2009.8.16更新

「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)

第十五回 「原爆投下と日本降伏を問い直す
−64回目の“終戦記念日”を迎えて」

☆はじめに−植民地支配・侵略戦争と敗戦を直視する

  私たちは今日、8月6日の広島、8月9日の長崎での 「原爆の日」 に続いて、戦後64回目の 「終戦 (実は敗戦) 記念日」 を迎えています。 日本各地では、例年通り、さまざまな追悼行事が行われており、テレビ・新聞などには 「8月のジャーナリズム」 と揶揄されるように、 「鎮魂の月」 であるこの8月にかけて連日のように戦争と平和をテーマにした番組・ニュース報道で溢れています。 今年の特徴は、昨年秋からの金融危機と世界同時不況という深刻な経済的状況を背景にしながらも、 「核兵器のない世界」 に言及したオバマ米大統領のプラハ演説への楽観的期待からくる奇妙な明るさと、 「政権交代」 が合い言葉になったかのような総選挙を間近に控えた緊張感とが混ざり合ったような不思議な雰囲気があるということでしょうか。
  しかし、核兵器廃絶への期待が熱く語られる一方で、最近の北朝鮮 (朝鮮共和国) の核実験やロケットおよびミサイル発射実験、 イランの核開発やミサイル発射実験などの動きによって核不拡散 (NPT) 体制が動揺しているばかりでなく、 NATO拡大・ミサイル防衛促進やグルジア紛争をめぐるロシアとアメリカの激しい対立は新冷戦の到来とも呼ばれ、 今日の世界における核兵器と戦争をめぐる状況にはかなり厳しいものがあることも事実です。
  また、そうした中で、戦争体験者が次々と亡くなるとともに、戦争を知らない若い世代が増え続けています。特に被爆者の平均年齢がすでに75歳以上となり、 高齢化が急速に進むなかで被爆体験をいかに後世に継承していくかが焦眉の課題となっています。

  そこで、今回は、日本 (広島、長崎) への原爆投下の意味と背景 (特に、日本降伏との関係も含めて) を改めて問い直したいと思います。 なぜなら、現時点で 「なぜ原爆は日本に投下されたのか?」 「日本は原爆投下によって降伏したというは本当なのか?」 という問題を深く考えることは、 単に過去における日本への原爆投下の正当性の有無ばかりでなく、戦争と人間のあり方や将来における核兵器使用・核兵器廃絶の問題とも深く関わっていると思われるからです。
  下記は、今年の2009年国際平和交流セミナー (アメリカン大学のピ−ター・カズニック先生と立命館大学の藤岡 惇先生が原爆投下50周年である1995年以来、 毎年開催・運営されている) で、8月8日(土) に 「被爆者の店」 の2階会議室に於いて開催された長崎セミナーで行った私の報告 「なぜ原爆は投下されたのか−日本が降伏した真の理由は?」 (通訳:カナダ在住の乗松聡子氏) のレジュメ・資料の一部です。

☆「原爆神話」からの解放と核抑止論の克服に向けて
−長崎からの視点に注目して

  米国は戦後一貫して日本への原爆投下の正当性を主張し続けている。日本への原爆投下を正当化する論理は、 「原爆投下こそが日本の降伏と戦争の早期終結をもたらしたのであり、 その結果、本土決戦の場合に出たであろう50万人から100万人にのぼる米兵の犠牲者ばかりでなくそれ以上の日本人やアジア人の生命をも同時に救うことになった」 という早期終戦・人命救済説であり、今日の米国においても支配的な見解となっている。また、日本でもこの見解がかなりの影響力をもっていることは事実である。 しかし、この早期終戦・人命救済説が必ずしも事実に基づいたものではなく、 戦後権力 (占領軍・日本政府など) によって意図的に作り出された 「原爆神話」 であることが次第に明らかになりつつある。 また、この 「原爆神話」 を肯定する立場が、核による威嚇と使用を前提とした 「核抑止論」 の保持と密接不可分の関係にあることは言うまでもない。

