2009.1.8

「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)

第五回 「田母神問題の意味するもの
──岐路に立つ日本の政治的選択をめぐって(上)」

1.田母神論文(あるいは、田母神問題)の
扱われ方についての違和感

  田母神俊雄航空幕僚長・空将 (当時) が、アパグループ主催の第 1回 『「真の近現代史観」 懸賞論文』 に応募した、 「日本は侵略国家であったのか」 が2008年10月31日に最優秀賞を受賞したことが発表され、その内容が政府見解と異なる 「不適切」 なものであり、 また公表の仕方が正規の手続きを欠いていたことを理由に更迭されました。

  この問題での政府の基本姿勢は、「(論文投稿は) 航空幕僚長としての職務として行ったものではなく、 私人として行ったものだ」 「要職にある者は、私人の立場でも公的な立場での意見表明と受け取られるおそれがある」 (辻元清美衆院議員・社民の質問主意書への答弁書)、 「(論文では) 先の大戦に関して政府認識と明らかに異なる見解が述べられているほか、 (集団的自衛権をめぐる)憲法に関する重要な事項について不適切な形で見解を述べている」 「論文発表は、 防衛省・自衛隊への国内外からの信頼を著しく傷つけた」 (鈴木宗男衆院議員・新党大地の質問主意書への答弁書) というものでした。
  また、浜田靖一防衛相は11月10日、防衛省・自衛隊の全職員を対象にした訓示で、田母神俊雄前空幕長について 「個人的な、 必ずしも国民の多くが共有しているわけではない歴史観を公に述べるといった者が実力組織のリーダーにふさわしいといえるとは思わない」 と批判し、 隊員教育や部外への意見発表時の手続きに万全を期す考えを示しています。 麻生太郎首相は11日夜に、記者団に 「言論の自由は誰にでもあるが、文民統制をやっている日本の中にあって幕僚長というしかるべき立場の人の発言としては (論文は) 不適切。それがすべてだ」 と述べています。

  一方、田母神氏は、11日の参院外交防衛委員会での参考人招致で、「シビリアンコントロール (文民統制) の観点から防衛相が村山談話と見解の相違があると判断して私を解任するのは当然だ。 しかし、私は私の書いたものはいささかも間違っているとは思っていないし、日本が正しい方向に行くため必要なことだと思っている」 と述べ、 自らの航空幕僚長職解任については従うが、あくまでも持論を正当化したうえでそれを撤回しない姿勢を明確に示しています。 さらに、過去の植民地支配と侵略を謝罪した村山談話については、「村山談話自身具体的にどこの場面が侵略とか、まったく言っていない。 私は村山談話の見解と違ったものを書いたとは思っていない」 と強調しています。

  結局のところ、田母神氏が浜田防衛相などが求めた辞表の提出や給与の自主返納を拒否したことを受けて、 防衛省は彼を10月31日付で航空幕僚長を解任して航空幕僚監部付とし、さらに11月3日付で勤務延長期限の繰り上げにより退職させたのでした。 この間の経緯、政府・防衛省の田母神問題への異例ともいえる 「迅速な対応」 を見ていて私が特に違和感を覚えるのは、田母神氏の処分の仕方とその理由についてです。
  政府は、当初進めようとした懲戒処分の手続きに入らなかった理由を、 「審理の手続きに時間がかかり、 来年1月になると田母神氏の定年退職が決定して審理がストップするので断念した」 (参考人招致での小池正勝議員・自民の質問に対する浜田防衛大臣の答弁の要約) と回答しています。
  しかし、これはあくまでも表向きの理由であり、本当は懲戒手続きに入った場合の審理で田母神氏が堂々と持論を展開して、 それが彼の部下を含むすべての自衛隊員に大きな影響を与えることを何よりも一番恐れたというのが真相ではないでしょうか (その他にも、総選挙への影響や国会対策への配慮、新テロ特措法改正案の審議や予定されている自衛隊派遣恒久法制定への悪影響、 米国への配慮とアジア諸国からの反発への懸念などもあったと思います)。
  なぜなら、岩崎航空幕僚副長が田母神氏に 「懲戒手続きに入った場合は審理を辞退してくれないか」 と持ちかけて断られた経緯があるからです (参考人招致での犬塚議員の質問と田母神氏の発言 「ぜひ、どこが私が悪かったのかを、あの、 審理してもらった方が問題の所在がはっきりするという風に申し上げました」 より)。 また、当日の参院外交防衛委員会での参考人招致の様子をNHKが実況中継しなかった (あるいは、できなかった) のも、それが政府の直接の圧力によるものかNHK自身の自主規制なのかは別として、これと同じ理由ではないかと推測されます。

