2011.2.3更新

護衛艦たちかぜ 自衛官いじめ自殺事件

事件名:護衛艦たちかぜ 自衛官いじめ自殺事件
事件の内容:国及び加害自衛官に対して不法行為に基づく損害賠償
        請求。
        さらに、国に対しては安全配慮義務違反に基づく損害
        賠償請求
事件番号:横浜地裁第5民事部合議係 平成18年(ワ)第1171号
係属機関:横浜地方裁判所第5民事部
   2011年1月26日:原告勝訴判決
紹介者:阪田勝彦弁護士
連絡先:「たちかぜ」 裁判を支える会
     横須賀市米が浜通1-18-15 オーシャンビル3F
     「じん肺アスベスト被災者基金」 内 tel/fax 046-827-8570
     *カンパもよろしくお願いします。
       入会年会費 個人1000円/団体3000円
       郵便振替 「たちかぜ裁判」 を支える会 00260-2-56330


【当事者】
  原告 遺族
  被告 いじめ加害者及び国

【いじめの告発ノートを抱いて命を絶った自衛官】
  2004年10月27日10時32分。21歳の海上自衛官が京急立会川駅ホームから飛び込み、自ら命を絶った。 横須賀を母港とする護衛艦隊旗艦 「たちかぜ」 所属の一等海士だった。明るく優しい性格の若い海士は、自衛隊内で悪質ないじめに遭っていた。

  いじめの事実が発覚したのは、彼が飛び込み自殺をした際に唯一所持していたバックパックに入れられていた一冊のノートに、 上官を告発する遺書が記されていたからであった。 彼の死亡後、彼が居住していた民間アパートは遺族よりも先に自衛隊によって捜索がなされ、彼の自殺原因を探るものは何も残されていなかった。 そのような事になるのを知ってか、若い海士は、死ぬ瞬間まで告発のためのノートを抱きながら命を絶ったのである。

  この告発の結果、自衛隊内での恒常的ないじめの実態が浮かび上がってきた。被害者は、自殺をした海士だけではなく、ほかにも多数の被害者がいることが判明した。 殴る蹴るといった暴力だけに止まらず、護衛艦内に強力なガス銃を持ち込み、「サバイバルゲーム」 と称して、無抵抗な若い自衛官を撃ちまくる。 恐喝、莫大な借金の押しつけ、そこで生活を送る若い自衛官には地獄のような日々が繰り広げられていた。

【実態を知りながら事態を放置した自衛隊の責任を問う】
  護衛艦たちかぜの責任者たちは、このいじめの実態を認識しておきながら、真摯に問題の解決を図ろうともしていなかったことも明らかとなった。

  自衛隊という組織は、名称はどうあれ、実質的には軍隊である。そのため、一人ひとりの生命や身体の安全、人としての尊厳よりも、いかに効率的に任務を遂行するか、 換言するならば、いかに効率よく敵を殺すかということが重視されてしまう。 そのような環境の中で、一人ひとりの隊員を大切にすることを期待することは、所詮、無理なのかもしれない。

  しかし、そうであるとしても、自衛隊員の自殺者がこの過去10年間、50人から90人前後で推移しており、自衛隊員の総数に対する自衛隊員の自殺者の割合が、 日本国民の総数に対する自殺者の割合と比較して高い数字を示していることは、自衛隊の体質や隊員が置かれている過酷な状況を端的に示している。
  そして、21歳の若さで自ら命を絶ってしまった彼も、そうした自衛隊の体質の犠牲者となった一人である。

  彼の死の真相を明らかにし、真摯な反省の下、真に有効な再発防止策に取り組んでいくこと、これは自衛隊の最低限の責務であり、そうでなくては彼の死も報われない。 そのような遺族の思いから、2006年4月5日、自殺に追い込まれた若き自衛官への国と上官の責任を問う訴訟が横浜地裁に提訴された。

【頑なに情報公開を拒む国】
  裁判が始まってからも、国は、自らの責任を認めるどころか、可能な限り真相を隠蔽し、今回の事件の真相を闇に葬り去ろうとしている。 すなわち、国は、事件の調査報告書をはじめとした、本件の真相を知るために必要不可欠な書面すら、防衛機密である等の理由から、開示を拒絶しているのである。

