2011.4.11更新

「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)


 第二九回

「リビアへの “人道主義的軍事介入” の欺瞞性を問う
─NATOによる対ユーゴスラビア空爆の愚を繰り返すな!」

1.リビア攻撃の開始と国際世論の分裂

  日本で未曾有の東日本(東北関東)大震災が進行中の3月19日に、 仏英米欄伊5カ国軍などからなる多国籍軍がリビアのカダフィ政権への軍事攻撃を開始した。 それは、フランスのサルコジ大統領がリビア攻撃の前日(18日)にオバマ米大統領、キャメロン英首相と連名で発表した、 「(即時停戦を要求し、従わない場合の武力行使を容認した)国連安全保障理事会決議1973を順守しなければ、 国際社会は軍事手段によって決議を強制履行させる」 とのカダフィ大佐あての最後通牒を受けてのものであった。 国連安全保障理事会はすでに2月22日の時点で、リビア国内で行われているデモ隊への攻撃を非難し、 リビア当局に 「暴力の即時停止」 と攻撃の責任者への 「問責」 を要求する安保理声明を出していた。
  また、NATOのラスムセン事務総長は3月7日に、ブリュッセルのNATO本部で、カダフィ政権の反体制派攻撃を 「人権侵害」 「国際人道法の違反」 と位置づけ、 「組織的な民間人攻撃は “人道に対する罪” になる」 と指弾していた。そして欧州連合(EU)も11日に緊急首脳会議を開き、 最高指導者カダフィ大佐の即時退陣を要求、反体制派組織 「国民評議会」 を 「政治交渉に値する相手」 と認知し、 カダフィ後を見据えて協力を進める姿勢を打ち出していた(「共同通信」 2011年03月12日)。

  多国籍軍(米国、英国、フランス、イタリア、カナダ、ベルギー、デンマーク、スペイン、アラブ首長国連邦・UAE、カタールなど)側は、 今回のリビア攻撃(EUとアラブ連盟も参加する対リビア共同作戦 「オデッセイの夜明け」)を、 「飛行禁止空域」 の設定と市民を守るための 「あらゆる措置」 を盛り込んだ17日の国連安保理決議1973号(対リビア制裁決議)に基づくものとし、 「リビア上空に飛行禁止区域を設定し市民を守る」 とその正当性を主張した。オバマ米大統領も、ブラジリアで19日に、 今回のリビア攻撃について 「われわれの決意は明らかだ。リビア市民に対する暴力がなくならなければ、 有志連合は緊急に行動する用意がある」 と攻撃を正当化する声明を発表した。
  またヘイグ英外相は、21日にBBC放送で、リビアに対する空爆で最高指導者カダフィ大佐自身を標的とし、殺害する可能性を排除しない姿勢を示した。 それに対して、カダフィ政権側はこの仏英米3カ国軍などによる自国への攻撃を、多国籍軍による 「十字軍の不当な攻撃」 だとして強く非難している。 カダフィ大佐は国営放送で 「全てのリビア国民が殉教者になる覚悟をしている。勝つのは我々だ。死ぬのは欧米人だ」 と語り、 「国際社会」 の武力介入に対して徹底抗戦する構えを示している。

  さらに、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長は20日、朝日新聞の単独インタビューに応じ、リビアのカダフィ政権は 「軍隊を使って自国民を多数殺害し、 統治の正統性を失っている」 と指摘するとともに、 米英仏などによるリビアへの軍事介入は 「国際社会が “市民を保護する責任” を実践している」 のであって不当な内政干渉には当たらないし、 軍事行動の目的はカダフィ政権の打倒ではなく、あくまで 「一般市民の保護」 にとどまるとした(「朝日新聞」、2011年3月20日)。

  そして、この仏英米3カ国軍などによる民間人保護目的の 「人道的介入」 を大義名分としたリビア攻撃を、 どの国よりも早く直ちに全面的に支持する姿勢を表明したのが、日本の菅政権であった。 松本剛明外相は20日、「日本政府はリビア当局による自国民に対する暴力の即時停止を求める立場から、 国連安全保障理事会決議にのっとって国連加盟国が措置を取ることを支持する」 という談話を発表した。 そのなかで 「リビア当局が国民への暴力を継続していることを強く非難する」 と強調している(「毎日新聞」 2011年3月20日付)。

  またアムネスティ上級部長のクラウディオ・コルドーネは 「国連安保理決議1973の中で、リビア市民の保護が強く強調されていることを私たちは歓迎します。 しかし同時に、外国の部隊をはじめとする、国連安保理の権限に基づくすべての紛争当事者が、 あらゆる事柄の中で市民の保護を最優先とするよう要請します」 と述べている(「アムネスティ発表国際ニュース」、 2011年3月18日)が、そこには 「人道的介入」 の欺瞞性という視点が完全に欠けている。。

