2013.10.176更新

原爆症認定集団訴訟(東京訴訟)
事件名 通称:原爆症認定集団訴訟 (東京訴訟)
正式名称:原爆症認定申請却下処分取消等請求事件

一  1次訴訟
係属機関:東京高等裁判所第4民事部 平成19年(行コ)第137号。
2009年5月28日 東京高裁判決内容:未認定原告10名及び認定原告1名の未認定疾病につき、1名を除いて認定却下処分を取り消す(確定)。

二  2次訴訟
係属機関:東京地方裁判所民事第3部
       平成18年(行ウ)第561号ほか
2010年3月30日東京地裁判決(第2次)
内容:未認定原告12名のうち、2名を除いて認定却下処分を取り消す(確定)。

三 3次訴訟 係属機関:東京地方裁判所民事第3部
       平成19年(行ウ)第391号ほか
2011年7月5日東京地裁判決(第3次)
内容:未認定原告16名のうち、4名を除いて認定却下処分を取り消す(確定)。
  原爆症東京第3次判決 要旨 2013.10.17
  原爆症認定集団東京訴訟(3次) 東京地裁判決についての声明
 2011.7.5
原爆症認定集団訴訟東京原告団
原爆症認定集団訴訟東京弁護団
原爆症認定集団訴訟全国弁護団連絡会
東京都原爆被害者団体協議会(東友会)
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)
原爆裁判の勝利をめざす東京の会(東京おりづるネット)
原爆症認定集団訴訟を支援する全国ネットワーク

紹介者:中川重徳弁護士
事件や傍聴等についての連絡先
   〒169-0075 東京都新宿区高田馬場1-16-8
            アライヒルズグレース 2A
   諏訪の森法律事務所 弁護士 中川重徳 (東京弁護団事務局長)


【事件の概要】
(1) 当事者
ア 原告
  昭和20年8月6日に広島で被爆した被爆者及び8月9日に長崎で被爆した被爆者 (いずれも直爆被爆者のみならず、いわゆる入市被爆者・遠距離被爆者を含む) で、 提訴時に東京都内に在住の者。

イ 被告
  国、厚生労働大臣

(2) 請求の内容 (請求の趣旨) の概要
  厚生労働大臣が、原告らに対して、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律 (被爆者援護法) 第11条1項に基づき行った、 各原告の原爆症認定申請却下処分の取消し及び損害賠償請求。

(3) 請求の原因の概要
  「原爆症」 とは、被爆者援護法第11条1項によって原子爆弾の傷害作用に起因する旨認定される負傷又は疾病である。 被爆者健康手帳を保持する被爆者は、全国で約26万人おり、月額3万3000円程度の健康管理手当の支給を受けているが、 同法に基づき原爆症と認定された被爆者は、それに加えて月額13万円程度の医療特別手当の支給を受けることができる。

  被爆者援護法第10条1項によれば、原爆症の認定のためには、
  [1] 当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射線に起因すること、又は、当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射線に起因するものでないときは、 その治癒能力が原子爆弾の放射線に影響を受けていること (いわゆる起因性の要件)

  [2] 現に医療を要する状態にあること (いわゆる要医療性の要件)
が必要である。

  ところで、国・厚生労働省は、原爆症認定の起因性 (上記 [1] の要件) 判断にあたって、DS86・原因確率といった認定基準を用いているが、 この認定基準は、直爆放射線量のみを考慮し、残留放射線をほとんど考慮していないため、いわゆる入市被爆者 (原爆投下当時は広島・長崎市内にはいなかったが、 その後救護などの目的で入市し、残留放射線の影響を受けた被爆者等) や、 遠距離被爆者 (爆心地から2km以遠で被爆した被爆者) はほとんど認定されないことになる。

  実際、被爆者健康手帳所持者が26万人であるのに対し、原爆症認定を受けているのはわずか 2〜3000人程度に止まっている。

  そこで、国・厚労省に対して、DS86や原因確率といった誤った認定基準を改めさせるとともに、 新たな認定基準を策定して広く被爆者を救済させることを目的として提起されたのが本件訴訟である。

【提訴までの経過】
  戦後、被爆者運動については、一貫して日本原水爆被爆者団体協議会 (被団協) が被爆者の支援を行ってきた。 そうした被爆者運動の一環として、原爆症認定に関しても、個別の訴訟はいくつか行われており、いくつかの勝訴判決も得ていた (松谷訴訟、小西訴訟、東訴訟等)。 しかし、国・厚生労働省は、個別に判決が出ても、従来の誤った認定行政を全く改めようとはしなかった。 そこで、平成15年頃から全国で集団訴訟が順次提訴されて行き、東京でも平成15年5月に第1次訴訟の提訴がなされた。