  しかし、そこに書かれていると思われる内容は、事件に関する調査の報告であり、何ら防衛機密と直結するような事項ではない。 それにもかかわらず、これらの書面が開示されないのでは、自衛隊が彼の死を真正面から受け止めていない、 自衛隊には、彼の死を自己変革のきっかけとしようとする真摯な姿勢が見られないと言わざるを得ない。

【画期的な文書提出命令の決定】
  そこで、弁護団は、送付嘱託、情報公開請求、証拠保全申立の各手続きをとったが、その結果はいずれも全く開示がなされないか、 読むこともできないほどに墨塗りされたものが提出されただけだった。

  文書提出命令手続を通じて、これらの書面の開示を実現させることとし、文書提出命令の申立を行った。 国は、文書提出命令と情報公開請求との同質性や防衛情報の秘密性を強調し、文書の提出を免れる除外事項に該当すると主張したが、 約1年間の審理の後、文書提出命令が認められた。同命令は、情報公開請求と文書提出命令との分水嶺という側面、 開示除外事由としての安全保障に関する情報の限界を示すものとして極めて画期的な判断となった。

  ※ 「本事件の文書提出命令事件が判例タイムズに掲載されました。
     判例タイムズ1278 (2008.11.15号) 306頁」

  しかし、国は同命令に対し、抗告を行い、現在文書提出命令事件に関する抗告審の審理中である(期日は未定)。

【手続きの経過】
[12月26日の期日の内容]
  原告側から、本件でいじめと自殺の因果関係について基本的な考え方を主張・陳述した。
  本件では、自殺直前まで肉体に直接的な暴行を働くいじめが行われており、また、 自衛隊の責任者がいじめの実態について認識をしていたことから津久井いじめ自殺事件等の判例に沿って、 事実因果関係と予見可能性が認められることが明らかであることを主張した。

  被告国も因果関係について、主張・立証を行うはずであったが、何も提出されなかった。

  国は、抗告審での文書提出命令の結果が出た後に判断するとして、証拠の提出を拒否している。
  裁判所からは、証拠を出せないなら出せないで、書面なり何らかの方法で補充するように指摘された。
  国は、訴訟当初から証拠を出そうとせず、文書提出命令が認められた後も抗告をし、依然として証拠を隠し続けている。

  今回の期日においても、約束の主張も立証も行わず、遺族と自衛隊という証拠の偏在が著しい本件では、 国のこのような態度は真実を隠蔽しようとする極めて不誠実な態度と感じられた。

[3月19日の期日の内容]
  この間、文書提出命令が東京高裁で確定。地裁よりもさらに広い範囲で提出命令が出された。 これに基づき、国が80人分の供述調書などを提示。これを受けて、国がいじめと自殺についての因果関係について、主張を行った。
  その内容は、いじめはあったが、それとは無関係の被害者の金銭問題が自殺の主たる要因である旨の主張だった。 いじめの加害者は、月額10数万円の返済を街金業者に返済しており、その返済金をつくりために被害者を含む後輩自衛隊員に、 自分でコピーしただけのわいせつ画像が記録されたCDRを数万円で売りつけていた。 次回には、このような事実と被害者の借金の関連性などについて反論を行っていく予定である。

[5月14日の期日の概要]
  今回の期日から裁判長をはじめ裁判体が総入れ替えになった。そこで、更新弁論を行い、岡田尚弁護団長、原告である遺族が更新弁論を行った。
  自殺隊員の父母の、防衛省の証拠を提出しようともしない隠蔽体質、自衛隊内部の無法地帯の実態を解消して欲しいという涙ながらに訴えは、 その場にいた者の心に響き、法廷自体を水を打ったように静まりかえらせた。

  原告側から、被告国の因果関係に関する主張への反論準備書面を提出し、これを口頭にて陳述を行った。
  @ 暴行と A 恐喝などの複数ある不法行為を、それぞれ分断し、一つ一つの行為は、他の隊員へのそれと比較して悪質でないなどという国の主張に反論した。

