【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照
一水四見 ーー ヘイトスピーチを考える ーー
「人が生まれた時には、口に斧が生えている。愚か者は悪口を語るとき、それをもって自らを切り裂く」(『 仏陀の言葉(スッタ・ニパータ)』)
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久しぶりにマルクスの「共産党宣言」(1848)を読んだ。
「一匹の妖怪がヨーロッパに出没している、共産主義という妖怪だ。旧きヨーロッパのすべての諸勢力が神聖同盟にはいってきた、ローマ教皇とロシアのツァー、メッテルニヒとギゾー、フランスの急進派とドイツの秘密警察だ。
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これまで存在して来た社会の歴史は階級闘争の歴史である。
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要するに、共産主義者たちは、あらゆるところで、あらゆる革命的運動を支持して現存する社会的、政治的秩序の状況に反対するのだ。共産党員たちは自分たちの見解と目的を隠すことを軽蔑する。彼らはおおやけに宣言する、我々の目的はすべての現存する社会的条件の暴力的転覆によってのみ獲得できるのだと。支配階級を共産主義革命において震撼せしめよ。プロレタリアートたちが失うものは鉄の鎖だけだ。彼らは勝ち取るための世界をもっているのだ。世界中のすべての労働者たちよ、団結せよ!」
50年ほど前に読んだ時は初めと終わりの部分の英文の要約のみだった。ここにかかげた文は、英訳「宣言」を自己流に訳したものだが、今回は素人的に全文を読んだ。全文とおしてヨーロッパの歴史を鳥瞰的に分析した叙述であるが、特に初めの部分と最後の部分に挟み込まれた全文が醸し出しているのは、世界革命を押し進める意気込みであり、見事なアジテーションの熱気である。
なぜ「共産党宣言」を読んだかといえば、ここ半年間で見た(セミ)ドキュメンタリー映画の内容に、ソ連が消えてから久しぶりに “共産主義” という言葉が蘇ったからである。
かって、自由主義圏のショーウィンドウ・西ベルリンから検問所を通って東ベルリンに入った時の自由主義国と共産主義国との歴然とした違いが思い出されたからである。
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インドネシアが舞台の「アクト・オブ・キリング」は、1965~66年にかけて CIAなども関与して、インドネシア各地で反共を口実として100万~200万人ともいわれる人々が虐殺された内容だ。時効を享受した多くの当事者たちはいまだに健在であり、拷問の状況を楽しげに語る者も出演する映画である。彼らは自分たちが演ずる映画の作成に積極的に参加して拷問の場面を再現する。
カンボジアが舞台の「消えた画」は、フランスに留学し、そこで共産主義を学んだたポル・ポト(1928-1998)が極端に単純化した自己流の共産主義を掲げて独裁者となり、1975~1979年にかけて殺害した数百万人の自国民を描く。
1994年4月から始まった「ルワンダ大虐殺 (the Rwandan Genocide)で は100日間で100万人が殺されたという。ルワンダ大虐殺が舞台の映画は「イセタ・道路封鎖の背後で」、「四月の残像」などであるが、映画の画像から察するに殺害では山刀がおもに使用されたようである。某国から輸入された大量の山刀の場面があった。
これらすべての映画に共通するのは、自国民同士の殺し合いであり、それは食料の欠如を直接の原因とするような闘争ではなく、デマゴーグらの「妄想」にもとずく殺害のための殺害としか考えられないようなものである。インドネシアとカンボジアの大量虐殺は「共産主義」 VS「いわゆる自由主義陣営」の勢力に翻弄され、発展途上国アジアを蹂躙した支配イデオロギーの暴走である。そしてインドネシア、カンボジア、ルワンダ三国の悲劇のすべてに背後で関わっているのは、西欧の一部の国々の政治的、軍事的、もちろん利害的な“援助”または “介入”である。
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世界の本質を唯物とみなして、そこに常に対立構造をみたてて大規模の暴力を是認するイデオロギーが人類に及ぼした影響は、共産主義革命の名の下に、ソ連で、ポル・ポトで、中国で歴史の実証しているところであるが、実は自由主義の中にも深く入り込んである。
現在インターネットを駆使した金融資本至上主義は、資本主義の利潤至上主義とマルクス主義のイデオロギー性の双方から強者の論理を受け継いでいるように見える。
その問題点は、金融支配という独裁者の顔のない透明な暴力性と、金融を支配する者の品性や道義的責任が問われないことであり、そこに人間の「唯物化」があるように思えるからである。
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このところ嫌韓とか嫌中とかの言葉がマスコミを騒がせている。ここで行われているのは、いわゆるヘイトスピーチである。これは「憎悪表現」と訳されているが、「表現」は言語だけでなく、おのずから身体的と物理的な行為もふくまれている。「憎悪」とは自省の念を欠いた弱者への感情に配慮のない「唯物化」思考の産物であるとおもう。