  しかし、「国際社会」 は、このリビア攻撃問題に対して必ずしも一枚岩ではない。決議の採択に棄権して仏英米3カ国に同調しなかった、 中国、ロシア、インド、ドイツ、ブラジルの5カ国だけでなく、エジプト、ベネズエラ、イラン、キューバ、ボリビア、シリア、アルジェリア、トルコ、北朝鮮、 アフリカ連合(AU)なども反対の意思を明確に表明しているからである。 中国とロシアは、リビアへの武力行使を容認した国連安保理決議の採決で棄権しており、多国籍軍によるリビア攻撃に対して遺憾の意を表明した。 中国外務省の姜瑜副報道局長は20日、「中国は一貫して国際関係での武力行使には賛成しない」 とする談話を発表した。 また、ロシア外務省も19日、一般市民の被害回避と速やかな攻撃停止を求める声明を発表している。 ロシア外務省のルカシェビッチ報道官は20日、「無差別の軍事力行使を停止するよう関係国に強く求める」 とする声明を発表した。 そのなかで、諸外国が軍事力行使の根拠としている国連安全保障理事会決議1973は 「市民を防御するための措置だけを想定している」 とし、 「その枠を明らかに超える目的で決議を利用するのは容認されない」 と批判している(「産経新聞」 3月20日)。 そして、ドイツは、17日の国連安保理決議の採択に棄権しただけでなく、 対リビアNATO軍から自国軍(フリゲート艦やAWACSなど)を撤退させる決断を下している。

  アフリカ連合もリビアでの軍事行動の即座停止を求めている。モーリタニアのモハメド・ウリド・アブデリ・アジズ大統領は、 アフリカ連合がいかなる形であれ、リビアへの外国による軍事介入には反対していることを強調していた。 ウガンダのムセベニ大統領も21日、リビア攻撃について、欧米側は 「リビアには飛行禁止区域設定を推進するが、 バーレーンなど親欧米体制の状況には目をつぶる」 として 「二重基準を使っている」 と批判する声明を出した。 また、カダフィ政権に批判的で国連安保理決議を容認する姿勢を示したアラブ連盟(実際には、 22カ国・機構のなかの半数だけの支持であった)のムーサ事務局長も20日、米英仏軍などが19日に開始したリビア政府軍への攻撃について、 「現在起きていることは、飛行禁止区域の設定という目的とかけ離れている」 「われわれが望むのは市民の保護であり、爆撃ではない」 と攻撃の行き過ぎを批判している(3月21日 ロイター通信より)。

  オバマ米大統領は、議会の承認なしに中南米訪問中に米軍のリビア攻撃の命令を発したことや、 戦争権限法(ベトナム戦争の教訓を元に1973年に制定された)および憲法に違反したとして、民主・共和両党の多くの議員から非難されている。 米国議会では21日、大統領候補でもあったデニス・クシニッチ下院議員(民主党)が 「米軍の若い男女を危険にさらす決定を議会にはからずに実行したことは違憲であり、弾劾に値する」 と激しく非難した。 上院外交委員会筆頭メンバーのリチャード・ルーガー議員(共和党)も 「大統領のリビア攻撃計画はカダフィ大佐の退陣を求めるだけでその後の政策目標がなく、そうした点を議会に示さず、 しかもホワイトハウスから遠く離れた地点で米軍動員命令を発表することはあまりに支障が多い」 と批判した。
  これに対して大統領側近は 「今回のリビア攻撃では米国は主導権を握らず、国連主体のフランスやイギリスに同調したため、 こういう形式となった」 と説明している(「産経新聞」 3月22日)。 オバマ大統領も、「カダフィ大佐は退陣すべきだが、米軍は一般人の保護という目的のために飛行禁止空域設定を行っている」 という書簡を議会に送って弁明している。また、リビアでの軍事行動に慎重だったオバマ大統領が介入路線にかじを切った背景として、 大量虐殺が起きかねない状況に危機感を抱いたクリントン国務長官、ライス国連大使、パワー国家安全保障会議(NSC)上級部長の女性3人が、 そろって軍事行動を主張したことが決め手になったと伝えられている(「ニューヨーク・タイムズ」 3月19日)。 ロシアではその後、メドベージェフ大統領がリビア攻撃への批判を弱める姿勢に転じ、 多国籍軍の軍事介入を 「十字軍の攻撃」 に喩えて強く批判するプーチン首相(国連安保理決議に対して拒否権を行使しなかったメドベージェフ大統領も間接的に批判)と真っ向から対立する様相を呈しはじめている(「共同通信」 2011年3月22日)。

  2.リビア攻撃の真の狙いは何か−「人道主義的介入」 の欺瞞性

  それでは、仏英米欄伊5カ国軍からなる多国籍軍のリビア攻撃の真の狙いは何であろうか。 そのことに関連して、リビアのカダフィ政権への軍事攻撃を批判する国々・首脳の声を聞いてみよう。

