2010.9.13

憲法9条と日本の安全を考える

弁護士 井上正信
目次  プロフィール

新安保防衛懇報告書を読み解く 3

  この連載の最後に、新安保防衛懇報告書が記述している安全保障環境への認識、安全保障戦略、防衛力のあり方に関する、 私の問題意識や批判を述べます。

1 安全保障環境への認識
  新安保防衛懇報告書の安全保障環境への認識は、16大綱と比べて、二つの点で異なっています。 一つは、米国の力の相対的な低下(パワーバランスの変化)と、日本に対する本格的武力侵攻は想定されないと断定したことです。 その他、安保防衛懇報告書と比べ、あからさまな中国脅威論を控えていることも指摘しなければなりません。 「第二章防衛力の在り方」 で、基盤的防衛力構想を時代遅れとした理由も、この認識があります。 安全保障戦略は、自国に対する脅威を定義し、それに対抗する戦略を策定します。 本格的武力侵攻を想定しないのであれば、何が日本にとって脅威かということになります。新安保防衛懇報告書は、非伝統的脅威というものを強調しています。 地域紛争・破綻国家・大量破壊兵器の拡散・テロ・海賊など国際犯罪などです。 これらの脅威の特徴として、新安保防衛懇報告書は、ウォーニングタイムが短いこと、抑止が有効に機能しにくいことを挙げています。

  これらの脅威は、冷戦終結後の脅威として強調されており、既に16大綱でも 「新たな脅威」として、安全保障戦略の重要課題とされていました。 新安保防衛懇報告書は、わが国への本格的武力侵攻は想定されないと断定したことから、これらの脅威をより前面に持ち出したと思われます。 報告書の副題とした 「平和創造国家」 も、これらの脅威に対応するため、国際平和協力活動を積極的に取り組むというものです。

  パワーバランスの変化は、米国の力の相対的な低下とともに、ブラジル、ロシア、インド、中国といった新興国の台頭という二つの側面あります。
  パワーバランスの変化はそのとおりでしょう。日本に対する本格的武力侵攻は想定されないという点も、そのとおりでしょう。 非伝統的脅威も、それ自体積極的に否定するつもりはありません。 それにもかかわらず、私は、新安保防衛懇報告書が提言しているように、これまでの憲法政策を軒並み見直し、 解釈改憲と立法改憲を要求することとはまるで逆の考えです。

 新安保防衛懇報告書の安全保障戦略、防衛力の在り方を貫いている思想は、脅威に対しては軍事的抑止力で対抗するというものです。 脅威の対象は歴史的に変化します。冷戦時代は旧ソ連とワルシャワ条約機構軍でした。冷戦終結後は、不確実性であるとか、ならず者国家、 その後、大量破壊兵器と運搬手段(弾道ミサイル)拡散、国際テロ、国際犯罪など、 その時々の短期的な情勢変化の中で目先を変えた脅威が強調されてきました。 そして、その都度軍事同盟や軍事力の役割が再定義され、軍事力の役割が拡大されてきました。 今や、軍事力に警察や消防の任務まで背負わそうとしています。脅威とそれに対する軍事的抑止力論では、いつまで行っても、エンドレスに続くでしょう。 そのための軍事同盟も存続させられるでしょう。

  しかし、本当にそうなのでしょうか。私は、新安保防衛懇報告書が説明する安全保障環境の変化は、歴史上大きなチャンスではないかと考えています。 なぜなら、日本に対する本格的武力侵攻を想定しないなら、軍縮のチャンスです。 パワーバランスの変化があるなら、日米同盟基軸論ではなく、日米同盟の役割を低下させ、 台頭する新興国との新たな関係を構築することが出来るチャンスです。
  新安保防衛懇報告書は、地域的安全保障の枠組みの重要性を強調します。 私もそうだと思います。日米同盟を中核にした地域的安全保障の枠組みではなく、地域的安全保障の枠組みを進展させながら、 日米同盟の役割を低下させることが出来るのではないでしょうか。 とりわけ、北朝鮮核開発問題を巡る6者協議では、将来の北東アジア地域的安全保障の枠組み協議が合意されているのです。 新安保防衛懇報告書は中国脅威論から距離を置いています。中国との 「戦略的互恵関係」 を基本として、これを増進させるとしています。 それ自体は私は正しいと考えます。現在の日中関係を直視すれば、このような内容になるでしょう。
  しかし、日米同盟を基軸にし、中国を仮想敵にしているのですから、新安保防衛懇報告書の立場は、右手では握手をしながらも、 左手は背後でピストルを握っているようなものです。新安保防衛懇報告書が防衛力の在り方で提言している、「離島・島嶼の安全確保」 は、 台湾海峡での武力紛争で、中国軍が南西諸島の一部を軍事占領することを想定したものです。 「日本周辺の有事」 でも、「領土・主権を巡る意見対立や、排他的経済水域が未確定であるといった問題があり、 海軍力・空軍力を増強している国」 と述べているのは、国名こそ出さないまでも、中国であることは確実です。