  これまで防衛省内部で隠され続けてきた、自殺直後のたちかぜ内での事情聴取書面が東京高裁での文書提出命令によって提出され、 ここにあらわれていた自殺隊員へのいじめの実態が、いかに悪質なものであったのかを主張した。
  特に、これまでの国の主張では、平成16年10月1日に上官が加害隊員に注意した後は、いじめ行為が終息したと説明がされていたが、 今回明らかになった証拠から、自殺日 (平成16年10月27日) の直前である10月24日においても、いじめ行為があったことが判明した。

  これにより国の主張の大前提が崩れ去った。また、上記上官の 「注意」 というものも、実は、宴会の席でたまたま一緒になったので、 やめとけと言っておいたという程度のものにすぎず、「注意」 などというものに全く当てはまらないものにすぎなかったことも判明した。 事実、いじめに用いられていたガス銃なども確認せず、撤去もしておらず、結果として10月24日には、そのガス銃によって自殺隊員は、またもいじめに遭っていたのである。

  また、国は、自殺隊員の借財が自殺原因であるとの主張を述べていたが、新たに判明された証拠からも全くそのような事実は現れず、 逆に国は、当時の班長の陳述書を新たに作成し、借財が原因であるとの主張を述べた。
  しかし、加害隊員自身が、実は自己破産をしていたが、その記録を調査したところ負債総額4500万円であり、 キャバクラ通いの末借金が生まれ、それを自殺隊員ら後輩から金銭を巻き上げて返済し、また自分の小遣いにしていたことも判明した。
  また、自殺隊員は、加害隊員と配属が一緒になる前は全く借財がない者であったことも判明した。

  次回以降、証拠調べ手続が進行していくことになった。
  国は、驚くべき事に 「人証予定はない」 と明言した。 自らは、氏名を消したままの答申書などを多数出しておきながら、原告側に反対尋問の機会を与えないというのである。 これに異議を述べ、氏名の開示を行い、反対尋問の機会を付与すべきことを訴えた。国がこの点を検討し、次回までに回答することになった

  なお、今回の期日には、熊本、宮崎、浜松より、本件同様自衛体内でのいじめにより自殺した隊員の遺族が傍聴し、期日後の報告集会で激励のご挨拶をいただいた。 自衛隊内部の暗部が徐々に照らされようとしているのかもしれない。

[7月2日の期日の内容]
  被告国より準備書面 (6) が陳述された。内容は、前回当方が提出した準備書面への再反論ということであったが、結局、こちらが反論をした内容を踏まえておらず、 すれ違いの内容に終わっていた。特に、被告国は、自殺したT隊員が、自らつくった借財を苦にして自殺をしたのであると主張をするが、 その根拠とする答申書については、作成者の氏名も明らかにせず証人尋問も予定していないと再度主張した。 この点をどこまで立証する気があるのかと、原告弁護団長が珍しく語気を荒げて追及する場面があった。

  被告国はそれには答えず、文書送付嘱託でT隊員の預金通帳の履歴の取り寄せを求めた。 自らは証拠については明らかにしない態度をとりながらの送付嘱託には、遺族、弁護団ともに怒りを禁じ得なかった。

  その後の報告集会に、原告の一人であるT隊員の父も出席したが、父はつい先日、T隊員の祖父が亡くなったこともあり、心労がかさみ、 期日の直前に具合が悪くなるという場面があった。

  T隊員の祖父は、戦争経験者であり、T隊員が自衛隊に入隊することに反対をしていた。 軍隊というものの危険性を指摘し、自分の孫をあのようなところに送ることをいやがっていたそうである。 父は、祖父の意見を汲まず、自衛隊の規律された世界も良いと思い、T隊員の入隊に賛成したことを悔やみ、その心労を否が応でも強めていた。

  次々回以降、証人尋問に入っていくことになる。そろそろこの事件も山場を迎える。

[9月10日の期日の内容]
  冒頭、原告側は、自衛隊員の自殺は自衛隊の抱える構造的・体質的な問題に起因することを、自衛隊内部で作成された内部資料等に基づき主張、立証を行った。 また、先日逆転勝利となった、同種事件である護衛艦さわぎり事件福岡高裁判決の概要及び各証人の証拠調べの必要性をそれぞれ口頭で陳述した。 浜松、静岡、北海道など自衛隊内部でのパワハラ・いじめ問題は後をたたず、その問題が拡大していることを訴えた。

