2008.10.18

音楽・女性・ジェンダー
―─クラシック音楽界は超男性世界!?
小林 緑
目次 プロフィール
第6回
「もう一つのバイロイト」体験記

フランス・バロックの華エリザベト-クロード・ジャケ=ドラゲール
Elizabeth Claude Jacquet=de la Guerre (1665−1729)の
オペラ上演をめぐって

  『のだめ・カンタービレ』 などの影響もあり、日本はなにやらクラシック・ブーム、それもオペラが大人気とか…これもいまや漫画・ アニメおたくの総裁をいただく国柄の反映かもしれない。しかしそうしたオペラ・ファンにはいかにも馴染みの薄いフランス・バロック時代、 それも女性作曲家の珍しいオペラ復興上演を巡る話題が今回のテーマである。 この女性エリザベト=クロード・ジャケ=ドラゲールは上記の通り、今年が特別な記念年に当たるというわけではない。 しかしそれにも勝る画期的なイヴェントが10月3、4日の二回にわたり、ドイツ中西部のバイロイトで行なわれ、 私も 「もしかしてこれぞ生涯最後の記念になるかも…」 とばかり意気込んで出かけたので、そのご報告をさせて頂くこととした。

  問題のイヴェントとは、1694年、エリザベトが女性として史上初めてパリ・オペラ座 (当時の音楽アカデミー) で自作を上演させた、 まさにそのオペラ 『ケパロスとプロクリス Céphale et Procris』 全曲が、バイロイトにドイツ国内としては唯一現存するバロック様式のオペラ劇場にて、 当時の楽器・演奏法を用いて上演されるというもの。 このオペラは、実は1989年にフランス・バロック音楽復興の牽引者の一人、 ジャン=クロード・マルゴワールによってフランス国内でおよそ300年ぶりの全曲復活上演がなされていた。
  しかし今回の意義はなんと言っても、バイロイト辺境伯オペラ劇場 Markgräfliches Opernhaus Bayreuth で上演されるという点にある。 伯爵夫人ウィルヘルミーネの肝いりで1748年に完成された豪華絢爛たるこの劇場こそは、 ヴェルサイユ音楽文化の華と目されるエリザベトのオペラ―その初演はわずか50年前に遡るという同時代性も重要だ― を21世紀の観衆を前に披露するのにうってつけの場だからである。
  加えて演奏に当たったムジカ・フィオリータを率いるダニエラ・ドルチは、クラヴサン 〔チェンバロ〕 を弾きつつ自ら指揮するという、 当時の演奏習慣まで再現して見せてくれた。つまり、対象となる作品がオペラというクラシックの頂点に位置するジャンルであること。 それが女性の作であること。作曲当時の楽器と演奏習慣に拠ったパフォーマンスであること。指揮に当たったのも女性であること。 上演の場が作曲当時と同じ時代の伝統的オペラ劇場であったこと。その劇場の施主も女性であったこと…これらの要素全てが現今のクラシックの常道を越えた、 まさに “事件” としか言いようのない意味を持つ…と喜ぶのは、相変わらず私の一人よがりであろうか?

  さて、バイロイトといえば普通、ワーグナーと彼のオペラのみを取り上げる毎夏の <バイロイト音楽祭> が話題になる。 しかしその舞台である祝祭劇場 Festspielhaus が1876年の開場であるのに対し、先に触れたとおり辺境伯オペラ劇場のほうはそれに130年以上も先立って完成されている。 発案者ウィルヘルミーネ Markgräfin Wilhelmine von Bayreuth (1709−58) はプロイセン王家出身で、 かのプロイセン 「大王」 と呼び慣らわされているフリートリヒの4歳上の姉に当たる (図版1)。


バイロイト辺境伯夫人ウィルヘルミーネ

  弟同様、そして当時の王侯貴族の例に違わず音楽を愛好したウィルヘルミーネはリュートやチェンバロも奏で自ら作曲、 夫の誕生日の贈りものとして書いたイタリア語のオペラ 『アルジェノーレ Argenore』 も1740年に宮殿内のホールで上演されていた。 一方、当時まさしく文化的にも 「辺境」 にあったバイロイトをドレスデンなどにも匹敵する水準に引き上げるべく、 ヴェルサイユを模して1744年に着工させたオペラ劇場の柿落としは、一人娘フリーデリケ・ゾフィの結婚祝賀として、 当時最大のイタリア・オペラの巨匠と目されるヨハン−アドルフ・ハッセの 『アルタセルセ』 を以って飾られた。 (劇場内部の絢爛豪華な造り、それに引き換えとても少ない座席数と、楕円形に取り囲む桟敷席やオーケストラ席の配置など、図版2と3からお確かめいただきたい。)


