首相補佐官の供述要旨

清水正孝・東電社長から海江田万里・経済産業相に電話があったが、海江田さんは全面撤退と解釈していた。それに(官邸に詰めていた)武黒一郎・東電フェローも撤退するしかないという話をしていた。東電本店と武黒さんの連絡がうまくできていなかった可能性もあると思う。吉田さんが全面撤退を否定しているというのならば私は信じるが、当時の官邸は枝野(枝野幸男・官房長官)さんも海江田さんも、東電が全員持ち場を離れさせようとしている前提でずっと話をしていた。

7 650人が退避した後、人員が戻らなければ原発はコントロール可能だったかを解明すべきである

過酷事故対応は、中央制御室にいる運転員のみではできず、事故時に設置される緊急対策室などの中央制御室以外の組織及び人員との連携動作が主になるとBWR運転訓練センターのヒアリングにある。さらに、東京電力においても「過酷事故に実技訓練に対するニーズはなかった」としている(国会事故調査報告書(2012年7月5日)191頁)。

これに対して、東京電力側の「一部退避」に過ぎないという主張について、野村委員はテレビ会議の記録を見た上で「最悪の場合は10名ぐらいかなというような様子が見受けられる」とあり、これを清水も認識していたという(国会事故調査報告書 会議録 392頁)。

このように、東京電力においては、「一部退避」として緊急対策メンバーを残すといっても、10名程度であり、それでは福島第1原発の6機とりわけ危機的な状況に陥っていた1ないし4号機の過酷事故状況には全く対応できなかったことが明らかである。

すなわち、「緊急対策メンバー」とは、緊急対策本部400人の中のごく一部であり、残されたとしても、線量が上がってくれば、生き残ることができた可能性はほとんど皆無だった。

緊急対策メンバーとして誰が残留することになっていたのか、その人員でどのような対応が可能であったのか、退避した650名には、緊急対策メンバーとして吉田所長が必要だと考えた人員は含まれていないのかが明らかにされる必要がある。

8 なぜ高線量が続かなかったのかは解明されていない

しかしながら、現場に近寄れなくなるほどの線量の上昇が数時間で下がりだし、継続しなかった理由は解明されておらず、まさに僥倖であったというほかない。このまま、予測どおりに線量の上昇が長期に継続していれば、吉田所長以下の少数の要員は1F内で、急性放射線障害によって死にいたり、現場には他の作業員も戻ることはできず、2号機以外の原子炉も次々に最悪の事態を迎え、4号機の使用済み燃料プールも冷却不能によって燃え出していただろう。

近藤最悪シナリオメモに記述されたような最悪の事態が現実のものとなった可能性が差し迫ったものであったと言うこと、このことを確認することが、決定的に重要である。(了)

こんな記事もオススメです!

第8話 あなたは、体とお話していますか?

第88回「七五郎沢の森とンドキの森」

北朝鮮は一方的に非核化の約束を破ってきたのか(下)

北朝鮮は一方的に非核化の約束を破ってきたのか(上)