  今後の進行について裁判所が双方に確認を行い、いよいよ次々回以降証拠調べが始まる。

  被告国からは、尋問前の準備書面及び証人の採用に関する意見書を提出するのに、2ヶ月と10日欲しいとの要望があった。 迅速な進行を当方が訴えていたところで、このような申し出があり、法廷がざわめく場面もあった。 準備にそれだけの日数は必要ないはずだとして詰めたが、人事異動のため担当者が交代する予定であるから、少し長めの時間が欲しいとの説明が国からあった。 おそらく、総裁選及び総選挙の影響なのではないかと思われた。

[11月26日の期日の内容]
  原告側は、福岡高裁の自衛官いじめ自殺事件 「さわぎり」 事件判決を準備書面とともに提出し、陳述をした。 被告側は、被害者が、借金をつくり、その借金は風俗遊びが原因であると主張。
  通帳の履歴から割り出したATMの設置場所が、繁華街にあるということをわざわざ、自衛官を使って調査し、報告書を提出した。 そんなことを今するくらいなら何故、自殺が分かった後にちゃんと調査しなかったのか…。

  証人予定者をそれぞれ申請しあったが、国は、原告側証人である、被害者以外の他のいじめの被害者を証人して呼ぶことに反対した。 にもかかわらず、国は、自らの証人として、上記いじめの被害者から事情を聴取した自衛官を証人申請をした。全く以て意味が不明である。
  事情聴取した人間を聴くよりも、その人間に事情を話した者を証人として呼ぶ方が直截であり、意味があるのは当然である。

 いずれにせよ、次回で証人が出揃い、次々回以降がいよいよ証人尋問の始まりとなる。この裁判も、大詰めを迎えた。

[2009年2月18日の期日の内容]
1 前回、被告国が、自殺隊員に借金があったこと、その借金が遊興費への費消によって自分が原因でつくられたものであるという主張を準備書面で主張してきた。 これに対し、原告側もその被告の準備書面に対して、即座に反論の準備書面を提出した。

  被告国は、被害者である自殺隊員が、借金をつくり、その借金は風俗遊びが原因であると主張。 夜間の取引が多い、通帳の履歴から割り出した引き出し銀行の場所が川崎という繁華街にあるなどと主張をしていたが、当該銀行履歴の全てを精査したところ、 夜間ではなくほとんどが日中であり、しかも川崎での引き出しはわずか1回だけ (しかもお昼の12時) という事実も判明した。

  そもそも、川崎で引き出したら、川崎は風俗が多いから風俗遊びをしたなどという論理は馬鹿馬鹿しいにも程があるが、 国の主張を前提にしても全く理由にならないことも判明したのである。確かに自殺隊員には約200万円程度の借財があったのではあるが、 この借入を始めている時期が、加害隊員による恐喝・暴行のいじめが始まった時期と符合し、また、少なくとも加害隊員は自殺隊員から18万円を恐喝したことは認めている。

  国は、「借金は200万円もある。これを苦にして死んだのだ。恐喝されたのはたった18万円なので影響はない」 などと主張をするのであるが、 この18万円という金額は、実に自殺隊員の1か月分の給与金額に相当する金額であった。 借財が自殺の原因であるといいながら、給料1か月分の喝取は自殺原因とならないと強弁する被告国の態度にはあきれかえるばかりであった。

  国は、上記の内容を意見陳述する原告代理人の意見陳述を、2回ほど妨害しようとしたが、裁判所よりたしなめられるに至る場面があった。 これまで国の代理人はどこか余裕の感じられる様子もあったが、ここにきていよいよ焦りがでてきたのかもしれない。 証人尋問を前に、法廷は提訴以来の満席となったことも裁判の盛り上がりを示している。

