【NPJ通信・連載記事】憲法9条と日本の安全を考える/井上 正信
INF条約失効後の日本を取り巻く核兵器の状況―日本政府へ核兵器禁止条約批准を求め、北東アジア非核地帯を実現させよう③(完)
10 我が国へ米国の中距離ミサイルが配備されることによって、どのような事態になるでしょうか。私たちはこのことの意味を真剣に考えなければなりません。中国に対する抑止力だ、などと牧歌的なことを議論していては、私たちの置かれた状況を見誤ります。抑止力論はまさに思考停止をもたらします。
中距離弾道ミサイルが発射されれば、7,8分で着弾します。発射を探知してから、その情報を分析して本当に我が国を攻撃しているのか、誤った情報ではないのか、核弾頭なのかなど時間をかけて分析するいとまはありません。敵国が中距離弾道ミサイルを発射したことを探知すれば、ただちにわが陣営の中距離核弾道ミサイルを発射しなければ、虎の子のミサイルや軍事基地などが破壊されます。
これを核戦略では「警報発射」と呼びます。「ヘアー・トリガー」と称されることもある態勢です。鳥の羽が触れるほどのわずかの力で核兵器の発射の引き金がひかれるほど、核抑止態勢が不安定となっているのです。このことの怖さは、敵ミサイル発射が誤報であったとしても、反撃のためわがミサイルを発射するということになることです。間違った情報が、あるいは間違った判断が取り返しのつかない核のホロコーストをもたらすのです。
11 米ソ冷戦時代、両国は同じように「警報発射」態勢をとっていました。米ソどちらかが先制核攻撃を行った場合、ミサイルの命中精度が高い上、多弾頭ミサイルであるため、固定サイロ内の地上発射大陸間弾道ミサイルはそのままでは確実に破壊されるので、敵ミサイルが到着する前に発射するという態勢でした。空軍基地におかれた戦略爆撃機も、地上にある限り破壊されるため、平時から常時半数が飛行していたほどでした。
しかし、そうなれば米ソ両国はどちらが先制攻撃しても、結局互いに確実に破壊されるでしょう。そのことから相互抑止が働くという核抑止論=相互確証破壊が唱えられたのです。
12 私たちは我が国が実際に核攻撃されるとの具体的なリスクに直面した経験はありません。1962年キューバ危機の際には、世界が核戦争の瀬戸際に立ちましたが、その後の米ソデタント(緊張緩和)と、米ソ間の核戦力の均衡状態と相互確証破壊により、あまり深く考えることはなかったと思います。日本がソ連から核攻撃を受けるとすれば、米ソ間の第三次世界大戦での極東戦線において、米軍の前進基地となる日本に対して核攻撃があることはわかっていましたが、それは想像を超える事態でした。
しかし、INF条約失効後我が国へ米国の中距離ミサイルが配備されれば、それが核弾頭であれ通常弾頭であれ、80年代のヨーロッパ市民が置かれたと同じ状況に立たされるでしょう。北東アジアのどこか(南シナ海や台湾周辺)で起こりうる米国と中国との武力紛争は、常に想定されてきました。
安保法制(特に重要影響事態法、外国軍隊の武器等防護)もそのような事態を想定して日米同盟の抑止力を高めるとして制定されました。もし抑止が破れて武力紛争になれば、私たちが住んでいる地域が限定核戦争の戦場となることを想定せざるを得ません。
13 米国の中距離ミサイルを我が国へ配備させることは、私たちの生存を脅かすものとして、絶対に阻止しなければならないことです。そのためには何をしなければならないでしょうか。
日本政府が米国の中距離ミサイル配備を受け入れるのは、米国の核抑止力に日本の防衛と安全を依存しているからです。日本政府の核抑止力依存政策は、私たちが想像している以上に、きわめて根深くて強固なものです。米国が核軍縮をしようとすれば、その最大の障害物として日本政府の抵抗を受けます。日本の防衛と安全を米国の核戦力に依存するという日本政府の核抑止依存政策を転換させることこそ今求められています。
ではそのためにどうすべきなのか。核兵器禁止条約は現在33か国が批准しており、残り17か国が新たに批准すれば条約として発効します。日本政府は、核兵器禁止条約を敵視しています。その理由として主張していることは、核不拡散条約(NPT)と矛盾する、日本政府は核兵器国と非核兵器国の対立を仲介しながら現実的な核軍縮措置を取ろうとしているが、核兵器禁止条約は核兵器国と非核兵器国との対立を深めるだけだ、というものです。
しかし日本政府の立場は、結局核兵器国に寄り添い、それが許容する範囲内での核軍縮を提案するというもので、すでに国際社会では見向きされていません。核兵器禁止条約は核不拡散条約と矛楯するものではなく、これを補強するものです。
日本政府の核抑止力依存政策を改めさせるため、国民の多数が賛同している核兵器禁止条約を日本政府が批准することを求める運動を強めること、北東アジア非核地帯を実現するための運動を強めることが今ほど求められている時はありません。
1980年代のヨーロッパでの壮大な反核運動を想い出しながらこの論考を書きました。
(完)
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