2014.1.30

飯室勝彦
目次 プロフィール

暴走する反立憲主義

  正式な手続きによる憲法改正がだめなら解釈変更で実質的な改憲を強行しよう。法律制定は数の力でごり押しすればいい。 とにかく戦後民主主義をひっくり返して古い日本に戻す。─―安倍晋三政権の暴走が止まらない。 このままでは日本人があの悲惨な経験を生かし、半世紀余かかって築き上げてきた 「国のかたち」 が崩壊してしまいかねない。
  それを防ぐには、「保守反動」 「右寄り」 など情緒的で意味内容の不明確な言葉で批判してもあまり効果的ではないばかりか、かえって危険である。 座標軸の据え方で評価が一変するおそれがあるからだ。
  「反立憲主義」 「反知性主義」 といった角度からの安倍政治に対する分析を強化し、この点に批判を集中すべきだろう。

  「立憲主義」 とは通常、権力の振る舞い方、公権力がしてよいことを憲法によって制限することをいう。 似たような文脈でよく使われる 「法治主義」 とは 「法というルールによる統治」 をさすのであって、 特定秘密保護法を強引に成立させた安倍首相はじめ与党議員の多くが誤解しているような 「法で決めれば権力は何でもできる」 のではない。 当然、法は憲法の枠を逸脱することができない。その意味では法もまた、権力をしばるものである。

  憲法には人類の長年にわたる経験と叡智が反映している。だからこそ日本国憲法の前文は 「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」 と結ばれているのである。
  自由、個人の尊重、戦争放棄、国際協調など現憲法の基本は、人類の貴重な経験と叡智が結集してできあがった。

  ところが、自民党の改憲草案は、天皇を元首としていただき、個人より公を優先し、国防軍を設けて戦争参加を可能にするなど、 歴史の歯車を逆転させようとしている。立憲主義の思想とは全く逆に公権力の裁量範囲を広げ、自分たちにとって使い勝手のよい憲法にしようとしている。
  使い勝手をよくするために、現憲法に反映された叡智を一蹴した。 人権条項部分を 「天賦人権論に基づくから」 と退けたり、平和主義を 「ユートピア的発想」 と切り捨てるなど 「知」 「知性」 に対する嫌悪感を隠そうとしない。

  安倍首相は、憲法の改定が難しいと分かると、憲法の本質、こめられた叡智を無視した解釈により、 あるいは現実の施策強行や法律制定により憲法を骨抜きにしようとしている。
  特定秘密保護法のごり押し、名護市民の声を無視した軍事基地の新設強行、 集団的自衛権行使の容認、教育に対する権力的介入の強化……安倍内閣が目指す一連の法制度改革や施策は、日本国憲法の価値観と明らかに矛盾する。
  それは 「反立憲主義」 であり、積み重ねられた叡智を無視する点で 「反知性主義」 である。

  自民党草案は、権力にとって使い勝手の悪い憲法から使い勝手のよい憲法への転換を目指し、 「公権力を縛る」 ことから 「国民を支配する道具」 へとその役割を変えようとしている。 基本的人権を制限して、国防義務、日の丸・君が代尊重義務、公益、公共の秩序服従義務、 緊急指示服従義務などさまざまな義務を新設しているのがその表れの一つだ。
  「憲法で公権力を制約する」 という立憲主義の思想に照らせば、権力が使い勝手が悪いと感じている憲法は正しく機能しているのである。 そういう情況で権力の示す方向へ憲法を改定することに同意するのは被統治者として自己矛盾である。

  思い返せば憲法の持続性、安定性を守ることは立憲主義の根本的課題だった。 とりわけ日本において憲法は、主として旧体制にシンパシーを感じる勢力からの激しい攻撃にさらされてきた。
  それに抗して憲法の持続性、安定性を守るための努力は必ずしも十分とは言えず、条文こそ改定されなかったものの、 その精神を生かし切れているとは言えない。
  安倍政権はその隙を突き、積み重ねられた叡智を 「戦後レジーム」 と称して投げ捨て、平和、不戦の誓いを踏みにじろうとしている。 国民は特定の価値観を押しつけられ、目や耳をふさがれたままとんでもないところへ連れていかれようとしている。
  公権力が、使いにくい、変えたい、と考える憲法を持つことの誇りを、いまこそ私たちは取り戻したい。

  日本は戦後最大と言っていい分かれ道に立っている。人類の叡智に基づく憲法を無視して暴走する政権の誕生を許したのは有権者である。 その暴走車を排除するのは国民、有権者の責任だ。
  この国のかたちはどうあるべきか、政治や社会はどうあらねばならないか―─ 一人ひとりが主体的に熟慮すれば結論は明らかになる。