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【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑

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第71回 : 私が受けた音楽の “家庭教育”

2020年8月2日


 コロナ禍がますます混沌とする中、お読みくださる皆様のご無事を、心より祈願します。

 先回 (第70回:2020/4/8 更新) 、104歳目前の母の急逝にまつわり、ずいぶんと家庭内事情をさらけ出してしまった。けれど、いまや一寸先は真っ暗、私もいつまで命が続くかも見通せないと覚悟を決め、先回触れずに済ませた我が家と私の本業とする音楽との絡みを記しておきたい。どうぞご了承ください。

I. 父・虎雄の歌好き・ラテン系信奉


 1902年生まれの父は小樽商大卒業後、現大和証券株式会社に勤務。55歳にて定年退職後は嘱託として同社の新設ビルに付された小ホールの支配人となり、クラシック音楽の企画・演奏会などをいくつか催したようだ。中学生だった私にはほとんどそれにまつわる記憶がないが、唯一鮮烈に覚えているのは、今なお現役で活躍されている某さんのリサイタルを、ホール開きとして開催したことである。もっともなぜ、父がこの女性ピアニストに着目したのか、本人の口から聞きそびれてしまったが、この方について、今の私の認識は世に埋もれてはいるものの実際には優れた作品群も積極的に立ち向かわれる、クラシック業界ではなんとも珍しい存在ということ。『知られざる作品を広める会』を立ち上げた谷戸とも、当然共鳴する部分が多いし、私が企画する女性作曲家のコンサートにも、よくお見えくださっている。これからは彼女ご自身で、女性の作品によるコンサートも実施していただきたい・・・といえば、欲張りに過ぎようか。

 父は、いわゆる音楽専門教育とは一切無縁だったのに、とにかくテノールの声に憧れて、ヴェルディのオペラから、“浄きアイーダ” などを必死に歌っていた。愛唱していたもう一つがナポリ民謡として今に伝わる “帰れ、ソレントへ” 。根っから声楽好き、それもラテン系文化の信奉者だったらしい。

 ただ、父はゲルマン系が嫌いというわけでもなく、シューベルトは愛好対象だったが、リートにしてもわかりやすい曲を選んでいたように思う。私も芸大在学中からドイツ・ゲルマン文化より、ラテン系に惹かれ、留学先もフランスとしたのは父の影響があったのか・・・公私のパートナーとなった谷戸も、レコード業界の仕事相手としてはドイツ人がベストといいながら、音楽の趣味は、はっきりラテン的。私が本連載でもしばしば口にした「明るく軽やか、短く小さい」作品こそが、音楽の神髄、との信念はゆるぎないから、この点で争う必要がないのも、本当にラッキーだし、ありがたい。

II. “家庭音楽会” の古い録音テープ


 実は、家族の記録などほとんど残らなかった我が家に、古い録音テープが残っていた。1952年、当時 7 人家族で住んでいた杉並は天沼の社宅での録音。子供たちが通った小学校の先生方の御協力で、録音機やテープなど、調達していただき、できたものだ。

 音楽会の月日は不明。しかしその後伝手を頼ってCD―R化、ふざけ半分に “The Terrible Home Concert at the KOBAYASHI” とタイトルを付して家族に回り持ちされたその音源は、3 月末、身内だけで行った母の葬儀でも、両親を偲ぶ縁として、十数年ぶりに皆で聞いた。

 以下はその「Terrible Concert」のプログラムである。きちんとしたプログラム印刷などは存在しないので、あちこち曖昧なのはお見逃し頂きたい。

1. アナウンス : 芙佐子・3女 ?
2. モーツァルト・ピアノソナタ 独奏 : 緑・4女

3. アナウンス : 信子・次女 ?
4.「早春賦」 (中田章) +「さざんか」 (海沼実)  独唱:芙佐子 + 伴奏 : 美佐子・長女

5. アナウンス : 虎雄
6. モーツァルト : ピアノソナタ  独奏 : 正一・長男

7. アナウンス : 緑 ?
8.「シルヴィアに寄す」 (シューベルト) +「忘れさせたまえや」 (ガスパリーニ)
  独唱 : 美佐子 + 伴奏 : 信子

9. アナウンス : 美佐子 ?
10.「幻想即興曲」 (ショパン) 独奏 : 信子 ?