  戦後50年を経た時点で起きた米国でのスミソニアン原爆展論争や20世紀末に行われたコソヴォ紛争でのNATO空爆、 9・11事件後のアフガニスタン・イラク攻撃の正当性をめぐる議論との関わりで、日本への原爆投下の意味と背景を改めて問い直す動きが生まれている。 今もっとも必要なことは、原爆投下の本当の意味と真実を明らかにし、日米間ばかりでなくアジアを含む全世界の共通認識を育てていくことである。 その鍵を握っているのが、「被害」 と 「加害」 の二重性、「戦争」 と 「原爆」 の全体構造 (あるいは戦争の記憶と被爆体験の統一) という複合的視点であろう。 また、原爆投下問題への共通認識を確立するためには、特に長崎の視点からこの問題にアプローチすることが有効である。 なぜなら、これまでの原爆投下をめぐる議論では、広島の場合と比べて長崎への原爆投下があまり注目されてこなかったこと、 またそこには何か重要な 「落とし穴」 があったと考えられるからである。 この他に注目すべき視点としては、(ここで詳述することはできないが) 無差別爆撃と大量殺戮、「グローバルヒバクシャ」 という二つの視点が挙げられる。

  そしてまた、本報告では、「無条件降伏」 に固執して原爆投下を行った米国だけでなく、「国体護持」 に執着して原爆投下をまねいた日本側の責任を同時に問うことにしたい。 それは、原爆投下問題の共通認識を確立するために最も有効な視点であるばかりでなく、 戦争と原爆の全体構造についての認識ギャップを埋めるための不可欠な視点であると考えるからである。

  被爆者が年々高齢化している今日、広島・長崎の被爆体験を思想化して後世・未来の世代に継承することは焦眉の課題となっている。 戦争被害者・被爆体験者がなお生存されている間に、日本政府に過去の清算の履行を求めるともに、 米国政府に原爆投下の違法性と犯罪性の承認と核抑止論の放棄を要求することはますます重要かつ緊急の課題となっていると思われる。

「原爆神話」からの解放−核抑止論の克服に向けて

  ※ 原爆神話の再検討=核抑止論の見直し (日本降伏と原爆投下、ソ連参戦との関係をどう見るか?) (原爆投下は必要であったのか? また、 原爆投下は正当化できるのか?)
1. 原爆投下の背景・原因について
<公式見解>
 (1) 原爆は戦争をすみやかに終わらせ (早期終戦説)、
 (2) それによって米兵の命 (50万から100万) を救うために使用 (人命救助説)。
 (3) 日本人の生命 (数百万人) をも救うという論点をつけ加える (人命救助説の追加)。

<反論・修正意見>
 (4) ソ連に対抗する手段を獲得しようとする隠された動機 (対ソ戦略説)
 (5) 原爆の威力を試すための人体実験の必要性 (人体実験説)
 (6) 真珠湾攻撃や捕虜虐待に対する復讐・報復 (復讐・報復説)
 (7) 白色人種の優位性への確信と黄色人種に対する蔑視 (人種差別説)
 (8) 20億ドルの開発費用の回収を求める議会・国民の圧力 (開発費用回収説)

◎従来の日本への原爆投下の是非に関する議論 (「米国側の論理」 は、
 (1) 原爆投下の目的・動機はあくまでも日本の早期降伏を実現することであった
 (2) 原爆投下が日本の早期降伏という形での戦争終結につながった
 (3) 本土決戦 (九州上陸作戦) が行われた場合の米兵の犠牲者 (50万人から百万人−『トルーマン回顧録』) を最小限にとどめることができた
 (4) 戦争の早期終結によって本土決戦が避けられたことは、(結果的にしろ) 何百万人の日本人の生命をも同時に救うことになった
 (5) アジアでの侵略戦争を自ら引き起こし、南京虐殺などのあらゆる残虐行為を行った日本人に、原爆投下の非人道性云々を言う資格はない

