2008.9.11

憲法9条と日本の安全を考える

弁護士 井上正信
目次  プロフィール

アフガニスタンは今どうなっているのか
9・11事件7周年にあたり
1、 ペシャワール会の現地日本人スタッフが誘拐され殺害されたことに、大変衝撃を受けました。日弁連の有事法制問題委員会の最中に飛び込んできた知らせに、 あのペシャワール会までもが、と思わず絶句せざるを得ないほどでした。事件の真相はこれから徐々に明らかになるので、それまでは断定できませんが、 すくなくともアフガニスタンの現状はそれだけ危険な状態になってきたということだけは断定できます。

  それにもかかわらず、日本の政界に目を向けると、自民党総裁選挙で各候補者は、相も変わらず給油新法の継続を掲げています。 彼らには、アフガニスタンの情勢を踏まえて、復興支援のため日本がどのような貢献をすべきか、出来るのかということを真剣に考えるのではなく、 対米貢献 (従属) と重油供給ルートの安全を軍事力で守るという狭い国益観念に立った議論しかしません。もっと言えば権力闘争の手段として利用するのです。

  私は、さらに、政府与党が臨時国会へ給油新法の継続法案を提出し、これに反対する民主党に対して米国から圧力をかけさせ、 あわよくば次期通常国会で一気に自衛隊海外派兵恒久法を自公民で成立させようという政治的思惑が出てくるのではないかと予想しています。

  憲法九条に違反するこの政策は、日本を益々世界から孤立させ、かつ日本の安全を損なうものであると思います。

2、 元米国防総省情報分析官が書いた 「アフガニスタンにおけるタリバンの活動状況:戦術の転換 (2008年3月)」 によると、 タリバンは今年に入り明らかに戦術を転換したようです。これまでの自爆テロ攻撃、IED ( Improvised Explosive Devise 即席爆弾) 攻撃から、 タリバン勢力圏内で孤立した前哨基地への攻撃を仕掛けるようになりました。 タリバンの副司令官は 「予想外の目標に対して攻撃を仕掛け、敵をアフガニスタンから追放する」 と公式に表明しています。

  8月19日、カブールからわずか東方50キロ地点で、ISAF傘下の仏部隊はタリバンから攻撃を受け、10名が戦死したと新聞報道がありました (8月20日付共同通信配信)。 記事を見ますと、18日偵察活動中の仏軍部隊とアフガニスタン国軍はタリバンの待ち伏せ攻撃を受け、19日まで夜どうしで戦闘が続いたそうです。 私はこれを読んで、アフガニスタンの軍事情勢は大きく変わったと感じました。タリバン部隊は、正規軍へ長時間攻撃を続行することが出来たからです。 仏軍部隊とアフガニスタン国軍がどの程度の規模の部隊であったかは不明ですが、数十名以上であったことは間違いないでしょう。 長時間の戦闘を行うためには、それだけの兵員と戦闘物資を必要とします。後方からの補給も必要でしょう。 この事件は、タリバンがごく少数の部隊によるヒット・エンド・ラン攻撃から、正規軍と互角に戦闘できるだけの組織された軍事力へ成長していることを示しています。

3、 タリバンの戦術転換により、今年に入りNGOへの攻撃が増加しています。2008年1月から3月までの間に、直接攻撃は29回 (内タリバンが16回、犯罪者集団13回)、 NGO職員11名死亡、12名が誘拐されています。これは、既に昨年度を死者の数で上回ります。 タリバンの戦術は、カルザイ政権を打倒するため、海外からの援助や投資を阻止しようとしているのです。 また、タリバンは犯罪者集団とも協力関係を結んでいるとも指摘されています。

4、 この情勢に対して、米国はイラクから兵力を引き抜いてアフガニスタンへ向けようとしています。 民主・共和両党の大統領候補もアフガニスタンへ兵力を増強するという点では変わりありません。 しかしながら、ISAFへ兵力を提供している国の中で、米国をのぞく最大の国である英国では、既に5月28日までの死者が97人に達し (現在では100名を超えます)、 過半数の国民は撤退すべきであると考えています。このことは、英国に次ぐ兵力を送っているカナダ、ドイツ、 フランスでも同様です (別紙 「アフガニスタンでの各国兵士犠牲者数」 参照)。 軍事力によるアフガニスタン復興は不可能となっているというのが共通認識となってきているのです。
      ※資料 「アフガニスタンでの各国兵士犠牲者数」

  この点を象徴的に示したのが、8月22日ヘラート州での ISAF軍とアフガン国軍による軍事作戦で、民間人が90人犠牲になった事件でした。 タリバン政権崩壊後最大の犠牲者となったこの事件に対して、カルザイ大統領もアフガン国会も強い抗議をしました。

