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「表現の不自由展の再開を求めて」①

寄稿:「表現の不自由展」実行委員(メディア総合研究所事務局長)岩崎 貞明

2019年9月26日

表現の不自由展は再開されなければならない

 日本国内で、事実上の検閲や自己規制によって、展示拒否もしくは作品改変を余儀なくされた作品などを集めた、「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」。私たち不自由展実行委員会の意向を無視して一方的に強制的に展示中止とされてから、既に40日以上が過ぎた。 
 残す会期も限られていることから、私たち実行委員会は名古屋地方裁判所に展示の再開を求める仮処分の申し立てを行った。裁判所での手続きの中で、トリエンナーレの代理人弁護士は、愛知県側との合意で再開を求める私たちの主張に対して「基本的にはそうだが、現状ではまだ危険性がある」として、争う姿勢を示した。私たちは、抗議電話などへの具体的な対策をもって再開への協議を進めたい意向を強く訴えている。
 私たちが仮処分を申し立てたのは、トリエンナーレでの出品契約の当事者が私たち不自由展実行委員会であることからだ。不自由展に出品した作家の皆さんは、私たち実行委員会との契約は結んでいるが、トリエンナーレ側とは契約関係にない。私たち不自由展実行委員会は、出品契約に基づく展示請求権と、展示の中止で人格的利益に基づく差止請求権があるとして裁判所に訴え出たのだ。
 トリエンナーレ側は、抗議や脅迫の電話・メール等で安全性の確保が困難であることを中止の理由としているが、その背景には、河村名古屋市長が出品作の「平和の少女像」を指して「日本人の心を踏みにじる」と言ったことや、管官房長官がトリエンナーレへの補助金の再検討をにおわせる発言がある。権力者の発言が電話攻撃などを助長して、それが中止の理由になったとしたら、それこそまさに検閲に当たるのではないか。何よりも、攻撃に屈して展示をあきらめることは、日本の表現の自由に大きな禍根を残すことになる。
 そもそも、この「表現の不自由展・その後」は、2015年に東京・練馬の小さなギャラリーで私たちが開催した「表現の不自由展」が基になっている。展示を拒否された作品を集めて日本の表現の自由を考えようというこの企画は連日多くの観客に来場いただいたが、その中の一人に津田大介氏がいた。彼はあいちトリエンナーレの芸術監督に就任することになり、その中で「表現の不自由展」を一展示として実施したいので協力してほしい、と私たちに要請してきた。私たちは5人で実行委員会を構成し、作品選定にあたっては津田芸術監督も必ず同席して議論をたたかわせた。
 津田氏は大村県知事の「金は出すが口は出さない」の言質を取って「不自由展」の開催にこぎつけたという。そこには津田氏はもちろん、トリエンナーレ事務局スタッフのたいへんな努力があったと理解しているし、それには最大限の敬意を払いたいと考えている。
 しかし、開会早々に一方的な中止を決められたことにはどうしても納得がいかない。私たちは早い段階から、大量の抗議が殺到することも予想して、ヘイトスピーチ対策などの専門家(2015年の「表現の不自由展」でも協力をいただいた)にも参加してもらって、右翼の街宣車の対策や電話攻撃への対策、会場の警備体制などについて、事務局側に具体的な提案を行ってきた。ところが実際は、私たちの提案のうち実施されたのはごく一部で、とくに電話対策として「女性は配置しないこと」「専用の電話回線を設けること」「電話受けの職員は事前研修を受けること」などの提案が実現していなかった。中止決定を告げられた8月2日深夜の会合で、私たちは職員の安全を最優先にするためにも以上のような対策を改めて強く要求したが、「新しい人員配置は困難」などと退けられた。
 万全の体制をとったうえで最初の週末を乗り越えられれば、この「不自由展」は会期終了まで継続できるかもしれないと私たちは期待を抱いていた。しかし、現実には最初の日曜日を迎える前に展示中止が決められ、会場の入り口には高さ約3メートルの分厚い壁が設置された。
 いま、壁の前には作家や観客などの展示再開に共鳴するメッセージがいくつも張り出されている。「不自由展」の再開まで自らの展示を封印するという挙に出た出展作家も続出した。展示再開を求める声は各地に広がっている。
 「壁が横に倒れると、それは橋だ」。アメリカの黒人女性活動家アンジェラ・デイビスの言葉だ。私たち不自由展実行委員会は、展示の再開を求める行動を「〈壁を橋に〉プロジェクト」と命名した。
 たった3日間の開催の中ではあるが、展示会場内はいたって平穏だった。「少女像」に罵声を浴びせようとした人に対して若い観客が「ここはそういう場じゃない」となだめる場面や、初対面の観客同士で少女像との記念写真を撮り合う姿も見られた。作品と観客、そして観客同士の交流がいくつも生まれるような空間になる可能性が、まだ秘められている。
 そのような交流の橋渡しが再び可能となる日を、私たちは作らなければならない。

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