2012.11.3

「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」

目次 プロフィール
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)


第三八回
「オスプレイ問題からみえる日米関係
―従属から自立への転換を」

※(現在沖縄では、米兵によるレイプ事件に続いて民家侵入・殴打事件が起きて人々の怒りは沸点に達しようとしています。 もちろん、その背景には、10月に欠陥機オスプレイが危険な普天間基地に強行配備され、 その直後から当初の日米両政府間の 「約束」 「合意」 を無視して、 やりたい放題の訓練を繰り返していることに対する抑えようのない憤りがあることはいうまでもありません。 また、11月からは岩国とキャンプ富士の二つの米軍基地を拠点として低空飛行訓練が日本本土でも実施されようとしています。 そこで、今回の論評では、この余りにも理不尽なオスプレイ問題の背景・本質を沖縄・普天間基地への強行配備前に、 季刊 『アジェンダ』 に寄稿させていただいた原稿を転載させていただきます)


  はじめに−オスプレイ問題の急浮上と日本政治の機能不全
  4月にモロッコ、6月に米国・フロリダで死傷者を出す深刻な事故を相次いで起こし、 沖縄だけでなく、岩国を含む全国各地で配備に断固反対する声が出ているにもかかわらず、 徹底した事故調査もまともに行われないまま、既定方針通り10月に米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの第一陣12機が、 沖縄・普天間基地へ強硬配備されようとしている。
  「世界一危険な米軍基地」 といわれる普天間基地に、「未亡人製造機」 と揶揄されるほどの 「世界一危険な軍用機」 を、 あくまでも予定通り強硬配備しようとする姿勢を崩さない米国政府、 その米国の理不尽な要求とその意向を受けた外務・防衛官僚の説得に唯々諾々と従うだけの野田政権の姿は、 まさに狂気の沙汰であるといっても過言ではない。

  それは、「米国と官僚の二重の言いなり」 になっている現在の日本政治の機能不全・主権放棄の惨状を物語っている。 最近の竹島・尖閣諸島問題をめぐる韓国・中国との不毛なナショナリズムの応酬も、日本政府の外交不在・思考停止のあらわれであることは明らかである。 日本政治が内政・外交ともに閉塞状況に陥っている今日の状況の中で、半世紀以上も続いてきた日米安保体制にも大きな亀裂・動揺が生じつつある。 そのような状況の中で、日本の進むべき方向と日米関係のあり方そのものが問われている。

  1.鳩山政権の挫折が意味したものは何か
  2009年の夏に戦後初めて実現した本格的な政権交代の意味するものは何であったのか。 そこで問われた最大の問題は、この国は本当に民主国家であり独立国家なのか、という本質的な問題であった。 それは同時に、この国を支配する者は誰なのかという核心的な問題でもあった。

  政権交代前から執拗に仕掛けられた特捜検察による小沢一郎氏(当時は民主党代表)に対する恣意的な強制捜査(「国策捜査」)は、 政権交代の阻止には失敗したものの、小沢首相の誕生と本格的な 「革命政権」 の成立を阻むと同時に、 幹事長となった小沢氏を政府からはずすことによってその政治的影響力を党内に限定することに成功した。
  「政治とカネ」 問題での小沢氏に対する特捜検察による攻撃は、「検察の正義」 を鵜呑みにした異常なマスコミ報道の支援を受けながら、 政権交代後も検察審査会による強制起訴というかたちで引き続き執拗に行われ、 「脱官僚政治」 と 「対米自立」 を当初掲げていた鳩山政権を挫折させる大きな要因となった (森ゆう子著 『検察の罠』 日本文芸社、および平野貞夫著 『小沢一郎 完全無罪 -「特高検察」 が犯した7つの大罪』 講談社プラスアルファ文庫、を参照)。

  普天間基地問題で政権交代前に 「国外移設、最低でも県外移設」 を掲げていた鳩山民主党政権が、 その基本方針を何ら具体化できずに放棄することになったのは、 当時の官邸(平野博文官房長官)・外務省(岡田克也大臣)・防衛省(北澤俊美大臣)・国交省(前原誠司大臣)が、 外務・防衛官僚と一体となって鳩山由紀夫首相の意思を無視して、従来の対米従属路線で動いたからに他ならない。 そもそも 「対等な日米関係の構築」 と 「日米同盟の深化・拡大」 の両立には大きな矛盾があり、 小沢氏を中核として欠いた鳩山政権は挫折するべくして挫折したともいえよう (武藤一羊著 『潜在的核保有と戦後国家―フクシマ地点からの総括』 社会評論社、および岡留安則著 『沖縄から撃つ! 「噂の眞相」 休刊、 あれから7年』 集英社インターナショナル、を参照)。

