2010.5.25

「米国の新しい世界戦略と軍産複合体の影」
木村 朗 (鹿児島大学教授、平和学専攻)

  はじめに
  1989年から1991年にかけて冷戦が終了するのと同時に、新たな世界秩序および社会秩序が模索され始めたが、 期待されたような 「平和の配当」 による平和でかつ民主的な世界の実現は幻想に終わった。 世界各地で民族・地域紛争が相次いで勃発し、「冷戦時代の遺物」 であるはずの軍事同盟と巨大な軍産複合体が存続することになったからである。 二一世紀の初頭に米国中枢で起きた9・11事件は、軍事力によって安全保障や紛争解決をはかる危険な傾向をさらに加速化する。

  ブッシュ政権は、9・11 事件以後、「反テロ戦争(新しい戦争)」 の発動を宣言して、アフガニスタンへの 「報復戦争」 に続いて、 イラクに対しても一方的な先制攻撃である 「予防戦争」 を国連や国際世論を無視する形で強行した。 また米国内では、9・11事件直後から主にアラブ・中東系の人々に対する 「予防拘禁」 や盗聴・検閲の強化がテロ対策の名の下に実施された。 そして、国家権力とメディアが一体化した形で行う情報操作によってテロへの恐怖やイスラムへの偏見を一方的に煽られた米国民も、 日常生活への不安から一種の思考停止状態となり、国際法秩序や憲法秩序を破壊して暴走する自国政府を支持することになったのである。 その結果、9・ 11事件以降の世界は、米軍の世界的再編の動きに象徴されるような、まさに 「新しい帝国秩序」 の形成、 戦争とファシズムへの道へ向かいつつあると言えよう。

  9・11事件からすでに6年半以上が過ぎ、こうした無秩序・混乱状況は徐々に変わりつつあるとはいえ、イラクやアフガニスタンでは未だに戦火が止まず、 米国単独あるいは米国・イスラエルによるイランに対する核兵器の先制使用を含む一方的攻撃という悪夢が現実化しかねない危機的な状況に直面している。
  そこで、本章では、冷戦後(とりわけ9・11事件後)の米軍の世界的再編の動きとその背後にある米国の安全保障政戦略を取り上げてその特徴・問題点を検討するとともに、 反テロ戦争の本質的意味、軍産複合体と戦争構造との関係、といった様々な問題を多角的な観点から分析・考察することを課題としたい 1)

  1.冷戦終了後の国際社会の変容と軍事同盟の生き残り戦略
  1989年から1991年にかけてソ連・東欧圏の崩壊という形で冷戦が終了するのと合わせて、新たな世界秩序と社会秩序が模索され始めた。 本来ならば、「ソ連」 「共産主義」 という強大な敵・脅威がなくなった冷戦終結時において、 ワルシャワ条約機構のみならずNATOも日米安保条約も消滅するはずであった。 しかし、実際には、解体の危機に瀕した世界的規模の軍産(学)複合体による死にもの狂いの巻き返しが行われた結果、 「冷戦時代の遺物」 である軍事同盟と巨大な軍産(学)複合体がそのまま存続することになった。

  すなわち、その最初の大きな契機となったのが湾岸危機・戦争(1990〜91年)であった。その後も、ソマリア(1993年)、ボスニア(1995年)、 スーダン(1998年)、コソヴォ(1999年)等の地域・民族紛争が相次いで引き起こされ、米国単独あるいは米国主導の 「有志連合」 (NATO軍や多国籍軍、 国連PKOの平和強制部隊を含む)による一方的な武力行使が繰り返され、 存続の危機に直面していた軍産(学)複合体が息を吹き返すにいたったからである 2)