  新安保防衛懇報告書によると、軍事力の役割として、多様な事態への対応、日本周辺地域の安定の確保、 グローバル安全保障環境の改善の3分野を挙げます。
  多様な事態の中で、弾道ミサイル・巡航ミサイル攻撃は、朝鮮半島や台湾海峡での大規模武力紛争の中で発生するものです。 いきなり北朝鮮や中国がこのような攻撃を仕掛けることは絶対にありません。 この二つの武力紛争へ、日本が日米同盟により米国に軍事支援することから、このような事態に至るのです。 問題は二つあります。このような事態を想定する前に、未然に防ぐことは可能であり、そのための枠組みや、日本独自の外交努力が必要です。 また、絶対にこのような武力紛争を起こしてはいけないと思います。
  北朝鮮との戦争では、94年に実際に起きかけたことがあり、その際、国防総省が戦争被害を試算しています。 それによると米国が直接負担する戦費1000億ドル超、死者100万人超、米国人死者8〜10万人、 近隣諸国(日本と中国)の損害1兆ドル超です(ドン・オーバードーファー 「二つのコリア」 より)。 94年当時ですから、イラク戦争やアフガン戦争を見れば、この試算はおそらく控えめかもしれません。 米国は核兵器を使用する可能性があります。私たちにとって、とても考えられない戦争です。
  台湾海峡を巡る紛争はもっと深刻です。 米国は台湾関係法により台湾支援のために武力介入しますが、日本は周辺事態法や有事法制を発動して、全面的に米国を支援します。 米国も中国の核保有国です。核兵器の応酬も想定しなければならず、日本は無事では済みません。
  もう一つの問題は、このような武力紛争へ、日本が軍事支援することの是非について、国民的な議論をしなければなりません(全くなされていませんが)。 日米同盟があるから外の選択肢はないというのは、政府の立場かもしれませんが、私たちがそれに拘束される必要はありません。 場合によっては安保条約の機能を停止する(在日米軍基地を使わせない)という選択もあり得ます。

  特殊部隊・テロ・サイバー攻撃では、特殊部隊攻撃は北朝鮮を想定していますが、これも朝鮮半島での大規模武力紛争下で起こるものです。 テロ攻撃は軍事的対応をするような問題ではないと思います。 周辺海・空域の安全確保では、海上保安庁の活動以外に自衛隊の警戒監視活動の選択はあり得ます。 しかし、日本に対する本格的武力侵攻を想定せず、又、中国や北朝鮮との武力紛争も絶対に起こさない、 防ぐという安全保障戦略と外交政策をすすめることが重要です。 新安保防衛懇報告書が述べるように、「平時と有事の中間領域」 に位置する紛争が増大する傾向にあるとしても(5頁)、 後述するような協調的安全保障政策をすすめ、地域的安全保障の枠組みの中で、紛争を平和的に解決することが出来ます。

3 軍事同盟と軍事的抑止力に依存する安全保障政策かそれとも共通の安全保障観にたった、協調的安全保障か
  私は、新安保防衛懇報告書の安全保障環境認識を踏まえるならば、歴史上大きなチャンスだと述べました。 それは、軍事同盟と抑止力に依存する安全保障政策ではなく、共通の安全保障観にたった、協調的安全保障政策を進めるチャンスであるという意味です。

  新安保防衛懇報告書は、安全保障目標達成のため重要なこととして、日本自身の防衛力を整備し、抑止力を発揮することだと述べたり(11〜12頁)、 日米防衛政策見直し協議の合意を実行して、日米同盟を強化することを述べており(13頁)、 軍事同盟と軍事的抑止力に基づいた安全保障・防衛政策を採用していることは明らかです。