2 証人が決まり、合計8人の証人尋問が次回以降行われることになった。
  加害隊員本人、自殺・加害隊員の上司等、他の被害者、自殺隊員の友人で自殺前日に一緒に時間を過ごしていた者などである。
  いずれにせよ、次回以降がいよいよ証人尋問の始まりとなる。

[2009年5月27日(水)の期日の内容]
  本件において初めて証人尋問が行われた。証人として立ったのは、自殺した自衛隊員が所属していた分隊の先任海曹と班長である。
  この尋問の中で、海上自衛隊の現実がまざまざと明らかになった。即ち、分隊先任海曹は、自殺事件が起きる半年も前から、いじめに用いられていたガス銃、 電動銃が、C I C (コンバットインフォメーションセンター) という護衛艦の戦闘指揮所という最重要機密区画に置かれていることを認識しており、 それが使用されていることも知っていた。そればかりか、C I C とドア一枚で繋がる通信室内は、テレビゲーム、 恐喝に用いられた数百枚のアダルトDVDなどが隠すわけでもなく置かれていたし、加害隊員は、同室の中で、サバイバルナイフを製造するべく、 その中に万力や焼き入れ、切り出しのための器具まで搬入し、その中でナイフを製造していた、それは、別の隊員の言葉を借りれば、 「まるでナイフの製造工場みたいになっていた」 という有様であった。

  先任海曹は、当該ガス銃等が、加害隊員によっていじめの凶器として使われていることを知り、加害隊員に注意したという。 しかし、それは宴会の始まる前に宴会場で捕まえて 「銃を持ち帰れ」 と言ったにとどまったものだった。
  しかも、加害隊員はこの注意を無視し、銃をそのままCICに置いていたのだが、そのことも先任海曹は知っていたと証言した。 注意をした翌日に、もう少し置かせてくれと頼まれたというのが理由であった。

  一方、自殺隊員とも生活・仕事をともにしていた班長は、暴行等のいじめがあったこと自体知らなかったなどという完全に事実を否認する証言をした。 先任海曹は、常に海士クラスと一緒にいるわけではないが、班長は、常に一緒に自殺隊員とも加害隊員とも一緒にいたのであり、暴行等の事実を知らないはずはなかった。
  特に、刑事事件にまで発展した自殺隊員と同じくいじめ被害に遭っていたK隊員は、加害隊員より、 正座させられ抵抗できない状況のところへ至近距離からガスガン (ブリキ缶を突き破る威力があることが刑事事件で明らかにされている) で50発程度撃たれて、 泣きながらうずくまっていたという事件があった。 この事件は、まさに班長や他の隊員の前で行われたものであった (もっというと、このようなリンチを行った理由は、 加害隊員が面白半分で 「パンチパーマにしてこい」 と言ったところ、してこなかったからという理由である)。
  それでも班長は、知らないと言えとの指示があったのか、不合理な弁解をしながら知らないという証言を行い続けた。

[2009年7月8日(水)の期日の内容]
  2回目の証人尋問が行われた。本日は、自殺隊員と一緒に過ごしていた友人の元自衛隊員2名と現役自衛官1名、 それに彼ら3人から聴き取りをしたという砲雷長の合計4人の尋問を行った。

  最初の証言した元隊員は、自殺隊員が自殺する平成16年10月27日の前日である10月26日に一緒に居酒屋で話をしていた隊員。 いつも穏和な自殺隊員が、攻撃的になり自殺をするといい、その場で遺書を書き始め、許せない人間の名前を書いて死ぬと言って聞かなかった。 自分が遺書を取り上げてやめさせたと証言。翌日、自殺隊員はホームに身を投げて自殺する。 彼もまた、護衛艦たちかぜ内においては、加害隊員が日常的に自殺隊員ら後輩隊員に暴行を私的制裁を加えていたことを証言した。

  2人目の元隊員は、前回の証人尋問で話題になった、班長らの前で正座をさせられガス銃で50発撃ち付けられたその人である。彼は現役の自衛隊員である。
  自らが、加害隊員によって加えられ続けた暴行、コピーしたアダルトDVDを数万円で売りつけられ恐喝を受けたことのほか、 自殺隊員も又自分と同様の被害にあっていたことを堂々と証言した。自分もまた、自殺隊員からすれば先輩であり、 自殺隊員の自殺を防げなかったことは自分を含めた当時の同僚、上司全員に責任があると思うと証言をした。

