2009.6.1

メディアは今 何を問われているか

日本ジャーナリスト会議会員
 桂 敬一
目次 プロフィール

ネット時代とジャーナリズム不信の関係を考える(2)
―見過ごせない取材協力・対象者斡旋サイトの問題―


  今年3月、日テレ (日本テレビ) の看板報道番組 「真相報道 バンキシャ!」 の誤報が発覚した。昨年秋に放送の 「岐阜県庁の裏金づくり」 告発報道が、 ネットで情報提供を申し出た人物の虚偽証言に基づく誤報、と判明したのだ。日テレは県に謝罪、放送でも経緯を伝え、訂正報道を行う事態に追い込まれた。 久保伸太郎社長が責任を取って辞任したのには驚いた。その一連の経緯は、すでに多数報じられてきたので、ここでは繰り返さない。 だが、その後、この誤報事件の背後にあった、さまざまな問題が露呈するに及んで、社長辞任は、そうした事情がやがて外部に出、 報道というにはあまりにもお粗末な番組制作の実態が公然化する前に、あらかじめ泥を被って頭を下げ、 あとから押し寄せてくる非難の大波をやり過ごすためではなかったか、と思えてならない。 しかし、明るみに出てきた事情は、社長が辞めても、それでケリがつくものではない。日本の報道界全体がもっと考えなければならない深刻な問題が、残されたままだ。

◆告発情報提供の協力者は斡旋サイトからやってきた
  事件を他メディアが追いかけるのに伴い、明らかになったのは、日テレがこの番組を報道番組として放送しているにもかかわらず、 本社側社員としては、わずかの人間が番組の企画管理・編成に関与するだけで、実際の取材・編集などの具体的な番組制作作業は、 ほとんどが外部のプロダクションに委ねられていたらしい、という事情だ。 しかもその取材が、さらに外部の別の情報源斡旋事業者―インターネット内にウェッブサイトを開設し、 たとえば 「DV (ドメスチック・バイオレンス) に苦しんでいる母子家庭」、「若年痴呆症の夫を看護している妻」 などなど、 取材者側がみつけたいと思っている当事者・情報提供者を探し当て、それを紹介、取材の斡旋までする事業者―に照会して行われており、 しかも、斡旋事業者にも情報源となってくれた取材協力者にも、なにがしかの謝礼が渡される仕組みになっていた、という事実が、霧のなかから浮かんできたのだ。 これが取材・報道であろうか。日テレが必死に隠し通したかったのは、実はこのようなお粗末な実態だったのではないか。だが、私がもっと驚いたことは、さらに別にある。

  実際に私がそうした事情に気付いたのは、いくつかの新聞・雑誌の記者から、この事件に関するコメントを求められ、彼らとのやりとりを通じてだった。 各紙の報道のなかで日テレは最初、「情報源の証言を安易に信じ、裏取り取材を欠いた」 ことが誤報の原因だ、としていた。 ついで、情報源へのアクセスはネットを通じてだった、とする報道が出てきた。しかし、その意味、あるいは実態が最初、私にはよく理解できなかった。 そのことを紙面で十分わかるように報じた新聞は当時なく、いまもってない。いきおい私は、コメントを求めてくる記者に対して、その点をしつこく問い質すことになった。 そして、夢にも思ってみなかった、マスメディアに情報源を斡旋するエージェント・ビジネスが、ネットの世界に成立しているという最近の事情を、知ったのだ。

  私は、それを利用しているのは日テレだけなのか、君たちも利用するのかと、記者たちに聞き返した。 彼らの答はおおむね、まったく利用しないというわけではない―のぞくぐらいのことはしている、と解せるものだった。 そういう事業者が存在することは、すでに彼らのあいだでは常識に属する事実となっているようだった。 その上で彼らが私に期待したのは、ネットを通じて出現した取材源からの情報でも、十分に裏を取れば問題ないのに、今回はそれができてなかったからだめだった、 とする程度のコメントだということも、よくわかり、憮然たる思いがした。そういうものの利用から入ること自体が、そもそも取材とはいえない、 とする私の考え方は、もう古臭くて、取り合えないとするような気配が感じられ、私はこちらのほうによほど驚いたのだ。 取材とは何かとする私のコメントは、「サンデー毎日」 を除き、他のどこの紙面にも出なかったように記憶する。

  「取材の場合、DVだったらまず自治体の女性センターや警察の生活相談課、あるいは専門のNPOにいく。 認知症だったら病院、あるいは自治体の福祉課、介護事業者に話を聞く、というのが先でしょう。そういう過程を通じて、これはこの人に聞こうというように、 取材相手を絞り込む」 と私。「まず足を使えというわけですか」。「足で稼げ、苦労しろという話じゃない。下は乞食、ホームレスから上は大会社の社長、大臣まで、 だれのところにでも会いにいくことができ、直接話が聞けるのは、新聞記者の特権だよ。それを活かさないんではもったいない」。 「・・・・」。こうしたやりとりを通じて私は、取材源斡旋事業者に対する接触は、日テレ 「バンキシャ」 の制作スタッフに限られたことでなく、 ほかのメディアの関係者もすでに経験ずみなのだ―ただヘマするかしないかの違いだけだったのだ、と想像しないわけにいかなくなった。 ゼミの学生に発表をさせると、原データや元の文献に当たらず、グーグルのウィキペディアで要領よく調べるだけで準備をすませる学生が、 最近多くなっている大学の状況を、つい思い浮かべてしまった。

