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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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一水四見(4)ーー「保守」という日本人とはなにか?ーー

2014年10月7日

現在の国際化した時勢でも、そうじて日本人は、外国人特に欧米人から褒められるとえらく感激するようだ。この感情は一般論としては非欧米諸国に共通しているかもしれないが、さまざまな世界的価値基準が欧米の文明価値を基準としているから、当然といえば当然である。

ノーベル賞、オリンピック、ギネスブック、ミシュランガイドなどなど、世界の文化価値はすべて欧米基準である。

文化であれ倫理であれ価値基準そのものは秩序と統制と支配の言語体系であり、この点で宗教聖典も法律も同様である。

一方、欧米に評価されるとえらく感激する日本人は、その評価がくずされると手のひらを返したように、その評価対象(の人)を執拗にけなし始めるようだ。小保方晴子氏のSTAP細胞事件に対するマスコミの対応は異常であった。

インターネットで検索すると興信所で調べたかのように、彼女の家族構成、各人の職業などの個人情報が開示されている。あるサイトでは暴力的性表現で彼女を攻撃している。

昨今の朝日新聞批判にも――朝日新聞の報道姿勢に対する様々な評価は措いて―同様の感情が流れているような気がする。

いわゆる朝日新聞事件を奇貨として縁起的に観れば、善悪の判断と好悪の感情を超えて厳然とした原因と結果の因果律があるのだから、「叩かれた朝日とそれを叩く他のマスコミ」または「朝日 VS 反朝日/保守政権」という対立状況を底で支えている日本の知的批判精神の質の問題があるだろう。

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日本の知的批判精神を考えると、この度のスコットランド独立にかかわる選挙でのイギリス国民全体の示した大人の態度には脱帽せざるを得ない。世界で最も多くの反体制運動家たちを擁しているロンドンを首都にもつイギリスである。

イギリス(連合王国)とは、イギリスの王冠「ライオン(イングランド)と一角獣(スコットランド)」の相克の中に育まれた経験主義的批判精神によって保たれている。これはイングランドの愛国者・オーウェルの解釈である。

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さて日本人の批判精神についてである。

マスメディアの情報としては新聞、週刊誌を適宜読んでいる程度の一般読者として、日本でおこなわれている論調をみると、たとえば国防にかかわる争点を与えられると、それに対する批判(同意と反対)は大体において二つの流れに分かれているようにみえる。

一方がいわゆる「保守」であり大体政権寄りである。保守の人々は伝統の尊重を一応謳っているが――伝統の意味となにをして日本の伝統というのかについての定義にもよるが―わたしには日本の伝統を尊重する態度をもっているようには思えない。しかし「保守」は日本の大衆の一部にわかり易く訴えかけている。

他方はいわゆる一部の”進歩的文化人”である。この言葉はひところ流行ったようだが、未だに死語にはなっていないようである。この知的流れにのっている知識人たちの本には日本(人)や日本のある歴史的事象にたいして、編集者のセールスセンスが反映しているのだろうが、だいたい否定的なタイトルがつけられている。その文体は翻訳調で抽象的な物言いをし、時々(さすがにマルクスは引用しないが)、マックス・ウェバーや、特に若い書き手はフランスの思想家の名前を適宜に挟み込んで論を進めていて、大体において大衆感覚と遊離している知識人向けの論調である。

保守と進歩的文化人の二つの流れは、それぞれさらに人的構成を異にした様々な支流にわかれている。

これら二つの主流は相撲とボクシングが睨み合っているようで、一定のテーマを論じてもまったく噛み合ない「ようだ」、というのは二つの流れのグループが同じテーブルで討論していることを寡聞にして知らない。その間に挟まれてインターネットで様々な劣勢にある人々にたいして執拗な攻撃をするオタクたちがいる。

昔の左翼とか右翼とかの鮮明な姿はマスコミ(新聞と週刊誌)では、あまりお目にかからない。そして国民の大半は地道に生きている大衆であるというのが、わたしの雑駁な世論観察である。

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では改めて保守とはなにか。

さまざまな歴史的事象は縁起的に連動していて、一つとして単独で存在するものはないのだから、保守といえばなにか自分を脅かすものに対して「保守」しているのであるから、それ自体が閉じた意味と感情の空間のようである。その空間に外部からすこしでも刺激をあたえられるとアレルギー的に敏感に反応する心情であるようだ。そしてますます「閉じた空間」には閉塞感が充満してくる。

このように「保守」を定義すると、右翼的な保守もあれば、国粋的保守もあり、左翼の硬直したイデオロギー信奉者も保守である。カルト信者も保守であれば、いわゆる進歩的文化人は戦後の知識人の思考の背後に隠れた保守派のように見える。すべて欧米にものを言う心構えがない。

尖閣列島問題、従軍慰安婦問題などをめぐって 反/嫌韓国・中国を唱える保守の人々が運動しているが、本当に日本の伝統的文化を保守しようというのなら暴力的な反捕鯨団体の活動家たちにいやがらせを受けている孤立無援の善良な日本人の漁民たちを助けにいけばよいのだが、保守のグループはそのような行動はせず、つまり西欧人の乱暴狼藉は見逃すらしい。もちろん進歩的文化人の関心は思想であるから、生活的な問題にはかかわらない。

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これまでの世界史は西欧の価値基準で記述されてきているが、債務が巨大過ぎる銀行をつぶせないように、世界史の虚偽は巨大過ぎてとても簡単には修正できない。

しかし欧米の歴史は、巨悪を先駆けしてから適宜それを修正し謝罪をして新たな行動価値基準を修正憲法的に作ってゆくことの連続である。

公言される悪の消去法を謝罪といい、私的におこなわれる悪の許しを懺悔というが、欧米の政治文明が共有している事実上公認された精神治癒法である。だから誤った判断で大量殺害を指示した大統領も精神的に安定していられる(ようにみえる)。

***

2500年前カースト制に反対した仏教は、やがてインドを去ってゆくことになったが、ブッダは語る:

「生まれによってアウトカーストとなるのではない、生まれによってバラモンとなるのではない。行為によってアウトカーストとなり、行為によってバラモンとなる」(「ブッダの言葉(スッタ・ニパータ)」135)

ここで「生まれによって」アウトカーストとかバラモンとか言われるのは、人間社会における虚偽の対句的譬えであり、もちろんアウトカーストを宿命論として是認していることへの拒否である。

「バラモン」とはカースト制にもとづく地位ではなく「尊厳ある人間」の喩えである。

「行為によってバラモンとなる」とは、人間の尊厳性はその行為が決定するのであって、地位、出自、身体的優位などではないということだ。

仏教で 「行為」とは心的と言語的と身体的との「わたし」の全心身的行為を意味するから、右翼の保守も左翼の保守も進歩的文化人の保守も、当人が国籍、地位、学閥、組織力を誇示したり支配欲・排他性・敵愾心を抱いていれば、すべてその行為は虚偽である。

(2014/10/05 記)

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