2009.10.16

憲法9条と日本の安全を考える

弁護士 井上正信
目次  プロフィール

北朝鮮脅威論をどのように考えるか

  1ヶ月半くらい前にアップした 「憲法改正を狙う自民党提言(3)」 で、次回から安全保障と防衛力に関する懇談会報告書をとりあげると予告していました。 それ以降私は、広島弁護士会主催シンポ「今こそチャンス北東アジア非核地帯、核兵器廃絶条約を実現しよう」(10/3) でコーディネータ役を、 10/6 日弁連主催憲法施行60周年記念シンポ PartN 「北東アジアの平和と安全を探求する−朝鮮半島の非核化を求めて−」 でパネラー役を務めるため、 予想以上に準備に時間を取られ、この連載の続編を書く時間がありませんでした。 シンポも終わり、原稿を書きかけたところで、新しい防衛計画大綱策定が来年になるという報道があり、懇談会報告書も宙に浮いた形となりました。 今後の展開は不明ですが、新たに有識者による懇談会を組織するかもしれません。 書きかけた原稿を書き進めても意味が無くなるので、このテーマはしばらくおいて、 日弁連のシンポがテーマとした 「朝鮮半島の非核化と北東アジアの安全と平和」 について私が考えたことを、何回かに分けて書いてみることにしました。

1、 9条改憲の軌跡と北朝鮮脅威論
  北朝鮮脅威論は、日本の政治過程の中で長きにわたり、9条改憲の最大の根拠にされてきました。
  古くは、三矢作戦計画があります。「三矢」 作戦計画とは、「昭和38年度統合防衛図上研究」 の 「38」 の語呂合わせです。 自衛隊と在日米軍が第二次朝鮮戦争を想定して、指揮所演習を行ったものです。その際日本の国家総動員態勢を作るため、 わずか二週間で有事立法を含む緊急事態法を成立させるということを計画したのでした。これがその後に続く有事立法制定の源流となります。

  78年11月には、日米防衛協力の指針 (旧ガイドライン) が策定され、福田(父)総理大臣は有事立法の研究を防衛庁へ命じました。 その成果が2002年以降の有事立法制定に引き継がれます。旧ガイドライン策定後、それを実行するため日米共同の軍事演習が行われるようにもなります。 82年1月には、日米間で極東有事と朝鮮半島有事の場合の共同作戦研究に合意しますが、作業は途中で中断します。

  94年春には、前年から北朝鮮核開発問題の事態が悪化しため、米国は北朝鮮との戦争を決意して、第二次朝鮮戦争の一歩手前になりました (第一次核危機)。 そのときの羽田連立内閣 (社会党を含む) の政権合意の中に、米国と共に北朝鮮の経済封鎖を入れました。 ところが第二次朝鮮戦争になり、日本が総力を挙げて米軍の後方支援をするための国内法制 (有事立法) がないため、 有効な後方支援ができないことが問題となりました。このときに有事立法制定の動きがありましたが、カーター元大統領の北朝鮮訪問で、事態が急展開したため、 有事立法制定の具体的な動きにはなりませんでした。しかし、このときの経験が、その後の有事立法制定への大きな衝動になっています。

  97年に新ガイドラインが策定され、第二次朝鮮戦争 (周辺事態) を想定した日米共同作戦計画作りが、日米で合意されました。 その後2001年9月に、第二次朝鮮戦争を想定した日米共同作戦計画5055が日米の制服組の間で調印されます。 新ガイドラインを実行するための国内法制として、99年には周辺事態法が制定されます。米韓連合作戦計画5027 (後述) を自衛隊が後方支援するためです。

  2002年10月の米朝高官協議以来、北朝鮮のウラン濃縮問題が表面化し、北朝鮮は核不拡散条約 (NPT) から脱退宣言を行い、 またもや朝鮮半島での危機が高まりました (第二次核危機)。このとき、民主前原衆議院議員、自民安倍・額賀衆議院議員が 「敵基地攻撃論」 を主張し、 自民・民主を中心とした超党派の 「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」 も緊急声明で、「敵基地攻撃論」 を提言しました。 国会では有事法制三法案 (武力攻撃事態法、自衛隊法改正、安全保障会議設置法改正) が審議されます。 改憲論議が次第に具体的且つ活発となり、その後の自民・民主・公明による改憲草案や要綱・提言などに繋がります。

  2006年7月、北朝鮮は7発の弾道ミサイルの発射実験と、初の核爆発実験を敢行しました。安保理で制裁決議 (1718号) が採択されます (第三次核危機)。 日本政府は北朝鮮に対する制裁を強化します。周辺事態船舶検査法を発動しようとするなど、米国以上の強硬路線を取ります。 その様な雰囲気を追い風にして、改憲を目標にした安倍内閣が誕生します。同年12月には、防衛二法が改正され、防衛庁は防衛省となり、 自衛隊の海外活動が本来任務とされ、 自衛軍化への大きな一歩を記します (本コーナー 「暴走を始めた自衛隊その1」 07.12.26更新 を参照)。 自民党新憲法草案の先取りといえるものです。

  このように、朝鮮半島が緊張するたびに、解釈改憲、立法改憲が進められているのです。今年4月に行われた北朝鮮によるロケット発射に際しては、 自衛隊は初めて弾道ミサイル破壊措置命令を受けて、実戦配備につきました。この措置を大半の国民は支持しました。 これがいかに愚策であったかは、本コーナー 「北朝鮮ミサイル迎撃は愚作だ」 (09.4.4更新) をお読み下さい。

