2010.12.30

憲法9条と日本の安全を考える

弁護士 井上正信
目次  プロフィール

憲法9条と新防衛計画大綱

  12月17日、新防衛計画大綱と中期防衛力整備計画が安全保障会議と閣議で決定されました。 新大綱はこれから10年間のわが国の安保防衛政策を決定したものです。中期防は新大綱の下でこれから5年間の防衛力整備計画を策定しました。 この二つの文書は一体として読む必要があります。

  わが国の安保防衛政策は、9条の解釈により規定されてきました。自衛隊創設時に、参議院議員が 「海外出動をなさざる決議」 を行いました。 9条が自衛権を否定していないこと、自衛隊が合憲であること、自衛権行使の三要件 (注1)、 防衛力の限界、その地理的範囲、自衛隊の国連軍派遣、集団的自衛権行使禁止、9条で禁止されている戦力の定義、 他国軍隊の武力行使との一体化の禁止、核兵器と9条など、国会での憲法論議の中心でした。

  9条解釈は、自衛隊の活動に関する国内法制も規律しています。 PKO協力法ではPKO参加5原則 (注2) により憲法違反ではないとか、周辺事態法、テロ対策特措法、イラク特措法では、 自衛隊の活動地域が非戦闘地域であることや、危険になれば活動を中止したり撤退をする、武器使用権限は自衛隊の部隊ではなく自衛官個人へ与え、 武器使用も生命身体の防護のため、危害射撃は正当防衛や緊急避難に限る、任務遂行のための武器使用は出来ない、駆けつけ警護禁止などです。 その結果、海外での自衛隊の活動は、警察活動よりも制限されていると言えます。 なぜなら、警職法で警察官は任務遂行のための武器使用が出来るからです。

  わが国の防衛政策として、専守防衛政策 (注3)、基盤的防衛力構想 (注4) が長年にわたり維持されてきたのも、 9条の制約があったからです。防衛白書では、防衛政策を説明する第K部第一章で、防衛政策と憲法に関する記述をしています。 その第2節 「憲法と自衛権」 では、9条の恒久平和主義に言及しながら自衛権を肯定し、専守防衛政策を防衛の基本として自衛隊を保有すると述べています。 専守防衛政策は、9条から直接導かれる防衛政策であるとともに、自衛隊が合憲である事の根拠なのです。

  では、新大綱はこれまでの防衛政策をどうしようとしているのでしょうか。まず、基盤的防衛力構想を排斥しました。 この事は極めて大きな意味があります。これに変わる新しい防衛構想として、「動的抑止力」 による 「動的防衛力」 構想を打ち出しました。 他方で、新大綱は 「日本国憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならないとの基本理念に従い、文民統制を確保し、 非核三原則をまもりつつ、節度ある防衛力を整備するとのわが国防衛の基本方針を引き続き堅持する。」 と述べています。 この表現は旧大綱(16大綱)と同じです。では、この言葉を額面どおり受け止めてよいでしょうか。私はそうは思えません。 結論的には、新大綱は専守防衛政策を否定する防衛政策を採用したと理解しています。

  抑止力には 「懲罰的抑止力」 と 「拒否的抑止力」 があります。専守防衛政策も基盤的防衛力構想も 「拒否的抑止力」 です。 日米安保体制を前提にしたわが国の防衛政策は、これまで、米軍を懲罰的抑止力(いわゆる槍の役割)、 自衛隊を拒否的抑止力(いわゆる楯の役割)とも表現されてきました。拒否的抑止力であるから、敵基地攻撃能力を保有できないとされます。 基盤的防衛力構想も専守防衛政策と同じく拒否的抑止力に分類されます。専守防衛政策を裏付ける防衛力構想が、基盤的防衛力構想と言えるでしょう。

  新大綱は 「動的防衛力(抑止力)」 が 「拒否的抑止力」 と 「懲罰的抑止力」 どちらに属するのか述べていません。 専守防衛政策とは矛盾しないと考えているようです。
  しかし、「動的抑止力」 重視の防衛政策自体に、専守防衛政策を事実上排斥する考え方が潜んでいると思われます。 わが国に対する本格的武力侵攻の可能性が低いとし、これに代わる新たな脅威として、 「わが国周辺の不透明・不確実な要素」(領土・領海をめぐる問題、朝鮮半島、台湾海峡のことです)、 北朝鮮の脅威、中国への懸念、弾道ミサイル・巡航ミサイル攻撃、特殊部隊・テロ・サイバー攻撃、離島・島嶼部の安全確保、 周辺事態などの多様な事態やこれらが複合して発生する事態、その他大規模自然災害などを挙げて、これらに対処することを防衛力の役割とします。 これらの脅威の特徴は、事態が生起するまでの猶予期間(ウォーニングタイム)が短いことから、迅速でシームレスな対応の重要さを指摘します。 ここから、動的抑止力構築の重要さを強調します。また、日本列島の地理的特徴(海岸線が長い、多くの島嶼、人口・産業・情報基盤が都市に集中、 沿岸部に重要施設を抱える)や、海外との貿易に依存することから、安全保障上脆弱である(攻撃に脆弱で防護しにくいこと)を挙げています。 これらの要素から、動的抑止力重視の防衛政策を打ち出したのです。 この考えを進めると、脅威が現実化する前に攻撃するという先制的自衛権行使へと傾くでしょう。敵基地攻撃能力保有論はその典型です。

