東京大空襲訴訟
事件名:東京大空襲訴訟
係属機関:最高裁
2012年に言い渡された高裁判決を不服として、上告・上告受
理申立をしたが、2013年5月8日に上告棄却、上告不受理
の決定。
紹介者:林 治弁護士
連絡先:東京空襲犠牲者遺族会HP
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【事件の概要】
<当事者>
原告 東京大空襲の被害者(遺族原告含む) 112名
弁護団 札幌弁護士会から沖縄弁護士会まで 112名
被告 国
<請求の内容>
国に対して謝罪と総額12億3200万円の損害賠償の請求
<東京大空襲とは>
1945年 (昭和20年) 3月10日午前0時7分から、来襲したアメリカのB29爆撃機325機により33万発もの焼夷弾が、
深川、本所、浅草を中心とする下町の住宅密集地28.5平方キロメートルに集中投下され、わずか2時間半で犠牲者10万人余、被災者100万人、
焼失家屋約27万戸余の被害を与えた無差別絨毯爆撃をいう。
通常兵器による空襲では世界史上他に例を見ず、後の広島の原爆にも匹敵する大被害であった。
<原告らが主張する被告国の責任根拠>
1 外交保護義務違反
東京大空襲は無防守都市に対する無差別攻撃であったので、明らかに国際法違反である。
そのため東京大空襲の被害者はハーグ陸戦条約3条に基づき国際法違反の空襲を行ったアメリカ政府に対して損害賠償請求権がある。
しかし、日本政府は対日平和条約により空襲被害について、国際法上の外交保護権を放棄した。
これにより、東京大空襲の被害者はアメリカ政府への損害賠償請求権の行使が著しく困難または不可能になった。
この外交上の不保護は違法な 「公権力の行使」 にあたる。
なお、欧州の平和条約中には放棄条項と同時に国内補償条項が存在するが、日本の平和条約中には放棄条項のみで国内補償条項は存在しない。
2 不作為責任
(1) 空襲をもたらした日本政府の先行行為 (侵略戦争開始、重慶無差別爆撃、戦争終結遅延) に基づく条理上の義務、
(2) 憲法の幸福追求権、平和的生存権などの基本的人権ないし憲法の基本理念から導かれる作為義務から国は救済義務を負っているにも関わらず、
これを懈怠したこと (行政不作為、立法不作為) が違法である。
3 不合理な差別
戦後の戦争被害補償制度では、一部の例外を除いて国は軍人・軍属 (戦闘任務以外の軍に必要な用務に従事する人たち) のみを対象とし、
民間人被害者については対象としてこなかったことは不合理な差別であり憲法14条の平等原則に反する。
なお、国際的には戦争被害補償制度では、国民平等主義 (軍人・軍属と民間人を区別することなく平等に補償すること)、
内外人平等主義 (自国民と外国人を区別することなく平等に補償すること) が共通する特徴となっている。
【訴訟までの経過】
戦前は、「戦時災害保護法」が存在し、一般国民に対しても戦争被害に対する補償がなされていたが、戦後廃止される。
しかし、その一方で軍人恩給は戦後一旦廃止されたあと、復活している。
1 戦前の戦争被害補償・援護制度
1878年(明治11年)
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戦役死傷者扶助料概則(西南戦争の事後策)
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1883年(明治16年)
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陸軍恩給令 海軍恩給令
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1890年(明治23年)
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軍人恩給令
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1917年(大正6年)
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軍事救護法
日露戦争を契機に戦死者遺族救済のため救護法制定運動がおこり政府が提案。
傷病兵や下士兵卒、その家族遺族を救護。軍人恩給が権利であったのに、救護は国家の温情という形をとった。
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1923年(大正12年)
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恩給法制定
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1937年(昭和12年)
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軍事扶助法公布
軍事救護法を改正した。救護法よりも給付水準が高い、選挙権剥奪されなかった。「生活不能」から「生活困難」へ要件を緩和。援護の範囲は、(1)入営もしくは応召した軍人とその留守家族に対する援護 (2)傷痍軍人およびその家族に対する援護 (3)戦没者遺族にたいする援護 (4)帰還軍人およびその家族に対する援護。
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1942年(昭和17年)
