2010.1.30

エッセイ風ドキュメント 新しい日本の“かたち”を求めて

ノンフィクション作家 石井清司
目次 プロフィール

−泡(うたかた)だった “誤針” の70年−

  昭和20年(1945年)8月15日、正午、当時日本の唯一の電波媒体だったNHKラジオから、天皇自身の国民への詔勅が、録音盤によって放送されたのだが、 その全面敗国を意味する米英などの連合国による対日 「ポツダム宣言」 への日本側の受諾宣言は、すでにその5日前の8月10日に、 コミュニケーション手段を持たない日本側はすがりつくように唯一の伝達手段の短波放送により政府声明の形で放送し、連合国側首脳に何とか伝わるように祈った。 伝わらなければいつでも第三発目の原爆投下もあり得ると日本側首脳は分析していたからである。 さらに一刻でも早く敵の猛攻から逃れたい一心で、連合国側へ無条件降伏(連合国側からのポツダム宣言)受諾の決意表明を伝える補強作業として、 他に連合国側とコミュニケーション手段を持たない日本国側は 「短波ラジオ放送」 のほかに、 外務省を通じて中立国政府に頼んでその意思決定を連合国側に伝える作業を行ったが、 そんな遅々とした身もだえするような身勝手さの濃い日本政府側の気取ったやり方が、迅速に各連合国側に伝わったとは思えない。

  日本政府の連合国側への無条件降伏の意思表示の国際的に通ずる直截的な中味文と、天皇による日本全国民への国内的ラジオ伝達の中味とには、 微妙な言いまわしのズレやごまかしがある。日本国内向けの天皇の文言にはあたかも敗国したのではなく、ここは暫く戦闘の矛(ほこ)を収め、耐えがたきを耐えよ、 といったゲキを飛ばすような、戦中の軍事ニュース色のニュアンスを色濃く引きずっていた。 直ちに日本国内向けに、「無条件降伏」 に代わる言葉として 「終戦」 を広く流布させた軍国日本の為政者たちの巧妙な手口と天皇のそれには共通したものがあった。

  このような日本為政側の巧妙な、戦争へ満身引きずりこまれた日本国民への “心理慰撫テクニック” を懸念した戦勝連合国側は、 巧妙な降伏文書文言の日本側の曲解工作を全面的に封じ込め、無意味な文言解釈工作を日本側にあきらめさせるために、 ポツダム宣言第13条の 「全日本国軍隊の無条件降伏」 の 「日本の降伏」 とは 「軍隊の降伏」 だけを意味するのではなく、日本国(政府)の 「無条件降伏」 であることを、 改めてその後の8月21日に言いふくめるように “逃げ口上” を繰りかねない日本政府側にクギをさすという、だめ押しの引導渡しをして息の根をとめさせたのである。

  さてこの8月15日。戦中、天皇のために命を預ける心境に催眠されたおとなたちは別にして、 それが何のことか分からず目を白クロさせてただただなりゆきに身をまかせたのが子どもたちだった。

  戦中、小・中学校の校庭に全校直立不動で並ばされて、正面壇上に軍刀、軍服の将校が立ち、年柄年中天皇が畏れ多い人間神(あらひとがみ)であること、 戦場で 「天皇陛下バンザイ」 と叫んで死んだ勇気ある “軍神たち” のハナシ、日々お国のための勤労に尽くせ、 と講談師のようなよく揚の訓辞を聞かされ従っていたのに、全校で校長や担任教師、将校を先頭に近くの神社まで足並み揃えて行進し、 両手を音を立てて打ち、柏手(かしわで)で拝し、天皇と神国日本の祖先に拝礼させられていたのに、 天皇の居(お)わす東方宮城に向けてまず腰を深く折って最敬礼し、教室正面に飾ってあるご親影(天皇の写真)に尻を向けぬようままごとじみた訓練をされてきたのに、 中学生は “勤労奉仕” として授業をせず工場や農家へ働きに行かされていたのに、8月15日の天皇のラジオ放送のあとは、それらはすべて無しとなり、 心も身体も空っぽの感じになった。

  中学生たちはまず反射的に、戦中厳しく教えられていたように、天皇の子、小国民として米英に敗れ申しわけない、天皇へお詫びすべきと腹を切る 「自決」 を考えた。 小刀で腹の皮を手前左から右へかき斬りさばき、右から上へ胸まで “コの字型” に斬り上げ、間をおかず日本刀をかざした介添人が首をはね、 皮一枚遺して斬りのこし、介添人はにじり寄って懐刀でつながっているその皮を切りはぎ、正面に正視させ参拝する。 この切腹の作法は知ったかぶりの教師や将校たちから失敗せぬよう細かくていねいに教えられている。 その前にこの生への訣別を辞世の句として、和歌を詠む。その練習もしてきた。しかし、いざとなると級友の多くがあいまいな態度をとり、死のうとしない。 卑怯だがそれもわるくない。しかし、明治維新以来、一図(いちず)に大日本帝国の大建設、近代化への70年の努力はこれですべて泡(うたかた)となった。 夢のようでもあった日本の明治天皇のもとの明治維新、そして太平洋戦争までのあの70年とは何だったのだろうか−。