  特に注目されるのが、湾岸危機発生直後(1990年秋)にブッシュ(シニア)米政権によって提唱された 「新世界秩序」 構想である。 この構想は、ソ連邦の消滅によって 「唯一の超大国」 となった米国がその圧倒的な軍事力を背景にして、 同盟国の費用分担と国連の権威をフル活用することによって新しい世界秩序を構築しようとするものであった。 それが、冷戦期における 「米ソ二極支配体制」 に代わる 「米国一極支配体制」 を志向していることは明らかであり、「国際関係を支配するのは力、 すなわち軍事力である」 という従来の権力政治観を維持する一方で主な脅威の対象を 「ソ連(膨張主義)」 から 「地域覇権主義」 に移行させたところに特徴をもっている。
  また、コソヴォ自治州でのセルビア側によるアルバニア系住民への人権弾圧からの救済を大義名分として、 1999年3月に発動されたNATOによるユーゴ空爆の持つ意味も問われなければならない。 このNATO空爆は、国連安保理での議決という正常な手続きを欠いたままで行われており、 「自衛権に基づく戦争」 (第51条)や 「国連軍による武力制裁」 (第42・43条)、 あるいは 「(安保理の許可に基づく)地域的取極又は地域的機関による強制行動」 (第53条1項)以外の戦争・武力行使を一般に禁止している国連憲章(第2条4項)ばかりでなく、 内政不干渉(第2条7項)や国家主権の尊重といった国際法上の基本原則に対する明白な違反・挑戦であった。
  ユーゴ空爆は、NATOにとって第二次世界大戦後初めての 「域外への武力行使」 であったばかりでなく、 同年4月24日にワシントンで開催されたNATO創設50周年首脳会議で採択された新戦略概念に盛り込まれた 「非五条型危機への対応作戦」 のテスト・ケースでもあった。 これは、NATOが域外の民族・地域紛争に対して国連決議を欠いたままでも必要とあれば躊躇なく軍事介入するという 「21世紀に向けてのNATOの新しい戦争形態」 を提起したもので、多国間軍事同盟であるNATOの生き残り戦略ともいうべき性格をもっていた。 そいて、当時のオルブライト米国務長官が対ユーゴ作戦を 「21世紀の試金石」 として位置付けていたように、 このようなNATOによる域外への武力行使の発動は、21世紀初頭に行われる対アフガニスタン攻撃でも再び繰り返されるのである。

  2.9・11事件以後の対テロ戦争戦略と不安定化する世界秩序
  ブッシュ政権が発足以来行ってきた対外政策は、ミサイル防衛(MD)を含む宇宙軍事化計画の推進、 CTBT(包括的核実験停止)条約の死文化とNPT(核不拡散)体制の形骸化、ABM(大陸間弾道弾ミサイル)制限条約の撤廃、京都議定書の批准拒否、 世界人種差別会議への不参加、小型武器の規制強化への反対、生物・化学兵器禁止条約の批准拒否、国連PKO(平和維持活動)からの撤退、 貿易における保護主義的措置の導入、極端な親イスラエル政策への傾斜、北朝鮮・中国敵視政策への転換等、 「単独行動主義(ユニラテラリズム)」 と呼ばれるものであった。ここに共通しているのは、国際条約や国際機構を全般的に軽視し、 場合によっては敵視さえするという強硬姿勢であり、自国の国益を最優先する米国至上主義、 あるいは自国のみが無制限の行動が許されるという米国例外主義であった。 これらは、正確には従来の孤立主義と介入主義が結合した新しい孤立主義(あるいは新しい単独武力介入主義)ともいえる性格を有している。

  ブッシュ政権の強大な軍事力による 「世界的覇権」 の再編・強化という 「一国覇権主義」 は、具体的には、「ミサイル防衛」 構想の推進と並んで、 2002年1月に米国防総省が議会に提出した報告書 「核戦略体制の見直し(NPR)」 に見られる。 特に注目されるのは、核兵器を 「使える兵器」 として位置づけ、その先制使用を 「選択肢」 の一つとするという方針を打ち出していることだ。 これは、ブッシュ大統領が同じ1月に行った演説で、イラク、イラン、北朝鮮を 「悪の枢軸」 として名指しで非難し、 これら 「ならず者国家」 「テロ(支援)国家」 に対しては核兵器による先制攻撃を行うのが最も効果的だ、と表明した事実とも合致している。

  ブッシュ米政権の新核戦略のもう一つの特徴は、ミサイル防衛構想の推進のために、 弾道迎撃ミサイル(ABM)制限条約から一方的に離脱したことにもよくあらわれている。 これは、冷戦時代のソ連との 「相互抑止」 「相対的優位」 の前提となっていた 「相互確証破壊」 戦略の事実上の放棄であり、 核軍拡を宇宙にまで拡げてまでもアメリカの 「一方的抑止」 「絶対的優位」 を確保しようとする狙いがある。 これによって米国は、ロシア等の意向に縛られることなく自由かつ無制限に世界各地で相手を問わずに軍事介入を行うことが可能となった。 また、これとの関連で注目されるのが、宇宙への軍拡であり、 原子力をエネルギー源とする軍事衛星によるレーザー光線などを使った宇宙からの攻撃・支配がすでに現実のものとなりつつある 3)