  リビアのクーサ外相(のちに辞意表明し、イギリスに亡命をする)は 「フランス、英国、米国がリビア東部の離反者たちと接触をしていることは明白だ。 リビアを分断させる陰謀があるということだ」 と語っている(AFP3月8日)。ベネズエラのチャベス大統領は、3月19日、 仏英米などによるリビア攻撃について 「石油獲得だけが目的で、リビア国民の生命など全く気にしていない」、 「資本主義の手で爆弾が落とされ、戦争が起き、人々がさらに苦しむことになる」 とリビア攻撃に正当性はないとの見方を示している(「時事通信」 3月20日)。 北朝鮮外務省報道官は22日、朝鮮中央通信のインタビューに対し、リビアへの軍事攻撃について 「主権国家の自主権と領土保全を乱暴に侵害し、 リビア人民の尊厳と生存権を無残に踏みにじる最大の反人倫犯罪」 と非難するとともに、「米国が唱えるリビア核放棄方式とは、 安全保証と関係改善という甘い言葉で相手を武装解除させた後、軍事的に襲う侵略方式だということが明らかになった」 と述べた(「朝日新聞」、 2011年3月22日)。またイランのハメネイ師は、「彼らの目的は国民の保護ではなく、リビアの石油だ」 などと述べて批判する一方、 アラブ圏で起きている反体制デモについて、「イスラム(国家樹立)を目指した広範な国民運動である」 として、 支持する考えを改めて表明した(「読売新聞」 2011年3月22日)。

  一方、アメリカ(ワシントン、ニューヨーク、サンフランシスコ、シカゴなど)やヨーロッパ(スペイン、イギリスなど)の各都市では、 リビア攻撃に反対するデモが実施された。デモ参加者は、「西側によるリビアへの軍事介入の目的は、 リビアの天然資源の搾取や同国の分裂である」 と主張している (「イングロス配信(イラン日本語ラジオ)」 2011年3月27日)。 こうした重要な事実を日本のメディアはほとんど伝えていないのも問題である。

  水島朝穂氏(早稲田大学)は、ロシアが3月17日の国連安保理決議の採択にあたって、 「決議はリビアの反体制派側に偏り、内政不干渉原則(国連憲章2条7項)に反する介入にあたる」 と主張したこと、 また 「緑の党」 のK.ミュラー(元外務副大臣)がドイツの棄権を 「致命的な誤決定」 と非難して 「ドイツはヨーロッパを分裂させ、 国際的に信頼を失墜させた」 として 「人道に対する犯罪に対しては非難するだけでなく、行動しなければならない」 と、 「空爆」 を積極的に支持していることを紹介している(「見過ごせない軍事介入──リビア攻撃とドイツ(1)」 水島朝穂の平和憲法のメッセージ 「今週の直言」 より)。ドイツでも国論が分裂していることが分かり、興味深い。

  成澤宗男氏(『週刊金曜日』 企画委員」)は、米英仏がリビアに軍事介入したのは、名目は 「人道」 だが、目的は石油と述べ、 「今回の介入は、形式的には国連安保理1973に基づくもので、その趣旨は “(カダフィ政権の)住民への攻撃を阻止する” という点にある。
  だが、多国籍軍は対リビア攻撃当初から60人以上の住民を空爆で殺害し、さらに決議にはない “最高指導者” カダフィの暗殺まで実施している。 いかに米国が “人道介入” を演出しようが、その本質は “軍事力で体制変革を迫る、純然たる侵略” だ」 としている。 今回のリビア攻撃の核心を突いた見事な論評であり、(必ずしも米国主導ではないという点を除いて)まったく同感である(『週刊金曜日』 3月25日号)。

  田中 宇氏(フリージャーナリスト)は、リビアは世俗主義が強くカダフイ大佐が重視してきたトリポリを中心とする西部と、 イスラム主義勢力(スンニー派であるが親イラン)が強いベンガジを中心とする東部とに分裂しており、「リビア東部の反政府勢力の中に聖戦士が多く、 欧米は反米イスラム主義勢力を軍事支援してリビアの政権を取らせようとしている」 と指摘している(「リビアで反米イスラム主義を支援する欧米」 田中宇の国際ニュース解説 無料版 2011年4月2日)。

  この田中氏の貴重な指摘に関連して、NATOやアメリカのなかで同様の主張がなされ、部分的な方針転換をしていると伝えられているのが大変興味深い。 例えば、NATO欧州連合軍のスタビリデス最高司令官が3月29日、米議会公聴会で 「反体制派の中にアルカイダが潜伏している可能性」 を指摘し、 反体制派へのこれ以上の肩入れへの警戒感が急浮上して事実上の方針転換となったという(「共同通信」 2011年4月2日)。 その一方で、カダフィ大佐が自身を支持する政府軍部隊に 「反政府勢力は国際テロ組織アルカイダのメンバーだ。 抹殺しなければならない」 と信じ込ませ、前線に送り込んでいるとの指摘もある(「時事通信」 2011年3月30日)。 また、リビア攻撃を実施するに当たって、アメリカとサウジの間に裏取引があった、 すなわち 「サウジアラビアを筆頭とする湾岸諸国はバーレーンにサウジが軍を送って鎮圧することをアメリカはじめNATOが黙認する代わりに、 リビアの飛行禁止空域設定で、国連安保理決議に従ってアラブ連盟でも賛成するという条件を呑んだ」 との指摘も注目される(「アメリカ・サウジの対リビア陰謀」:ROCKWAY EXPRESS 4月5日)。