  「動的防衛力」 の中心は、南西諸島防衛です。新大綱や中期防を読めば、「南西諸島防衛」、「島嶼部防衛」 のいわばオン・パレードです。 「島嶼部防衛」 は16大綱で防衛力の役割の一つに挙げられていましたが、新大綱でクローズアップされた理由は、9月の尖閣諸島を巡る日中間の紛争と、 基盤的防衛抑構想を排斥し、「動的防衛力」 構想を採用したことの具体的な結果だからと思います。 民主党外交安全保障調査会作成の 「『防衛計画の大綱』 見直しに関する提言」(2010.11.30)は、 「動的抑止力」 向上が主として南西諸島方面の防衛力の強化であることを率直に述べています。
  しかし私は、80年代にシーレーン防衛という概念が、あたかも、日本の経済的基盤である貿易のための海上輸送路の防衛であるかの誤った印象を与えて、 その裏で実行された日米安保体制の実態(ソ連原潜の太平洋での活動を封じ込める)を隠す役割を果たしたことと、 「南西諸島防衛」 が同じ役割を果たすのではないかと危惧している。

  南西諸島防衛は日米同盟と切り離しては考えられません。 なぜなら、後述するように、南西諸島防衛とは決して日本と中国の二国間紛争ではないのです。 南西諸島防衛の実態から、「動的抑止力」 重視の防衛政策と専守防衛の関係を検討しなければなりません。
  南西諸島防衛は、中台武力紛争時に台湾を武力で屈服させる作戦の一環として、中国軍が南西諸島の一部を軍事占領することを想定しています。 いくつか根拠を挙げます。05.1.16共同通信配信記事は、防衛庁が 「島嶼部防衛」 を協議する部内協議で、 04年11月に 「南西諸島有事」 を想定した対処方針を策定した、 これは陸上自衛隊部隊55000人(5500人ではありません)を動員する大規模な作戦であることを報道しました。 防衛庁の部内協議とは、16大綱を策定するため02年9月から開始した 「防衛力のあり方検討会議」 のことと思わます。 04年11月にあり方検討会議は報告書を作成したので、「南西諸島有事」 の対処方針を策定した時期と重なるからです。
  07.1.4共同通信配信記事は、 日米両政府が中台武力紛争時での米軍と自衛隊との共同対処計画(共同作戦計画)の検討開始に基本合意していたと報道しました。 06.12.30共同通信配信記事は、尖閣諸島を中国軍が占領するシナリオで、日米両海軍が硫黄島近海で大規模な共同軍事演習を行ったと報道しています。 記事によると、演習シナリオは、中台間の軍事情勢の緊迫化を前提に、中国軍が尖閣諸島を軍事占領したという想定です。

10  繰り返しますが、南西諸島有事とは決して中国と日本の二国間武力紛争ではありません。 台湾独立を中国が軍事力行使で阻止しようとして中台武力紛争となり、米国が台湾関係法を適用して、台湾防衛のため軍事介入し、 日本は周辺事態法と有事法制を発動して米軍を軍事支援しながら、自衛隊を南西諸島へ機動展開するという作戦なのです。 この作戦の目的は、中国の 「アクセス拒否戦略」 を突破するための空域・海域優勢の確保です。 陸自定員の3分の1以上を動員する作戦であることは、日本の防衛力の総力を挙げた作戦であることを示しています。 中台間の武力紛争へ米軍が介入すれば、史上初めての核保有国間の武力紛争となりますし、日本も無事ではすまないでしょう。 私たちにとって悪夢としか言いようのない事態です。