  米国の攻撃的な姿勢は、2002年9月20日に公表された 「米国の国家安全保障戦略」 の中でさらに明確になる。 ブッシュ大統領は、「ブッシュ・ドクトリン」 (予防戦争・先制攻撃戦略とも称される新しい戦略)で、冷戦期に抑止と封じ込めを中心としてきた従来の政策を転換し、 冷戦後における米国の圧倒的な軍事力の優位を前提に、 大量破壊兵器を持つ 「テロリスト」 や 「ならず者国家」 に対しては必要ならば単独でも先制攻撃を行って政権を転覆させる 「予防戦争」 を打ち出した。 これは、国際協調、すなわち国連や同盟国・友好国との国際的な協力よりも国益を優先的に考える、 米国の 「新しい帝国主義」 的な考え方を鮮明に反映している。そして、この 「ブッシュ・ドクトリン」 を先取りしたのがアフガン戦争だとするならば、 それを全面的に適用した最初の事例がイラク戦争であった。

  軍事力によって紛争解決をはかる傾向は、2001年に米国中枢で生じた9・11事件によってさらに加速されることになった。 ブッシュ政権は、9・11事件以後、「テロとの戦い」 を宣言して、米国の安全・覇権のためには国際機構・国際法の権威や他国の主権も躊躇なく無視して行動し、 自国や同盟国も含む世界の人々の人権を一方的に制限することも構わないという形で 「帝国化」 した。 そして、ブッシュ政権の巧みな情報操作によってテロへの恐怖やイスラムへの偏見を一方的に煽られた米国民も、 日常生活への不安から国際法秩序や憲法秩序を破壊して暴走する自国政府を支持することになったのである。 9・11事件直後にブッシュ大統領は、「世界は米国の側に立つのか、テロリストの側に立つのか」 という二者択一を国際社会に強要した。 こうした善と悪、文明と野蛮、正義と邪悪を対立させる単純な二分法的思考は、ブッシュ政権が9・11事件以後に行う内外政策の本質的特徴となっていく。

  こうした世界的な軍事社会化や警察国家化の背後にあるのが、 アイゼンハワー米大統領が1961年1月の告別演説で警告した軍産(学)複合体の存在である。 それは現在では国家の公的な政策に大きな影響力を及ぼすまでに肥大化しており、自由と民主主義を危機に陥らせようとしている。 目下急速に進められようとしている 「ミサイル防衛構想」 「宇宙への軍事化」 や 「戦争の民営化」 がそのことを如実に示している。 かつての原爆投下が 「冷たい戦争」 の発動につながったように、9・11事件が 「テロとの戦い」 の契機となった本当の意味が真剣に問われなければならない。

  すでに9・11事件以降の米国の行動を既成事実として、一部の国々ばかりでなく国連までもが容認するかのような状況が生じている。 しかし、米国が名指しするイラク、北朝鮮、イランなどが 「ならず者国家」 「悪の枢軸」 とはたして本当にいえるのであろうか。 むしろ米国こそが 「世界最大のならず者国家」 (ノーム・チョムスキーの言葉)であり、 真の 「悪の枢軸」 とは米国自身とそれをアジアとヨーロッパで支える英国と日本、すなわち米英日からなる新しい三国同盟ではないのか。 それだけに国際社会が米国の世界的覇権を容認するか否かという問題は、きわめて重大であるといえよう。

  この点で、戦後一貫して外交・安全保障の分野において米国追従一辺倒でやってきた日本の選択も問われなければならない。 米国の正義が必ずしも普遍的な正義ではないことが明らかになった現在、21世紀に戦争のない世界を築くために日本はどうするべきなのか。 特に、核開発疑惑問題をめぐってイランや北朝鮮に対して米国が再び先制攻撃による予防戦争という強硬手段に訴える可能性が出てきている今日、 同じ過ちを繰り返すことは許されない。