  そして、鳩山政権の挫折とその後の菅政権の豹変をもたらしたものは、既得利権勢力、政官業学報のペンタゴン、 すなわち特捜検察に代表される官僚、記者クラブ制度やクロスオーナーシップなどにしがみつく大手マスコミ、民主党内反小沢派と野党、財界・軍需産業、 御用学者・親米右翼などであり、その背後に米国の影を見るのは容易であろう (植草一秀著 『日本の独立』 飛鳥新社、および副島隆彦著 『日本の秘密』 PHP研究所、を参照)。
  鳩山首相・小沢幹事長のダブル辞任の後を継ぐ形で登場した菅直人首相が最初にやったことは、 当時の亀井静香国民新党代表との約束であった郵政民営化見直し法案の 「凍結」 と、 普天間基地問題でグアム・テニアンへの海外移設などを模索した鳩山政権が不本意な形で受け入れを余儀なくされた、 辺野古案での日米共同声明の合意を 「遵守」 を表明することであった。 そして、菅首相は、財務省官僚の入れ知恵・刷り込みか、参議院選挙前にこれまでの民主党のマニフェストを裏切る形で突然の消費税値上げ表明を行い、 当然のことながらその直後の参議院選挙に惨敗して、 鳩山首相・小沢幹事長のダブル辞任によって急上昇した民主党支持率を台無しにする結果を自ら招いたのである。

  その後、菅政権のあとを継いだ野田政権は、衆参の 「ネジレ国会」 の壁に直面して身動きが取れない中で、 野党の自民党・公明党との談合で消費税増税法案成立を目指すという迷走を続け、 小沢グループの離党による民主党分裂と支持率の大幅低下という事態を招き、その結果、いまの 「死に体」 とも言える状態にいたっている。 菅・野田両政権は、政権交代前の総選挙での公約であるマニフェストから、あらゆる面で大幅に 「後退」 し 「変質」 したといってもよく、 多くの国民がそうした民主党政権をついに見限ろうとしているのも当然であろう。

  2.沖縄への犠牲・差別とアジアの忘却−吉田路線の負の遺産
  ここで、戦後日本と日米関係のあり方を方向づけた米軍による占領と日本の独立の原点を考えてみよう。
  当時の吉田茂首相がサンフランシスコ・二条約(講和条約と日米安保条約)を締結することによって、 日本は1952年4月28日に 「独立」 を回復して国際社会に復帰すると同時に、米国の軍事力に基本的に自国の安全保障をゆだね、 その代わりに戦後復興と経済発展に専念する道を選択した。しかし、その代償は大きなものであった。
  吉田路線の負の遺産は、1.対米従属という自主性の喪失、2.沖縄への犠牲・差別とアジアの忘却、 3.法治主義の腐食・揺らぎという三つの点に集約される。

  まず第一番目の負の遺産は、片面講和と日米安保条約の同時調印によって、日本が米国の世界戦略のなかに深く組み込まれることになったことである。 それは、冷戦状況下で米国を盟主とする(西側)自由主義陣営の一員となり、ソ連を盟主とする(東側)社会主義陣営に対決していくことを意味した。 すなわち、「東洋のスイス」 から 「アジアにおける反共の砦」 としての日本への転換であり、「独立(主権回復)」 と引き替えの 「対米従属」、 すなわち 「自立性の喪失」 であった。その象徴が、占領軍からそのまま駐留軍となった特権的な米軍の存在であり、 また朝鮮戦争の最中に米国の強い圧力によって生まれた経緯を持ち、 「憲法違反の存在」 でありながら米軍の一貫した監視下で戦力増強を義務づけられた自衛隊である。 また、占領中の対米追随路線が独立後もまったく変わらず継続されたのは、 吉田茂首相がサンフランシスコ・二条約以降も首相を続けたことも大きな要因であった(孫崎 享著 『 戦後史の正体』 創元社、を参照)。
  それは、日本外交の不在、あるいは戦略的思考の停止と経済面での過度の対米依存、 米軍の補完勢力としてアジア有数の軍事力・戦力を持つにいたった自衛隊といった形で現在でも続いている。

