2008.2.19

メディアは今 何を問われているか

日本ジャーナリスト会議会員
 桂 敬一
目次 プロフィール

沖縄・米兵暴行事件と報道
―─再び同胞の苦悩を顧みないメディアを憂う

  2月11日朝刊で岩国市長選の結果が報道されたあと、その日起こった沖縄の米兵による14歳の女子中学生暴行事件は、ただちにテレビで報じられたが、 新聞は、休刊明けの12日夕刊で第1報の登場となった。
  テレビも一応は、沖縄全島を揺るがせた1995年の少女暴行事件―─ 米兵犯罪の捜査権が日本にないも同然の日米行政協定の運用を見直すきっかけとなった事件のことも取り上げ、今度の事件についても大きく報じた。
  今回は容疑者米兵が基地外で事件を起こし、日本の警察によってただちに逮捕され、身柄が確保されたため、見直し後の協定運用原則によって、 米軍側が容疑者の身柄を取り返す要求はできず、過去に起こったような紛糾は生じない。 あとは現地警察の取り調べの進展が注目されるわけで、日米両政府のあいだのお定まりの遺憾と謝罪の意の表明・交換のほかは、当分目立った動きは生じない。 すると、テレビの事件のフォローは、目にみえて貧弱となった。
  こうなったら新聞の出番だ。なんで同様の事件が性懲りもなく繰り返されるのか、再発はどうしたら可能なのかなど、基地周辺住民の声、両国関係機関の対策、 在日米軍再編への影響など、報じ、論じることは山ほどある。だが、新聞のほうも、どうも反応が鈍いのだ。

  もちろん現地の琉球新報、沖縄タイムスは、事件発覚と同時に号外を発行、その後も精力的に報道を繰り広げ、問題の根源は米軍基地があることに尽きる、 とする全島の認識をあらためて強く確認している。沖縄では、米軍再編交付金を当てに地域振興を考える政治家や自治体首長でさえ、 期間や程度の差はあれ、漸減的な基地の縮小・整理、兵員の削減を求める点では変わりはないのが実情だ。
  ところが、本土の新聞、とくに大新聞となると、この点ががらりと変わり、沖縄の米兵暴行などの事件は、 沖縄の基地のあり方が特別だから起きる―─いってみれば沖縄問題だと眺める視点が強く、沖縄現地での問題再発をどう防止するかというような、 技術的な議論に終始する調子が蔓延している。
  さらに、再発防止は、喫緊の在日米軍再編・日米軍事一体化の進展がこんなことで阻まれてはいけないから、ぜひやらねばならないものだ、 とするような議論さえ、少なからず目につく。それは、日本中に同様の事件、問題を拡散、増加させる結果に行き着くとする理解が、まるでないのには呆れるばかりだ。

  そもそも読売は、12日夕刊は他紙と違い、この事件の報道は1面トップではない。トップは、「加工食品の原産地表示を全品についてやるのは困難」 とする記事。 これが休刊明け最初のトップ・ニュースか! そして翌13日朝刊は、各紙全部が事件に触れた社説を掲載したのに、読売は該当社説なし。 この事件に関しては騒ぎを大きくせず、できるだけ静かにやり過ごそうということか。
  社説はようやく14日。しかしそれは、米軍に 「実効性ある再発防止策を」 求める一方、日本側に、沖縄の基地負担を和らげるためにも、早く普天間飛行場を名護に移し、 海兵隊をグアムに移すなど、米軍再編を加速する必要がある、という方向に議論をもっていくものだった。 これらの移転措置は、沖縄の基地負担を軽減するどころか、米軍の世界的戦略再編の一環として行われるものであり、 もちろん沖縄も含め、日米一体型の軍事基地の負担を、日本全土で増大させるおそれがあることには、まったく触れていない。
  日経 (13日) も同様に、在日米軍再編の遅延という影響が出ることを、一番心配する。 産経 (同) も、「沖縄の県民感情」 を心配するが、本当に心配するのは、やはり米軍再編の遅れなのだ。

  これらに比べれば、朝日 「沖縄の我慢も限界だ」、毎日 「凶行を二度と起こさせるな」、東京新聞 「繰り返した米兵の野卑」 の社説 (いずれも13日) は、 もっと強く危機感を募らせ、同じような犯罪が繰り返されるのを許してきた日米両政府の住民無視、有効な対策を講じてこなかった無責任に対する批判も、ずっと手厳しい。
  とくに毎日は、各紙の記事が1995年の少女暴行事件以降の米軍犯罪しか概観しなかったのに対して、 55年・嘉手納での6歳女児暴行に始まり、70年 ・ 「コザ (現・沖縄市) 騒動」 の原因となった米兵の傍若無人な交通事故など、多数の事件を紹介し、 それにらによって昔から今日まで、事件の真の原因は基地そのものであることを物語らせたのは、注目に値する。
  情けないのは朝日だ。11日朝刊の社説は、岩国市長選の結果に触れなかった。 そこで13日の上記社説は、この日の掲載となった 「岩国市長選 『アメとムチ』 は効いたが」 との組み合わせとなった。沖縄と岩国の組み合わせだ。 ケガの功名とはいえ、またとないチャンスだ。基地の現状とそれが直面する問題の本質に触れた、格調高く、スケールの大きい、両方の出来事に共通する問題を摘示、 解明する社説で紙面を飾ってくれればいいのに、と思ったものだ。だが、残念ながら、岩国は岩国、沖縄は沖縄という程度の社説2本が、同じ社説欄に並んだだけだった。

  北海道新聞 (同じく13日) の社説、「謝罪だけでは済まない」 が一番納得がいった。
  「沖縄のみならず国内の米軍基地があるまちで、同じような犯罪は後を絶たない」 「米軍基地の整理・縮小という沖縄県民の声を真摯に受け止め、 実行していく責任が日米両政府にはある」。
  東京の新聞はろくに報じていないが、北海道でも米第7艦隊の旗艦、揚陸挺総指揮艦・ブルーリッジの小樽港定例利用化が、日米両政府によって策されている。 地元紙としては住民読者にこの問題について、つねに情報提供を行っている。 平和と安全の問題は、地元住民の平和と安全に結びついている、とする基本的な考え方に立っているのだ。
  だからこういう社説が書ける。橋下徹大阪府知事は 「国の防衛問題に地方自治体は異議を差し挟んではいけない」 と井原前岩国市長を批判した。 これに対して北海道大学の山口二郎教授は、それならば 「面倒な基地をすべて大阪に移せばよい」 と国に提案、 橋下知事に痛烈な一発をかませた (2月11日・東京新聞朝刊 「本音のコラム」)。私もまったく同感だ。これほど説得力ある提案には滅多にお目にかかれない。 こういうことにならないと、中央の大新聞も、いつまで経ってもなにも自分の問題としては考えないのかもしれない。