  3人目の証人は、自殺隊員の親友の元自衛隊員。同期入隊であり、課業後はほとんど一緒にいたことを証言し、やはり自殺隊員が加害隊員によっていじめを受け、 これをとても苦痛に思い、打ち明けていたことを証言した。

  最後に、上記3名から聴き取りをしたという砲雷長 (艦長の次の高位にある) は、警務隊による調査とは別に艦長から、 「自殺隊員の足取りを調べろ」 という命令を受けて、独自の調査を行ったと証言。そして、上記3名から、自殺隊員が風俗通いをし、借金をつくっていたようだと証言した。
  砲雷長は、報告書も保存をしておらず、口頭で報告したという。砲雷長の陳述書は、自殺原因を知るための足取り調査といいながら、 加害隊員への聞き込みなどはなされておらず、なぜか風俗へ行ったのか? 借財はあったのか? という調査に限定されているという極めて奇妙な調査であった。
  そして、その証言は、上記3名の隊員らから聴き取ったのであるとあたかも、真実であるかのようなディテールを交えて証言をした。 しかし、その証言は、客観的に大きなミスを犯していた。 ここでは割愛するが、次回期日において、この砲雷長があたかも真実であるかのように語った事実が全て虚構のものであることが白日のもとにされる予定である。

  期日後、報告集会で、他の自衛隊のいじめ自殺事件の被害者遺族が涙ながらに語った。「自分の事件では、同僚の自衛隊員はだれも証言をしてくれない。 それがうらやましい」 と。現役自衛官も含めて、勇気ある証言をした3人の証人に大きな感謝と敬意を表したい。

  次回はいよいよ加害隊員その人の尋問が行われる。

佐藤治被告本人質問・原告本人質問 (2009年9月9日実施)
  2009年9月9日、ついに加害者佐藤治本人と原告であるお母さんに対する本人質問の手続が行われました。

  佐藤治は、「たちかぜ」 の艦内で後輩隊員に対して横暴の限りを尽くしていた頃は、リーゼントで髪を固め、色の付いたサングラスを着用するなど、 まるでヤクザのような格好をしていたこともあったそうです。しかし、この日の格好は、髪は黒く、服装も地味で、当然サングラスなど着用しておらず、 一見すると普通の社会人であるかのような格好でした。また、質問に対しても穏やかに答え、「たちかぜ」 の 「主」 的存在であり、 階級が上の者も佐藤治の行為には口を挟めなかったと、自衛隊の調査委員会に認定された威勢の欠片も感じられないものでした。

  佐藤治は、こちらからの質問に対し、後輩隊員の顔面を叩き、頚椎付近の首筋にチョップを入れ、右足で左足の膝付近にローキックを加え、 大外刈りで投げ倒した後、倒れたところを踏み付けるように腹付近を3回蹴ったという事実や、後輩隊員を正座させ、ガスガンで約50発打ち続けた事実など、 「たちかぜ」 艦内で凄まじい暴力を振るっていた事実を認めました。 しかも、それだけ凄まじい暴行であったにもかかわらず、それぞれの暴行について明確には覚えていないこと、 裏を返せば、同じ程度の暴行を日常的に振るっていたことも認めたのでした。
  さらに、佐藤治の後輩隊員に対する暴力を、彼の上官たちが黙って見過ごしていたため、 彼は 「たちかぜ」 艦内で好き勝手に振る舞うことができていたそうです。

  他方で、佐藤治自身、先輩隊員に名義貸しを求められ、これに仕方なく応じ、最終的に約70万円の金銭的な被害を受けていたことも明らかとなりました。 佐藤治は、後輩隊員からすると恐怖の存在でしかなく、後輩隊員は彼の無茶な指示にも逆らえず従っていたのですが、 その彼ですら、自衛隊の中では名義貸しをさせられ、被害者となっていたのでした。 このことは、自衛隊内において先輩が後輩を食い物にする図式が定着しているという現実を如実に物語っていました。