  第二番目の負の遺産である沖縄への犠牲・差別とアジアの忘却は、戦争責任および戦後責任の放棄という問題と密接な関係がある。 日本は、冷戦開始を契機とする米国の政策転換によって、 戦前の最高指導者であった昭和天皇をはじめ、岸信介元首相など一部のA級戦犯容疑者が免責されたばかりでなく、 講和会議に臨んだ米国の強い意思で当然行うべきであった賠償責任さえも、負わずにすむという 「幸運」 に恵まれた。 こうした 「幸運」 には、東京裁判で、米軍が行った原爆投下や東京大空襲などとともに、 日本軍が行った細菌戦・人体実験や強制連行・従軍慰安婦(=戦時性奴隷)などの重大な戦争犯罪が断罪されなかったことや、 朝鮮戦争やヴェトナム戦争で日本が 「享受」 した特需景気等も加えられよう。
  この結果、戦後の日本は過去の清算、すなわち侵略戦争や植民地支配への真摯な反省・謝罪と、 日本人の手による戦犯の追及・処罰、被害国・被害者に対する国家および個人レベルでの適切な賠償・補償という最も大切なけじめをつけなかったことが、 今日にいたるまで重大な禍根を残すことになったのである。
  今日でもアジアの多くの民衆から不信と警戒の目でみられ、国内ではそれに反発する形で戦前回帰の動きが急速に強まっている根本原因も、 東京裁判での昭和天皇の免責と新憲法における象徴天皇制の導入、日本および日本人自身による戦犯処罰や戦後処理・過去清算の欠如、 という形で 「戦前との連続」 を色濃くのこすことになった戦後日本の出発点のあり方にあることは明白であろう。
  また沖縄は、講和条約によって日本が独立した後も米軍の過酷な占領下におかれ続けたばかりでなく、 72年の本土復帰後も 「米国とヤマト(日本本土)による二重の占領・植民地支配」 が形を変えて継続することになった。 1995年の米兵による沖縄少女暴行事件や、2004年の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件等に見られるように、 在日米軍基地の過度の集中という過酷な現実に苦しむ沖縄(琉球)の人々の声に真摯に耳を傾けようとしない日本政府(および米国政府)と、 日本本土の人々の冷淡さ・差別の原点がここにあるという冷厳な歴史的事実を今こそ直視しなければならない (新崎盛暉著 『新崎盛暉が説く構造的沖縄差別』 高文研を参照)。

  最後に、三番目の負の遺産として挙げなければならないのは、法治主義の腐食・揺らぎである。 敗戦後の日本は、米軍による事実上の単独占領下に置かれ、非軍事化と民主化を掲げるGHQニューディール派の官僚主導で戦後復興の道を歩んだ。 その過程で導入されたのが、1946年11月3日に公布され翌年5月3日に施行された日本国憲法であった。 この戦争放棄と交戦権否定の9条を含む日本国憲法が制定された背景には、 昭和天皇の免責と沖縄の分離支配を国益とみなす占領軍・米国側と、日本側(昭和天皇を中心とする支配層)の 「暗黙の一致」 があった。
  そして、戦前天皇中心の軍国主義体制の呪縛下にあった当時の国民のある層(特に保守的支配層)にとって、 この新しい憲法が 「占領軍による押しつけ」 であると感じられたことは事実であろう。 しかし、その一方で多くの国民がそれを積極的に支持・歓迎したのは、軍隊が戦時・戦場で国民にとっていかに危険な存在となるか、 また国家が行う軍国主義教育や大本営発表という形での情報操作による洗脳が、 いかに恐ろしいものであるかを思い知らされた戦争体験が原点であったからである。 この平和憲法は、占領下で生じた朝鮮戦争の最中にマッカーサー指令によって創設された警察予備隊(その後、保安隊から自衛隊へ)と、 対日講和条約と引き替えに結ばされた日米安保条約によって、その平和主義の中核部分と法治主義の根幹が脅かされることになった。 本来、武装抵抗の権利という意味での自衛権を自ら放棄した平和憲法と、 明白な軍事力・戦力を備えた武装組織である自衛隊、あるいは世界最強の軍隊である米軍の駐留と日米共同軍事行動を可能とする安保条約は、 両立不可能なはずである(例えば、1959年の砂川事件での 「伊達判決」 とその後の米国の圧力を見よ!)。
  しかし、歴代の日本政府は、再軍備と軍事同盟締結が実は米国から押しつけられたものであるという事実を隠蔽する一方で、 自衛隊と安保条約の存在を既成事実として国民に受容させることに力を入れてきた。 その結果、国の最高法規である憲法よりも安保条約や自衛隊法などを優先させる 「法の下克上」(前田哲男氏の言葉)という異常な状態が生み出され、 戦後長らく今日まで続いたことで、民主主義の基本原理である法治主義・遵法精神が根底から蝕まれてきたのである。

