2008.3.28更新

横浜事件第3次再審請求事件
係属機関:最高裁判所第2小法廷
       平成19年(れ)第1号治安維持法違反上告事件
2008年3月14日 最高裁で上告棄却判決
紹介者:森川文人弁護士


【事件の概要】
  1942 (昭和17) 年から終戦直前にかけ、雑誌 「中央公論」 編集者ら60人以上が 「共産主義を宣伝した」 などとして、 治安維持法違反容疑で神奈川県警察部特高課 (特高) にでっち上げで逮捕され、暴力により自白を強要された戦時下最大の言論弾圧事件。

  30人以上が起訴され、多くは終戦直後に有罪判決を受けた。4人が獄死。拷問を行った警察官3人が戦後、拷問を加えたとして有罪が確定した。

【手続きの経過】
(1) 編集者だった木村亨さんらが冤罪を訴え、再審を請求した (第1次請求は1986年7月)。

(2) その後の裁判の経過
  横浜地裁は第1次再審請求から28年後の2003年4月、三次請求において既に死亡した元被告人らの再審は再審開始を決定し、 東京高裁も2005年3月、元被告人の自白は 「裸にして縛り上げ、正座させた両足の間に太いこん棒を差し込み、膝の上に乗っかかり、 ロープ、竹刀、こん棒で全身をひっぱたき、半失神状態に」 という拷問によるものだったと認定し、「拷問による自白は信用性がない疑いが顕著で、 無罪を言い渡すべき新たに発見された明確な証拠がある」 と指摘し、再審開始決定が確定した。
  裁判記録が焼却処分されているため、「犯罪事実」 は弁護団が復元した原判決に基づくものであった。

(3) 現在の争点−無罪判決か、免訴判決か。
  請求人は無罪判決を求め、検察側は、免訴を言い渡すよう求めた。
  2006年2月9日、横浜地裁松尾昭一裁判長は、「免訴では原判決の誤りを不問に付すことになり、 元被告らの名誉回復は望めないとする」 弁護側の主張については 「相当の重みを持つ」と理解を示しながらも、「被告人らに免訴判決を言い渡すことは、 無実の罪に問われて無念の死を遂げた被告人らから、再度名誉回復や刑事補償等の具体的な法的利益を奪うということにはならない。」 として、 治安維持法が廃止されたことなどを根拠に、無罪か有罪か判断せずに裁判の手続きを打ち切る形式的な判決を意味する免訴を言い渡した。

  メーデーで掲げたプラカードの内容が不敬罪に当たるかをめぐる 「恩赦で公訴権 (刑事訴訟法上、検察官が公訴を提起し裁判を請求しうる権利) が消滅した以上、 有罪、無罪の判断に踏み込めない」 との1948年5月26日の、いわゆる 「プラカード事件」 最高裁大法廷判決 (最高裁判所刑事判例集2巻6号529頁) に沿ったものでもある。

  1986年の第1次再審請求から弁護団長を務めてきた森川金寿弁護士 (当時92歳) は、再審から20年。 待ち望んだ判決だったが、「非常に残念。日本の司法はこの程度なのかと落胆した。人権に配慮したとは到底言えない、歯切れの悪い判決だ」 と語った。

  直ちに控訴したものの、2007年1月19日の東京高裁は、上記 「プラカード事件」 最高裁大法廷判決を引用して、 免訴に対する実体審理の要求や無罪主張の上訴は違法と指摘、 一審・横浜地裁が治安維持法の廃止などを理由に裁判手続きを打ち切る 「免訴」 を言い渡したため公訴権が消滅しているとして、 「被告による上訴の申し立ては利益を欠き、不適法だ」 と控訴を棄却した。

  弁護団は元被告の名誉回復のため無罪が言い渡されるべきだとして、最高裁に上告した。

3月14日、最高裁で上告棄却判決がなされた。
  地裁、高裁の免訴判決を追認し、傍論的に刑事補償を促す正面から事件に向き合う、司法の責任に向き合うことを回避した不当判決。 何時になっても国家権力 (むろん、最高裁も含む) は、民衆に対する弾圧の責任を認めないという、その意味では極めて今日的な判決である。

【一言アピール】
 今日、権力抑制装置としての憲法概念を転覆させるような権力側からの改憲案が提示されているという状況もさることながら、 ビラまき等での逮捕や、現在の治安維持法ともいうべき共謀罪の新設策動、そして刑事訴訟法の改悪など、管理社会化が進んでいる。 貧困化も進み、人心も荒廃していく中、横浜事件当時の状況は、決して過去の状況ではなくなってきている。

  免訴か、無罪か。本件は、裁判所が無罪判決を出し、戦時中の司法の在り方についても、膿を出すべき事件である。

  結局は、司法が、権力によるでっち上げや拷問という事態に本当に人権感覚を持って立ち向かう機関であるか否かが問われている。 戦前は、そこが崩れていった。最高裁がどのような判断を出すか、戦後司法の在り方自体が問われているのである。

文責 弁護士 森川文人