【事件の概要】
早朝、自宅のドアがドンドン叩かれる。玄関に出ると 「警察だ! 早くあけろ」。
自分には何も思い当たる節はない…2004年2月、立川市内にある市民団体 「自衛隊監視テント村」 のメンバーのうち、6名の自宅と事務所が一斉に家宅捜索された。
逮捕者は3名。
連行されたとき、自宅マンション入り口には3台のテレビカメラが待ちかまえていた。警察のリークがあったのだ。
テント村はこれまで20年にわたってビラ等の戸別配布を行ってきたが、これまでは一度も違法性を問われたことはなかった。
しかし、イラクへの自衛隊派兵が現実化する過程で、同年1月と2月に自衛隊の宿舎に配布したビラが問題にされ、
ビラを入れるために敷地と階段部分に立ち入った行為が 「住居侵入」 にあたるとして、逮捕・起訴された。
逮捕された3名は、運動をやめることを強制する 「取調べ」 を受け続け、第1回公判直後まで75日間にわたって勾留された。
問題の宿舎は、周りに金網フェンスがあるだけで、各棟脇の敷地への出入り口には門扉もなく管理人もいない。
近所にある小中学校の児童・生徒が登下校途中に敷地内を通ったりもする。もちろん、宣伝広告や自治体の広報などのポスティングは普通に行われてきた。
裁判では、警察と防衛庁がテント村のビラ入れをねらい打ちし、逮捕しようと待ち受けていた実態が暴露された。
2003年の年末には、管理権者名で 「反自衛隊的内容のビラがまかれたら、110番通報し、東立川駐屯地に知らせるように」 という通知が、住民に配られた。
今までなかった貼り札が入り口に掲示された。被害届は公安主導で作られ、自衛隊にはんこを捺せばいい形で持ち込まれた。
さらに、公安警察が、自衛官に対する直接の呼びかけを警戒し、全国の施設について調査していたことも明らかになった。
【手続の経過】
2004年12月には、東京地裁八王子支部で無罪判決を獲得した。この判決は、構成要件には該当するが可罰的違法性はないので無罪とするものであった。
検察官による控訴を経て、1年後、東京高裁は、何の審理もせずに逆転有罪判決を言い渡した。現在、事件は最高裁に係属している。
先般、自衛隊情報保全隊が、「反自衛隊的」 とした団体・個人の活動について情報収集していたことが明らかになり、
その後、テント村について、メンバー個人の情報を整理し、公安警察のビラ入れ事件化に積極的に協力していた事実が、内部文書によって明らかになった。
この内容などを盛り込んだ上告趣意書の補充書を提出する予定である。
「受け取った1枚のビラによって、物事の見方が変わったことがあった。ビラを受け取る自由って大事」 とか、「自衛隊員が友人にいるけど、いろいろ大変みたい。
外からの声が届くことって大事じゃないか」 とか、「こんなことを刑事事件にするのがおかしい」 とか、率直な意見を集め、
最高裁に伝える 「上申書提出行動」 を今も継続的に行っている。ご協力いただければありがたい。
【一言アピール】
この事件の他にも、2004年には、「赤旗」 の号外を休日に配布した社会保険庁の職員が国家公務員法違反で3月3日に逮捕され、2日後に起訴された事件、
都立板橋高校で来賓の元教師が卒業式開始前に週刊誌のコピーを配布して、
日の丸君が代強制の問題を保護者に語りかけたのを 「威力業務妨害」として起訴した事件、
葛飾区内で共産党の区議会便り等をマンションに配布していた男性が、「住居侵入罪」 で逮捕起訴された事件など、ビラ配布にまつわる逮捕・起訴が相次いだ。
そして、8月28日、葛飾事件について無罪判決が出されるまで、有罪判決が続いたのである。
裁判所の権力志向、人権に対する鈍感さは、いくら指摘しても足りない。
これら判決の理屈を貫けば、人と人の間の自由なコミュニケーションに権力が恣意的に介入する、窒息しそうな社会の到来を許すことになる。
しかし、逆に、これらの弾圧は、さまざまな連帯を作り出してもいるのである。
被告人の一人が言っていた。「私は 『表現の自由』 の行使のためにビラをまいたんじゃない」。たしかにそうだ。人が外に向けてなにかを働きかけること。
人が生きていく上で、呼吸をするのと同じように行う、このやりとりについて権力にじゃまされない。
これは当たり前のことで、本来 「表現の自由」 なんてご大層に名前をつけるまでもない。沈黙の繭にとじこもることなく、当然のことを当然に続けていきたい。
・「立川テント村事件」 の最高裁判決を懸念
アムネスティ・インターナショナル日本 2008.4.11
・有罪判決を批判し続ける〜立川・反戦ビラ弾圧救援会の声明
2008.4.11
・立川・自衛隊官舎ビラ配布事件の最高裁不当判決に抗議する
日本国民救援会 2008.4.11
・最高裁判決文 2008.4.11
文責 弁護士 山本志都