【NPJ通信・連載記事】読切記事
“お任せ民主主義”からの脱却
2019年7月の参院選の結果、与党は過半数の議席を確保したものの安倍晋三首相が掲げた改憲に必要な勢力にはあと一歩及ばなかった。その点では有権者によるチェック機能が働いたといえるが、安倍政治の影がはっきり出た選挙でもあった。異論を敵視して耳を傾けようとせず、強引にことを進める政治で社会の分断が進み、次代を担う若者たちが政治に愛想を尽かしたように見える。このままでは代議制民主政治が風化しかねない。
◎ヤジ封殺に実力規制
重要なのに報道が地味だったニュースがある。街頭演説中の安倍首相にヤジを飛ばした聴衆が警官の実力規制を受けた件だ。札幌では7月15日、「安倍やめろ」「増税反対」などと叫んだ男女が警官によって現場から排除された。7月18日、大津市でもやはり大声で安倍退陣を求めた男性が警官に囲まれ移動を阻まれた。
自由な空間での演説を聴き、意見表明することは「表現の自由」として憲法が保障している。特別に悪質なものを除いてヤジを飛ばすことも許される。警官はどんな根拠で聴衆の自由を力づくで奪ったのか、納得できる説明はなされていない。それなのに一部の新聞以外は目立たない報道ぶりだったのは残念だ。権力監視とチェックはジャーナリズムの重要な使命のはずだ。
警察官がまったく自由な発想から実力規制したのではあるまい。
2年前の東京都議選の最終日、安倍首相は東京・秋葉原での応援演説で激しいヤジに感情的に反発し、自民党敗北の一因と指摘された。これに懲りた自民党は首相の街頭演説時のヤジに極端に神経をとがらせていた。
警官の実力規制は首相側の心中を忖度した結果と考えるのが自然だろう。警察が守るべき政治的中立性を逸脱したと言わざるを得ない。長期政権が積み重ねてきた強引な政治が誘発した忖度による逸脱とも言える。
一強他弱と言われる安倍長期政権のもと、市民に直接接する警察権力が上位権力に媚びるような雰囲気が生まれていないか。札幌、大津での出来事は、市民の日常生活の隅々にまで監視の目が光り、市民は自由にものも言えなかった時代を想起させる。そんな社会が再来しないよう、マスメディアは権力を厳しく監視しなければならない。
◎浅い民主主義への理解
安倍首相は全国各地の街頭演説で野党を激しく攻撃した。「あの時代(民主党政権の時代)に逆戻りさせるわけにはいかない」「不安ばかり煽って具体策を示さない」「何でも反対」などと攻撃に多くの時間をさいた。
相手に対する批判は選挙の争点を明らかにする点で有意義だが、安倍首相による野党攻撃の激しさに民主主義理解の浅さを感知し違和感を覚えた人も多いだろう。敵か味方かの単純な二元論で政治問題を捉え、野党を敵としか見ないことが首相の思考の特徴だ。
政府・与党が立案、決定する政策などを監視しチェックし、必要なら注文をつけるのは野党の重要な役割である。背後には国民がいる。政権側は批判や疑問、少数意見にも真摯に耳を傾け丁寧に説明する責任がある。野党敵視はその野党を選んだ国民敵視に通じる。
こうした政治原理を理解せず、頭の中には「多数決」しかない安倍首相は、国会質疑でも感情的になったり、論点をすり替えたり質問者を揶揄したりする場面が目立つ。政府自民党は法規に基づく国会本会議や委員会の開催要求を無視し、モリカケ問題など都合の悪い問題からは逃げ、民主主義の基本である徹底した議論を避け続けている。
◎進む分断
こうした中で社会の分断が進んでいる。首相が大宣伝した経済のトリクルダウン(「好景気→大企業の利益増進→庶民のふところ豊かに」という理屈)は幻に終わり、庶民には雫(しずく)がいっこうに下りてこない。マネーゲームのような世界で巨万の富をつかんだ人がいる一方で、身分が不安定な非正規雇用者は雇用労働者の4割にも達する。「努力すれば幸せになれる」という夢を持てない人が増え続けている。
眼をメディアの世界に転ずる。リベラル攻撃自体が目的のような雑誌メデイア、客観性、公正性に疑念を抱かせる政権応援団のような大手新聞もある。ほかならぬ安倍首相とその側近たちがメディアを選別、分断し、特定のメディア幹部、記者たちが首相ら政権幹部と特別の時間をもっている。
◎政治から遠ざかる若者
安倍首相は与党で過半数を維持したことで「国民に信任された」と言うが投票率は48・80%、参院選としては戦後2番目の低さだ。安倍自民党が7連勝した国政選挙の投票率はいずれも60%を割り、今回の参院選の18、19歳の投票率は31・33%でしかない。
政治に若い血を導入しようとした選挙権年齢引き下げだが若者は政治にそっぽを向き、国政選挙のたびに投票率が下がる。
どうせ何も変わらない、期待できる政治家、政党がない、そもそも政治に期待していない……理由はさまざまだろうが、若者を政治に無関心にさせた責任は第一に政治家が負わなければならない。
多様な民意に向き合おうとせず、既成事実を重ねて憲法を形骸化させてきた政治が多くの国民、とりわけ若者を政治から遠ざけてしまった。
◎参加しないと変わらない
だが黙っていては政治も社会も変わらない。投票棄権は白紙委任になってしまう。
そこで注目されるのが山内徳信さんの実践した「皆でやる民主主義」だ。沖縄・読谷村の村長を6期務めた山内さんは住民から何か要求されると「皆でやりましょう」と言い続けた。住民はこれに触発され、村当局を突き上げ、日本政府や米軍と折衝して、米軍の読谷飛行場内に村役場や野球場をつくり、最終的には飛行場返還に漕ぎ着けた。
“お任せ民主主義”から”参加する民主主義”へ、政治の変革のために有権者も意識変革が求められる。
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