  3.冷戦終了と日本の安全保障政策の転換
−忍び寄る軍産(学)複合体と戦争国家への道
  日本では、冷戦が終結した90年代初めに、米国からの圧力を背景に、内なる 「政治改革」 と外なる 「国際貢献」 が模索され、 軍事的国際貢献としての自衛隊の海外派遣(=国連PKOへの参加)と小選挙区を柱とする新選挙制度が実施・導入された。 また日本政府は、拉致・不審船問題や核・ミサイル問題を通じての北朝鮮への国民感情の悪化を利用する形で、 ミサイル防衛(MD構想)への全面的参加、朝鮮半島有事および台湾海峡有事への対応を前提とした有事法制化を積極的に推し進めることになった。 さらに、9・11事件以降、米国の 「対テロ戦争」 を全面的に支持してアフガニスタン戦争に第二次世界大戦後初めて自衛隊が米軍艦船などへの燃料補給という形で 「参戦」 したばかりでなく、 イラク戦争への側面支援をイージス艦派遣などの形で行った。 さらに、イラク 「占領」 に対しても、引き続き自衛隊を戦地に派兵して米軍の攻撃をいまも支え続けている。 そして、軍事革命(RMA)を背景とする米軍の世界的再編に伴う日米軍事同盟の強化・拡大、すなわち米軍と自衛隊の一体化を推し進めようとしている。 特に、米国の 「ミサイル防衛」 戦略への積極的参加は、「対テロ戦争」 への全面的協力とともに、 日本国憲法が禁止する集団的自衛権の行使に事実上つながる道であり、 武器輸出禁止原則の緩和や非核三原則の見直しは日本においても軍産(学)複合体の誕生を告げるものであるといわねばならない。

  また、米軍再編の主な狙いが、海外での日米共同の軍事作戦を可能にすることにあることは明らかである。 しかし、ここで注意しなければならないのは、米軍再編は、自衛隊の組織再編を促すと同時に、日本政治の総保守化、 「民主主義に支えられた経済発展から軍事に支えられた経済発展へ」 の転換をもたらすことになる、という指摘である 4)。 それは、「戦後レジームからの脱却」 を掲げて登場した安倍政権が、米軍再編を追い風に教育基本法の改悪に続いて、 集団的自衛権行使の研究開始や憲法の全面的改悪に着手していることが如実に物語っている。

  そして、過去の戦争に対する反省・謝罪と不戦の誓いの上に出来た平和憲法の全面的改悪は、アジア諸国に対する大きな背信行為となるばかりでなく、 世界の非武装化という人類共通の理想の実現に向けた先駆的な役割を自ら投げ捨てることを意味している。 このように現在の状況は、戦後民主主義が新しいファシズム・軍国主義の台頭によって最大の危機に立たされているばかりでなく、 権力とメディアが一体化した形で行う情報操作によって排外主義的ナショナリズムが煽られ、 その結果、異論を許さないような集団同調主義が急速に強まり危険な翼賛体制が出現しつつあるといっても過言ではない。 しかし、米国の掲げる 「正義」 を追随することがはたして賢明な選択であろうか。 21世紀の日本と世界のあり方を決定する重要な選択、すなわち平和か戦争かという決定的な岐路にまさに直面しているといえよう。

  4.日米安保体制の変質と米軍再編の連動
−加速化する日米軍事一体化と変貌する自衛隊
  冷戦後のアメリカのアジア・太平洋戦略(あるいは東アジア戦略)の中で、フィリピンからの米軍基地の撤去、 ソ連崩壊後のヴェトナムからの旧ソ連軍の引き上げなどによって、アジア・太平洋地域における在日米軍基地の役割・比重が相対的に高まってきた。 そして日米安保体制の本質的役割・性格が従来の対ソ抑止型、日本有事あるいは国土防衛型の日米安保体制から地域紛争型、 周辺有事あるいは海外出動型の日米安保体制へと徐々に移行・変質することとなった。 そうした中で、従来、関東(横須賀・横田・厚木)や東北(三沢)・北海道などの東日本・北日本に重点が置かれていたのが、 朝鮮半島有事や台湾海峡有事をにらんで西日本あるいは南日本の九州・沖縄地域(沖縄・佐世保・岩国)へ軍事的拠点の比重が急速に移りつつある 5)

  この背景には、(米国)東アジア戦略報告(1995年2月)から(日本)新防衛計画大綱(同年11月)、 さらに日米安保共同宣言(1996年4月)へと続く安保再定義のプロセスがあり、 その具体化が97年9月に改訂された 「新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)」 および 「周辺事態安全確保法」 (99年8月)、 「武力攻撃事態法」 (03年6月)、「国民保護法」 (04年6月)などであった。 この間、9・11事件直後に急遽成立した 「対テロ特措法」 (01年)や 「対イラク特措法」 (03年)によって、米国が主導するアフガン戦争、 イラク戦争に自衛隊は事実上の 「参戦」 をした。