【提訴後の手続きの経過】
  平成18年5月に大阪地裁で、7月には広島地裁で原告全員勝訴という画期的判決が下された。 その後、名古屋地裁、仙台地裁でも、一部ではあるが勝訴判決が下された。そうした中、平成19年3月22日、東京地裁は、原告30名中21名勝訴の判決を下した。 この訴訟は現在東京高裁で審理中である (1次訴訟)。また、平成18年10月に、第2次の集団提訴が行われ、こちらは現在東京地裁で審理中である (2次訴訟)。

<1次訴訟>
2008年3月27日の期日の内容
  放射線の急性症状等の立証のため、双方から1名ずつの専門家証人の主尋問が行われた。 国側証人は、独立行政法人放射線医学総合研究所緊急被ばく医療研究センターのセンター長明石真言氏。 その証言の概要は、放射線被爆による急性症状は、相当高線量の放射線被曝をしなければ発生しないものであり、 本件における原告らに生じた被爆直後の各症状は、いわゆる放射線被曝による急性症状とはいえないというもの。

  これに対し、原告側証人は、広島の福島生協病院の医師斉藤紀氏であり、上記明石氏の見解を真っ正面から批判する内容 (つまり、 入市被爆者や遠距離被爆者などの高線量被爆とはいえない場合にも相当数の急性症状が発症しているという事実) の証言を行うとともに、 近年争点となっている被爆者の慢性肝炎と放射線起因性の問題についての証言を行った。

2008年5月20日の期日の内容
  一審原告側及び国 (一審被告) 側双方から1名ずつの専門家証人の反対尋問。内容は、放射線急性症状及び慢性肝炎の原爆放射線起因性についてであった。
  国側の証人は、茨城県東海村の臨界事故や原発事故等と原爆被害者の急性症状を比較し、本件一審原告らにあらわれた、 原爆投下直後の下痢、吐き気、脱毛等のいわゆる急性症状が、放射線に起因するものではないと明確に言い切った。

  裁判外では、本年4月から、厚生労働省が新しい原爆症認定審査基準に基づく認定を行っており、実際には裁判の敗訴原告でもこの度新たに認定された者は多数いる。 このような状況の中で、国側は頑強にも従来の主張を全く改めようとしない。もはや誰が見ても国の主張は支離滅裂である。
  この間、仙台高裁、大阪高裁の画期的判決も相次いで出されており、国側はいよいよ追い詰められている。
  この勢いに乗って、裁判内外でより運動を強め、被爆者救済を勝ち取らなければならない。

2008年6月26日の期日は進行協議期日でした。
  現在、国は新基準に基づいて一審原告らの認定作業を行っている。 しかし、総合認定については、今後いつ頃までに認定作業を終えるかということは国は明らかにしていない。 これについて、一審原告側は、大まかな計画を出すように要請し、裁判所も国側に同じ要請を出した。
  今後の進行については、裁判所から、10月の終わり頃までに、認定された原告の取り下げ等を行うかどうかを決め、 12月の期日には最終準備書面を提出して弁論を終結したい旨の提案があった。
  一審原告側としては、国の認定に関する計画が明らかでない以上確約はできないが、双方、この裁判所に提案に向けて努力するということになった。

2008年7月24日の期日は、弁論期日で、一審原告側と被告側の双方が、パワーポイントを用いて双方の主張を行った。
  一審原告側は、原爆放射線の急性症状に関し、前回及び前々回の弁論期日で証言した国側の明石真言証人の証言について、 それは原爆被害の本質を理解していないものである旨の批判を行った。 国側も、急性症状についての主張を行ったが、本年4月から新基準による認定が開始され、多数の被爆者が認定されているにもかかわらず、 国の従来の主張は間違っていないという点に固執していた。

2008年9月4日の期日の内容:進行協議期日。
  一審原告側は、現在、肝炎、甲状腺機能低下症についての主張のまとめ、ABCCの信用性に関する準備書面をまとめていることを告げる。 国側は、10月30日の口頭弁論期日までに、国側の従来の認定基準である原因確立と、現在の新基準との関係等に関する準備書面の骨子を提出することを約束。 次回の弁論期日で、10月30日の証人尋問の採否を決定する。