  「国際社会」による軍事介入の様相の新しい事例ともなった今回のリビア攻撃(「リビア戦争」)の対する評者の見方は、リビアへの軍事介入は、 米欧主要国が明確に、 住民の保護という 「人道目的」 を隠れ蓑に内戦状態にあるリビアの一方の当事者である反体制派武装勢力を支援する側に立ったことを意味しており、 その隠された目的はリビアの石油利権と富の収奪、あるいはイスラエルの安全保障の強化にあるといわなければならない。 イスラエルのガザ攻撃などの度重なる蛮行を放置し続けていることからも分かるように、 リビアのカダフィ独裁政権による人権弾圧と政府軍機の無差別爆撃による住民の殺戮を理由とした、 今回の 「人道的介入」 という理由付けはまったくの口実であり、米欧諸国の恣意的な二重基準を自ら暴露したものであるというものである。

  さらにいえば、このような民族浄化や大量殺戮を口実とする欺瞞的な 「人道主義的軍事介入」 は、 1999年3月に行われたNATO軍によるコソボ紛争における対ユーゴスラビア戦争 (あるいは2003年3月に強行された米英両国を中心とする有志連合軍によるイラク戦争)でも持ち出されており、 そこには正当な根拠・理由付けを見いだすことは一切出来ないというのが評者の基本的立場である(拙稿 「“ヨーロッパの周辺事態” としてのコソボ紛争―NATO空爆の正当性をめぐって―」 『日本の科学者』 (2000年7月号)、 千知岩正継 「コソヴォ紛争に対する国際社会の対応−NATO空爆の正当性をめぐる諸問題を中心に」 『九州政治研究者フォーラム・日韓合同研究会報告集』 (2000年5月)、 Caslav Pejovic, "Kosovo Crisis: Background of the Problem and Possible Solutions, "[拙訳 「コソボ危機―問題の背景と可能な解決策をめぐって」 『長崎平和研究』 No9(2000年4月号)、27-41頁] などを参照)。

  今回のリビア攻撃の正当性については、次のような観点からの検討が少なくとも必要であろう。
  第一に、「国際社会」 の合意は存在したのか、武力行使以外の選択肢は本当になかったのか、という問題である。 今回のリビアへの空爆は、一部の欧米諸国とアラブ諸国の思惑だけで行うことになったものであり、 国際社会の合意を欠いた一方的軍事介入であったといわざるを得ない。武力行使をする前に停戦実現へ向けての努力が真剣になされたという痕跡もない。 国連安保理決議1973が容認したのは、飛行禁止空域の設定と住民の保護(殺傷防止)のみであり、 それを直ちに 多国籍軍による空爆実施の許可と解釈するには大きな乖離・無理がある。 ましてや、カダフィ暗殺・排除や政権転覆・体制転換は含まれていない。 それにもかかわらず、多国籍軍側は軍事作戦の開始当初からカダフィを標的にしていたばかりでなく、 反体制派勢力への武器供与によるカダフィ政権の打倒も事実上獲得目標に含まれていた。
  このことは、国連安保理決議が受任した限定的な軍事行動からの明らかな逸脱であり、武力行使を一般に禁止している国連憲章ばかりでなく、 内政不干渉や国家主権の尊重といった国際法上の基本原則の明白な違反である。リビアにおける飛行禁止空域の設定を支持したアラブ連盟やトルコ、 イタリアもその後実際に行われた空爆に対しては、反対の意思表示をしている。 アムル・ムッサアラブ連盟事務局長は、飛行禁止空域は支持するが、「アラブ連盟は基本的には空爆に反対である」 と述べ、 トルコのアハメト・ダブトグル外相は、「同盟の結成における法的手続きは欧米諸国において充分には尊重されなかった」 と語った。 そして、イタリア上院国防委員会のカントーニ委員長は、「従来からのフランスのアンチNATOの姿勢が、 将来のリビア政府との石油契約を確保したいという欲望によって動機付けられている」 と批判し、トルコのエルドアン首相は、 「NATOはリビアはリビア人に属する、ということを認識し認めるということだ。 地下の資源と冨の分配のための作戦であってはならない」 と述べ不快感を明らかにしている (「ドイツは対リビアNATO軍から撤退」 :ROCKWAY EXPRESS 3月24日より)。

  そして、同盟国や加盟国が攻撃を受けていないにもかかわらず、仏英米3カ国やNATOがリビアに対して行った一方的な軍事介入は、 まさに 「主権国家に対する侵略行為」 といえよう。国連の関与は湾岸戦争、アフガニスタン戦争以来であり、 特に今回の藩其文事務総長の突出した言動は国連および安保理の権威低下をもたらしたという意味で重大な誤りであるといえよう。