  次に、自殺した隊員の母親が原告本人として質問に答えました。元々、この訴訟は自殺した隊員の父母が原告となって闘ってきたのですが、 父親は、この年(2009年)の3月に死去していました。父親は国との闘い、とりわけ、国が自殺した隊員の私生活について誹謗中傷を繰り返すことに対して、 神経をすり減らし、57歳の若さで、この世を去っていたのでした。
  母親は、亡き夫の思いにも後押しされ、法廷で堂々と質問に答えていました。 息子の自殺後、夫とともに多くの自衛隊員から聴き取りを行ってきたこと、その中で次々と 「たちかぜ」 艦内の呆れた実態と、 息子たちが受けていた被害の酷さが分かってきたこと、あるいは、息子の優しい性格や誠実な人柄など、 法廷で話をすることができない息子と夫の代わりに、少しでも真実を裁判官に伝えようと必死に質問に答えていました。

  その中で、特に印象深かったのは、息子の自殺直後、息子が借りていたアパートに2人組の男性が訪れていたこと、 その男性たちが息子の私物と思われる物を持ち出していたということでした。 本件と同様、自殺した隊員の遺族が国を訴えた 「さわぎり」 訴訟でも、隊員の自殺直後、自衛隊による証拠隠滅が疑われる行為があったのですが、 本件でも同様に、自衛隊にとって不都合な真実が既に闇へと葬り去られているのではないかとの思いを抱かざるを得ませんでした。
  そして、被告である佐藤治及び原告である母親への質問終了後、今後の進行について裁判所が判断を下しました。 裁判所は、原告が求めていた当時の 「たちかぜ」 艦長、落修司に対する証人尋問の実施を決定したのです。

落修司証人尋問(2010年3月4日実施)
  3月の北海道は、まだ雪深く残る景色でした。最近は、横浜で雪が積もることはめったにないだけに、雪景色は新鮮で、 白い雪は気持ちを引き締めてくれるようでした。

  3月4日、この日、札幌地方裁判所小樽支部で事件当時の 「たちかぜ」 艦長、落修司の証人尋問が行われました。 本来は、昨年の11月に横浜地裁で実施される予定の尋問でした。 しかし、国から、落修司は現在余市防備隊の司令の地位にあり、2時間以内に帰隊できる範囲でしか基地を不在にできないため、 現地で尋問を実施するよう求める旨の上申があり、弁護団の抵抗にもかかわらず、裁判所が小樽支部での証人尋問を決定したのでした。 それに伴い、証人尋問の実施も、本来の予定日より3ヵ月以上も先に伸びてしまったのでした。
  また、通常であれば、証人尋問は一般に広く傍聴が許されるのですが、横浜地裁の庁舎の外で行う場合には、 たとえ他の裁判所の建物を使用するとしても、法廷とは扱われないため、非公開の手続で実施することになったのでした。
  そのような紆余曲折の上に実現した落艦長の尋問でしたが、大いに成果は得られました。

  まず、一つめの成果は、当時の 「たちかぜ」 艦内における監督体制の不十分さが確認できたことです。 加害者である佐藤治が 「たちかぜ」 艦内において、後輩隊員への暴行を上官らの目を憚ることなく繰り返していたことは、既に裁判上明らかとなっていました。 そこで、そのような佐藤治の問題行為が、なぜ把握できなかったのかという点について質問を続けたのですが、 落艦長が、その点について明確な回答をすることは最後までありませんでした。
  しかも、落艦長は、佐藤治が規則に違反して、ガスガンや電動ガンといった危険物を艦内に持ち込んでいたことについて、 隊員が隠して持ち込んでいれば、それを把握することはできないと証言しました。 しかし、そもそも佐藤治が艦内に持ち込んでいたガスガンや電動ガンは、拳銃やマシンガンと同じくらいの大きさであり、 しかも、彼は、それを艦内で特に隠そうともせず、堂々と所持していたのです。
  艦長は艦の最高責任者ですから、規則に違反したガスガンや電動ガンの所持を許してしまったことについて、本来であれば深く恥じるべきでしょう。 それを、あたかも自分に落ち度はないと言わんばかりの開き直った態度をとる落艦長の証言からは、反省や責任感といったものは、 欠片ほども感じることはできませんでした。