10月30日の期日の内容:医師聞間元氏と証人友谷幾氏、原告林太荘氏の尋問が行われた。 聞間医師は、主に放射線急性症状論について、友谷証人は原告斉藤泰子氏の被爆状況、原告林氏は自身の被爆状況について証言した。

2008年12月18日の期日では、一審原告本人及び代理人の意見陳述と国側指定代理人による意見陳述が行われた。 原告本人の意見陳述は自らの被爆体験を中心に行われ、代理人による意見陳述は放射線起因性を中心に行われた。
  国側の意見陳述は、一審原告らの被曝線量は少量に過ぎず、一審原告らの申請疾病は放射線に起因するものではないという従来の主張の繰り返しであり、 昨年4月から始まった 「新しい審査の方針」 と、本裁判での国側の主張との整合性については何ら論じられなかった。

<2次訴訟>
2008年4月18日の期日は、進行協議期日でした。
  訴訟外で、4月から厚労省の新基準による認定作業が始まっており、集団訴訟の原告の中にも今回新たに認定された原告が出ている。 裁判所としては、今後の認定作業を見守り、最終的に認定される原告と、認定されなかった原告とに分け、認定されなかった原告に絞り込んで、 そこに審理を集中させたいとの思惑があるようである。 しかし、原告側としては、認定された原告も、国賠請求は残っているし、全ての原告の一括解決を目指しているので、 認定された者とされなかった者とで分けて審理を行うということは考えていない。

2008年6月20日の期日の内容
  4月から、厚労省が新基準を用いて認定作業を始めており、6月20日現在、全国の原告305名中142名が認定されている状況。 この中で、今後の訴訟の進行についての協議がなされた。国側が、7月末には今後の認定のスケジュールの概略を示すことになった。 新基準によって認定された原告と認定されなかった原告を裁判上どのように扱うか、特に認定されなかった原告をどうするかという点が主な協議内容。

  国側は、現在認定されていない原告について、新たに申請行為を行うように示唆。 しかし、原告側としては、医療給付が申請時に遡って給付されること、既に死亡している原告は申請が不可能なことなどから、 裁判前の申請行為が現在も有効であることを前提とし、新たな申請行為は行わない方針を明言した。 この方針の場合、すでに申請行為→却下処分→却下処分取消訴訟という流れにあるので、 新基準によって認定されなかったという事実を法的にどう評価するかが問題となる。 具体的には、新基準によって認定しないという点が行政処分と言えるかどうかという点である。この点は、次回継続協議となった。
  また、国側は、準備書面において、従来の原爆症認定基準が誤りではないと明言している。 しかし、この点は、現在新基準によって認定している事実と明らかに矛盾した主張である。国側は、次回までにこの点も再度検討することになった。

2008年7月24日 (2次訴訟) の期日は、進行協議期日。
  本年4月から始まった新認定基準は、まず第1段階で、爆心地から3.5キロ以内の被爆者ないし、原爆投下から100時間以内に爆心地に入市した被爆者を認定し、 次に第2段階で、第1段階の審査から外れた被爆者について、その他の事情等を総合判断して認定するか否かを判断するという構造がとられている。 現在、訴訟の原告についての第1段階の審査は終了し、何人かの原告は認定された。 しかし、第2段階の審査がいつ終わるかの見通しが立たないため、この訴訟の審理も事実上ストップしている状態。
  第2段階の審査に今後も時間がかかる場合、訴訟の審理を平行して進めなければならないが、 その際、国側が従来の認定基準に基づく主張を維持するのかどうかが議論された。最終的な結論は出ず。

2008年9月18日の期日の内容:進行協議期日。
  今後の進行について、裁判所から提案が出された。それは、
@ 2次訴訟の認定原告15名及び未認定原告13名の国賠請求を取り下げていただき、別訴を起こしていただく。 未認定原告13名の処分取消について早期に審理・判決する。場合によれば3次訴訟以降の未認定原告17名も一緒に進めることができよう。
A 同じ前提で、認定原告15名の国賠請求を取り下げていただき、別訴を起こしていただく。未認定原告13名は国賠も併せて審理する。 これならそう遅れることもないと思う。但し、3次以降の17名の併合は難しい。
B @ A がダメなら、28名を同時に進行させるが、国賠をきちんと審理するには、認定された15名についても個別立証が必要なので、 時間がかかることは覚悟してもらわなければならない。
というものであった。
  この問題は、原告側にとっては、今後の裁判の流れに大きく影響する極めて重要な事項であるので、次回の進行協議期日までにこの点を検討することになった。