  第二に、多国籍軍やNATO側が空爆正当化のために持ち出した 「人道的介入論」 の欺瞞性についてである。 「人道的介入論」 は住民の保護(犠牲回避)を唱えるが、実際には、多国籍軍やNATO側が行う 「人道のための空爆」 「人道的戦争」 ですでに 「誤爆」 が続出して多くの民間人の死傷者が出ている。多国籍軍やNATO側による空爆・攻撃にともなう民間人の死傷の可能性を 「付随的損失(被害)」 と呼んでいるが、 そのことはまさに 「人道的介入」 の欺瞞性を物語っている。 そもそも今回の空爆を 「人道的介入」 として、ナチス・ドイツやポル・ポト派等によって行われた 「民族浄化」 や 「大量殺戮」、 「ジェノサイド」 という極限的事例と同列視するのはあまりにも無理がある。
  また、これまでつねに大国による介入の口実に使われてきた 「人道的介入論」 は、国際法上、未だ確立されているとは言い難い。 「大国」 が 「介入する権利」 をたとえ 「国際社会」 が 「保護する責任」 と言い換えてもその本質は同じである。 停戦を無視してあくまでも戦闘の継続を望んだのは、いうまもなく多国籍軍・NATOと反体制派側である。 このようなかたちで 「国際社会」 が内戦の片方の当事者に一方的に肩入れすることは自らを戦争当事者の立場に置くものであり、根本的な誤りである。

  第三に、「二重基準(ダブルスタンダード)」 との批判は妥当性があるか、という問題である。 イスラエルのガザ虐殺(2008年12月27日から始まったイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃でパレスチナ住民の虐殺が生じたが、 米英仏などの 「国際社会」 はなぜか 「沈黙」 を守った。また、ガザへ支援物資を運ぼうとしていた7隻の船が2010年5月31日、 イスラエル海軍の特殊部隊に公海上で襲撃され、550名の平和活動家が乗っていた 「マビ・マルマラ」 では多くの死傷者が出ているが、 イスラエルには何の 「お咎め」 もなかった)。
  サウジアラビアやバーレーンなどの独裁体制などを放置・容認する一方で、 リビアのカダフィ独裁体制による住民の弾圧と殺傷だけを取り上げて武力制裁をすることは、恣意的な対応、 すなわち 「二重基準(ダブルスタンダード)」 の適用との批判は免れない。 こうした 「二重基準(ダブルスタンダード)」 は、多国籍軍・NATOや反体制派側が行う残虐行為と、 その結果としての民間人の犠牲には 「沈黙(暗黙の容認)」 を続けるというかたちでもあらわれている。 同じ中東の独裁国家ではあっても、民衆蜂起の弾圧が続いている親米のバーレーンやイエメン、サウジアラビアには介入せずに放置しているにもかかわらず、 リビアにはなぜ介入するのかという根本的疑問に多国籍軍・NATOは明確に答える責任がある。

  第四に、武力行使の具体的方法、特に 「誤爆」 と 「付随的損失(被害)」 の非人道性をめぐる問題である。 多国籍軍・NATO軍は、空爆当初から自軍兵士の犠牲者を出さないことを最優先課題としてきた。 すなわち、戦闘の泥沼化を避けるためにリビアへの地上軍投入には一貫して消極的な姿勢に徹して、 安全な高度からのハイテク兵器による空爆作戦を展開してきた。その結果、こうした外部勢力による力の介入で内戦が拡大し、 多国籍軍・NATO側がほとんど被害を出さなくてすんでいる一方で、回避されるはずのリビア住民の犠牲はますます増えるばかりである。 特に再三の 「誤爆」 でリビアの民間人からも多くの犠牲者を出す事態を招いているが、 そのことは人道目的を掲げながらそれを達成するためには手段を選ばない、というNATO空爆の非人道的性格を端的に示している。

  多国籍軍・NATO側は、こうした事態を 「遺憾」 とする一方で、「(すべては)カダフィ政権側の責任」 との姿勢を示している。 だが、このような非人道的なやり方は、人道的目的を掲げた軍事介入の正当性そのものを否定するものであるといえよう。

  第五に、国籍軍・NATO側による意図的情報操作の問題である。 カダフィ政権側が行う無差別空爆によって住民に大きな犠牲者が出ているとの端緒情報への疑いはまさにそれを象徴している。 カダフィ政権による無差別空爆やデモ隊と軍隊の間での流血の衝突ははたして本当に起きていたのか(246825 「リビアを巡り世界的世論操作が行われている」 サラリーマン活力再生を参照)。 このことは、武力行使以外の選択肢は本当になかったのか、停戦実現へ向けての努力は真剣になされたのか、 停戦を無視してあくまで戦闘を継続しようとしたのはどちら側なのか、といった問題と直結する。