  ISAFは国連安保理により組織され権限を与えられた国際部隊です。 その本来の目的は、2001年12月のアフガニスタン復興に関するボン合意を実行するための最大の障害であった、アフガニスタンの治安回復のため、 アフガニスタン政府による治安回復・維持を援助し、アフガニスタン政府要員や国連要員の活動の安全を確保することでした (安保理決議1386号)。 ところが ISAFはその後アフガニスタン全土へ展開され、活動期限 (6ヶ月) を何度も延長されて、現在のような米軍と一体となった軍事作戦を展開するようになりました。
  現在 ISAF兵力は47,000、そのうち米軍は19,000で、ISAFの指揮権はNATOが執っています。 しかしこの米軍はNATO指揮を受けず、米国のアフガニスタン攻撃作戦である 「不朽の自由作戦 (OEF)」 へ組織された米軍へも所属するという二面性を持っているのです。 つまり、ISAFはもはや米軍のOEFと一体となった作戦を担っているのです。ISAFを設置した安保理決議の趣旨を逸脱しているともいえるでしょう。 アフガニスタンの混迷した情勢の中で、ISAFは問題解決どころか、それ自身が問題の一部となっているのです。

  アフガニスタンに対して国連が執った集団的安全保障措置は、国連の歴史の中で大きな誤りを犯したと記録されるでしょう。 このことは既に90年代に国連は手痛い反省をしているのです。ボスニア・ヘルチェゴビナ、ソマリアの国内紛争へ安保理は武力行使権限を付与した、 いわゆる平和強制部隊を派遣しました。しかしながら、国連部隊は武力紛争の一方当事者になってしまい、惨めな撤退をしなければならなくなったのです。
  国連の集団措置はご承知のように、国連安保理決議により加盟国の軍事力を背景に国際紛争を解決するシステムです。 米ソ冷戦時代のように、主権国家間の紛争であれば有効に機能する条件があったかもしれませんが、今日のようにほとんどの武力紛争が国内紛争であり、 いかに国連の集団的措置といえども、武力行使を伴う措置であれば有効に機能しないばかりか、紛争を深刻化することにもなるのです。
  今日の世界で国際の平和を維持・創造するためには、国連といえども武力によるのではなく、非軍事的手段で介入すべき時代になってきているのではないでしょうか。 その意味で、国連憲章が採択された直後に成立した日本国憲法9条、前文は、当時では先駆的意義があったといえますが、 今日では現代的意義があるということを明確に示していると思うのです。

5、 このようなアフガニスタンへ日本が自衛隊を派遣して軍事的関与を深めることは、自らの安全を犠牲にして米国へ付き従うことに他なりません。 これだけは絶対にやってはならないことです。

6、 ところで、政府はまったく宣伝しませんが、外務省ODA予算から今年3月までに、13億8000万ドル (15000億円近い) を支出しているという事実があります。 この支援は、アフガニスタン政府への行政支援、警察組織支援、地雷対策、DDR (武装勢力の武装・動員解除、社会復帰支援)、道路、保健・医療、教育、 難民対策、農業、などの基礎的インフラ整備、人材育成、日本のNGO活動への無償資金協力 (日本国際ボランティアセンターなど) が含まれるのです。 これは、英国に次いで日本は4番目にランクされ、ドイツ・カナダ・フランスよりもはるかに大きい援助となっているのです。

  これに対してテロ特措法による海上自衛隊の給油支援では、総額587億円をかけ、794回、合計約49万kl (約224億円) の給油を行ったに過ぎません。 給油新法での活動はテロ特措法による給油よりも更に実績が下回っているようです。

  この二つを比較すれば、アフガニスタン復興支援にとって日本が何をすべきかは明らかでしょう。 国際社会に対して日本の立場を示すのであれば (ショウ・ザ・フラッグ)、この民生支援の実績こそがふさわしいのです。

7、 ところが、アフガニスタンの現状ではこれらの民生支援そのものが困難になっています。このような情勢の進展の中で、日本が陸上部隊を派遣するなど、 私からすれば正気の沙汰とは思われないのです。護憲・改憲の立場の違いにかかわらず、このことは理解されるのではないでしょうか。 アフガニスタンの現状をしっかり踏まえるならば、軍事力による復興は既に失敗し、国際情勢をいっそう不安定にすること、アフガニスタンから外国軍を撤退させ、 非軍事力による復興支援が今求められていることは、明らかではないでしょうか。

  ましてや、9条改憲の口実として、アフガン問題を利用し、給油新法延長や、自衛隊海外派兵恒久法を制定し、集団的自衛権行使を容認へ突き進むことは、 日本と国際社会にとって百害あっても一利もないでしょう。

    ※注記 以上の私の論述は、最近のアフガニスタン関係のいくつかの資料や新聞報道を基にするものです。 不十分な記述や誤りがあれば、それは一度もアフガニスタンへ立ったこともなく、第一次情報もない私の限界として、ご容赦願います。
2008.9.11