11  平成22年度日米共同統合演習(キーンソード)が実施されました。南西諸島防衛を想定したものと言われていますが詳細は不明です。 ところで、私の手元には平成19年度日米共同統合演習(キーンソード)のうち、海上自衛隊が作成したいくつかの文書があります。 これを見ると、周辺事態やその直前の段階から、集団的自衛権行使に踏み込もうとしている姿が見えてきます。 基本実施計画(統合幕僚長指示)によると、主要演練事項は 「周辺事態を含む情勢緊迫段階以降における、 自衛隊間の統合運用要領及び日米部隊間の共同要領」 とされています。
  2007年11月5日から19日まで実施された共同演習についての自衛艦隊作成の実施報告書によると、演習海域は東シナ海、日本海、太平洋であり、 太平洋・東シナ海での海上作戦には空母打撃群の防護と海上作戦輸送部隊の護衛及び対潜水艦作戦が含まれています。 日本海の海上作戦ではBMD対処部隊の防護作戦を行っています。東シナ海での演習は、明らかに中国軍との戦闘を想定しています。 「南西諸島有事」 も想定しているはずです。
  周辺事態で武力攻撃予測事態が認定されると、有事法制のひとつである米軍支援法により、 自衛隊による行動関連措置(軍事的支援措置のこと)がとられますが、これはあくまでも自衛隊による米軍に対する物品役務の提供です(同法第10条)。 このような空母部隊や輸送艦隊の防護などは、周辺事態法、有事法制でも想定されていません。 周辺事態において9条に違反する集団的自衛権行使に踏み込もうとしているのでしょう。これは、専守防衛政策では説明できない事態です。
  これと同じ様な日米両海軍の共同演習について、「自衛隊」(岩波新書 前田哲男著)に紹介されていますので、読まれた方もいるでしょう(132ページ以下)。

12  じつは、「動的防衛力」 構想での南西諸島防衛作戦は、米軍の新たな作戦構想である 「Joint Air-Sea Battle Concept」 (統合空海戦闘構想)との深い関連を考えざるを得ません。この作戦構想は、中国の 「アクセス拒否戦略」 により、 東シナ海での米軍の軍事行動の自由を奪われることに対する対抗戦略で、 オバマ政権の国防政策を策定した 「4年ごとの国防見直し(QDR)」 で登場しました(QDR31ページ以下)。 この作戦構想を提言している米シンクタンク 「戦略予算評価センター」 の報告書 「Air-Sea Battle:A Point of Departure Operational Concept」 (2010.5)を詳細に紹介した論文が 「鵬友」 誌(航空自衛隊部内誌)2010年7月号に掲載されています。 中台紛争へ米軍が台湾防衛で軍事介入する作戦を想定しているもので、琉球列島から南に延びる第1列島線を琉球バリアーとして、 海・空による ISR 「情報・戦場監視・偵察」 や対潜水艦作戦を行い、海上自衛隊の対潜水艦作戦能力を重視します。
  新大綱と同時に閣議決定された中期防衛力整備計画(2011年度から2015年度の5年間)によると、 那覇基地へ1個飛行隊を移動させ、2個飛行隊編成の航空団とする、潜水艦を増勢(別表では16隻から22隻へ)すること、 南西諸島へ陸自の沿岸監視部隊を配備し、南西諸島へ初動配備される部隊を新設、移動警戒レーダー設置などを初めとして、 南西諸島防衛の様々な措置が計画されています。これらは与那国島を想定されていると言われます。 南西諸島防衛の内容が、このレポートの 「Air-Sea Battle」 構想とダブってくるのです。
  潜水艦は常時東シナ海域で潜行したまま中国海軍(特に中国の潜水艦)の動きを偵察し、海自や空自の偵察・警戒機は空中で偵察・監視任務に就き、 地上レーダーは中国軍の動きを監視することになるでしょう。 日中間で緊張が高まれば、私たちの知らない間に不測の事態となり、事態のコントロールを失うことになることをおそれます。

13  新大綱が専守防衛政策に徹すると述べてはいますが、実態はもはや専守防衛政策とはいえないものであると思います。 新大綱は9条に反する防衛政策を採用したもので、わが国の防衛政策は、日本と周辺諸国の平和と安全にとって憂慮すべきものになるでしょう。

注1 自衛権行使の三要件
  @ わが国に対する急迫不正の侵害行為があること
  A この場合にこれを排除するために外の適当な手段がないこと
  B 必要最小限度の実力行使に限られること

注2 PKO参加五原則
  @ 停戦合意、A 受け容れ同意、B 中立、C 以上のいずれかの原則が満たされない場合の撤退、 D 要員の生命等の防護のために必要最小限度の武器使用
  これらは、海外での武力行使禁止原則から導かれたもので、PKO協力法の合憲性を担保するもの。新大綱はこの原則の見直しの方向性を打ち出した。

注3 専守防衛政策
  相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限度にとどめ、 また、保持する防衛力もそのための必要最小限度のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいう。

注4 基盤的防衛力構想
  わが国に対する軍事的脅威に直接対抗するよりも、自らが力の空白となってわが国周辺地域の不安定要因にならないよう、 独立国としての必要最小限度の基盤的な防衛力を保持するもの。
  この考え方は、まず、日本に対する本格的大規模な侵略事態は可能性が低いと想定し、 特定の仮想敵の軍事力に対抗する防衛力を保持する所要防衛力構想を排斥し、 (どの国からでもよいが)小規模限定的武力攻撃という武力攻撃の絶対量を前提にした軍事的対応を想定し、日本の領域に薄い防衛の網をかぶせ、 侵略に対する 「拒否力」 の範囲で防衛力を整備するもの。抑止力論では 「拒否的抑止」 に分類される。
  51大綱がこれを具体化した。