  このリビア攻撃(「イリビア戦争」)は、NATOによる対ユーゴスラビア空爆の場合と同じく、当初から 「メディア戦争」 の様相を帯びており、 NATO・リビア反体制派側とリビア・カダフィ政権側の双方がテレビ・ラジオ・インターネット等で非難・中傷合戦を展開してきた。 カダフィ政権がイメージ改善のためにPR会社を採用したとの報道もなされているが、 とりわけ問題なのは、NATO・リビア反体制派側の過剰な情報統制と意図的な情報操作のやり方である。 NATOリビア反体制派側は、空爆開始前からリビア・カダフィ政権側の残虐行為を誇張して伝えると同時に、自分たちに不利な情報を覆い隠す戦術をとってきた。 空爆箇所の情報や 「誤爆」 事件の真相を隠そうとする姿勢は、「人道的介入」 を唱える側の情報開示への信頼性を著しく損ねるばかりでなく、 多国籍軍・NATO側が掲げる 「人道」 と 「正義」 の欺瞞性を浮かび上がらせている。

  しかし、この人道(主義的)介入という偽善と欺瞞という問題が非常に複雑で、奥の深い厄介な問題だと思うのは、ある意味で、 ネオコンのような好戦的なタカ派よりも、 平和・人道主義者や人権活動家が 「人道(主義的)介入」 という武力行使を積極的に唱える傾向が強いということである。 この点で、藤永 茂氏(作家・文明批評家)が 「攻撃的な帝国主義政策を推し進めるアメリカ政府とそれを支持する保守勢力が “外国国民の人権を守るため” の人道主義的介入という口実を用意するのは、いわば、自然なこととも言えましょうが、 ジャン・ブリクモンが問題とするのは、元来、帝国主義的外国侵略に反対の立場を取る進歩的な人々の中にも、 この “人道主義的介入” というロジックを採用する傾向が広がっているという事実です」 と述べているのが注目される (「人道主義的介入という偽善と欺瞞」 私の闇の奥 2010年6月9日を参照)。
  また、前出の水島朝穂氏も前掲のコラムで 「エコロジストやフェミニスト、人権尊重派は、独裁者による大規模な人権侵害となると見境がなくなり、 強力な国家介入を求める傾向にある。“国家保護義務” の議論でも、この手のタイプは驚くほどのタカ派になる」 と指摘しているが、まさにその通りだと思う。 いずれにしても、この問題を克服するためには、私たち一人一人が地道に努力してメディアリテラシーと洞察力・判断力を高めるしかないであろう。

3.中東の市民革命と国際秩序の再編
−米仏の主導権争いとサウジ・イスラエルの暗躍

  今回のリビアへの軍事作戦で特に注目されるのは、リビア攻撃開始当初からの米国の慎重な対応である。 リビア攻撃が始まった3月19日、クリントン米国務長官は記者団に対して、「(この戦争は)我々が主導するものではない」 と話している。 ロベルト・ゲート米国防省長官は 「リビアの将来を決めるのはリビアの市民だけである」 と述べている。 オバマ大統領も、開戦当初からカダフィ大佐の殺害などを目標としないことや陸上部隊は投入しないことを繰り返し表明し、 軍事作戦での米軍の役割を限定するとともに指揮権を短期間でNATOに委譲する決定を行っている。
  このようなオバマ大統領の対応をめぐっては、手に負えない内戦に肩入れしてしまったのではないかとの批判、 多国籍軍に参加する他国に主導権を譲ったとの批判、 カダフィ大佐が追放されなければ米国の威信が大きく損なわれるのではないかとの懸念などさまざまな声が出されている。 米上院軍事委員会委員のジョン・コーニン上院議員(共和党)の 「米議会に諮ることなく一方的に米国を戦争に突入させたことへの説明がない」 との声明を発表し、オバマ政権は 「足して2で割ったようなことを言っている。カダフィ大佐は退くべきだと主張する一方で、 カダフィ大佐を排除するために必要な行動は拒否している」 という批判は、その代表的なものといえよう。 これに対してオバマ大統領は、米国がリビアでの 「大虐殺」 を阻止したと語った上で、 「リビアの最高指導者ムアマル・カダフィ大佐を武力で追放しようとすれば、 イラク戦争の殺りくを繰り返すことになりかねない」 と反論している(3月29日 AFPより)。

  米国とは対照的に今回のリビア攻撃に当初から積極的で主導権を握っていると思われるのがフランスのニコラ・サルコジ大統領である。 フランス政府は3月10日、国家として世界で初めて、リビア反体制派の連合組織 「国民評議会」 をリビア国民の正統な代表として承認した。 リビア攻撃の先鞭をつけたのもフランスのミラージュ戦闘機であった。サルコジ仏大統領は、3月25日に欧州連合(EU)首脳会議後の記者会見で、 対リビア攻撃の 「政治的、外交的解決」 は英仏両国が主導する、また武力介入の目的設定や対地攻撃、 攻撃停止などの政治判断はNATOと別の枠組みで行うことを表明している。 対リビア軍事作戦の指揮権をNATOに委譲するという米国の提案にも抵抗し、NATOは 「技術的な役割を果たすにすぎない」 と述べ、 作戦全体に対する政治的判断などは依然として 「多国籍軍」 が担うとの考えを示している(「共同通信」 3月24日)。

