2008.7.22

音楽・女性・ジェンダー
―─クラシック音楽界は超男性世界!?
小林 緑
目次 プロフィール
第3回
「女性作曲家音楽祭」


  前回の予告どおり、今回は 「女性作曲家音楽祭」 (2007・8・6〜10、杉並公会堂・小ホール) から、主催者として最も印象的だったセッションを取り上げて、 読者の皆様に女性作曲家への関心を少しずつでも共有して頂けるよう記してみたい。 とはいえ12回のコンサートで取り上げた33人の女性はどれもわが子同様─―子持ちでないのにわかるはずないでしょ! との声も飛んできそうだが─―愛おしく、 篩にかけるのはとても辛い。ともかく作品の魅力、演奏の巧拙、音楽史的興味はもちろん、私の個人的好みと興味も交え、 かつ 「音楽祭」 全体を見渡せることも心がけて絞りこんでみよう (以下敬称略)。

  まず、「音楽祭」 の目玉と自負する中日2日間、6回にわたる 「ピアノ・マラソン・コンサート」 から。
  新進、中堅取り混ぜた気鋭のピアニスト15人に弾いていただいた女性作曲家は総計20人。 女性作曲家としては抜群に知名度の高いクララ・ヴィーク=シューマンとファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの二人ももちろん登場したが、 ここでの一押しはヴェネズエラのテレサ・カレーニョ (1853-1917) だ。
  名門政治家の生まれ、神童ピアニスト、長じてはオペラ歌手としても欧米にまたがる活躍をみせ、64歳、 ニューヨークで客死したテレサの遺灰は1938年生地カラカスに戻されてのち、1977年にはヴェネズエラ政府により国立偉人廟に移されている。 その名を冠した大劇場や数多くの記念切手の存在、さらには美貌と4度の結婚で7子を設けた生涯も、テレサの国民的人気の因であろう。 作品はほとんどピアノ曲、それも最初の結婚と第一子誕生の20歳ころまでに書かれた。
  華麗な名技と旋律に彩られたその魅力を、今回担当の広瀬悦子が存分に引き出してくれたが、 特筆すべきは楽譜入手が遅れた代表作 『バラード』 を、広瀬がCDから直接聴き取って採譜、その圧倒的テクニックを駆使して見事再現してくれたこと! 日本の若い女性奏者の底知れぬ能力を実感できた稀有な場面であった。



  ピアニストと作曲家の幸運な結びつきはフランスのルイーズ・ファランク (1804-1875) の場合にも実現した。
  女性として19世紀間ただ一人のパリ音楽院正教授、夫との協同になる鍵盤音楽の歴史的大全集編纂など、研究者としての実績も目覚しいルイーズの作品はピアノ、 室内楽、管弦楽など、当時のフランスにあっては例外的に声楽ならぬ器楽中心で、今回取り上げたのは 『全ての調による練習曲』 や 『ワルツ』、 ドニゼッティのオペラ主題による 『アンナ・ボレーナのカヴァティーナによる華麗な変奏曲』 など。
  担当の山田武彦は、当時の演奏習慣に沿って二つの練習曲の間を即興のパッセージで繋ぎあたかも一つの曲のように演出―これすなわち、 『ピアニストの転調練習』 と題する教本 (1876年出版) の序で、 調が異なる二つの曲は適当なパッセージでつなげ一つのように仕上げるのがピアニストの務めと著者ルイーズが述べていることに以前から拘っていた私が、 なんと! コンサート当日にそれを思い出しモデル演奏を…とお願いしたところ、「なんとかやらかしましょう」 と山田が快諾、実現したアイデアだ。
  プログラム最後の 『夜想曲』 でも同時代のショパンの夜想曲を暗示する即興の前弾きで始めるなど、 ルイーズと同じパリ音楽院出身の作曲家=ピアニスト山田武彦ならではの離れ業を見届けることが出来たのである。