10月7日の期日の内容
  進行協議期日。来年1月から、毎月受命裁判官により、原告本人尋問が行われることが決定し、その具体的な日時等の調整が行われた。

2009年1月27日 前回期日では、原告3名の原告本人尋問が行われた。 3名とも老齢であるにもかかわらず、自らの壮絶な被爆体験をそれぞれ明快に証言した。 被爆体験だけでなく、その後の人生にいて常に体調不良に苦しんだこと、被爆者であることによる差別に苦しめられ、 結婚や出産という場面でも常に不安に苛まれていたことなど、被曝後からこれまでの長い人生の中でも被爆の体験が大きく影を落としていることが分かった。

2月24日の期日の内容と評価
  原告3名の本人尋問手続が行われた。はじめに原告代理人による主尋問、その後国側代理人による反対尋問の順。 いずれの原告も、昨年3月に策定された厚労省の新基準によって認定されなかった原告である。 各原告の被爆経路や入市の時期、疾病と被爆との因果関係 (疾病論) が主な争点となった。

3月24日の期日では、原告3名の本人尋問 (主尋問及び反対尋問) が行われた。 うち1名は要医療性が、もう1名は疾病論 (いわゆる生活習慣病と放射線起因性) が争点でした。

4月22日の期日では、原告本人尋問 (2名) と証人尋問 (原告の親族) が行われた。 これまで4期日にわたり、2次訴訟原告のうちの未認定原告 (いわゆる新基準でも未だ認定されていない原告) に的を絞って本人尋問が行われた。 いわゆる非ガン疾患 (特に、脳梗塞、心筋梗塞、甲状腺機能亢進症等) について被告国側は放射線起因性を争っており、今後はその点の立証が中心となる。

6月10日の期日の内容は以下のとおり。
  原告及び被告双方の意見陳述が行われた。原告代理人の意見陳述では、弁護団の若手3名がパワーポイントを用い、原子爆弾のメカニズム、 被爆の実態、これまでの全国の集団訴訟の経過などを説明した。
  被告の意見陳述は、5月28日に東京高裁判決 (1次訴訟) が出された直後でもあったためか、 これまでのように 「原告らは被爆していない」 などの荒唐無稽な表現はあまりなく、むしろ、集団訴訟の各判決に従えといっても、 各判決で必ずしも基準が統一されておらず、行政としても困惑しているという趣旨の、いわば泣き落としに近い内容であった。

  7月7日の期日では、専門家証人である聞間元医師による、心筋梗塞、脳梗塞、及び甲状腺機能亢進症の放射線起因性についての証言がなされた。
  こうした生活習慣病の症状でもある疾病についても、実は放射線が相当程度寄与している事実を明らかにした。 積極認定すべき疾病についての判断に、大きな影響を与えるものと考えられる。

【裁判外の出来事】
  全国での度重なる国の敗訴判決を受け、2007年、安倍首相 (当時) は厚労省に対し、原爆症認定基準の見直し作業を指示した。 これを受けて、厚労省は新しい原爆症認定の基準作成を始めた。
  そして、今年に入り、厚労省は、「爆心地から 3.5km以内の被爆者及び原爆投下後100時間以内の入市被爆者」 については積極的に認定する旨の新基準を作成した。 しかし、この基準では、救済されない被爆者が大勢いること、また、この基準では、裁判で勝訴した原告でも救済されない場合があり、まだまだ問題が多い。
  一方、4月から6月にかけて、また全国の裁判所で判決が相次いで出される予定であるので、今一度運動を盛り上げ、よりよい認定基準に改めさせることが重要である。

【一言アピール】
  原告ら被爆者の中には、被爆後長年体調不良に悩まされる、近親者に癌を発症した者がいないにもかかわらず多数回癌を発症するなど、 筆舌に尽くしがたい苦労をしてきた者が多い。

  しかし、国・厚労省は、予算の制約を理由に、原爆 症の認定を極端に制限するという、いわゆる被爆者切り捨て行政を長年行ってきた。 原告ら被爆者はいずれも高齢であり、原告の中には判決を聞くことなく亡くなった者もいる。原告ら被爆者には時間は残されていない。 早急な被爆者の救済を実現するため、国・厚労省の誤った認定行政を改めさせるため、断固として闘わなければならない。

文責 弁護士 吉田悌一郎