◎日本側の反論の中心的論点:「原爆 (投下) が戦争を早期終結させたのではなく、原爆 (投下) があったために戦争終結が遅れたのだ」 という基本的事実を結論 ・前提とする。
  1.アメリカはイギリスとの間に結んだハイドパーク協定 (1944年9月) で原爆投下の対象を当初のドイツ (敗戦濃厚となりつつあった、 また原爆開発がほとんど進んでいなかった) から日本に変えることをほぼ決定していた。 (敗色濃厚のドイツには原爆開発成功前から投下中止を決定し、降伏直前であることを知りながら敢えて日本には投下したアメリカの決定の背後に、 人種差別の影響はなかったかという疑問が残る)
  2.アメリカは、1945年春以降の日本側のソ連を仲介とする終戦工作を暗号解読などで知っていた。 また、ソ連・スターリンからの直接の打診 (日本側からの依頼への回答をどうするか) に対して無視するように対応した。
  3.ポッダム宣言で、降伏条件を緩めること (例えば、天皇制の何らかのかたちでの存続) も可能であったのに、 日本側の拒否を見通した上で 「無条件降伏」 を敢えて突きつけた。 また、ポッダム宣言を出す前に、トルーマン大統領は日本へ原爆を投下する事実上の決定を行っていた。
  4.原爆の威力がいかに大きいかを知らしめるために、例えば無人島や東京湾などで事前に投下して警告を与えるという選択肢 (原爆開発に協力した科学者からの提案、 人道上からみて当然の措置!) をトルーマン大統領は無視した。
  5.ソ連がドイツ降伏後3ヶ月以内に対日戦に参戦するというヤルタ会談でも確認された合意=秘密協定が存在していた。 この合意は、アメリカ側の要請 (日本の関東軍を叩くためにどうしても必要とされ、代償としてソ連に北方領土の割譲や中国満州での鉄道・港湾権益の供与を日本 ・中国の頭越しに約束!) にソ連が応える形でできたもので、原爆投下時点においても有効であった。
  6.日本側の降伏の動きに大きな影響を与えたのは、2度の原爆投下 (8月6日の広島、8月9日の長崎) 以上に、ソ連の対日参戦 (8月8日) であった。
  7.日本側の降伏を最終的に決定づけたのは、実はソ連参戦でも、ましてや原爆投下もなかった。 それは、天皇制の事実上の容認を示唆したバーンズ回答に他ならなかった。

  以上の事実から、アメリカがポッダム会談直前に開発に成功した原爆を何としても投下できる環境・条件を作ろうとしていたこと (「はじめに原爆投下ありき!」) が理解できよう。それを裏付ける事実として、1.米軍が原爆の効果・威力が最も発揮出来るような都市を投下対象に選んだこと、 2.原爆の効果・威力を正確に知るためにその投下対象に選ばれた都市に対して、この決定以降、通常爆撃を行うことを禁止したこと、 3.原爆搭載機とは別に天候観測機や写真撮影機を飛ばして原爆の効果・威力を測定するための機器 (ラジオゾンデ) を投下したこと、 4.日本への原爆投下前に事前デモンストレーションや事前警告を行うのは原爆の威力・威力を損なうだけで 「正気の沙汰ではない」 とグローブズ将軍が主張していたこと、 5.米軍が戦後に出された報告書で広島と長崎の原爆投下を一つの 「実験」 として位置づけ広島は成功で長崎は失敗であったとの評価を行っていたこと、 6.戦後の占領期において米軍がABCC (「原爆傷害調査委員会」 を通じて放射能の人体への影響を調べるために被爆者を 「モルモット扱い」 して治療に名を借りた実験データの収集などを行い、その後の核開発のために利用したこと、 7.長崎への投下目標地点が当初いわれていた三菱兵器工場などの軍事施設ではなく都市中心部の常盤橋であったと判明したことによって、 原爆投下の本当の目的は都市住民の殺戮であったことが証明されたこと、などを挙げることができよう。

  これに関連した重要な事実として、1945年春の時点でグローブズ将軍やバーンズなどが原爆投下の条件が整う前に日本が降伏して原爆投下の機会を失うことを恐れていたこと、 またトルーマン大統領は原爆実験が失敗した場合にはソ連参戦を避けるために平和的な手段で日本降伏を実現する意図があることを示唆していたこと、 などが注目される。そして、こうした事実から、原爆投下の真の目的は、ソ連に対する威嚇・示威であったという前に、 何よりも降伏間近な日本に対する最後の 「絶好のチャンス」 を活かした新型兵器の実戦使用と人体実験であった、という一つの仮説を導くことができる。