11. アナウンス : 美代子 ?
12.「アヴェ・マリア」 (シューベルト) 独唱 : 虎雄 + 伴奏 : 緑

13. アナウンス : 正一 ?
14. 無伴奏四重唄 :「早春の歌」 (藤井清水) +「春の弥生」 (信時潔) :
    美佐子 + 信子 + 芙佐子 + 緑

 父が恥ずかしげもなく「小林シスターカルテット」と名付けた 4 人娘の合唱で幕とは、ご愛敬でしかない (けれどこの 4 人姉妹で、区内の学校に何度か “押しかけ出演” したこともかすかに覚えている。) ? のところは今回聞き直して当てずっぽうに記したもの。 ( ) 内の作曲者名は、本稿に合わせ、わかる範囲で書き加えた分である。ともかく、まさに家族総出で演唱とアナウンスを分け持っていることがわかる。

 ついでながら、このテープにはもう一つ、やはり日時不明、 “Terrible concert” と同じ年の少し後に録音されたらしい家庭音楽会風の断片が録音されていた。恥の掻きついでにこちらも曲目を載せておこう (こちらはアナウンスなし )。

1.「帰れ、ソレントへ」 独唱 : 虎雄 + 伴奏:緑 ?
2. ピアノソナタ「月光」: 第三楽章  独奏:正一 ?
3.「秘めたる想い」 (トスティ) 独唱 : 美佐子 + 伴奏:信子
4.「春のささやき」 (シンディング) 独奏 : 信子 ?
5. ソナチネアルバムより ? 独奏 : 芙佐子 ?
6. フランス組曲 (バッハ) 第 5 番より 独奏 : 緑 ?

 こちらを敢えてお見せしたのは、父の愛唱歌 “帰れ、ソレントへ” の録音があるため。 “浄きアイーダ” がないのが残念だが、長女美佐子をアイーダに、自分はラダメスに成り代わったつもりで、最も美しい愛の二重唱とされるフィナーレ “オ・テーラ” までも、信子に伴奏させては歌っていたから、それを聞かされたおかげで、私たちは家庭内でこのヴェルディ・オペラの名場面の旋律をしっかり覚えてしまったのだ。

III. 父の素人感覚からつながる演奏や作品受容の歴史


 それはさておき、父の歌い回しはまさにド素人、つまり音程もリズムも勝手気ままに伸び縮みさせ、よくいえば自己陶酔に浸る・・・普通の音楽学校の教育ではとんでもない、と絶対に許されないスタイルではある。だが録音が始まって以来、むしろそうした楽譜の指定はなんのその、自由闊達な解釈で聴き手を魅了した往時の名手たちによる音源は、声楽・器楽を問わず、いくらも存在する。メトロポリタンで大活躍したフリーダ・ヘンペル (Frieda Hempel 1885-1955) が『魔笛』の夜の女王のアリアでキモの音程を 1 オクターヴ上下逆にした録音例にはびっくり仰天、授業でも早速聴かせ、受講生たちを驚かせたことも・・・ともかく、コンクール至上主義や新・即物主義の音楽教育の枠に嵌められ、頑なに「楽譜通り」を盾に、即興的な変奏や装飾などを認めない現今の音楽界に違和感を抱く私の根っこは、どうもこの辺りにあったらしい。

 父の歌好き、ラテン系志向は、嘱託の任も解かれ、何一つ束縛がなくなった老境になって、日仏学院のフランス語クラスに通いだしたという一件が象徴する。ちょうど大学でフランス語を第二外国語として始めていた私を相手に、仕入れたばかりの知識を試すつもりか、フランス語の質問を出したりした一幕も・・・どのような問答だったかは思い出せないが、そのトンデモぶりは半端ない !

 こうした向学心 ? は、裏を返せば父の教育熱心の現れでもあったようだ。高校の選択一つをみても、子供たちにはほとんど相談もせず、都立高校芸術科、キリスト教系女子高、私立音楽大学付属高、仏教系女子高、とてんでんバラバラ。でもそれは、各学校の実地検証までして、必要なすべての手はずを父が一人で整えて選んだから、と長姉が母の葬儀後に述懐していた。

