2008.10.23

メディアは今 何を問われているか

日本ジャーナリスト会議会員
 桂 敬一
目次 プロフィール

言葉に責任が伴わない麻生政権の危うさ
―メディアの仮借ない言葉が今こそ必要だ―

  9月27日朝、新聞を開いて驚いた。麻生太郎新首相の大きな顔が、フル・ページの紙面のなかに、どかんと現れた。 つづいて目に飛び込んできたのが、「麻生がやりぬく」 の特大キャッチ・コピー。その下にはやや小さく、「麻生自民党始動。」 のサブ・キャッチ。 紙面の上部には 「…やります」 と、選挙公約のような約束がいくつも並んだボディ・コピー。なんのことはない。29日の所信表明演説の直前だ。 国会冒頭で解散、いざ総選挙へ、とする魂胆ありありの、いわば選挙広告。おまけに、このデザイン、メッセージをそっくり使ったスポットCMがこの日、 民放キー各局から流れた。新聞広告のほうも全国主要紙いっせい掲載だ。新総裁決定、首班指名・組閣の直後に、これだけ派手な選挙のための事前広告を、 自民党が大金を使って打ったのは、初めてだろう。
  しかし、直前26日の各新聞発表の内閣支持率が軒並み50%を下回り、中山成彬国交相の失言問題やアメリカ発の金融危機など緊急事態の発生で、 すぐの解散は分が悪いとみると、麻生首相は一転、解散をごまかす作戦に出て、今日に及んでいる。 だが、ここではそのことの是非や成否について、論ずるつもりはない。問うてみたいのは、政治家の言葉の問題、そこにうかがえる知性の欠落、政治性の劣化だ。 こんな言葉しか使えない政治指導者を放置したままでいる国民やメディアの責任も、同時に問題としなければならないのかも知れない。

  早い話が、上記の 「麻生がやりぬく」 だ。すぐ思い当たるのが、前2代の首相、安倍晋三・福田康夫氏の突然の政権放り出し。 要するに麻生首相は、“俺は彼らとは違う。途中で放り出しはしない―「やりぬく」” と見得を切ったわけだ。なんと軽い首相だろう。 程度の低い言葉遊びで空威張りするな、と思う。このような政権トップの軽い言葉は、小泉純一郎首相のときから目立つようになった。
  自分の厚生年金の不正加入が発覚したとき、小泉首相は国会答弁で、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」 と、問題をすり替えた発言でその場を逃れた。 また、自衛隊を派遣するイラク・サマーワが憲法違反となる 「戦闘地域」 か否かを問われたのに対して、「そこが戦闘地域かどうかなんて訊かれたって、 私にわかるわけがない。自衛隊がいくのだから、非戦闘地域だ」 と答えてすませた。 これらの発言は、首相の責任が問われるべき問題だったはずなのに、小泉首相のキャラの面白さを示す発言として話題にされただけで、深く追及されぬままに終わった。
  つづく安倍首相は、ブッシュ大統領に約束した、インド洋上の海上自衛隊による米艦船への燃料補給継続のための法改正ができないとして、政権を放り出したが、 そのとき口にしたのが 「職責にしがみつかない」 だった。「しがみつく」 のは 「職位」 「ポスト」 であって、「職責」 は 「果たす」 もの、「まっとうする」 ものだ。 彼は自分の使命、本分も弁えなかったのだ。そのくせ、8月15日の全国戦没者追悼式 (07年) の式辞のなかで、歴代首相が 「心ならずも命を落とした方々」 と、 戦死者の霊を慰める表現を使っていたのを、安倍首相は 「かけがえのない命を落とした方々」 と書き換え、 口先一つでこの式典を 「自ら命を捧げた戦死者」 を称える式典に変えた。ペテン師のような言葉の操り方だ。
  福田首相はこれらと比べれば、言葉の曲芸であまりボロは出さなかった。だが、辞任会見で、「私は自分自身を客観的にみることができるんです。 あんたとは違うんです」 と、質問した記者にいい放った言葉で、それまで口にしてきた 「国民目線」 の重視は表向きの話で、内心では国民をいかに上から見下してきたか、 馬脚を現した。

