2014.5.3

明日の自由を守るために

目次 明日の自由を守る若手弁護士の会
第4回
【集団的自衛権の実例〜うわ、結局戦争じゃん〜 1】

  皆さま、国立国会図書館はご存じのことと思います。
  でも,この図書館はみなさんの町にある公立図書館や学校の図書館と全く違う性質の図書館だということはご存じでしょうか?  「国会」 図書館は、一体何が普通の図書館と違うのでしょうか…
  国会図書館は、国立国会図書館法という法律に基づいて設置されています。そこにはこう書かれています。

第2条 (目的)
「国立国会図書館は、図書及びその他の図書館資料を蒐集し、国会議員の職務の遂行に資するとともに、行政及び司法の各部門に対し、 更に日本国民に対し、この法律に規定する図書館奉仕を提供することを目的とする。」

  つまり、国会議員のお仕事を助けるのが第一の目的になっているわけです。
  さらにさらに−、お仕事に関する15条には、国会図書館内の 「調査及び立法考査局」 が、 @ 要求に応じて、両議院の委員会に懸案中の法案又は内閣から国会に送付せられた案件を、分析又は評価して、両議院の委員会に進言し補佐するとともに、 妥当な決定のための根拠を提供して援助する。A 要求に応じて、又は要求を予測して自発的に、立法資料又はその関連資料の蒐集、分類、分析、飜訳、索引、 摘録、編集、報告及びその他の準備をし、その資料の選択又は提出には党派的、官僚的偏見に捉われることなく、 両議院、委員会及び議員に役立ち得る資料を提供する、と書かれています。

  国会の委員会からの依頼によって調査する場合と、独自に予測をして調査する場合とがあるんですね。
  調査員が独自に予測して行った調査(予測調査といいます)の結果は論文としてまとめられ、 その一部は、国立国会図書館が発行する 「リファレンス」 や 「調査と情報-ISSUE BRIEF-」 という刊行物となって、WEB上で公開されています。

  ところで、というかここからが本題。
  「レファレンス」 2009年1月号の 「集団的自衛権の法的性質とその発達―国際法上の議論―」 は、 今、議論になっている集団的自衛権について調査を行っており、よくまとまった論文となっています。

  もう、5年も前に国会図書館は独自に予測して、こんな論文をまとめあげていたのですねぇ。 国会議員が何を考え、どういう議論が巻き起こるであろうか…その 「要求」 を 「予測」 する精度はかなりのものです(あっぱれ!)。

  この論文には、過去に世界中で主張された集団的自衛権の実例が網羅されています(後述)。
  今、政府は、集団的自衛権を 「制限的に解釈」 するから危険はないんだという趣旨の発言を繰り返していますが、 果たして集団的自衛権が制限的に行使されてきたかどうか? は、過去の実例をみれば一目瞭然です。
  とくとご覧あれ、ということで、数回に分けて、集団的自衛権の実例を紹介していきますね!

1 ソ連/ハンガリー(1956年)
  1956年10月、ハンガリーにナジ政権の復帰を求める反政府デモが起きると、ソ連の軍隊がハンガリー領域に進入し大規模な戦闘が行われた。 ソ連は、国連安保理において、ハンガリー政府の要請に基づき、 ワルシャワ条約に従ってハンガリーを防衛するために行動した(集団的自衛権の行使である)と説明した。 しかしこの要請は、既に首相に復帰していたナジではなく、ゲレー第一書記が行ったものであり、正当な政府による支援要請といえるかは疑わしい。 その後ナジ首相は、ワルシャワ条約機構からの脱退とハンガリーの中立的地位を宣言し、連立政府を組織したが、 ソ連軍はハンガリーの抵抗を打破し首都を占領した。国連では、ソ連の撤退を要請する安保理決議案がソ連の拒否権行使により否決されたため、 米国の要請により緊急特別総会が開催された。 緊急特別総会でもソ連は、ハンガリー正当政府の要請に基づき、ワルシャワ条約に従って軍隊を展開したと主張した。

2 米国/レバノン(1958年)
  諸宗教・宗派のモザイク国家であるレバノンでは、イスラム教シーア派その他の貧困層の人口増加に伴い、 支配階級にあるキリスト教マロン派に対する不満が高まりつつあった。 その後内乱が発生すると、レバノン政府は、アラブ連合共和国がレバノンの内政事項に干渉していると国連安保理に報告した。 安保理はレバノンに国連監視団を派遣することを決定した。 しかし7月にUNOGILは、アラブ連合共和国からの干渉の証拠を見出せないとの報告を安保理に提出した。 これに不満を持ち、また同時期に起きたイラクのクーデターの影響が自国に及ぶことを懸念したレバノン政府は、米国に対し軍事介入を要請した。 これを受けて米国はレバノンに派兵し、安保理において、自国の行動は国連憲章第51条による集団的自衛権に基づいた行動であると説明した。

3 英国/ヨルダン(1958年)
  ヨルダンはアラブの中でも最も親西欧的な国であったが、1950年代初めから国民によるアラブ民族主義運動が高まっていた。 ヨルダン王室は、1958年2月に、同じく王制を敷くイラクとアラブ連邦を結成し、王制を守ろうとした。 しかしその5か月後、イラクではクーデターにより王制が倒れ、共和国が誕生した。 そこでヨルダンは、アラブ連合共和国による脅威からヨルダンの独立を守るべく、国連憲章第51条に基づき英国に軍事援助を求めた。 英国は、直接又は間接侵略に対抗するための支援要請を受けた国はそれに応える権利を有すると強調し、 ヨルダンの要請を受け、その領土の保全と政治的独立を守る目的のため派兵した(集団的自衛権を行使した)と安保理で説明した。
つづく