2.田母神論文(あるいは田母神氏の主張)のどこが問題なのか

  それでは、どうして政府や防衛省はこうした臭いものには蓋をするような、及び腰の対応に終始しているでしょうか。 それは、政府・防衛省や麻生首相・浜田防衛大臣などが、田母神論文の具体的内容に対する自らの見解を一向に明らかにせず (あるいは、明らかにできず)、 もっぱらマスコミの多くもシビリアン・コントロール (文民統制) と言論の自由の対立という限定した枠組みの中で報道を続けていることとも無関係ではないと思います。
  今回の田母神俊雄前航空幕僚長の論文と発言をめぐるマスコミ報道で挙げられてきた主な論点としては、 (1) シビリアン・コントロール (文民統制) は機能しているのか、 (2) 正しい歴史認識とは何か、 (3) 憲法9条と自衛隊との関係をどう考えるか、 の三つの問題が指摘できると思います。

(1)シビリアン・コントロール(文民統制)は機能しているのか
  第一のシビリアン・コントロール (文民統制) の問題は、言論の自由と関連させる形でこれまで最も論じられています。 この問題は田母神氏が文書での事前通知をせずに論文を公表したことが手続き上の瑕疵 (防衛省の内規への違反) や、 自衛隊員の 「政治的行為」 を厳しく制限している自衛隊法61条に抵触するかといった問題に意図的に矮小化されているきらいがありますが、 やはり広義のシビリアン・コントロール (文民統制) の観点からこの問題を把握する必要があると思います (詳しくは、纐纈 厚著 『文民統制 自衛隊はどこへ行くのか』 岩波書店、2005年を参照)。

  田母神氏は、過去にも隊内誌への寄稿や自衛隊内外の講演で同趣旨の考え方・発言を繰り返してきたばかりでなく、 航空自衛隊のイラク空輸活動を一部違憲とした名古屋高裁判決に 「そんなの関係ねえ」 と言い放って驚くべき憲法無視・司法軽視の姿勢を示した要注意人物でもあったわけです。 そのような人物がなぜ航空自衛隊トップである空幕長にまで昇進することができたのでしょうか。 政府の任命責任 (とくにそのことに直接関わった政治家の責任) を問うとともに、これまでの制服組人事のあり方を見直さなければならないと思います。
  この点で、田母神氏が森氏の地元である空自小松基地 (石川県) での勤務の経験があり、「森さんは歴代の小松基地幹部と親交がある。 田母神さんの空幕長就任時にも森さんから祝い酒が届いた」 との空自幹部の証言 (「毎日新聞」 2008年11月9日付き) や、 水島朝穂氏が 「安倍内閣のときの空幕長人事に、森元首相の意向が働いた可能性はないか」 と指摘されているのが注目されます (今週の直言 「空幕長 『論文』 事件をどう診るか」 (2008年11月18日付を参照)。

