2013.10.29更新

産経グループ従業員労働委員会命令取消請求訴訟

事件名:労働委員会命令取消請求訴訟
事件の内容:産経新聞グループ企業から解雇された記者の所属する労
        働組合が配転・解雇などを不当労働行為として都労委に
        救済申立を行ったが、都労委の判断は、民事訴訟の最高
        裁での解雇を認める判断が出るまで棚晒しされたうえ、都
        労委の判断を受けた中労委の判断も民事訴訟に追従す
        るものだった。そこで、記者が所属する労働組合が委員
        会の命令の取消を求めて提起した訴訟。
係属機関:最高裁
控訴審判決
   判決言渡 2012年10月25日
   主文 本件控訴を棄却する。
上告審決定
  決定日 2013年10月15日
  主文  上告を棄却する
       上告審として受理しない
  ・ 最高裁不当決定に対する抗議声明 2013年10月24日
紹介弁護士:萩尾健太
関連ウェブサイト

【解雇に至る経緯】
  1994年1月に結成された反リストラ産経労の委員長で、 日本工業新聞社 (現紙名=フジサンケイ・ビジネス・アイ) の論説委員でもあった松沢弘さんが解雇されたのは同年9月。実に16年越しの事件になる。
  反リストラ産経労は、同年2月1日付で千葉支局長への配転を命令された松沢さんの配転撤回などを求めて26回にもわたり団体交渉を求めた。 しかし日本工業新聞社経営陣は、ことごとく団交の要求を拒否し、配転先での業務命令拒否を理由に松沢さんを懲戒解雇した。
  日本工業新聞社は、産経新聞社のグループ会社であり、従業員は全員、産経労働組合 (産経労組) というユニオンショップ制の企業内組合に加入していた。 しかし産経労組は、労働者が使用者と真に対等に渡り合えるよう憲法上付与された争議権を放棄し、執行委員長が産経新聞社の取締役会に出席し、 経営執行機関である定例局長会の正規メンバーになるなど、組合員の要求を露骨に封じ込めるいわゆる 「御用組合」 であった。
  松沢さんは、「産経残酷物語」 の異称で知られる、相次ぐリストラ・合理化攻勢に対抗するため、産経労組とは一線を画した、真っ当な労働組合を立ち上げようと、 同年1月に反リストラ産経労を結成したばかりであった。
  日本工業新聞社経営陣にとって、松沢さんが長く煙たい存在だったことは容易に想像できる。大蔵省、日銀担当など経済記者の花形ポストを歩み、 数々のスクープ記事を書いた。その一方で、組合員としては、反主流派を貫き、組合の大会代議員選挙などに何度も立候補した。
  そこで、会社は、わざわざ論説委員会付き編集委員のポストを新設して、松沢さんを編集局から追い出し、社長の特命事項のみを担当させるかっこうで筆を取り上げた。 その後、産経労組との労働協約上 「非組合員」 となる論説委員に祭り上げて、産経労組における反主流派活動を抑え込もうとしたのである。 論説委員といっても日本工業新聞に 「社説」 はない。インタビュー記事程度しか書くことができない、「名ばかり」 ポストであった。

【提訴に至る経緯】
  反リストラ産経労は早くも94年2月に、東京都労委に配転や団交拒否などに対する不当労働行為の救済を申し立てていた。 にもかかわらず、東京都労委は、その後、解雇された松沢さん個人の解雇無効訴訟の結論を待とうと、独自の結論を出すことなく、事実上、審査をサボタージュして、 模様ながめを決め込んだ。
  解雇無効訴訟は、2002年に東京地裁で勝訴したものの、東京高裁で逆転敗訴し、2005年最高裁で敗訴が確定。 結局、2006年末の都労委命令を経て中労委の結論が交付されたのは去年5月であった (ともに、不当労働行為には当たらないと判断した)。 そこで、昨年11月18日、反リストラ産労は中労委の再審査棄却命令取り消しを求めて東京地裁に行政訴訟を提起した。

【一言アピール】
  この問題を長期間にわたり、たなざらしにした労働委員会の責任は重い。 ことし1月29日の第1回口頭弁論では、弁護団を代表して高橋右京弁護士が意見陳述し、真っ先にこの点を指摘したのは当然のことである。
  松沢さんが解雇された1994年9月は、自民・社会・さきがけの連立政権時代であり、首相は村山富市であった。 47歳の働き盛りであった松沢さんは現在62歳、この間、何人の首相が就任してはその地位を去っていったことだろう。 日本工業新聞社の親会社である産経新聞社は、部数が少なく経営の重荷となっていた東京地区での夕刊発行を2002年3月に打ち切り、 さらに今年1月には、通常の退職金に基準内賃金55カ月分を上乗せするという破格の好条件で希望退職の募集を打ち出した。 新聞経営を取り巻く環境も一段と厳しくなり、リストラはますます進行している。
  裁判では、不当労働行為の認定を勝ち取るとともに、解雇無効訴訟との結論の整合だけに目をとられ、 「労働者・労働組合の早期救済」 という職責を忘れた労働委員会の責任も厳しく問い直してゆきたい。


  地裁判決:2010年9月30日、請求棄却(原告敗訴) → 関連記事

  ・ 控訴審 判決 2012年10月25日
  ・ 控訴審 判決声明 2012年10月25日
     労働組合・反リストラ・マスコミ労働者会議・産経委員会
     不当労働行為救済命令取消訴訟控訴人弁護団

上告審決定
  決定日 2013年10月15日
  主文  上告を棄却する
       上告審として受理しない
  ・ 最高裁不当決定に対する抗議声明 2013年10月24日

文責 弁護士 北神英典