  こうした米国とフランスのきわだった対応の違いは、 (多くの論者が指摘しているように)軍事作戦をフランス主導で進めて政権浮揚につなげたいG8議長国であるフランスのサルコジ大統領 (来年で任期の5年が終わる、2012年の次期大統領選への出馬表明も昨年行っている)と、 泥沼化したアフガニスタン・イラクでの二つの戦争による兵力不足と財政危機で身動きができないオバマ大統領 (彼自身も2期目の大統領選への出馬表明をしたばかり)という双方の異なる立場の反映という側面があることは確かであろう。 ただ、こうした事態を別の視点からみれば、冷戦後の世界におけるこれまでの米国一極の世界秩序からの転換、 すなわち米国の覇権国家からの転落の始まりと、新しい多極的な国際秩序の萌芽とも評価することもできよう。 もちろん、フランスのサルコジ大統領の考え方はブッシュ前米大統領やネオコン(新保守主義者・イスラエル至上主義)に近いものであることは明白であり、 この不確かな新しい国際秩序が必ずしも望ましいものではないということも十分留意しておく必要があるであろう。

  このことを裏付けるように思われるのが、米国民向けにテレビ映された国防大学でのオバマ大統領の演説である。 その要旨は、下記のように伝えられている(「産経新聞」 3月30日)。

一、米国の国益と価値観が危機にさらされているとき、われわれには行動する責任がある。
一、リビアは恐ろしい暴力の可能性に直面していた。米国にはそれを防ぐ能力があり、多国籍軍やアラブ諸国の支援も得た。 責任を果たさなければ、米国は自身を裏切ることになる。
一、軍事行動の目標をカダフィ政権の転換に広げるのは過ちだ。非軍事的に(退陣を)追求する。
一、米国の安全が直接の脅威にさらされなくても、国益と価値観が脅かされれば私は行動をためらわないが、米国だけが負担を負うべきではない。 リビアのように集団で対処するため、国際社会を結束させるのが米国の役割だ。
一、真のリーダーシップとは、他者にも行動を起こす必要条件と連携を作り出すことだ。

  この演説を、先制攻撃と単独行動主義を特徴とする 「ブッシュ・ドクトリン」 (2002年9月20日にジョージ・W・ブッシュ前大統領の打ち出した積極的な要望戦争戦略で、 正式には 「アメリカ合衆国国家安全保障戦略」 と呼ばれる)に代わる新しい 「オバマ・ドクトリン」 と評価できるかどうかは別にして、 20世紀後半以降、「世界の唯一の警察官」 として世界各地の紛争への軍事的介入を主導してきた米国の姿勢が、 ここにきて変わらざるを得なくなっていることを反映したものであることだけは確かである。 ニュース週刊誌タイムは、今回のリビア戦争を 「米国でないフランスや英国の政争」 と評した。 そして、3月29日付の米紙ワシントン・ポスト社説が 「幸運に頼る以外の戦略が欠けていた」 と論じ、同日付米紙ウォールストリート・ジャーナル社説も、 「この動乱にあたって、オバマ大統領は必要以上に、そして恐らくは危険なぐらいに受け身である」 と論評しているのは、 米国の世界的覇権の衰退を嘆く声の反映であり、パクス・アメリカーナ(アメリカの平和)の喪失を物語っているともいえよう。

  ここで重要だと思われるのは、チュニジアとエジプトで始まり、バーレーンやイエメン、サウジアラビア、ヨルダンなど、 あっという間に中東全体に拡大した 「市民革命(民衆革命)」 とリビア情勢との関連である。
  中東・イスラム問題の専門家である板垣雄三氏(東大名誉教授)によれば、 「非暴力の不服従・抵抗・異議申し立て・体制変革要求に立ち上がる市民たちの動き」 は、 確かに 「近代世界をつくり変える21世紀の<新しい市民革命>の出発を告げる先駆け」 であった。
  しかし、リビアの場合は、チュニジアとエジプトとことの成り行きはまったく異なっている。 その本質については、「リビアで起きている流血の内戦は、動き出した “中東の市民革命” に打撃を加えようとするもの」 であるといえる(板垣雄三 「拡がる中東革命の波紋−リビア報道に騙されるな」 『DAYS JAPAN』 2011年4月号、を参照)。 リビアでは、期待されていたように、エジプトやチュニジアのように外部からの干渉なしに事態が進展することはなかった.。 その背景を理解するには、「チャドを拠点とするリビアの反体制派にはアメリカやイスラエルだけでなく、サウジアラビア、エジプト、モロッコ、イラク、 そしてフランスからも支援を受けてきた。1984年5月にはアルカダフィ暗殺を試み、失敗している。 アメリカがエジプトにリビア侵攻を求め、断られたのはその翌年のことだった」 という、 ピーター・デール・スコット・カリフォルニア大学教授の指摘が注目される (櫻井ジャーナル(私家版) より)。
  また、前出の藤永 茂氏は、「いまのリビアの問題はアラブ世界の政治体制の民主化の問題ではありません。 アフリカを自分たちの支配下に留めておきたいという欧米の強烈な意図の端的な表れです。 アフリカ大陸は、自分とその一族の権力と富を維持増大させることだけしか考えていない腐敗し切った独裁的政治家が沢山います。 その中でリビアのカダフィが飛び離れて惨たらしく残酷な独裁者だとは、私が調べる限り、どうしても思われません」 と述べているが、 評者も強い共感を覚える(「リビアは全く別の問題である」 私の闇の奥2011年3月30日を参照)。

