2010.7.5更新

国鉄闘争勝利! 対鉄建公団訴訟
事件名:国鉄闘争勝利! 対鉄建公団訴訟
内  容:組合差別による不当解雇の無効を争う裁判です。
当事者:JR不採用とされた国労闘争団員と遺族ら297名
       VS 独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構
         (国鉄清算事業団を承継した旧日本鉄道建設公団)
係属裁判所:最高裁判所
        事件番号 平成21年(ネオ)第252号
  和解成立:2010年6月28日午前10時30分から最高裁第三小法廷(那須公平裁判長)・会議室において、「裁判上の和解」 手続きが行われ、和解が成立した。
  この手続きの場には、五つの訴訟の弁護士が参加し、被告・鉄道運輸機構訴訟の代理人も出席する中、和解条項の確認がされた。
     【和解証書】
 なお、6人は和解を選択せず、訴訟を継続している。
紹介者:指宿昭一弁護士


【事件の概要】
(1) 請求の内容
  国鉄民営化の際に組合差別により解雇された原告らが、
ア 1990年4月の解雇無効、それに伴う鉄建公団への地位確認及び未払賃金の支払い
イ 国鉄・清算事業団の不法行為に基づく請求として、慰謝料1000万円、謝罪文、地元JRへの採用要請文の交付・掲示
ウ 国鉄の不法行為に基づく予備的請求として、JRに採用されたら得られたであろう賃金・退職金・年金相当損害金

の支払をもとめている裁判

(2) 原審原告らの主張
ア 1987年の国鉄によるJR採用候補者名簿作成は組合差別の不当労働行為であるから、不法行為であり、解雇は無効である。
イ 解雇回避努力義務・説明義務が尽くされておらず、整理解雇の4要件が尽くされていないので、不法行為であり、解雇は無効である。
ウ 清算事業団収容後も、一貫として不当労働行為をしてきたから、不法行為であり、解雇は無効である。
エ 清算事業団は地元JRへの就職を斡旋する義務があったのに、これを果たさないでした解雇は違法、無効であり、 被告には地元JRに採用要請文を交付しなければならない。
オ 上記の国鉄・清算事業団の行為は団結権・人格権侵害、名誉毀損であるから謝罪文を交付しなければならない。

【訴訟経過】
  2005年9月15日、東京地裁民事36部 (難波裁判長) は、裁判所として初めて採用差別の不当労働行為を認定し、 原告らの 「期待権」 を侵害したとして慰謝料 (1人500万円) とその利息の支払いを命じた (難波判決)。
  これは、不当労働行為を認定した点では重要だが、期待権の侵害に対する賠償にとどまり、5名の請求を棄却した点で不十分なものであり、 「折衷案判決」 と評されている。
  現在は、東京高裁民事17部で控訴審の審理が行われている。

【事件の背景】
(1) 国鉄分割・民営化という国家的不当労働行為
  今から20年前、時の中曽根政権 (1985年〜87年) は、「国鉄の再建には分割・民営化しかない。」 という大々的にキャンペーンを展開し、 これに反対する国労・全動労・動労千葉の各組合に対しては、JR不採用の脅しによる組合脱退・会対抗策が苛烈に行われた。 国鉄は分裂し、組合員は4分の1以下に減少し、この過程で国鉄職員の自殺者は約200人に及んだ。

  中曽根元首相は後に、国鉄分割・民営化の戦略的狙いを、「国労を潰して総評を潰し、護憲勢力を根こそぎにして、改憲への道筋をつける。」 とともに、 「利潤原理」 を労働者・国民に浸透させ、「この国のかたち」 を根本的に変えていこうというものであったと語っている。
  1986年4月から翌年4月までに7万7020名が国鉄を退職させられ、JR各社に採用されたのは20万0650名であり、 北海道・九州を中心に国労・全動労などに所属していた7628名の国鉄職員が、国鉄を承継した国鉄清算事業団に送られ、 その内、1047名が3年後の1990年4月に解雇された。
  まさに、国鉄分割・民営化は、「この国のかたち」を変えるために強行された国家的不当労働行為であった。

(2) 国鉄闘争の経緯と 「四党合意」
  1997年、国労・全動労・千葉動労は、JR各社を相手として、不当労働行為の救済としてのJR職場復帰を求めて全国の地労委に救済を申し立て、 1988年以降、すべての地労委でJR各社の不当労働行為を認め、採用取扱いを命じる勝訴命令を得た。にもかかわらず、 前述のように、清算事業団は1047名への解雇を強行した。各組合は闘争団・争議団を組んで長い闘いに入った。