  上が上なら部下の閣僚もお粗末だ。麻生内閣だけでも実態を眺めておこう。テレビは思いがけない真実をさらけ出す。 9月29日・夜9時のNHKニュース 「ニュースウォッチ・ナイン」。冒頭、国会開会前の閣議室の全閣僚勢揃いの光景を映し出した。 今までとなにか違うぞ、と思った。正面中央の首相に笑顔を向ける大臣たちがみな、ネクタイを締めている。 小泉内閣以来、省エネ、クールビズ・ファッション提唱で、首相が率先ノーネクタイ、全閣僚もそれに倣ってきたこれまでの景色が、一変した。 中央の麻生首相は従前どおり、ネクタイをきっちり締め、こだわりのスーツ姿で決めている。 クールビズ・ファッションのままは、首相の隣に並ぶ鳩山邦夫総務相と、左手に離れ、横向きに座る舛添要一厚労相ぐらいのもの。 鳩山大臣の場合は空気の読み遅れ、舛添厚労相は相変わらずの頑固といった趣。ほかの諸侯はお殿様の好みに、すっかり合わせたという風情。 つぎに閣議の光景をみたときは、10月にも入っており、さすがにKYの鳩山大臣も、ネクタイを締めていた。
  そしてこの鳩山大臣の失言・放言こそ、お粗末の好例。安部・福田内閣の法相時代の 「(死刑執行は) 法相の署名がなくても、 自動的・客観的に進むような方法を考えてはどうか」、外人記者クラブにおける 「私の友人の友人はアルカイダ」 が、つとに有名だが、 麻生政権の総務相としても相変わらず “新作” を連発している。中山国交相の失言、「日教組の強い地域は学力が低い」 「成田空港建設反対はゴネ得」 「日本は単一民族国家」 に対して、批判的コメントを述べたのはいいが、「私も表現のきつい人間だが、その私からみても、きついな、ちょっときついですね」 と述べただけ。 問題は、きついか、やわいかの次元の話でなく、事実判断の正誤に関わることがらなのに、基本的にそうした認識がない。 10月3日の佐賀における今村雅弘衆院議員の国政調査会に応援にいったときも、土壌の汚染などに触れながら 「土を深く掘れば、最後にはヒ素が出る。 和歌山にいかなくとも、ヒ素入りの穀物ができる」 と脱線、毒物カレー事件で今でもヒ素中毒の後遺症に悩む市民がいる和歌山市の市長から、抗議を受ける結果となった。

  鳩山総務相の失言の質のある部分は、福田政権下の太田誠一農水相の失言と酷似するところがある。これも瞥見しておこう。 彼は8月、中国製の農薬汚染ギョーザ問題に関して、NHKの番組で 「日本国内では心配しなくていいと思う。消費者がやかましいから、 (安全対策が) 徹底していく」 と語り、「やかましい」 消費者の総スカンを食らった。 また、その後、農薬汚染の輸入米 (WTOで決められたミニマム・アクセス米) の偽装流通・転用問題で、 毒性は低いので食べても 「人体に影響がないことは自信をもっていえる。だからあんまりジタバタ騒いでいない」 と述べ (9月・日本BS放送番組収録)、 これまた非難の大合唱に直面した。確かに職務担当責任者としての認識の甘さはある。
  しかし、語用法の無知、間違いからくるコミュニケーション能力の水準の低さこそ、彼の場合、問題なのではないか。 「やかましい」 は、ただの空騒ぎに向けられる否定的な形容だ。だが、「うるさい」 なら積極的な評価の意味になる。 「あの人は焼き物、とくに古伊万里については、なかなかうるさい」 のように使える言葉だ。また、「ジタバタ」 は無駄な抵抗、悪あがきを示すオノマトペ (擬声語) だ。 しかし、ここも 「ドタバタ」 を使っておけば、そんなに大騒ぎにはならなかったはずだ。「ドタバタ」 は狼狽し、無用に騒ぎ立てることを表現するオノマトペだ。
  麻生総裁の統轄下にある自民党のほうに目を転ずるとき、笹川尭総務会長が9月30日、米議会下院で金融安定化法案が否決されたのを受け、 「下院議長は女性だ (民主党出身のナンシー・ペロシ議長)。ちょっと男性とはひと味違うようだ、リードが。それで破裂した」 と、 国会内で記者団の質問に答えて述べたのには、ぎょっとした。これはもろ女性差別だ。安倍政権下、柳沢伯夫厚労相の 「女性は生む機械」 発言と同根の女性蔑視だ。 また、院外でアメリカの市民・労働者らが、散々儲けてきた銀行や証券、保険会社の責任を追及せよ、安易な公的資金注入で彼らを免責するなと、 政府案に反対する動きを活発化させていた現実を無視することはなはだしく、いかにも不見識だ。