  また、(1) の前提が崩れたならば、当然 (2) と (3) も崩れるのが当たり前であるが、(2) に関しては、九州上陸作戦にともなう当時の米側推定死傷者数が、 「2万人以内」 (1945年6月18日の会議用資料) や 「6万3千人」 (1995年に開催予定であったスミソニアン原爆展の展示案) に比較してもかなりの 「誇張」 であると言えよう。 また、日本側の犠牲にも 「配慮」 したとの理由! は、2カ所の原爆投下で1年以内に約20万人 (広島約13万人、長崎約7万人)、 今年で33万人を上回る原爆犠牲者のことを思えば一考にも値しない 「ためにする議論」 と言わざるを得ない。

  「米側の論理」 でもう一つ問題にしなければならないのは、(5) の論点である。確かに、アジアで侵略戦争を起こしたのは日本であり、 「開戦の責任」 や戦争中の残虐行為を正当化することはできないことは言うまでもない。 また、日本側の議論では、ともすればこうした 「加害者意識」 が弱く 「被害者意識」 が全面に出がちであったことは否めない。 今日でもなお、過去において自国が行ったアジア諸国・地域に対する植民地支配と侵略戦争を真に反省・謝罪することなく、 本当にやらねばならない戦争責任を明確にして戦後補償を行おうとしない日本側 (とくに政府・与党など) の責任は大きいと思われる。 しかし、だからといって、日本に対する原爆投下を正当化することはできないのは無論のことである。 また、一切の批判を許そうとしない米国のかたくなな姿勢の背後に、かえって米国側の正当化しようとしてもできない 「苦悩」 や 「いらだち」 (「罪悪感」 とはまた別のもの!?) を感じるのは私だけであろうか?

  原爆 (核兵器一般) は 「悪魔の兵器」 と言われるように、人類がこれまで創り出した兵器の中でも最も非人道的な兵器であることは言うまでもない。 罪もない婦女子を含む非戦闘員が直接の犠牲となったばかりでなく、 その後今日にいたるまで人体・環境への破壊的影響でなお多くの人々が次々と犠牲になっている恐ろしい兵器である。 毒ガスやその他の兵器が禁止されているのに、核兵器が禁止されずに放置されている現状は 「狂気の沙汰」 としか言いようがない。 今一番必要なことは、この原爆や核兵器の非人道的性格を正しく認識して、それを即時あるいはできるだけ早期に禁止・放棄することである。
  現在の核保有大国、とくにアメリカが日本への原爆投下を含むあらゆる核兵器の使用を 「非人道的行為」 「戦争犯罪」 「違法」 と認識する時こそが、 人類にとっての 「核兵器廃絶」 実現の一歩である。21世紀をすでに迎えた今の世界において、一時も早くそれが実現する日が来ることを心から願ってやまない。

☆終わりに−核兵器廃絶と日本の役割

  最後に、自分は北九州市小倉生まれであり、米軍が投下した2発目の原爆は実は小倉に投下されるはずであったが 小倉上空での天候不順・視界不良などの理由で投下目標都市が急遽変更されて、結果的に長崎が犠牲となったという歴史的事実を重く受けとめています。 今なお、核抑止論に固執し核の先制不使用さえ認めようとしないすべての核保有国に対して、 また 「平和憲法」 をもち 「非核3原則」 を掲げながら日米安保体制下での 「核の傘」 の呪縛から逃れられない日本政府に対して、 今こそ核廃絶の実現へ向けて具体的な一歩を踏み出すことを強く求めたいと思います。
2009年8月15日 (64回目の 「終戦記念日」 を迎えて)

<関連文献>
「原爆投下問題への共通認識を求めて−長崎の視点から」 『軍縮地球市民』 創刊号 (明治大学平和研究所発行、2005年5月) 木村 朗著 『危機の時代の平和学』 法律文化社 (2006年) 第8章に所収
「『正義の戦争』 とアメリカ−米国原爆と劣化ウラン弾を結ぶもの−」 木村 朗編著 『核の時代と東アジアの平和』 法律文化社 (2005年)
講演記録 「『原爆神話』 からの神話−『正義の戦争』」 (『夾竹桃の花ふたたび』 南方新社、2001年7月出版)
・ 「長崎原爆の世界史的意味を問う―”原爆神話” からの解放を求めて」 高橋 眞司/ 舟越 耿一共編著 『ナガサキから平和学する! 』 法律文化社 (2009年1月)
・ 「無差別爆撃と原爆投下の今日的意味 ― 被害と加害の重層性を問う」 君島東彦編著 『平和学を学ぶ人のために』 世界思想社 (2009年6月)