  この中で特に注目されるのが、新ガイドライン(1997年)であり、前述したNATO新戦略(1999年)とは次のような共通点がある。 それは、第一に、冷戦後に 「唯一の超大国」 となった米国の主導性・優位性を前提とした軍事同盟であり、 世界的覇権を追求する米国の世界戦略にNATOと日米安保体制が組み込まれるようになったこと、 第二に、「地理的概念ではない」 という 「周辺地域」 や 「周辺事態」 という用語・概念をNATO新戦略と新ガイドラインに導入して両者をリンクさせることで、 両軍事同盟の適用地域を世界的規模に拡大することになったこと、 第三に、ユーゴへのNATO空爆のように、国連の存在(特に安保理決議)という拘束を受けずに自由に軍事行動する方向が打ち出されたことである。

  また、一昨年(2005年) 10月末に米軍再編の 「中間報告」 (正式名称は 「日米同盟:未来のための変革と再編」 )と自民党 「新憲法」 草案が時を同じくして公表された。 その共通の目的・狙いは、安保再定義に続く海外での日米共同の軍事作戦を可能にする 「戦時体制作り」 にあると思われる 6)

  まず 「中間報告」 の主な内容は、地球的規模の有事即応体制構築と機能的な緊急展開部隊の効果的配置の推進、 すなわち米軍の世界的再編を従来の前方展開戦略と新しい対テロ戦争・先制攻撃戦略を結びついた形で進めようとするものである。 そして、「世界の中の日米同盟」 という枠組みで日米安保体制はその攻撃力・抑止力はさらに拡大・強化されるとともに、 在日米軍と自衛隊の一体化・融合は一層進むことになった。 これはまさに日米安保体制の 「グローバル安保」 への 「変質」=日米安保条約の事実上の 「改定」 というべき性格のものである。 キャンプ座間や横田基地への日米司令部機能の集中に象徴される在日米軍と自衛隊の一体化は、「日本全土の沖縄化」 を進め、 集団的自衛権の行使を合法とするための憲法改悪を先取りしたものであり、日本を 「最前線基地化」、 すなわち 「戦争のできる国」 (=「小さなアメリカ」 「第二のイギリス」 )に向かわせる動きであるといえよう。

  また、自民党の新憲法草案には、例えば、次のような看過できない多くの問題点が含まれている。 第一に、草案前文に 「帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」 が明記された。 この規定によって国民は 「国家に対する絶対的な忠誠心」 という意味での 「愛国心」 を求められることになる。 第二に、「第9条の2」 で 「自衛軍を保持する」 ことが明確に打ち出された。これはまさに、自衛隊を 「軍隊」 へと変えようという 「軍」 の論理の復活であり、 軍事裁判所を設立する規定(第76条第3項)とともに、日本社会の軍国主義化・軍事化を一層すすめるものである。 第三に、国民は 「公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」 と義務規定(第11条)が導入された。 この規定によって、「公益」 と 「公の秩序」 が一方的に強調され、それに反する国民の 「権利の行使」 は大幅に制限されることになる。 現行憲法の下でも、すでに自衛隊がイラクなど海外に派遣され、その活動範囲がなし崩し的に拡大している状況がある。 第9条を柱とする平和憲法が改憲された場合、こうした状況が更に進み、戦地での戦死者が出る事態さえ予想されることは明らかである。

  5.「平和のためのガイドライン」 の構築に向けて
−東アジアにおける平和秩序の模索
 21世紀初頭の国際社会は、新保守主義者が主導する米国を中心とする 「新しい帝国秩序」 と、 市民・NGOによる国連を軸とする 「多元的世界秩序」 という二つの世界秩序の選択を迫られている。 現代世界において二つの世界秩序は国際・国内を問わずあらゆるテーマ・場面・場所で衝突し、日々せめぎ合っているといえよう。

  今日の国際社会で最も緊急の課題は、「新しい帝国秩序」 の構築を目指して暴走を続ける米国に歯止めをかけて理性と法の支配に基づく世界的な民主主義・平和主義の方向に導くことである。 NGO・市民を中心とした世界的な草の根ネットワーク(自治体や中小国、一部の国際機関等も参加可能)に基づいて、 イラク開戦前に世界的規模で繰り広げられ米英等の戦争犯罪を告発する運動へと継承されている反戦・平和運動や、 経済のグローバル化を推進するダボス会議に対抗して開催されるようになった世界社会フォーラムに結集する反グローバリズム運動の中に、 世界市民主義の萌芽、将来的な民主的かつ平和的な世界政府の構築につなげていく可能性をみることができる 7)