  このような政治家の失言・放言の頻発は、トップに立つものの言動の放埒と無責任さが部下たちの気を緩め、招いているものではないか。 総裁・総理に服してさえいれば、自分たちも好き勝手にものがいえるとする独善を野放しにし、無知や無思慮をさらけ出すことが、あたかも率直さ、 磊落、諧謔であるかのような勘違いを、集団的に生み出すのだ。
  9月29日、麻生新首相初の所信表明演説を聴くうちに、「強く明るく」 のスローガンの連発には辟易した。 それは、安倍首相の 「美しい日本」 「戦後レジームからの脱却」 と同様、実に空疎に響く。 一方で、麻生首相は、9月22日の総裁受諾演説では、「ここに立ちます時に、これは麻生太郎に与えられた天命だと思います。130年前の9月22日、 吉田茂が生まれております。おととい、私も68歳にあいなりました。…われわれは今から、自由民主党、政権政党として、 次なる総選挙において、断固、民主党と闘って…勝って、初めて天命を果たしたということになる」 と、 自分の権力の正統性があたかも祖父・吉田茂に由来するとでもいいたげな、時代錯誤的なものいいをした。
  さらに、これを恥じるどころか、つづく29日の所信表明では、「この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽をいただき、 第92代内閣総理大臣に就任いたしました」 と演説を始めたのには、呆れた。 祖父・吉田首相は1952年、皇太子 (現天皇) の立太子礼の際、昭和天皇への祝辞の言上に 「臣 茂」 と自分を称し、時代錯誤をメディアに批判されたが、 麻生首相はそれを承知で祖父のひそみに倣い、「かしこくも、御名御璽をいただき」 とやったのだ。
  新憲法下、主権者・国民の代表による指名よりも、現在も遺習として残る、明治憲法当時の主権者・天皇による下命・親任の形式のほうをありがたがる気持ちを、 臆面もなく誇示してみせたのだ。自分の権力の正統性を、それによってさらに上塗りしようとしたのだろう。 トップがこのように、他の者には及びもつかない超エリートとして下に向かって君臨するようになると、その権威に属するものは、上には限りなく気遣いする反面、 下には無頓着、自由勝手に振る舞うようになり、失言、暴言、妄言も、多発する。

  麻生首相の 「かしこくも」 を耳にしたとき、一瞬耳を疑った。敗戦時、国民学校4年だった筆者は、懇談のなかでも、年長の友人、少年団の団長、クラスの教師、 隣組のおじさんなどが 「かしこくも」 と口にしたら、即座に起立し、「気を付け」 の姿勢を取って話者のほうに顔を向け、 話し手が 「天皇陛下におかせられては…と仰せられ」 とつづけ、ある区切りで 「休め」 というまで、その姿勢を保持する習性が身に付いていた。 首相の 「かしこくも」 を聞いたとき、驚きの後に、すぐえもいわれない怒りが湧いてきた。
  いまさらなにをいうんだ。ひとを脅かすのか。からかうのか、と思ったが、初めの怒りが静まるとともに、この怒りは、戦後63年のすべてを賭けたものなんだ、 と思わざるをえなかった。 戦争の悲劇を代償にようやく手にし、その後育んできた、国民全部の平和と民主主義を、戦争の悲惨さも知らなければ、戦後の苦労も知らない、 こんなガキ政治家の勝手なものいいで、無に帰されてたまるものではない。そもそも彼の家臣格の閣僚たちの失言もさることながら、彼自身が失言の親分であり、 反憲法的、反国民的な失言・放言には事欠かない。
  ネットの世界には彼の 「失言集」 さえできている。ここでは詳しくは触れないが、一つだけ挙げれば、中山国交相の 「日本は単一民族国家」 発言さえ、 05年秋、麻生総務大臣が、こともあろうに九州国立博物館の開館記念式の祝辞で、「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」 と述べたのと比べたら、 酷さにおいて遠く及ばない。そして問題なのは、麻生首相に、このような酷い自分の姿を客観的に捉える能力がないということだ。 安倍首相も福田首相も、自分がなにかをなしえなくなった、と気付いたから、政権を放り出したが、「やりぬく」 麻生首相は、 選ばれたものとしての自信につねに満ち溢れており、なにかうまくいかないときは、不具合が向こうからやってきたからだと理解するだけであって、 自分の能力や言動に起因するとは理解しない。これでは政権放り出しはいつまで経ってもなく、「やりぬく」 だけだ。 それは、国民にとってはたまったものではない。そのままでは彼の無自覚の破滅と、心中させられることになる。

  国会解散は国会開会冒頭、と意図していたはずの麻生首相の当初の思惑は、予期せざる、向こうからやってきた不都合から、その後くるくる変わり、 総選挙は際限なく繰り延べられている。彼はこれを、自分の才覚で政局を巧みに操っていると錯覚している。 こうした状況のなか、朝日は10月16日朝刊で、「明らかに、なんとなく我々のまわりに大きな変化が起きている」 と語るなどする 「麻生節」 の曖昧さを分析、 「明らかに」 なのか 「なんとなく」 なのか、どっちだと追及した。忠臣・細田博之自民党幹事長は、代表質問の後、数々の 「麻生語」 をにこやかに称えたが、 とんでもない話だ。
  また朝日は、つづいて22日朝刊で、首相の 「連日 高級飲食店・バー」 通いの動静を 「首相、今夜はどこへ?」 と追跡したが、これも麻生首相の正体を暴くうえで、 有益な記事だった。重箱の隅をつつくようなゴシップ漁りか。そうみえるようで、実はそうではない。 いざ選挙となったとき、国民が麻生首相とはどういう政治家か判断するために、その実像を知り、理解したいと思ったとき、この二つの記事ほど役に立つものはない、 といってもいいぐらいだ。いかに自分と遠いところにいる政治家かが、よくわかる。 実は、こんないい加減な政治家に国を預けている日本の政治のお寒い状況を、転換期を迎えた世界のなか、諸外国はすべてお見通しではないかと、筆者は危惧している。