バロック・オペラ劇場舞台から見た天井面と貴賓席などの桟敷まわり



劇場内部の座席配置

  これらウィルヘルミーネとバイロイトを中心とした当時の政治・文化情勢、 さらには1731年に結婚した夫のフリートリヒ・フォン・バイロイトおよび最愛の弟であるもうひとりのフリートリヒなどとの私的生活や関係を垣間見る史料として、 1740年代前半に書留められた彼女自身の 『回想録』 があるが、これについては早崎えりな著 「プロセンの宮廷からバイロイトの宮廷へ」(『18世紀ドイツ文学研究』、 2000年冬、第6号、22−45ページ) に詳しい。

  ちなみにこのオペラ劇場を本拠とした “バイロイト・バロック” と銘打つオペラ・シリーズはバイロイト市文化省主催で2000年から開始、今年が九回目に当たるという。 ジャケ・ドラゲールと並んで、今回はカヴァルリの 『ロジンダ』(1651)、ラモーの 『エべの祭』(1739) が取り上げられ、それぞれ二回ずつの公演が行なわれた。

  なにはともあれ、今回ジャケ=ドラゲールのオペラが復活上演されるバイロイトという土地が、後発のワーグナーのイメージよりも、 実はウィルヘルミーネの記憶に満たされた古くからの貴族的佇まいの街であることを、まずはしっかりと認識していただきたい。 実際、バイロイト市内ツァーのガイド役が、「バイロイトの “売り” はなんと言っても辺境伯オペラ劇場ですよ!」 と強調していたのも、 ワーグナーばかりがもてはやされている現況に、地元の人間として不満が溜まっているからだろう。 地の利からして、市内のど真ん中にあるオペラ劇場に引き換え、祝祭劇場は遠すぎるのだ。
  私はもちろんワーグナーめぐりには全く関心が無く、最初から今回の旅行目的に一切入れていなかったが、 旅の途次で出合った外国人・日本人を問わず大方がワーグナーの音楽に否定的な態度である事がわかった。 面白かったのはウィーンからチューリッヒに向かう列車で同室になったオーストラリア人夫妻の場合。 シドニーの素晴らしいオペラハウスで 『指輪』 シリーズを鑑賞するのが楽しみという妻に対し、夫は 「長すぎて全然聴きたいとは思わない」 と正反対なのだが、 同僚の教師たちとグループで参加するという妻の姿勢は、自発的な興味というよりも一種の教養主義に偏っている結果では…と勘ぐって見たくなった次第である。

  さて、本題のオペラ上演と、その作曲家に話を戻そう。エリザベトはウィルヘルミーネのような貴族でこそないが、 全欧に君臨したルイ14世の絶大な庇護の下に大成した音楽家である。実家ジャケも婚家ドラゲールも、ともにクラヴサンやオルガンなど鍵盤楽器の製作、 演奏、作曲にかかわるフランスの名門筋で、エリザベトは幼時より新作の初見、弾き歌い、移調や即興の離れ業でモーツァルトとも比肩される? 「今世紀の奇跡」 と謳われた。1684年、後に威光高きサント・シャペル聖堂オルガニストとなったマラン・ドラゲールと結婚。 授かったひとり息子がクラヴサン演奏に母譲りの天稟を発揮しながら10歳で夭折する不幸にも見舞われたが、 エリザベト自身は最後までフランス宮廷文化を彩るあらゆる音楽ジャンルに見事な作品群を残し、 当時の最も重要な音楽・文学者事典ともいうべき文献 『フランスのパルナッソス山 Le Parnasse François』(1732) においても最高位のランクを博している存在なのだ (図版4)。 なお、エリザベトの生涯について、より詳しくは私の編著になる 『女性作曲家列伝』(1999年、平凡社) を参照して頂ければありがたい。