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戦時災害保護法制定
空襲被害者など一般国民に対し、戦後廃止されるまでの4年間に、この法によって12万7千人の民間戦災者、傷害者、同遺族に対し、救済、補償がなされていた。戦争被害に対する補償が不十分ながらも存在していた。
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2 戦後の戦争被害補償・援護制度
1946年(昭和21年)
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軍人恩給廃止
軍事扶助法、戦時災害保護法廃止
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1952年(昭和27年)
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戦傷病者戦没者遺族等援護法制定
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1953年(昭和28年)
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恩給法改正(軍人恩給復活)
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1970年代〜
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「戦時災害援護法案」 の制定を求める運動。この法案の請願はすでに五十数回に及んでいたが、審議未了や廃案が続き実現には至っていない。
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1987年(昭和62年)
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名古屋空襲の戦傷病者2人が上告人となった、名古屋空襲犠牲者慰藉料等請求訴訟の上告審において、
最高裁判所は、「戦争犠牲ないし戦争損害は国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民のひとしく受忍しなければならなかったところ」 とし、
「戦争犠牲者の人的損害を補償し、あるいはその救済のためどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量に委ねる」 との判決。上告は棄却される。
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日本の戦没者の内訳はおおむね以下の通りである。
軍人・軍属 |
230万人 |
民間人 |
外地 |
20万人 |
内地 |
広島・長崎の原爆 |
30万人 |
沖縄戦 |
10万人 |
東京大空襲 |
10万人 |
その他の空襲等 |
10万人
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軍人・軍属およびその遺族に支給されている恩給、援護・遺族年金は現在でも年額1兆円を超えている。
軍人・軍属にはこれだけ手厚い補償をしておきながら、
そのおよそ11分の1弱にすぎない民間人空襲被害者 (東京大空襲の被害者でみるとおよそ23分の1) には国は全く補償してこなかったのである。
【争 点】
1 戦争被害論 (受忍論)=戦争の犠牲は国民が等しく受忍しなければならないという理論
原告らは、「戦争時」 に生じた空襲被害そのものに限って賠償を求めているわけではなく、被告が何ら救済措置をとらず、原告らを放置し続けてきたことにより、
「戦後」 に生じた被害に対する賠償を求めているものである。
そもそも、受忍論は、「戦争損害は、憲法の枠外の損害であり、補償を要しない」という前提に立っているが、原告らは、この前提自体が誤りであり、
日本国憲法は前文等において日本国家が戦後補償を行なうことを要請しているものと考えている。
2 被告の訴訟態度
被告は、原告らの事実上の主張についてさえ認否をしていない。そのため、原告らは、東京大空襲とその後の2ヶ月の空襲における民間被害の実情、
空襲で両親を失って孤児になった児童の個別調査をしたのか、したとすればどの官庁が、いつ、どのような方法で調査し、
その結果はどのようなものであったのかについて釈明を求めた。
しかし、被告は原告らの請求それ自体または主張自体失当であるから、認否の対象となる要証事実は観念できないとして、
「釈明の要を認めない」 という態度をとっている。
被告の態度は、原告らの主張に答えないという不誠実なものである。
【東京大空襲訴訟の今日的意義】
1 被害者救済
被害の実態を明らかにし、現在まで全く救済されてこなかった空襲被害者の救済を目指す
2 空襲の国際法違反、非人道性を明らかに
無防守都市への無差別空爆は国際法上違法、さらには空襲そのものの違法性、非人道性を明らかにする
3 戦争補償制度を問い直す
歴史的・国際的観点から日本の戦争補償制度を問い直し、軍人・軍属と民間人・外国人を区別することなく戦争被害者を救済することをめざし、
戦争補償制度を問い直すものとする
・東京地裁判決要旨 2009年12月14日
・原告団弁護団声明 2009年12月14日
・参考パンフレット 2011年2月
文責 弁護士 林 治


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