2010.6.6

憲法9条と日本の安全を考える

弁護士 井上正信
目次  プロフィール

普天間基地問題から透けて見える抑止力論の呪縛

  「抑止力」 に負けたぁ〜、いえ 世論に負けたぁ〜 永田町を追われた、いっそきれいに辞めよう(議員の引退まで決意した鳩山総理大臣へ  「昭和かれすすきの」 替え歌です)。

  鳩山総理の転落は、彼が日米同盟の抑止力の呪縛に囚われ、自ら選択肢をなくしたことです。 鳩山総理は5月23日に沖縄を訪問し、沖縄県知事に対して、抑止力についてのそれまでの自分の認識不足を詫びました。 ところが、鳩山総理は日米安保改訂50年に当たり、1月19日談話を発表し、 日米安保体制に基づく米軍の抑止力が日本の平和と安全に大きな役割を果たしており、 日本の防衛だけではなくアジア太平洋地域全体の平和と繁栄に不可欠として、日米安保体制を深化すると述べたのです。 5月23日沖縄で、抑止力について認識不足であったと述べたということは、この談話の時にはもっと理解が浅かったとでもいうのでしょうか。

  いったん日米同盟の抑止力を認めてしまうと、自縄自縛に陥ることは、鳩山総理に限らず、一部の政党を除き、日本の政界共通の体質になっているようです。
  では、抑止力とは何でしょうか。簡単にいえば、相手国がこちらを攻撃した場合、 攻撃による利益よりももっと大きい打撃をこちらから受けると相手国が認識して、こちらを攻撃しないであろうとこちらが考えることが出来る場合、 抑止力が働いているといいます。つまり、抑止力とは優れて心理的な概念であるということです。抑止力が成り立つためには、いくつかの前提があります。 まず、自分たちが考えるように相手も考えるであろう、 その考え方は理性的だということです(金正日は何を考えるか分からないという北朝鮮脅威論者の議論は、 北朝鮮には抑止力が効かないと主張していることになります)。相手の力を正確に認識できるということも前提になります。 しかし、抑止しようとする相手の力には 「透明性」 がないことがしばしばあります。 又、相手の意図など計ることはなかなか出来ません。結局推測するしかないのです。 このように、抑止力は心理的な概念であるため、客観的な定量化は出来ません。 戦略論や安全保障論が、さも客観的で精密な議論をしていると思うと、期待は裏切られます。

  一例を挙げましょう。最も洗練された抑止理論といわれた 「相互確証破壊戦略」 は、60年代以降の米ソ冷戦時代の核戦略です。 どちらかが核先制攻撃(第一撃)を掛けても、攻撃された側に生き残った核戦力(報復戦力)で、相手側に壊滅的な破壊をもたらすことで、 相互に抑止されて平和が保たれるというものでした。 しかし、ICBMの多弾頭化と、精密攻撃能力から、先制攻撃により報復戦力までも破壊されるという不安、 何時相手が先制攻撃をするかもしれないという不安から、行き着いた先は、警報発射態勢となりました。 警報発射態勢とは、相手の ICBM発射を早期警戒衛星が探知したら、直ちにこちらも ICBMを発射するという態勢です。 そのため、核攻撃する戦略爆撃機の半数は、常時滞空していました。滑走路上では第一撃で破壊されるからです。 その結果、人類はいつ核戦争の破局を迎えるか、常に不安におびえながら暮らすことになりました。 細い髪毛の1本でつるされたダモクレス剣が地球の上にぶら下がっていたのです。

  私たちの間でも、普天間基地や海兵隊の抑止力があるのかないのか議論をします。むろん私たちは抑止力を否定しますし、 普天間基地を撤去しても抑止力には影響ないと主張するでしょう。しかし、私はこのような議論は 「禅問答」 だと思います。 何を議論しているか結局よく分からないのです。「抑止力」 はつかみ所がありません。存在証明は不可能なのです。 戦争にならない限り抑止力が存在するという乱暴な証明では、証明したことになりません。抑止が破れたときには抑止論はもはや機能しません。 抑止論は、抑止が破れたときにはどのような結果になるのか語ってくれません。 安保条約のもとで日本は平和であった、という意見もそうです。安保条約は確かに存在し続けました。 又、日本が武力攻撃を受けることもありませんでした。だからといって、この二つを因果関係で結び付けることは、論理的には出来ないはずです。 冷戦時代には、確かに米ソの世界戦争はありませんでした。これは安保条約があったからではなく、複雑な国際関係の中で、 「幸いにも」起きなかったのです。62年秋のキューバ危機では、本当に破局の瀬戸際でした。 米ソ、キューバ三カ国に、危機への認識不足、情報の誤り、誤算などがあったことが、 1989年キューバ危機に関する 「モスクワ再検討会議」 で明らかにされています(キューバミサイル危機1962 八木勇著 新日本出版社)。

  私は、このような怪しげな議論に囚われるのではなく、そもそも抑止力に頼らない安全保障を考えるべきだと思っています。
  抑止力を考える際、冷戦時代のものとポスト冷戦時代のものでは、その内容や考え方が大きく違ってきていることも見ておかなければなりません。 冷戦時代の抑止論は、相互確証破壊戦略で説明したように、米ソの相互抑止でした。相互に相手の先制攻撃を防ぐというものでした。 ところがポスト冷戦時代の抑止論では、抑止の対象は反米的地域大国(といってもイラク、イラン、北朝鮮、シリアなどの中小国)です。 これらの国から米国が抑止をされているわけではありません。むろん日本が北朝鮮に抑止されているとは誰も思わないでしょう。 ポスト冷戦期の抑止論は、米国や同盟国の国益を脅かす場合、圧倒的な核・通常戦力により、場合によっては先制的にでも、 これらの国を完膚無きまでに破壊するというものです。一方的抑止です。武力紛争を防ぐための抑止論というよりも、武力紛争への敷居が低くなり、 国際関係を不安定にし、緊張を高めるものといえるでしょう。

  日米安保条約50年に当たり、私たちの発想を根本から切り替える必要があると思います。 私も含めほとんどの日本人は、安保条約の下で生きてきました。その時々の国際情勢の中で、目先の変わった脅威が私たちに示されました。 ソ連、北朝鮮、中国、ならず者国家、テロリスト、大量破壊兵器と弾道ミサイルの拡散、果ては海賊や麻薬取引などの国際犯罪、大規模自然災害です。 私たちは長年にわたり、脅威に対しては軍事的抑止力により対処する、という考え方に凝り固まってしまいました。 北朝鮮脅威論はその典型です。冷戦時代の発想を未だ引きずっているとも言えます。 このことが、北東アジアの国際関係を不安定で緊張をはらんだものにしています。 ところが、憲法9条や前文が想定している安全保障政策は、「脅威と抑止」 という考え方を根本から否定しているはずです。 私たちが、「抑止力」 に頼らない平和の仕組みを真剣に求め、政府にも政策選択を迫れば、日本と北東アジアは大きく変わるのではないかと思います。 2009年12月9日にアップした 「私たちがめざすもの(実憲のすすめ)」 をお読みください。
  普天間基地問題は、その試金石であり突破口です。普天間基地は無条件に撤去を求めればよいのです。