◆驚くべき多様な情報源・取材協力者斡旋事業者の存在
  あわててどんな情報源斡旋事業者が存在するのか、調べてみた。あるはあるは、たちどころにトレンダーズ(株)、メディアパーク(株)、(株)ニューズクリエイト、 プライベート・トゥルース総合探偵社などの募集サイトが浮かび上がった。メディアが希望する種類の取材対象者の捜索・紹介を申し込むと、 手持ちのデータや積み重ねたノウハウを生かし、適当な相手を紹介してくれるもの。そうでなく、メディアの希望を自社の公開募集サイトにアップ、 これに対する応募者のなかから適当な取材協力者・出演者を選定、引き合わせてくれるもの、メディアの依頼に対して、探している相手の所在やその現況、 関連する問題との関わりなどを調査して報告するが、取材協力・出演の交渉まではしないものなど、「サービス」 というか、代行業務の提供方式は、さまざまだ。

  また、わが社はベンチャー起業者、女性経営者、転職成功者、マーケット・リーダーなどの情報ならたくさんあるとか、事件・犯罪・ゴシップ・スキャンダルものが強い、 あるいは結婚、離婚、男女間のもめごと、家族問題なら任せてくれ、珍事件、事件被害者、ストーカー摘発、行方不明者発見などが得手だなど、 それぞれ得意とする取り扱い分野もエージェントによってかなり異なる。初めからサイト利用料をホームページに掲げているところもあるが、 多くは、申し込み・業務委託成約、協力者発見・紹介、取材・出演などの結果の成否などに応じた話し合いによって謝礼が決まる感じだ。 これらのほかにも、取材協力者の募集・応募の両当事者が匿名のまま、協力の依頼とそれに対する協力提供条件などの情報をオープンなサイト上で直接交換、 協力者側が複数の提供申し出者側から一人を選び、協力関係成立となると、サイト運営者によって両方の身元・連絡先が相手に伝えられ、お互いに接触可能となる、 公開的でありながら秘密がよく保たれる、個人が利用しやすい有料サイトもみかけられた。

  私は驚嘆した。よくもまあ、こういうものがいろいろ出揃ったものだ。理解できる面もあった。幼いとき別れた父を探して欲しい、30年前の小学校の、 クラス担任の先生に会いたい、などの尋ね人の注文に応える、バラエティ仕立てのテレビ番組がよくあるが、こういう番組は、そうした情報源斡旋事業者の協力があるから、 効率的に制作できるわけだ。ダイエットに成功した女性、熟年離婚の特徴的なケース、ストーカー被害体験などなど、 なんらかの出来事、話題に合致する経験者を招いて話を聞く方式のスタジオ番組もよくある。そういう場合も、情報源斡旋事業者の出番ということになるのだろう。 エンターテインメントや、制作者の意図に基づき、こしらえものとしてつくる番組の素材となる出演者なら、外部のエージェントを利用して探すことも、許されると思う。 しかし、ニュース・ネタについては、それは絶対あってはならないことだ。

◆ネットはマスメディアを凌駕する情報源になっていくのか
  エンターテインメント、文化的なスタジオ番組、さらにはある種のドキュメンタリーや企画報道の制作・執筆においては、 作り手・書き手の企画意図に基づいて作為的にシチュエーションが設定され、そこにテーマにふさわしい人物や、固有の問題をはらんだ出来事が動員され、 配置されていくことになる。このような番組制作や、リポート、ドキュメンタリーの執筆・制作は、作者の創作モチーフやイメージの具現化=表現にほかならず、 適切な人物、出来事を選ぶには、多数の、また多様な2次情報の渉猟と参照・選択が必要となり、ネットのなかにそうした作業を助けてくれる便利な機関がみつかれば、 それを利用するのはむしろ当たり前のことかもしれない。

  だが、ニュース報道の取材の場合は、まったく事情が異なる。 ニュースとは初めて発見される事実にほかならないからだ。これ以上の1次情報はほかにない。 もちろんそれは、記者が偶然のなりゆきに任せて発見する、というようものでもない。記者は日ごろの取材報道の仕事を通じて、政治の歪み、社会の病理、 経済のリスク、文化の変化などに関して、どこに危機が潜むかとする問題意識や、そのダイナミズムの現れ方に関する仮説を培っている。 そうした視点からの観察や調査の積み重ねの過程で、自分の仮説や推理の正しさを示す証拠を、事実として発見し、また、そのことを認める証人をみつけ、 証言をとるのが、取材なのだ。前提となる問題意識や仮説の錬磨に当たっても、確認や記憶の是正のために、文献・資料、ネット情報などを参考にする必要はあるが、 基本的には、実在する関係筋の人間と絶えず接触を重ね、問題と目することがらの現実の動きをつねに追って鍛えておかねば、それは、 まさかのときに役立たないものとなってしまう。