  1994年以降、中央労働委員会は、JR各社の不当労働行為を認めたものの、一部の者の救済を否定するなどの命令を出した。 JR各社、組合双方がこれに対して東京地裁へ行政訴訟を提起した。
  1998年5月28日、東京地裁は、JR各社に使用者性がないとしてJR各社の不当労働行為を否定し、中労委命令を取り消す逆転判決を出した。 これを受けて動揺した国労本部は、2000年には 「JRに法的責任なし」 を認め、 裁判取り下げを先行させるという自民・公明・保守・社民の 「四党合意」 承認を7月の臨時大会に提起した。 多くの闘争団員やその家族の反対のまえに、臨時大会は休会となったが、2001年1月の大会で、会場周辺を機動隊で制圧し、「四党合意」 承認を決定するに至る。 同日、36闘争団のうち18闘争団と7闘争団員有志が 「私達は要求実現まで、政府・JRを相手に闘い続けます。」 という反対声明を公表した。

(3) 「闘う闘争団」 による鉄建公団訴訟提起
  2002年1月、国労闘争団有志283名 (後に追加して295名) が、旧国鉄清算事業団=鉄道建設公団に対して地位確認、慰謝料、 名誉回復措置を求める訴訟を東京地裁へ提起した。 これが鉄建公団訴訟である。原告団を支援する共闘会議も、約20万名を傘下にして結成された。

  2003年12月、JR差別事件で最高裁は、国労・全動労のJR相手の採用差別に関する不当労働行為救済申立事件で、 「JR各社の使用者責任」 を免罪する不当判決を出したが、その判決文中で 「不当労働行為があったとすれば、国鉄、清算事業団は責任を免れない。」 ことを明言した。
  2003年、鉄建公団は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構に再編される。2004年11月には、国労闘争団有志9名 (現在、追加者含めて35名) が、 鉄道運輸機構を相手に第2次訴訟を提起。同年12月には、動労千葉争議団9名、全動労争議団58名が相次いで鉄道運輸機構相手に訴訟を提起し、 裁判は労働組合の枠組みを超えて広がっている。また、国労・全動労・動労千葉3闘争団・争議団を中心とした集会開催等の大衆運動も取り組まれた。

(4) ILO国賠訴訟の提起
  中労委を取り消した東京地裁判決に対して、1998年、国労・全動労は ILO事務局は日本政府の98号条約 (反組合的差別待遇に対する保護) 違反を申し立て、 結社の自由委員会で受理された。1999年11月、結社の自由委員会は、団結権侵害の事実を暗黙の前提とし、その回復を求めた中間勧告を行った。

  しかし、日本政府は2000年2月に反組合的差別はなかったとする虚偽情報を ILOに提供したため、同年10月の結社の自由委員会は、反組合的差別の存在を否定し、 「四党合意」 受入を勧める最終勧告を行った。
  2004年5月、鉄建公団訴訟原告団長他が、ILOに虚偽情報を提供した日本政府に対し謝罪広告掲載と慰謝料支払いを求める国家賠償請求訴訟を、 東京地裁に提起。2007年6月、東京地裁は請求を棄却する判決を出した。原告は控訴し、東京高裁で審理中。

(5) 鉄建公団訴訟判決 (難波判決)
  2005年9月15日、東京地裁民事36部 (難波裁判長) は、裁判所として初めて採用差別の不当労働行為を認定し、 原告らの 「期待権」 を侵害したとして慰謝料 (1人500万円) とその利息の支払いを命じた(難波判決)。
  現在は、東京高裁民事17部で控訴審の審理が行われている。

(6) 「JR採用差別問題」 全面解決に向けて
  2006年12月、国労及び闘争団 (追加提訴を含み542名) は鉄道運輸機構に対し損害賠償請求を求める訴訟を、東京地裁に提訴した。 また、横浜地裁にも3名が地位確認と損害賠償請求を求める訴訟を提訴した。
  上記難波判決後、4つの訴訟原告団 (4者) と組合及び支援団体 (4団体) が連携して、共同行動を行う体制が形成され、 「JR採用差別問題」 全面解決に向けた取組みが行われている。2007年11月には、4者4団体主催で、「『JR採用差別』 全面解決を迫る全国大集会」 が行われ、 7300名が結集した。

【前回期日の内容】
  2008年6月2日
  葛西敬之氏 (元国鉄本社職員局次長、JR東海会長、国家公安委員) の証人尋問が行なわれました。
  葛西証人は、「JRの採用への採用は所属組合ではなく、個人の知識技能や実績、日常の勤務評定から判断した」 として組合差別を否定しました。
しかし、他方で 「(採用の判断材料の一つとして) 分割民営化に反対しているより、積極的に関わっていることは重要な要素」、 「国労脱退はプラスに評価された」 などと組合差別を事実上認める証言もありました。

  2008年7月14日
  嶋田俊男 (元 国労本部副委員長) 氏への尋問が行われ、「処分論」 「時効論」 で激しい舌戦が展開された。
  今後の裁判の進行に関して南裁判長は 「ソフトランディングできないか?」 と、原告・被告双方に対し、裁判外での話し合い解決を促した。