  作曲家本人の特異性という点からも、今年生誕150年に当たるイギリスのエセル・スマイス (1858-1944) は欠かせまい。
  なにしろ生涯独身のフェミニストにしてレズビアン、男装で通しゴルフ、登山、乗馬、喫煙といった 「男の」 ホビー各種に手を染めたのみならず、 女性参政権運動に積極的にかかわり投獄も経験。オペラやミサ曲など大規模な管弦楽作品を主軸とした創作スタイルも、 聴覚を損ねた晩年に自伝風な著術を10冊も発表した生き様も、女性としてはあくまで破格だ。
  今回も、出来れば代表作のオペラ 『難船略奪者』 の間奏曲など、ワルターやニキシュといった名指揮者が愛奏したオーケストラ作品を紹介したかった…その無念はしかし、 加藤洋之という稀有のピアニストの力量によって購われた。取り上げたのは 『自作主題による変奏曲』 と 『ピアノ・ソナタ第二番』。
  ともにドイツ留学時代のいわば習作に類するが、加藤はスマイスの譜面に随時微修正を施して自ら納得できる版を作り上げ、 白熱の演奏能力で作品の美点を描出してくれたのだ。拍手に答えながら楽譜を高々と指し示したパフォーマンスからも、その思い入れの程が偲ばれよう。



  つぎに 「ピアノ・マラソン・コンサート」 を挟む5つの室内楽・器楽コンサートから。
  まず、クラシック業界で不当に低く扱われているハープとギターによるセッションが早くから完売になり、この二つの楽器の隠れファンの多さを再確認できた。 一部ハープでは、新鋭景山梨乃がギター界のセゴヴィアにも喩えられるハープの重要人物アンリエット・ルニエ (1875-1956) の、 エドガー・アラン・ポーの短編小説に基づく 『幻想的バラード』 に果敢に挑戦したことが、なにより特筆される。


  しかし私としては、いまだにヨハン・ドゥシェック作と信じられているものの、 実は妻で名ハーピストであったソフィー・コリー (1775-1830?) の作であることが明らかになった 『ソナタ・ハ短調』― この曲は今ではハープの各種コンクールや試験課題曲の定番でもある―を景山が好演してくれたことが、とりわけ快かった。

  作品も演奏者も多彩を極めた室内楽から、敢えて一つ、最後に選んで本稿を結ぶとしよう。
  小山実稚江と川本嘉子という豪華組み合わせによるレベッカ・クラーク (1886-1979) か、 はたまたカルテット・エクセルシオによる弦楽四重奏3つとエイミー・ビーチ (1867-1944) のピアノ五重奏 (ピアノは宮谷理香) のセッションか…迷い出すときりがないが、 ここは作曲家としておそらく誰より知られない存在ながら、「音楽祭」 の <トリ> として登場したルイーザ・アドルファ・ルボー (1850-1927) のセッションを挙げよう。


  ドイツの軍人家系ながら音楽の造詣深い両親の配慮のもと、16歳で音楽家たることを決意したルイーザは、バーデン・バーデンでピアニスト・デビュ、 イタリアまでも演奏旅行するとともに、あらゆるジャンルに渡る作品番号65を数える作品を残し、作曲家としても順調なキャリアを積んだ。 全面的な支援を惜しまなかった父の没後 (1896) はしかし、作品上演に大きな支障をきたすようになり、急速に忘れられていく。
  1910年には女性ゆえの苦難や差別を告発した自伝 『ある女性作曲家の生涯の記録』 を刊行 (リプリント版1999, しかし早くも絶版)。 1881年ハンブルクでの作曲コンクールに応募したチェロ作品 『ロマンス』 が優勝、 その披露コンサートのポスターで作曲家紹介のために用意されていたのが当然のごとく “Herr” という男性の尊称、 しかし女性が勝者とわかってあわてて女性用の “Fraulein” に差し替えられた―─これも自伝に載ったエピソードの一つ。
  ここまで書けば 「音楽祭」 締めくくりにこの作曲家、そして問題の 『ロマンス』、 さらにはミュンヒェン時代の傑作 『ピアノ・トリオ』 (1877) を据えた狙いは皆様にもお察しいただけたのでは…小林美恵 (ヴァイオリン)、長谷川陽子 (チェロ)、 仲道祐子 (ピアノ) の三者も、古典的枠組みの中に旋律性とリズム感を強調、かつコンパクトにまとめられたトリオの4つの楽章を情感豊かにパワフルに弾き通し、 期待にたがわぬ結果を出してくれた。深謝、深謝…

  今回は私にとって大きな節目となった 「音楽祭」 を取り上げたため、いつもより長々しく、また詰め込みすぎや説明不足でわかり難い部分もあったかもしれない。 予めお詫びします。次回は 「音楽祭」 で共働した 「知られざる作品を広める会」 代表谷戸基岩から、音楽評論家としての基本スタンスを述べてもらう予定。 気分転換としても、ご期待下さい。
2008.7.22