  ニュース報道取材のこのようなユニバーサルな、独自の情報・コミュニケーション活動は、マスメディアだけが行い得るものだ。 だから、ネット事業者系のポータルサイトでも、マスメディア各社提供のニュースが珍重され、トップページに掲げられることになってもいる。 だが、日テレ 「バンキシャ」 事件がはしなくもさらけ出した、マスメディア現場のネット依存の現実、取材記者さえもが、 ネットのなかの取材対象斡旋事業者の存在に驚かないどころか、別途裏取り取材さえすれば、これを利用するのもありかな、 などと思いだしている空気が強まっているように感じられると、危ういかな、と思わざるを得ない。 もしそんなことが当たり前のこととして広がっていったら、やがて1次情報はネットの世界にたくさんあるが、マスメディアのニュースはその上澄みみたいなもの、 ネットで先に話題になったものばかりではないか、ということになりかねない。 それが杞憂でないことは、アメリカのテレビ局が、ユーチューブの投稿サイトに自局の番組がランク・インできるか、上位にいけるか、 というようなことばかり気にするようになっている現実からもわかる。

◆ネットの利用の仕方を根本から考え直さなければならない
  今、記者たちは毎日、出社して、あるいは記者クラブにいって、自分のデスクに座ったあと、予定を確認、朝一番の電話連絡を一通りすませ、 前日までの仕掛かりの作業の整理や同僚との打合せをすませたあと、「さあ、では出かけるぞ」 と、椅子からさっと立ち上がり、すぐ取材に出かけるのだろうか。 むしろデスクに向かった途端、パソコンを開け、メールチェック、ニュースサイトの速報確認、ニュースソース側の発表ものの閲覧などを始めるのが、 習慣になっていはしないだろうか。取材に関しても、新しい問題に向かう最初の段階では、当て所なく外に出かけるより、ネットのなかで関連情報を漁ったり、 記事データベースを渉猟するほうが、はるかにリアリティが感じられるようになっているのではないか。怖いと思う。

  5月27日の各紙朝刊で、読売新聞大阪本社の運動部の若い記者が、広島カープの試合の記事を書く際、広島の中国新聞のオンライン記事をネットで閲覧、 これを大幅に利用し、事実上8本もの記事盗用を犯した、とするニュースを読んだ。 もちろん記事はパソコンで書く。その同じ画面で中国新聞のオンライン・ニュースも読める。大して長い記事ではなし、型通りの観戦記事は、だれが書いたって、 そんなに大きな違いが出るものでもない。彼はほとんど犯意の自覚もなく、カット・アンド・ペーストで中国新聞の記事を自分の記事に取り込み、 効率的に仕事を終えたのだろう。そういう風にパソコンやネットを、自家薬籠中のものとして自由自在に使うスキルを身につけることがいいことだとする価値観も、 まだまだまかり通っている。

  5月26日、朝日新聞は1面の社告と別ページの大きな説明記事を使い、6月からテレビ朝日、KDDI (通信)、au (携帯電話) と4社連携で、 携帯の待ち受け画面を利用した、新しい有料情報配信サービス 「EZ ニュース EX」 を開始する、と報じた。 テキスト送信だけでなく、テレビのワンセグ放送、動画ビデオ配信もやるし、「アサマガ」 (日刊のアサヒマガジン。毎朝配信) が売り物だという。 新聞、雑誌の部数がどんどん落ちる。若者が読まないどころか、買わなくなった。 その代わりに彼らは、高性能・多機能の携帯電話やポータブル・デジタル端末にはカネをどんどん使う。そこで新聞社は、紙の新聞がだめなら、こっちへ出よう、 というわけだ。だが、そうした考え方のなかでのネットの位置づけ方、ニュース・情報の出口としてのネットにシフトしていこうとするばかりの考え方でいいものだろうか、 とする疑念が生じる。いくら携帯が好きでネットに夢中の若者でも、取材といえば、 ネットサイトをすぐ利用したがる記者や制作者しかいない新聞社やテレビ局のニュースや情報を、カネを出して買うだろうか。

  彼らに本当に読んでもらえるもの、読みたいと思うもの、これは読まなくちゃと受け止めてもらえるものをつくり、送り出すには、 ジャーナリスト育成に当たって、最初はパソコンもネットも使わせない―徹底した鉛筆とメモ帳の利用、 足で取材先に出かける習慣などを身につけさせたりするぐらいのことをやったほうが、有効なのではないか。 また、「反貧困」 運動に結集する若者、地球温暖化防止・環境保護運動に携わる市民、女性や子どもの権利擁護運動を推進する女性たち、 地域社会の活性化を目指す運動団体の住民などは、自分たちの運動の前進のためにネットを活用、そこには貴重な1次情報、専門情報が溢れている。 ネットをニュース取材に活用しようとするのなら、まずこういう人たちとネットでつながり合うことを、真面目に考えるべきではないか、とも思う。 そうすれば、緊張した、また魅力あるニュースが取り込めるはずだ。
(つづく)