  新安保防衛懇報告書は、日本周辺地域の特徴として、朝鮮半島、台湾海峡、北方領土問題等の未処理の問題や、冷戦の遺構が残存すると述べています。 それ自体はそのとおりです。では、なぜ戦後65年、冷戦終結後20年たっても冷戦の遺構が残存しているのでしょうか。
  北東アジアの平和と安全にとって最大の問題は、台湾海峡と朝鮮半島です。冷戦時代から続く分断と対立、相互不信の国際関係が続いています。 その最大の原因は、軍事同盟による分断ではないでしょうか。相手を常に脅威の対象として考えて、 軍事同盟による抑止力で脅威を封じ込めるという政策を採ってきたからです。 しかし、台湾海峡や朝鮮半島を巡るこれまでの動きを見れば、既に軍事同盟や軍事的抑止力に依存する政策が、これからの北東アジアの繁栄や、 平和と安全にとって、阻害要因となりつつあることを率直に見なければならないと思います。
  北朝鮮の核開発問題は、93年頃から表面化し、米朝協議が重ねられ、幾度も危機的な局面がありました。 17年間の歴史を振り返れば、北朝鮮を巡る問題(核・弾道ミサイル開発)は、決して軍事的抑止力では解決できないばかりか、 逆に危機を深めるだけであることがよく理解できます。 ブッシュ政権で北朝鮮敵視政策を強化した結果、核開発を阻止できなかったし、弾道ミサイル発射実験も行われました。
  台湾海峡を巡る問題でも、中国と台湾は自由貿易協定を結び、ますます経済的な関係を深めています。無論米国でも日本でも同様です。 新安保防衛懇報告書が、日中関係を戦略的互恵関係を基本として、これを増進すると述べているのは、このことへの認識からですが、 万が一の不測の事態を想定して、軍事同盟や軍事的抑止力が必要というのでしょう。 しかし、この考えでは、将来にわたり分断と対立、不信は残ります。その結果、相互に軍事力を増強するという軍拡の連鎖となるでしょう。 なぜなら、こちらが相手を脅威と考えて、軍事的抑止力で対抗しようとすれば、相手も同じようにこちらを脅威と考えて、軍事的抑止力で対抗しようとします。

  そもそも抑止力とはどのようなものでしょうか。 簡単にいえば、相手国がこちらを攻撃した場合、攻撃による利益よりももっと大きい打撃をこちらから受けると相手国が認識して、 こちらを攻撃しないであろうと、こちらが考えることが出来る場合、抑止力が働いているといいます。 つまり、極めて心理的な概念です。
  抑止力が成り立つためには、いくつかの前提があります。 まず、自分たちが考えるように相手も考えるであろう、しかも、その考え方が合理的であるということがあります。 その前提には、相手に対する奇妙な信頼が必要です。相互に不信があると、抑止力に対する信頼はなくなります。 相手がこちらの裏をかくのではないかと不信感を持てば、さらにその裏をかこうとするからです。 軍事的信頼情勢措置はそのような不信の連鎖を防ごうとする努力です。
  しかし、互いに相手を脅威として、軍事同盟や軍事的抑止力で対抗しようとしている以上、不信の連鎖は防げません。 そのことは、冷戦時代に米ソの相互核抑止(確証破壊戦略)に見て取れます。 ICBMの多弾頭化と、精密攻撃能力から、 先制攻撃により報復戦力までも破壊されるという不安、何時相手が先制攻撃をするかもしれないという不安から、行き着いた先は、 警報発射態勢となりました。警報発射態勢とは、相手の ICBM発射を早期警戒衛星が探知したら、直ちにこちらも ICBMを発射するという態勢です。