  「平和のためのガイドライン」 の構築という観点から、まず一番重要と思われるのは、 現在の日米安保体制に見られるような軍事力中心の発想からの転換である。すなわち、これまでの軍事力中心、国家中心の安全保障の考え方から脱して、 市民が主体となって地域から国家と社会を変えていくという、 非軍事的・脱国家的な 「市民(あるいは民衆)による安全保障」 や 「地域から問う安全保障」 という新しい思考方法と発想をとる必要がある。

  具体的にいえば、「非核神戸方式」 の拡大・強化(非核平和宣言から非核・平和条例へ)、あるいは無防備地域宣言運動という流れは、 自治体の平和力を具体化する新しい取り組みであり、 自治体の平和外交や市民による平和地帯構想(東北アジア非核地帯構想、朝鮮半島非核地帯構想)などと結びつくものである。 また、それは、日本国憲法の核心でもある非暴力・平和主義とその具体化の試み(非暴力平和隊、非暴力防衛、良心的兵役拒否、無防備都市、 完全軍縮など)とも共通する考え方・構想である。 このような考え方・構想の根底には、平和の創造や外交・軍事政策をつくる主体を国家や国際機関だけではなく、自治体やNGOや市民・個人に求めるという、 平和・安全保障観の根本的転換があると思われる。「国家の安全」 と 「国民の安全」 を区別し後者を最優先するような新しい平和・安全保障観、 国家の安全保障から人間の安全保障へ、あるいは軍事的安全保障から非軍事的安全保障への転換を求める流れの中から、 新しい平和思想・運動が誕生しつつある。

  すでに全国各地では、米軍再編と日本社会の軍事化に対抗するために、 沖縄での普天間 「移設」 案に対する住民投票の実施や辺野古沖での海上基地建設阻止闘争、 厚木からの空母艦載機部隊移駐に反対する岩国での住民闘争、横須賀での住民投票を求める動きなど、市民レベルでの様々な試みがなされている。 こうした、市民が主体となって地域から脱国家・脱軍事化を実現させる動き、すなわち市民による安全保障、 人間の安全保障の実現を求める取り組みや市民・地域住民による自治体の平和的創造力を発展させる新しい発想と行動こそが求められている。 市民が主体となって地域から脱国家・脱軍事化を実現させる動き、すなわち市民による安全保障、 人間の安全保障の実現を求める取り組みや市民・地域住民による自治体の平和的創造力を発展させるこうした試みこそが、 新しい帝国秩序、すなわち戦争とファシズムへの道を防いで国家中心の軍事力による安全保障を克服する有効な選択肢であると思われる。 いま私たちには、まさにこうした平和憲法を活かし具体化させようとする新しい発想と行動こそが求められている。 とりわけ、日本および日本人にとって非常に身近な朝鮮半島での戦火を再び起こさせないためには、 市民一人ひとりの思想と行動が今日ほど問われている時はないといえよう。

<注>
1) 関連拙稿として、「米軍再編の本質と日本社会の変貌〜日米軍事一体化と日本の最前線基地化」 (『軍縮問題資料』 2007年5月号)および 「地域から問う米軍再編の本質―加速する日本の最前線基地化」 (木村 朗編 『米軍再編と前線基地・日本』 凱風社、 2007年を参照。
2) 宮田 律 『軍産複合体のアメリカ―戦争をやめられない理由』 青灯社、2006年、208頁。
3) 藤岡 淳 『グローバリゼーションと戦争―宇宙と核の覇権めざすアメリカ』 大月書店、 2004年、205・206頁。
4) 纐纈 厚著 『いまに問う 憲法九条と日本の臨戦体制』 凱風社、2006年。 5) 関連拙稿として、木村 朗著 『危機の時代の平和学』 法律文化社、2006年および 「いま 『九州・沖縄』 から平和を創る− 『非核神戸方式』 と地域・自治体の平和力』 (菅 英輝編 『21世紀の安全保障と日米安保体制』 ミネルヴァ書房、2005年)を参照。
6) チャルマーズ・ジョンソン 『帝国アメリカと日本 武力依存の構造』 集英社、2004年、178頁。
7) 関連拙稿として、「『新しい戦争』 と二つの世界秩序の衝突−9・11事件から世界は何を学ぶべきか−」 (『平和研究』 第28号、2003年11月)を参照。
(『日本の科学者』 43(8), 2008年8月号に掲載)