  また、落艦長は、隊員の自殺の翌日には警務隊(警察に相当する自衛隊内の組織)の隊長に連絡し、「佐藤治が後輩隊員に向けてエアガンを撃ったり、 アダルトビデオを売りつけたりしている。」 との事実を告げて調査を依頼し、隊員の自殺から9日後には、 「乗員に対する事情聴取の結果、佐藤治の暴行及び恐喝まがいの行為が確認された。」 と、護衛艦隊司令官に報告しています。
  そのため、落艦長が事前に佐藤治の犯罪行為を知っていたのでなければ、落艦長は、隊員の自殺後、艦の乗員から事情聴取を行い、 佐藤治の犯罪行為を誰かから聞いていなくてはなりません。ところが、この点に関する質問について、落艦長は記憶にないという証言を繰り返したのでした。

  落艦長がこのような証言に終始したのは、事前に証言した石井砲雷長との矛盾を露呈させないためでした。 石井砲雷長は、落艦長に命じられ、「たちかぜ」 艦内で乗員からの事情聴取を行った唯一の人物です。 そのため、落艦長が佐藤治の犯罪行為を把握できるとしたら、石井砲雷長からの報告以外には考えられません。
  しかし、石井砲雷長は、自殺した隊員が風俗とギャンブルに明け暮れ、借金まみれになった末に自殺したとの国の主張を裏付けるため、 国が申請してきた証人です。そのため、石井砲雷長は、既に亡くなっている人と電話で話したなどと虚偽の証言をしてまで、 国の主張に沿う証言を繰り返しました。
  もっとも、実際には、石井砲雷長による事情聴取の結果、明らかとなった事実は、 自殺した隊員が風俗とギャンブルに明け暮れていたなどということではなく、佐藤治が後輩隊員に対して犯罪行為を繰り返していたということです。 そして、その事実を石井砲雷長が落艦長に報告したからこそ、落艦長は警務隊の隊長への連絡や護衛艦隊司令官への報告をすることが可能となったのです。
  けれども、落艦長が、その事実を認めることは、石井砲雷長の証言の嘘を認めることになり、 国が主張してきた風俗・ギャンブルによる借金を苦にした自殺というストーリーの破綻を意味します。 そのため、落艦長は、頑なに記憶の不存在を証言し続けたのでした。

  このように、落艦長に対する証人尋問は、艦内の監督体制の不備と、 国が主張する風俗・ギャンブルによる借金苦の末の自殺というストーリーが根拠の無いものであることを、より明確にしました。 そして、これをもって証人尋問は終了し,いよいよ訴訟は結審を迎えることとなりました。結審の日は8月4日です。


  約4年間続いた護衛官たちかぜいじめ自殺事件も、ついに一審の結審を迎えた。 原告側の最終準備書面を弁護団がそれぞれ担当研究したパートを改めて深め書き起こしていった。 4年間の思いもあり、言いたいこと伝えたいことは後から後から沸いてきて、結果、最終準備書面は120頁超の分量となった。

  2010年8月4日の結審当日、弁護団の最終準備書面陳述は約1時間にわたった。
  その後、自殺した隊員の母親と姉が陳述をした。

  思えば、提訴の時は、自殺した隊員の父親が意見陳述をし、自らが自衛隊への入隊を進めたことを悔いて法廷で涙を流していた。 その父親も判決を聞くことなく無念の気持ちを抱いたまま他界した。 そして、その気持ちを引き継ぎ、今や全国の自衛隊いじめ・セクハラ関係訴訟の集まりに出向き、 共闘態勢をつくるまでになった母親ら残された遺族の陳述は、法廷に集まった皆の心を強く打った。

  旧態依然とした自衛隊内の軍隊式の慣習、これにより全国的に生じている自衛隊内での酷すぎるいじめ、 証拠を隠し続けましてや偽証まで行わせた国の訴訟態度、この国の不正義を糾弾する判決がなされることを原告側は期待している。
文責  弁護士 阪田勝彦