  この地殻変動のなかで隠された最大の問題は、イスラエルとサウジアラビアである。 イスラエルは、中東地域で唯一の友好国であったエジプトのムバラク政権が崩壊して窮地に陥りつつあったが、 その一方でリビアには5万人の傭兵をアフリカ諸国から送り込むなどカダフィ政権とも密接な関係を保っていた。 カダフィ政権が使用する武器の多くがイスラエル製であることも指摘されている (「リビア政府はイスラエル製兵器を使用」 : ROCKWAY EXPRESS 4月4日を参照)。

  サウジアラビア(サウジ王家は、スンニ派の中のワッハプ派の教主)もアメリカ・イスラエル両国との友好関係を深めながら、 国内には王族による富の独占と独裁的な体制を批判するイスラム原理主義者を多く抱えていた。 そして、同じような体制(王家がスンニー派で国民の大部分がシーア派)のバーレーンが暴動で危機に瀕すると、軍を送って鎮圧する暴挙に打って出たのである。 チュニジアで裁政権が崩壊した時にベンアリ大統領もサウジアラビアに亡命したといわれている。

  最近のリビア情勢が示しているのが、爆発的に進行中であった中東における市民革命の動きに、 それまでの圧倒的に優位な地位を脅かされ始めていたアメリカとイスラエル、 そしてサウジアラビアを盟主とする湾岸諸国(アラブ連盟に加盟しリビア攻撃にも参加したカタールやアラブ首長国連邦など) が巻き返し政策(自らに有利な中東秩序の維持とその再編強化)に乗り出し始めたというのが真相ではないだろうか。

  そうした意味では、今回のリビア攻撃を 「国連安保理決議に基づき有志国が民衆革命を助けるという新たな武力行使のあり方を示した」 とか、 「国際協調による新たな人道介入のモデル」 (『毎日新聞』 2011年3月21日付)などと論じるのはまだ早計である (というよりも、どんだ思い違いである)といわねばならない。 2005年に開かれた国連首脳会合は、「保護する責任」 と命名した新たな概念(国家主権は住民を保護する責任を伴い、 国家がもしその責任を果たせないときは国際社会が代わって責任を果たすべきだ)で合意したといわれる(『産経新聞』 2011年2月27日)。

  しかし、リビアの内戦・国内紛争は軍事的解決ではなく、あくまでも平和的解決を目指すべきであることはもちろん、 民族自決と内政不干渉の原則に基づくべきである。 これまで見てきたように、外部からの力の介入に問題解決の糸口を見いだそうとする考え方の背後には大きな落とし穴がある。 このことを、潘基文国連事務総長をはじめ 「国際社会」 は自覚・反省して、過去と同じような失敗を繰り返さないことこそが必要であろう。

  チュニジア、エジプトを発端とした中東を激震地とする地殻変動は、 グローバリゼーションの下で急速に進行した新時自由主義の破綻(貧富の格差の拡大と失業・差別の増大)と、 新しいソーシャルネットワーク(フェイスブックやツイッターなど)の登場による市民革命(独裁体制の拒否と社会的公正・平等の実現など)の結合がその背景にあり、 どのような新しい国際秩序が出現するのかはいまだ不確定である。 浅井基文氏(前広島平和研究所所長)も、そのことを 「米ソ冷戦の終結後のアメリカ発の新自由主義・グローバリゼーション (世界経済のマネタリズム資本主義による一体化)の流れが中東諸国をも襲い、 ごく一部の特権層の富裕化の陰で大多数の人民の絶対的貧困化を招いてきたことが、 広範な人民の間で現状変革を求めるマグマを蓄積させてきた結果である」 「中東諸国における事態の進展が新しいネット媒体によって仲介されたということ」 と自分のコラム(「中東情勢から学ぶこと」 2011年3月2日、 「21世紀の日本と国際社会」)で述べている。

  日本も、このような世界的規模での地殻変動と無関係ではむろんあり得ない。 地震・津波・原発事故の三重の被害という、つてない危機に見舞われている日本ではあるが、 ほとんど思考停止状態でアメリカに依存・追随して旧体制・秩序に固執するのではなく、 新しく開かれたより公正かつ平和な国際秩序を実現するべく主体的に取り組んでいくことがまさに求められている。 最後に強調しておきたいのは、紛争が発生してから事後的に力による解決に走るのではなく、事前に紛争なる萌芽を密出してそれを除去する、 あるいは抑え込むことの大切さである。平和憲法をもつ日本にとって本来の役割を発揮できるのがこのいわゆる 「予防外交」 の分野であり、 そのための自覚・力量と高める努力がいま強く求められている。
(※本文の事実関係の経緯については引用を一部省略しているが、新聞各紙を参照していることをお断りしておきたい)

2011年4月11日(東北関東大震災から1ヶ月を迎えて)