2009.7.30更新

「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)

第十四回 「国家による殺人である死刑執行に強く抗議する
−非人間的な死刑制度の根本的見直しを」

  法務省は、つい先日の28日に、大阪拘置所で2人 (山地悠紀夫さん、前上博さん)、東京拘置所で1人 (陳徳通さん)、計3人の死刑を執行し、 死刑囚の氏名や犯罪事実を公表しました。今回の執行は、5月21日の裁判員制度施行後初めてで、今年1月29日の執行に続くものです。 衆議院解散の後で、死刑執行があったのは、1969年12月以来、約40年ぶりのことであると言われています。 政権交代をかけた衆院選の直前であると同時に、8月3日の 「裁判員法廷」 開始直前のタイミングを狙ったかのような今回の処刑実施については、 各方面の多くの人々から疑問と抗議の声が上がっています。

  今回で3回目の死刑執行命令を出した森英介法相は、半年ぶりの執行について 「間隔や客観情勢との関係において、時期は全く意識していない」 と強調し、 衆院が解散した政治的な空白期に執行した理由を問われると、「解散しても法務大臣であり、 大臣としての職責を粛々と果たした」 と語ったと伝えられています (『朝日新聞』 asahi.com 、2009年7月28日)。
  法務省は、鳩山元法相以降続いていた 「約2カ月〜3カ月に1回」 という執行のペースは崩れていたので、批判を覚悟のうえで執行にこだわったようです。 また、17年半ぶりに受刑者が釈放され、再審開始が決まった 「足利事件」 などがあり、「執行しようと思っても、 見送らざるを得ない事情が続いた」 (幹部) という背景があったとも指摘されています (同上 『朝日新聞』)。

  また、『毎日新聞』 (2009年7月28日、石川淳一記者) は、「死刑確定から執行までの期間は、山地死刑囚が2年1カ月、前上死刑囚が2年、 陳死刑囚が3年だった」 ことに触れた上で、次のように伝えています。

  <死刑確定から執行までの期間は、山地死刑囚が2年1カ月、前上死刑囚が2年、陳死刑囚が3年だった。裁判員制度施行後初めてとなる28日の死刑執行は、 前回から約半年の間隔があり、ほぼ2カ月間隔が続いた時期からペースダウンした。 背景には再審請求中の死刑確定者が、現在63人と6割強に上っている現状が挙げられる。
  法務省は再審請求中の死刑執行を避ける傾向にある。確定から一定期間の後、請求準備に入る死刑確定者は多いが、 ある幹部は 「多くが執行逃れのための請求」 と指摘する。再審請求が棄却された直後に再度、請求する動きがある一方で、 請求のない死刑囚が確定から2年前後の早さで執行される実情もある。
  裁判員制度では、裁判員が死刑判決にかかわりたくないとの理由で辞退したいとの声もあり、最大の関心事となっている。 森英介法相は 「死刑について国民的議論が起きるのは歓迎すべきだ」 と指摘している。>

  これに対して、「死刑廃止議員連盟」 の保坂展人・前衆院議員 (社民党) は、「国会議員が声を上げにくいこの時期を選んで、 だれも責任を取らないような形で執行したとしか考えられない」 と批判するとともに (同上 『朝日新聞』)、「裁判員法廷が始まる直前に、 “死刑執行” を淡々とやってみせるという法務省には、国民に対して “あなた方も極刑である 『死刑』 に参加することになりますよ” というアピールが隠されていると感じます。」 と率直な感想を述べています (「保坂展人のどこどこ日記」 2009年7月28日)。

  アムネスティ・インターナショナル日本支部は、『日本支部声明 : 死刑の執行に抗議する』 (2009年7月28日) の中で、 「8月の衆議院議員選挙を控え、死刑執行の最高責任者である森法相の退任もほぼ決定している。このような時期に死刑を執行することは、 事実上、責任者が不在のまま死刑を執行することに他ならない。近年、志布志や富山の冤罪事件が明らかになり、 今年に入って DNA鑑定に誤りがあった “足利事件” の再審開始が決定された。 これらの冤罪事件は、代用監獄や捜査取調べ中の自白強要など、日本の刑事司法が国際人権基準に合致せず、人権侵害と冤罪の温床になっていることを示している。 昨年10月に執行された “飯塚事件” の久間三千年さんの死後再審の動きも進められおり、 死刑制度を含む日本の刑事司法制度の見直しが国内外から強く要請されている。今回の死刑執行は、こうした声に背を向けるものである。」 と今回の死刑執行を強く批判しています。 3人の死刑囚のうち、一審判決後の控訴を自ら取り下げていた山地悠紀夫さんと前上博さんは、2009年2月より執行の危険性が高まっていたため、 アムネスティは緊急行動の対象としており、世界中から執行停止などを求める要望が寄せられていました。