  このような観点に立てば、これまでの既成事実の先行と解釈改憲による追認という悪循環から脱却する道を明文改憲に求めようとする現在の日本の動きが、 いかに本末転倒であるかは明白である。また、どうしていまでも独立した主権国家とは呼べないような米国の 「属国」 という地位に留まり続けているのか、 あるいはなぜ国の最高法規である平和憲法が主権者である国民の意志よりも、 米国への配慮を優先することで蹂躙され続けている理由も見いだせるであろう (ガバン・マコーマック著 『属国―米国の抱擁とアジアでの孤立』 凱風社、を参照)。

  3.沖縄の米軍基地問題とオスプレイ強行配備の動き
  まず沖縄問題は、日本問題であると同時に米国問題であり、 米軍基地問題の根本的解決は日米安保条約の解消しかあり得ないというのが著者の基本的立場である。 また、沖縄の基地問題は、軍事・安全保障問題である以上にまず人権・民主主義の問題である、ということも指摘しておかなければならない。
  こうした観点からすれば、市街地のど真ん中にある普天間基地は、2004年の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件や、 1995年の沖縄少女暴行事件 「以前」 にも即時無条件返還が実現されてしかるべきではずのものである。 しかし実際には、普天間基地撤去は 「新基地建設」 の条件付で、米軍ヘリ墜落後2週間も立たないうちに訓練が再開されている。 また、辺野古への新基地建設は住民の体を張った抵抗によって今日にいたるまで完全に阻止される一方で、 老朽化した普天間基地はその危険性を除去することなくそのまま固定化されようとしているのが現状である。

  沖縄は、太平洋戦争中に日本で行われた 「唯一の地上戦」 である沖縄戦で日本本土防衛のための 「捨て石」 とされ、 戦後は日本本土と切り離されるかたちで 「米国の軍事植民地」 となり、 本土復帰後もアジア太平洋地域の平和と安全のための要石(キーストーン)とされて、 日本全国の米軍専用施設の74%が集中するという過重な負担を強いられ続けてきた。
  そして、度重なる米軍・米兵の事故・犯罪、過酷な基地騒音被害、日本本土との経済格差の拡大など、 まさにそのことこそが 「構造的沖縄差別」(新崎盛輝氏の言葉)、すなわち 「沖縄は米国と日本(本土)による二重の植民地」 (日本は米国の事実上の 「植民地」、そして沖縄は日本(本土)の 「国内植民地」)であることの証明である。 これまで控えていた 「県外移転」 を仲井真弘多知事をはじめとする多くの沖縄の人びとが憚らずに声を出し始めたのは、 そのような隷属状況をこれ以上黙って受け入れ続けることを断固拒否するという沖縄県民の意思表示であることは間違いない。

  その一方で、「沖縄の負担軽減」 を合い言葉に米軍基地・訓練の日本本土への 「たらい回し」 がこれまで部分的に行われてきたが、 辺野古や徳之島・馬毛島での基地新設・訓練移転に対する住民の激しい反対運動が示しているように、 沖縄だけでなく日本国内にはもはや米軍基地や訓練を拡充する余地はないことは明らかである。 今回の欠陥機オスプレイの沖縄・普天間基地への強行配備という蛮行は、あまりにも理不尽かつ不条理な仕打ちである。

  このような状況において、オスプレイ問題は、日本本土と沖縄との分断ではなく、その両者の間の連帯・団結を強め、 日米安保体制だけでなく日米関係そのものを根底から揺るがすほどのきわめて大きな問題・火種となる可能性を秘めているといえよう。 なぜなら、オスプレイを沖縄・普天間基地に配備するだけでなく、沖縄全域はむろん、 北海道を除く日本本土各地での危険な低空飛行訓練を岩国基地、厚木基地、キャンプ富士などを拠点に行うという今回のオスプレイ配備計画の全容は、 その危険性において 「日本本土の沖縄化」 を意味しているからである。 それと同時に、沖縄のみでなく、日本全国の主要な空域が日本の主権が及ばない米軍優先の事実上の専用空域となっているという事実が、 徐々に多くの国民の共通認識として浸透しつつある。 その意味で、オスプレイ問題は、日本が一層の主権放棄・隷属状態を強めるか、 あるいは主体性と自立性を回復して真の意味での 「独立国家」 となる第一歩になれるかの試金石となっているといえよう。

  換言すれば、米国の衰退と中国の台頭という21世紀初頭の新しい国際情勢の中で、日本はいま将来のあり方・方向性を決める重大な岐路に直面している。 いまこそ日本が自立と連帯(米国一辺倒外交からの脱却とアジアとの共生関係の創造、 あるいは日米安保条約の解消とアジアにおける多角的な集団的安全保障機構の構築)を実現する大きなチャンスである。
(『アジェンダ』 38号 2012年秋季号への寄稿)