  また、田母神氏の経歴で見逃すことができないのは、統合幕僚学校長時代 (02年12月〜04年8月) に 「歴史観・国家観」 と題した講座を2003年に新設して自ら担当していたばかりでなく、 その講座に自身の歴史観に近い 「新しい歴史教科書をつくる会」 のメンバー2人 (副会長の福地惇大正大教授と高森明勅国学院大講師) を講師に招いていたという事実です (11月19日の 「山陽新聞」 ウエッブ版)。
  さらに問題なのは、その後の歴代学校長も恒常的に2人を招いており、田母神氏の後任の外薗健一朗・現航空幕僚長の学校長時代も含まれていることです。 14日の記者会見で、外薗氏は統幕学校の歴史教育は 「バランスを取る必要がある」 とし、講師の人選や教育内容を見直す考えを表明していますが、 これらが今後本当に厳格に実施されるのかを見守る必要があると思います。

  さらに、アパの懸賞論文に田母神氏以外に自衛隊で応募した94人のすべてが航空自衛官でした。 空幕教育課がアパの応募要領を全国の部隊にファクスしていたことも判明しており、組織的な関与があった可能性も否定できません。 懸賞論文を主催したアパグループの元谷外志雄代表は、1999年に航空自衛隊小松基地との親睦を名目に 「小松基地金沢友の会」 を結成して会長に就き、 田母神氏の計らいで2007年8月21日に同基地でF15戦闘機の体験搭乗をしています。 田母神氏が自衛隊員の私的なホテル利用などで自衛隊と利害関係のある特定の民間企業幹部と密接な関係にあったことは明白であり、 懸賞論文の高額賞金三百万円がF15戦闘機体験搭乗への見返りなのではないかとの疑惑も含め、 両者の間に癒着関係があったのかどうかをさらに解明していく必要があるのではないでしょうか。

(2)正しい歴史認識とは何か
  第二の歴史認識の問題についてですが、その原型・痕跡がすでに空自幹部学校の機関紙 「鵬友」 第29巻第6号 (平成16年3月号) に載せた論文 「航空自衛隊を元気にする10. の提言」 や、航空自衛隊熊谷基地での講話 「我が愛すべき祖国日本」 (2008年1月30日)にみられ、 彼の長年の自説・持論であることがわかります。 また、田母神氏は参考人招致で 「いわゆる村山談話なるもので批判されているが、村山談話の見解と私の論文とは別物だ。 どの場面が侵略だとは言っていない。村山談話の見解と違ったものを書いたとは思っていない」 と発言しています。
  しかし、その後、雑誌 「WiLL」 (2008年1月号)での記事 「田母神前空幕長独占手記」 や著書 『自らの身は顧みず』 の中で、 公然と村山談話を 「諸悪の根源」 「異常な政権によってもたらされた異常な談話」 などと真っ向から批判・攻撃していますので、 参考人招致での弁明とは逆でまさに確信犯だったことがわかります。
  この歴史認識について、田母神論文の核心は、「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」 であり、 「(日米戦争も) 日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠」 であった、 また 「日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。」 「日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上した」 のだから 「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」 というところにあります。
  これは言うまでもなく侵略と植民地支配への反省と謝罪を表した 「村山談話」 を全面否定する内容であり、 「実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。」 「実はアメリカもコミンテルンに動かされていた」 という陰謀論レベルの話も含めて、 これまでの歴史研究の蓄積によって明らかにされてきた歴史的事実を無視した暴論という他はありません (詳しくは、中村政則氏の論考 「田母神論文は歴史偽造の作文 歴史の真実に真摯に向き合え」 『社会新報』 2008年12月10日号を参照)。

  ここで注意すべきことは、田母神氏が、「もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。 よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。」 「我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。 我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。」 という主張に見られるように、 日本の侵略と植民地支配を当時の他の列強のそれと比較して正当化しようと試みていることです。
  しかし、その論理的帰結が「大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。 人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。」 という倒錯した認識につながっていることを見れば、 こうした論理的展開自体が完全に破綻していることがよくわかると思います。
(続く)

2009年1月8日
木村 朗(きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)