ヘイトスピーチは外国人排除の感情(xenophobia)や愛国主義(国粋主義)とも深く関係している。
ヘイトスピーチの悪化が実践されるとヘイトクライムとなり、デマゴーグによって大規模に組織化されておこなわれると大量の虐殺がおこなわれる、問題は「憎悪」であるが、さらにいえば、宗教の名の下の「唯物化」思想もおこなわれてきたのが、これまでの人類の歴史である。
いままで一般市民として平穏に暮らしてきた一定の民族、宗教に属する少数の人々が、ある日、突然、多数の周りの住民たちが彼らを取り囲み、嫌がらせを始め、はては暴力や殺害行為にいたるとしたら、その恐怖感はいかばかりのものであろうか。それは同じ土地に暮らす住民たちが団結して敵国と対決する戦争とは異なった恐怖心であろう。この恐怖感については、インドネシアの「アクト・オブ・キリング」、カンボジア・ポルポトの「消えた画」、ルワンダの「イセタ・道路封鎖の背後で」に共通している。
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ヨーロッパ人における「憎悪」といえば、ユダヤ人問題が浮上してくる。
ドイツにおいては、1992年前半で、外国人に対する攻撃が1,443件あり、極右の憎悪犯罪 (hate crime) は1,300件に達し、そのうち10名が殺された。ここで外国人とは移民してきたトルコ人らを中心とする人々であるが、極右の憎悪犯罪はナチスの時代を蘇らせるかのようにユダヤ人たちにも向けられているらしい。(Japan Times : (Oct.8,1992) Xenophobia stalks the average German. ; (Oct.10,1992) Germany proposes tighter laws to combat neo-Nazi violence.)
人口約6,500万人のフランスはヨーロッパ最大のユダヤ人(推定約50万人)とイスラム教徒(推定約500万人)の人口をかかえているが、今年7月、フランスではパレスチナ問題に関係する反ユダヤの暴動があって「水晶の夜」をおもわせるようにユダヤ人の商店、事務所などが襲撃された。そして1,000人以上のユダヤ人が、家財道具を残したまま住み慣れたフランスを去ってイスラエルへと移住した。
フランス政府の発表によれば、2014年の最初の3ヶ月で169件の反ユダヤの事件が発生した。(BREITBART: by Jordan Schachtel, 28 Jul 2014)
フランスのユダヤ人たちはフランス国内の中でも少数派であり、フランスのイスラム教徒と比べても少数である。かってはナチスと一定の協力をした(おおくは善良な市民とはいえ)カトリック勢力とイスラム教勢力との包囲されたフランスのユダヤ人の恐怖感はいかばかりか。
しかし世界の情報と金融を支配しているのはユダヤ人だという、事実と陰謀論が錯綜した認識も広まっている事実もあるのも確かである。
ヨーロッパ史におけるユダヤ人問題の淵源は限りなく深い。
ユダヤ人知識人たちを熟知しているはずの「1984年」の著者ジョージ・オーウェルでさえ、かれの晩年10年間ほど親密に交際していたある著名な ユダヤ人ジャーナリストによれば、オーウェルも、詩集「荒地 (The Waste Land)」でノーベル文学賞をえたT.S.エリオットもユダヤ人問題についての十分の理解ができていないと指摘されている。ユダヤ問題は、今日のイスラム教のISISにまで縁起的に連なっている。
問題を解決しようと考えている者もあれば、未解決を温存しようと考えている者もいるだろう。
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一般的に、日本と外国とにかかわらず、すべてのヘイトスピーチの実行者が基本的に卑怯なのは、自分を安全圏つまり体制側において、自分に直接危害を加えたりしていない圧倒的に立場の弱い人々に対して集団で憎悪感情を向け、 相手の存在を無意識下で「唯物化」し、無視、軽蔑、加害の行為をすることである。
もし中国や韓国で日本人が排斥されていることがあり、その不当を批判したいグループがあれば、彼らは中国と韓国の政府と相手国の当事者たいして、インターネットや駆使したり直接行って訴えればよいではないか。そのような報道は寡聞にして聞こえてこない。
ともあれ直接関係のない実際に善良な在日の韓国人や中国人などに対して不当な恐怖を与えるのは筋違いである。
「人が生まれた時には、口に斧が生えている。愚か者は悪口を語るとき、それをもって自らを切り裂く」
ヘイトスピーチをおこなう者は、相手の口にのみ斧が生えているとみなして、自らの口の斧に気づかないのだろう。わたしの口にも斧が生えているだろう。
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国民あっての国家であるから、ヘイトスピーチは、結局は“国益”の根本を損ねているのであり、民情の劣化につながっている。 世界に誇る国民に奉仕することを天職とする為政者は、ヘイトスピーチにたいして毅然とした態度を国民に示してほしい。
日本のヘイトスピーチだけが悪いのではない。
国籍を問わずヘイトスピーチをする者は自分の口の中の斧を研いでいるのである。(2014/09/25 記)
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