  軍事同盟と軍事的抑止力による安全保障・防衛政策では、日本や北東アジアの平和と安定は得られません。 これに代わる安全保障戦略を本気で考えなければならない時が来ていると思います。ではどのようなものでしょうか。 それは、共通の安全保障観にたった、北東アジアの協調的(地域的)安全保障の枠組みです。北東アジア非核地帯実現もこれに含まれます。 詳しくは私のこの連載コーナーにある 「私たちの目指すもの(実憲のすすめ)」 や、 法律時報増刊号 「安保改訂50年 軍事同盟のない世界へ」 の私の論文 「軍縮・非核と安保体制」 を是非お読みください。 新安保防衛懇報告書が提言する安全保障戦略、防衛政策とは正反対のものです。 無論、現時点ではまだこのような枠組みはありませんが、これに向けた大胆な政策転換が必要なのではないでしょうか。 新安保防衛懇報告書の提言は、今後10年間を見通した安全保障戦略、防衛政策を提言するものですが(3頁)、これには解釈改憲、立法改憲が不可欠です。 私は時代の流れに逆行した提言であると考えます。軍事同盟と軍事的抑止力に依存する安全保障政策は、 旧態然たる冷戦時代のものから抜け出せていないことを示しているのです。

4 国際社会のパラダイムシフト
  冷戦終結後の国際社会は、パラダイムシフトと呼んでよい大きな構造変化が起きつつあります。 「力の支配から法の支配へ」 という変化と、「地域統合」 の進展です。

  「力の支配から法の支配へ」 の動きは、連帯した市民の力が新しい国際法と国際関係を創造しているということです。 対人地雷禁止条約、クラスター爆弾禁止条約は、国際的な市民連合と一部の政府が連携して作られた条約です。 常設国際刑事裁判所を設置した ICCローマ条約も同様です。 核兵器の使用・威嚇が国際法違反とした国際司法裁判所の勧告的意見は、世界法廷運動と非同盟諸国が連携して実現させました。 紛争予防から紛争解決、戦後復興まで、いまやNGOの存在は無視できません。 これまで国際社会のアクターは主権国家でしたが、今や、連帯した市民の力が国際社会の有力なアクターとなっています。 彼ら・彼女らの力の源泉は、主権国家の狭い国益判断ではなく、正義・平和・人権・人道・環境といった人類普遍の原理です。

  「地域統合」 の動きでは、1960年当時世界で10の軍事同盟があり、世界人口の67%を支配していましたが、 今では、機能している軍事同盟は4つ、世界人口の16%を支配しているだけだといわれています。 冷戦まっただ中の1973年に設立された欧州安全保障協力会議(CSCE)は、 冷戦終結後の1995年欧州安全保障協力機構(OSCE)という地域的安全保障機構となりました。 冷戦時代に作られたASEAN は、ベトナム戦争が終了し、軍事同盟であった東南アジア条約機構が消滅し、 1995年にベトナムが加盟することで、東南アジアに続いていた分断と対立を乗り越えて発展しています。 2015年には地域統合を目指しています。アフリカ大陸でも、冷戦時代に作られたアフリカ統一機構が、 冷戦終結後の2002年にアフリカ連合(AU)という地域機構となりました。AUは、ソマリア紛争へPKOを派遣しています。 中南米でも地域統合の動きが始まっています。

  北東アジアには冷戦の遺構が残存しているように、地域的安全保障の枠組みも、地域的安全保障対話の場もありません。 しかし、北朝鮮核開発をめぐる6者協議で2007年2月合意された 「初期段階の措置」 では、核開発問題を解決するために、 「朝鮮半島非核化」 「米朝国交正常化」 「日朝国交正常化」 「経済エネルギー支援」 「北東アジアの平和および安全のメカニズム」 の五つの作業部会を設置しました。このほかに、朝鮮戦争の終結のための平和条約締結交渉も合意されました。
  このことは、北朝鮮の核開発問題を、朝鮮半島を巡る冷戦構造の包括的解決という枠組みの中で、解決を図ろうとしていると評価できます。 また、日韓の連帯した平和運動から、現実的な北東アジア非核地帯条約案が提案されています。 北東アジアでも、国際社会のパラダイムシフトの動きは始まっています。
  新安保防衛懇報告書の提言は、このような流れに逆行するのではないでしょうか。 非核三原則、集団的自衛権行使禁止原則、武器輸出三原則、専守防衛政策、PKO参加五原則、武力行使禁止原則を見直すのではなく、 これを逸脱している政策を改めて、これらの原則を徹底させながら、日本が北東アジアや国際社会の平和と安定のためのイニシャチブを発揮することが、 今最も求められることだと思います。