  また、日本弁護士連合会 (日弁連:宮ア誠会長) は、『死刑執行に関する会長声明』 (2009年7月28日) において、「これにより、昨年9月に森英介法務大臣が就任して以来3度目、本年では1月29日の執行に続き2度目の執行が行われたこととなる。 この間、我が国の死刑制度とその運用が抱える問題は、国際社会からの注目を集め続けてきた。 世界では死刑制度の廃止が潮流となっているにもかかわらず、日本では死刑判決およびその執行数が増加しており、こうした状況に対して、国際社会から、 極めて深刻な懸念が示されている。昨年10月30日には、国際人権 (自由権) 規約委員会によって、 我が国の死刑制度を抜本的に見直すことを求める多くの勧告がなされたところである。
  国内においては、今年5月に裁判員制度が実施され、一般市民も死刑という究極の量刑選択に直面することから、 死刑をめぐってかつてないほど活発な議論が展開されつつある。 とりわけ、足利事件において精度の低いDNA鑑定によって無実の人が無期懲役の確定判決を受けていたことが明らかとされ、 同様の手法によって死刑判決を科され昨年10月28日に執行がなされた飯塚事件にも注目が集まっている。 今こそ、上記勧告を真摯に受け止め、死刑制度とその運用について十分な資料と情報に基づいた広汎な議論を行い、 死刑制度が抱える問題点を様々な角度から洗い出し、改革の方向性を探るべき時である。 そして、そのための第一歩は、まず、死刑の執行を停止することである。」 と述べて強い遺憾の意を表明しています。

  さらに政党では、福島みずほ社会民主党党首が 「死刑執行に強く抗議する (談話)」 (2009年7月28日) を発表し、「1.(略) 社民党は死刑制度が人道と社会正義に反するものとして、その存置に強い疑問を呈してきた立場から、 今回の3人の死刑執行に強く抗議する。2.今回の執行は、今年1月29日の執行に続くものである。 冤罪事件であることが確定的となった “足利事件” を契機として死刑制度に関して国内でも大きな議論があるにもかかわらず、 これを無視して死刑を執行した森英介法務大臣と法務省の姿勢は、言語道断と言わざるを得ない。」 と強い表現で非難しています。

  上記の団体・組織は、最後の結論として、それぞれ 「日本政府は、人権諸条約の締約国として、 死刑に頼らない刑事司法制度を構築すべき国際的な義務を負っていることを再確認するべきである。 日本政府が、一刻も早く人権保障の大原則に立ち戻り、死刑の執行を停止し、近い将来に全面的に廃止することを、アムネスティは心から期待する。」 (アムネスティ・インターナショナル日本支部)、「当連合会は、改めて政府に対し、死刑制度の存廃を含む抜本的な検討及び見直しを行うまでの一定期間、 死刑の執行を停止するよう、重ねて強く要請するものである。」 (日本弁護士連合会)、 「死刑制度については、存廃や死刑に代わる措置など刑罰の在り方について国民的な議論を尽くし、その間、政府は死刑の執行を差し控えるべきである。 社民党は今後も死刑制度の見直しに全力を挙げて取り組む。」 (社会民主党) と具体的な提言を出しています。

  また、保坂展人・前衆院議員も上述のブログの中で、「裁判員裁判では多数決で “死刑判決” を決定する制度です。 多数決で死刑を決める制度は他国に例のない、きわめて特異なもの。ただちに、すくなくとも死刑判決を決める場合は “全会一致” を条件にするか、 一致しない時には終身刑を創設して罪一等減じるかの手当てを行うべきだと考えます。 本来なら、裁判員制度事件から 「死刑対象事件」 を取り除くという議論もしなければならないけれど、総選挙の後で “国民的な議論” を尽くす必要があるし、 すべては法務官僚におまかせというわけにはいかないと政治の場がしっかりこのテーマを深めて議論を展開する時期がきていると思います。」 (参議院議員会館の会議室で行われた記者会見でご自分の発言メモより) と、 死刑制度が存置されたままで実施されようとしている裁判員裁判の危うさとその弊害を避けるための応急処置について言及されています。 この点についての問題意識は私も共有しています (拙稿 「裁判員制 潜む危うさ」、 『朝日新聞 (九州・沖縄版)』 2009年7月10日付夕刊/11日付朝刊に掲載、を参照))。