  2008年9月24日
  和解と裁判についての進行に関する意見を双方が述べた。

  2009年3月25日 判決 (東京高等裁判所民事第17部 南敏文裁判長)
  一審被告・鉄道・運輸機構、即日上告。
  2009年4月7日 一審原告、上告。速報

【控訴審判決の内容】   控訴審判決は、一審判決を基本的に支持し、弁護士費用分だけ増額したものの、一審原告の控訴を事実上棄却しました。
  判決は、高裁段階で初めて、JR採用に当たって不当労働行為があったこと、 消滅時効の起算点は中労委のJR各社に対する救済命令の取消訴訟が最高裁判決により確定した2003年12月22日であると判示し、 一審原告の22年間の闘いが正しかったことを証明しました。
  しかし、「国鉄改革法23条」 による全員解雇−選別雇用という不当労働行為の根源となった枠組みを全面的に承認し、「国鉄改革法23条」 を憲法28条、 労働組合法7条よりも上位におくという根源的誤りを犯した上で、不当労働行為に基づく解雇を容認しました。
  賠償額もほぼ一審同様一人当たり金550万円であり、到底22年間の労苦に報いるものではありません。 元国鉄幹部葛西の証人尋問により、国鉄の不当労働行為の実態がより鮮明になったにもかかわらず、解雇を容認し、一審判決をなぞっただけの本判決は、 司法の責任を放棄するに等しい不当判決です。
  しかも、一審判決で停職処分などを理由として不当にも請求棄却された5名を引き続き請求棄却としたのみならず、さらに同理由での請求棄却者を拡大しました。 また、清算事業団における広域採用辞退者については請求を減額するなどの不当な判断もしています。

  「一人も路頭に迷わせない」 「組合差別があってはならない」 との大臣答弁や参議院決議にもかかわらず、組合差別により解雇されて22年、 原告団及びその家族は、就職差別、結婚差別などあらゆる差別、偏見と闘い、苦難の道を歩んできました。 22年間に1047名の仲間のうち52名が亡くなっています。解決をこれ以上引き延ばすことは、団結権の保障に反するばかりでなく、人道的にも許されません。 被告鉄道・運輸機構は上告を断念するとともに、直ちに不当労働行為を謝罪した上で、解雇を撤回して 「JR等の雇用、年金補償、 解決金の支払い」 の要求を実現する解決の方針を示すよう強く要求していきます。
  また、前記最高裁判決は、JR各社の責任を免除する反面で国鉄の責任を認めたのですから、最高裁の責任としても、 長期にわたる本件紛争の解決の方向を示すべきと考えています。

   資料 判決要旨
       原告団・弁護団声明

【連絡先等】
  ○鉄建公団訴訟原告団事務局
  東京都千代田区飯田橋3-9-3 SKプラザ3F
  電話 03-3511-3386 FAX 03-3511-3386

 ○弁護団事務局長
  東京都渋谷区桜丘町4番23号 渋谷桜丘ビル8階
  渋谷共同法律事務所
  電話 03-3463-4351 FAX 03-3463-4345
  弁護士 萩尾健太

文責 弁護士 萩尾健太


音威子府闘争団家族の藤保美年子さんの訴え


【参考資料】
(1) 動画
(2) DVD

〈全国300ヶ所・世界5ヶ国で上映〉
「人らしく生きよう−国労冬物語」
  (完全自主作品・2001年劇場公開版・
平和協同ジャーナリスト基金奨励賞・英語版、フランス語版あり)

〈長編ドキュメンタリー〉
「レールは警告する−尼崎事故とJR東日本」
(JRの危険職場をドキュメント・英語版あり)
「人らしく生きようパート2/新たな出発」(完全自主作品・2004年)

〈国鉄闘争・記録ビデオ〉
「国鉄改革の真相」(2006年・18分・3000円)
「走る男」(中野勇人さんのランニングキャラバンの記録。2005年・28分・2500円)
「鉄建公団訴訟 9・15判決ドキュメント」(2005年・25分・3000円)
「勝利をつかもう−鉄建公団訴訟の歩み」(2005年・13分・2000円)
「洗脳教育」(JRの人間づくりの原型・94年・3000円・緊急復刊・英語版あり)
「検証・反国労キャンペーン」
(1982年のメディアキャンペーンの実態・10分・2000円)
「国労闘争団日記―2001年冬〜2002年秋」(集会向き)
「われわれは絶対勝つ−闘う闘争団の歩み」(集会向き)
「戒厳令下の国労大会−マスコミが伝えなかった真実」(集会向き)
「国労第67回定期大会ドキュメント」(集会向き)
「四党合意撤回を求めて 「7.1国労臨大ドキュメント−闘争団・家族の熱い一日」(集会向き)
「譲れない闘い−国労闘争団の12年」(国鉄解雇問題を知る入門ビデオその2)
「背面監視−JRベンディング職場からの告発」
(JRの本当の実態・英語版あり)
「JRに人権を−国労闘争団の歩み」(国鉄解雇問題を知る入門ビデオその1)
「JR無法地帯−東労組はこうして国労組合員を脱退させた」
(高崎で起きた異常な事件)