 ところで “Terrible Concert” でも、ピアノ曲は、バッハ、モーツアルト、べ―トーヴェン、ショパンなど現在も定番の顔ぶれだが、唯一例外は “春のささやき” 。ノールウェイのシンディングによるこの曲の楽譜は、父が学生時代から所持していたようで、通わせた先生方のお力である程度弾ける段階になった子供たちに、順繰りに弾かせていた。ピアノのレッスンにまつわる記憶が悪夢でしかなく、それが嵩じていまやピアノに触れたくない私でさえ、この “春のささやき” だけは、ほとんど暗譜で弾ける希少なレパートリーなのだ。あのグリーグばかりがノルウェイではない、と知らしめるためにも、自然が匂い、風が吹き通うようなこの佳品の復活を期待したい。

I V. 結びに代えて :


 母の追慕で続けたつもりが、父にばかり話が傾いてしまった。夫の勝手放題の音楽狂いに堪え、乏しい家計のやりくりもしながら、子供たちの音楽教育にはしっかり協力してくれた母…その母も絡むエピソードで今回の結びとしたい。

 おそらく父が当時のオペラ関係者にコネをつけたからであろう、あの “Terrible concert” と同じ1952年? に兄と私がオペラ『夕鶴』初演の子役で出演するという、一家の大事件があった。その北海道巡演の際に、母が付き添ってくれたのである。作曲者の團伊玖磨さん、世話をしてくださった女優の佐々木すみえさん、そして母と兄と私が一緒に写っている小さな写真を今回必死で探したが見当たらず・・・証拠写真として掲載できずまこと残念、お読みくださる方にも申し訳ない。加えて、『夕鶴』の地方巡演の詳細な記録は日本のオペラ上演史の書にも掲載されていないので、私の妄想では?と疑われても仕方ないのだが。

 ついでながらこの『夕鶴』は北海道に続けて富山県にも巡演、その時はなんと! 長姉美佐子が親代わりに同行した。ちなみにおよそ60年をへだてて私は昨年 6 月、富山県は高岡市の女性団体から依頼され、同市の歌が男性ばかりたたえている歌詞であることを問題に、講演させていただいた。その合間に同市の文化史関係の記録をざっと目を通すことができたのだが、こちらも当地の『夕鶴』上演については “ゆ” の字も見つからず・・・現在ますます深刻化している情報・記録の保持管理をめぐるぞんざいな国の姿勢が、こうした地方にも影響しているのか、と思わざるを得なかった。

 北海道の思い出から、どうしても書き留めたいのが、息抜きに? 訪れた苫小牧のアイヌ部落のこと。アイヌの人々とその文化を単なる観光対象として無責任に消費する立場に小学生時代から加担していたことになるのだから・・・この経験が今の私の行動の底流となっていると自覚する。不当にも生きる権利を奪われ、周縁に追いやられた民族、地域、マイノリティ問題の「現在」については、ぜひ東京新聞 ( 7 月25日朝刊) 「こちら特報部」を御覧いただきたい。

 それにしても、あの場に居合わせた当時38歳の母がどのような感情を抱いたか、ついに知り得ずに終わってしまった。返す返すも悔やまれるが、すでにご紹介したように、何に拠らず反骨精神旺盛だった母のこと、ジェンダーと女性作曲家問題に専心している今の私とも、響き合うものを汲みとっていたのでは・・・そうに違いないと祈り、かつ願っている。

◎以上、途轍もなくまとまりのない内容で、本当に申し訳ありません。
 次回は今年末にいくつか予定していた講演やコンサートについて、できる範囲で紹介させていただくつもりです。それにつけても、早く賢い指導者が現われて、生きとし生けるもの皆、この前代未聞の難局を無事乗り越えていけるよう、心より祈念いたします。

追記 (2020/8/3):
 本稿を掲載していただいた翌日の今日、拙宅マンションの押し入れの奥からアルバム類を引っ張り出してみたら、あった ! 『夕鶴』の北海道巡演の証拠写真である。作曲者の團伊玖磨さん、出演者のお世話役に徹してくださった女優の佐々木すみ江さん、そして母と私。

 裏面に母の筆跡で、「昭和30年 4 月、小樽駅にて 団伊久磨先生、佐々木すみ江様」とある。実はおなじような写真がもう一枚あって、そちらには團さんの代わりに ? カメラをぶら下げた兄が映っている。團さんと兄が交代でカメラマンになったのだろうか。
 いずれにしても、日本の代表的作曲家と女優とともに記念写真に納まった事実は、母にとっても、きっと一世一代の思い出であったことだろう。2020/8/3

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