  このように、多くの団体・個人が今回の 「異例な」 死刑執行に対して強い抗議の意思表明や反対・疑問の声を上げているのが分かると思います。 しかし、それにもかかわらず、メディアが大きく取り上げないこともあって、残念ながら一般国民の関心と注意を集めるにはいたっていないのが現実です。 特に、この死刑制度についての一般国民の無関心は、「法律上、事実上の廃止を合わせると世界の70%以上の国が死刑を廃止している。 2008年に死刑執行を行った国は25カ国である。東アジアを見ると、韓国では10年間、台湾では約3年間死刑執行は行われていない。 G8諸国で日本のほかに唯一死刑を執行している米国でも死刑執行は抑制傾向にある。 さらに死刑の適用に積極的であるとされるイスラム諸国の中にも、近年、死刑の適用について慎重な国々が増えつつある。 日本は死刑の適用を増やしている、世界で数少ない国となりつつある。
  国際的な死刑廃止の流れを受け、2008年12月18日には国連総会において2年連続となる死刑執行の一時停止を求める決議が採択された。 また、2008年10月には、国連自由権規約委員会が、「世論の動向にかかわりなく、締約国は死刑の廃止を考慮すべき」 とし、 世論を口実に死刑廃止に向けた措置を一切とろうとしない日本の態度を非難している。」 (上述のアムネスティ・インターナショナルの 『日本支部声明』 より) という基本的事実でさえ知らされていないことが大きいと思います。

  この点に関連して、死刑制度に関する世論調査についての懐疑を付言させていただきます。人権と報道・連絡会世話人の山口正紀氏が、 「“国家殺人容認” への世論操作」 という論考 (山口正紀著 『壊憲 翼賛報道』 現代人文社 、2008年に所収) の中で、「死刑容認八割」 報道について、 客観的な分析に基づいて率直な疑問を提起しています。 そこには、死刑存置か死刑廃止かを問う設問の誘導性や 「死刑と犯罪抑止効果」 についての事実関係の記述の仕方などに、 アンフェアな誘導尋問的な性格がみられることが説得力ある形で具体的に説明されています。 「これでは、“世論調査” ではなく “世論操作” だ」 という山口氏の評価に私も全く同意します。 一般国民の 「死刑容認八割」 ということが本当に事実なのか、 市民・弁護士などによる独立した死刑制度調査委員会の設置と公平な世論調査の実施・発表が急務ではないでしょうか。

  最後に今回の論評を終えるにあたって、脳卒中とガンという二重の重い病と格闘しながら、 戦争とファシズムへの道を歩もうとしている日本と世界への根源的な問いかけを発し続けている作家の辺見 庸氏が、 「犬と日常と絞首刑−ジャパネスクのすさみ」 (『朝日新聞』 オピニオン 〈寄稿〉 2009/06/17 Wed.) と題して死刑制度について書かれていた、 血を吐くような思いに満ちた文章に注目したいと思います。少し長くなりますが、死刑制度についてひとが考えようとするときには見逃してはならないほどの、 とても鋭くかつ深い指摘だと思いますので、以下に引用させていただきます。

  「死刑制度とは、おもえらく天皇制同様に、この国のなにげない日常と世間の一木一草、はては人びとの神経細胞のすみずみにまでじつによく融けいり、 永く深くなじんでいるジャパネスクな “文化” でもある。この国にあっては、したがって死刑制度は予測できる将来にわたり廃止されることはあるまいしその必要もない、 と私がいいたいのではない。まったく逆である。あの日、いなずまのようなショックを受けて私が犬と顔を見合わせたのは 〈いったい、 ほんとうにこれでよいのか〉 という年来の自問の原点に一瞬たちかえったからである。 それは世間の声を追い風に死刑をためらわずつづける国家への不信だけにとどまらない。 多少の葛藤はしつつも、とどのつまりは膠のような日常と世間に足場をとられている私と犬の生活への疑念でもあった。」
  「日本における死刑の執行計画、刑場のありさま、絞首刑の手順、死刑囚の “人選”、それらの法的根拠は、いまだにほとんど開示されてはいない。 まして死刑執行状況の可視化などもってのほかである。が、死刑はだれかによって周到に政治的タイミングが選ばれ、いわばひそかに “演出” されている。 セケンはむしろ知らされないことを望んでいるかのようだ。実相は知らされずに、しかし、殺ってはほしいのだ。 セケンを背にした死刑という表現はかくも繊細であり、陰影に富み、これを美とするか醜とするかはべつにして、あくまでもジャパネスクなのであり、 私たちの心のありようにしんしんとつながっている。」

  ここには、死刑囚との長年の深い心の交流を続けておられる辺見庸氏ならではの洞察に満ちた生の言葉がそのまま吐露されています。 また、それだけに、私たちの胸にずっしりと重く響いてきます。
  すでに裁判員制度が導入されて、初めての裁判員制度が始まろうとしているいま現在、わたしたちが本当にやるべきことは、 死刑制度による合法的な殺人という国家との共犯関係を根本から問い返すことではないでしょうか。
2009年7月30日