  憲法改正 (とりわけ9条改憲) に反対する立場からは、北朝鮮脅威論は扱いにくい問題です。護憲の立場から、有効な反論がしにくいということもあります。 しかし、決してそのような問題ではないことは、これからの私の意見をお読みいただければ、理解していただけると思います。

2、 北朝鮮問題をどのようにとらえるのか
  日本では、北朝鮮問題といえば拉致問題が真っ先にあり、もっぱら日本の安全に対する脅威としてのみ捉えます。 このことが、日本の世論を誤った方向に誘導し、日本政府に誤った北朝鮮政策を採り続けさせる最大の原因となっています。
  私は、北朝鮮問題を単に脅威の対象として理解するのではなく、また、具体的には拉致・核開発・弾道ミサイル開発という問題だけを取り出して議論するだけではなく、 より幅広い、且つ歴史を背景にした認識が必要だと考えています。その様に見てゆけば、北朝鮮・金正日は何をするか分からない、怖い、約束を守らない等といった、 北朝鮮に対する悪しきイメージは変わってくると思います。 北朝鮮問題を考える際、お互いに根強い脅威感と不信感が存在することを確認することが出発点であるとの私の意見も、きっと理解されると思います。

3、 北朝鮮問題とは何か
  北朝鮮問題の最大の要因は、朝鮮戦争です。日本の敗戦後朝鮮民族による統一国家の樹立に失敗し、国際社会の介入により分断国家が創られ、 南北それぞれが武力統一を掲げて内戦状態にあったところへ、北朝鮮が総力を挙げて韓国側へ武力侵攻を計り、国際社会が武力介入した結果、 3年1ヶ月の朝鮮戦争となり、200万を超える犠牲者 (誰も正確な数字はわかりません。論者によっては、 これよりも大幅に多い犠牲者の数字を挙げることもあります。) を出しながら停戦し、その後平和条約締結もなく、 56年間にわたり戦争状態が続いていることをまず挙げなければなりません。

  朝鮮戦争時、米国は北朝鮮を原爆攻撃しようとし、アイゼンハワー大統領は沖縄と航空母艦へ原爆を配備する命令を出しました。 休戦協定締結後、間なしに米韓相互防衛援助条約が締結され、在韓米軍が駐留し、92年に撤去されるまで、 韓国には北朝鮮を標的にした戦術核兵器が30年以上配備されていました。北朝鮮の核開発への衝動はこの歴史的経験があると思われます。
  朝鮮戦争休戦後も、非武装地帯(DMZ)をはさんで、南北で膨大な戦力がその周辺に集積しています。
  日米同盟も北朝鮮を最大の標的にする軍事同盟となっています。米韓同盟では、92年以降第二次朝鮮戦争を想定した作戦計画 (OPLAN5027) があり、 日米同盟には2001年9月策定された、第二次朝鮮戦争を想定した作戦計画5055があります。毎年のように米韓合同軍事演習が行われ、軍事的緊張を高めています。

  さらに、日朝、米朝間には国交がありません。
  冷戦体制崩壊後の米国は、クリントン政権時代 (特に第一期) には、北朝鮮を最大の標的にする 「ならず者国家ドクトリン」 を採用し、 国防戦略として 「拡散対抗戦略」 を打ち出し、94年には北朝鮮核開発疑惑を理由に、北朝鮮核施設への先制攻撃をしようとしたのです。 クリントン政権末期には米朝国交回復の寸前まで行きながら、ブッシュ政権になってから、北朝鮮との緊張を高める政策 (強硬な関与政策) を打ち出し、 クリントン政権の緩和路線を否定します。

  北朝鮮問題とは、冷戦崩壊後も北東アジアにおいて冷戦の遺構を根強く残し、北東アジアにおける分断と対立、軍事的緊張関係を作り出す最大の要因です。 この取り扱いを失敗すると、大規模地域紛争となり (米韓連合作戦計画5027では、湾岸戦争規模の戦争を計画しています)、 その際には核兵器使用の危険性もあります。

  私は、朝鮮半島の隣人として、絶対のこのような事態は避けなければならないと考えます。このことが、北朝鮮問題に取り組む際の私の出発点です。
  半世紀以上にわたる北朝鮮と、米・日・韓の間に横たわる不信と対立、脅威感情は根が深いのです。 このことを直視することから、北朝鮮政策を組み立てなければなりません。私たちが、金正日は何を考えているかわからない、怖い、信用できないと考えると同じように、 彼は日・米・韓を同じように見ているはずです。
  脅威論を強調する論者やそれに同感する人々は、自分たちは脅威ではないし信用できると考えているのではないでしょうか。 北朝鮮脅威論を強調すればするほど、北朝鮮もこちらに対して不信と脅威を感じます。

  北朝鮮問題を解決するためには、根気強い交渉が必要ですし、政治家にも私たちにも平和的解決への強い意志が求められます。 「強い意志」 と強調するわけは、今後も北朝鮮の行動や発言に対して、脅威論が強調され、対北朝鮮強硬路線が声高に主張されても、 それに流されてはならないという意味です。

  北朝鮮の核開発・弾道ミサイル開発問題は、北朝鮮問題という全体状況の中の一部にすぎません。これだけを単独に切り離して解決することはできません。 拉致問題も同様です。
  このことは、6者協議での2005年9月共同声明、2007年2月合意文書を読めばよくわかります。 核開発問題を中心にしながら、日朝、米朝の国交正常化、米国による消極的安全保障 (北朝鮮に対して攻撃しないとの保障)、 朝鮮戦争終結のための平和条約締結協議、北東アジアの安全保障対話の枠組み協議、経済支援などが核開発問題解決と一体のものとして協議され、 合意されていることが理解できます。

  次回は、北朝鮮脅威論をどのようにとらえるのか、私の意見を述べる予定です。