エリザベト・ジャケ=ドラゲール

  作品についても、拍節のない自由な前奏 [Prélude non mesurée] に始まる伝統的なクラヴサン組曲やイタリアから発の新しいヴァイオリン・ ソナタやトリオ・ソナタ、フランス語による聖・俗両面のカンタータ集など、このところ素晴らしいCDの演奏が続出している。 中でも断トツにお勧めしたいのが、今回のバイロイト上演直前に出た 『ケパロス…』 二枚組全曲版 [ORF Alte Musik CD 3033] だ。 世界初録音、もちろんドルチ率いるムジカ・フィオリータの演奏で、これを一聴すれば、 フランス・宮廷悲劇オペラの特質を余すところ無く味わうことが出来ると思わせるほどの仕上がりである。 国王賛辞に充てられる慣例の序幕冒頭の序曲からして、典雅極まりない音調が古楽器の柔らかな音色に包まれて匂い立つ…音楽史書・ 参考文献にリュリやラモーの名前ばかりが挙げられるのが、この作品に言及の無いことが改めていかにも奇異に思えてくる。 ただし、今回の上演では序曲を除いて序幕は省略された。しかしそのおかげで上演時間が2時間15分ほどに収められ、 バロック・オペラにありがちな長々しい印象が全く残らなかった…これも、あるいはドルチの狙い通りだったのかもしれない。

  5幕の筋書きはアテネ王の娘プロクリスとトラキア族を打ち破った勇士ケパロスの恋をめぐる物語に、それぞれの従者同士による脇筋が挟まれる。 ケパロスの敵ボレアスに娘を与えようとする国王の目論みと、ケパロスに横恋慕するオロール [曙の女神] の策略が相俟って恋人同士が互いに相手の忠節に不信を抱くも、 オロールの改心によって真実を告げられたプロクリスがケパロスの元に駆けつけようとするその時、 ボレアスとの決闘でケパロスの放った矢がプロクリスに命中、絶望したケパロスも後を追って自らの命を絶つというもの。

  フランス語のレシ [朗誦=半ば歌い、語る] の節度ある美しさに加え、全曲のいたるところ舞曲が挿入され、器楽の楽しさも満喫できるのが、 何よりフランス・オペラの特徴だ。そして本来踊りを含まないはずのシーンでも、歌い手の心情を視覚的に伝えるべく、 踊りが舞台背景に成り代わって活用されていたのが今回の演出の眼目の一つ。 さらに興味深かったのが、日本の歌舞伎や中国の京劇など異国の伝統文化を自由に咀嚼、白塗りに隈取の化粧や着物風の衣装、 花道を模したかのようなオーケストラ面からの入退場、さらには現代の “ぶとう=舞踏” のスタイルも交え、舞台演出の面では “オリジナル” に拘ることなく異国趣味的な趣向も意欲的に取り込まれていた。
  しかし何より驚かされたのは、当時の楽譜には未だ存在しない打楽器パートを案出して数種の打楽器を組み合わせ、抜群の効果を挙げていたことである。 幕開けからして指揮者ドルチの登場に合わせて相撲の触れ太鼓よろしく古型ティンパニで一種の景気付けとする。 オロールがプロクリスを惑わし地獄の合奏が響き渡る4幕のクライマクスでは、おどろおどろしい轟音が響き渡るなど…初日の幕間に直接打楽器奏者に話しかけ、 記譜されていないパ−トをどのように造り出すのか問いただしたところ、 冥界や恐怖の雰囲気を呼び起こすための音を発する金属版は近くスーパーで5ユーロで買い求めた急造品、 国王の行進に伴うシーンでは弦楽器と管楽器のパート譜を読みながらその音程に合わせて自由に構成するなど、そのつど即興的に造り挙げる、 と答えてくれた…これぞまさにバロック当時の演奏習慣に即したレアリゼーションではないか! 当の打楽器奏者フィリップ・タール (CDにも出演) は私の質問にとても喜んでくれたから、バイロイトまで遠路はるばる出向いた甲斐があったと、私のほうも嬉しくなった。

  国王の勅許を得て出版されたこのエリザベト唯一のオペラ 『ケパロス…』 は、しかし上演5回で打ち切られ、失敗と目されたらしい。 ドュシュ・ド・ヴァンシイ Joseph - François Duche de Vancy (1668−1704) による台本が複雑でわかり難いことがまずその原因にあげられる。 ルイ14世からオペラ上演の独占権を得ていたリュリの没年 (1687)のわずか後、そのリュリ以外の作品には成功の見込みがない時勢も災いしたであろう。 ルイの再婚相手マントノン夫人が世俗音楽を嫌ったことも当時のオペラ状況にとって不幸だった。 だが何よりも、ルイ自身が戦費に膨大な予算を注ぎ続けたことが1690年代のフランス社会に悪影響し、 人心が荒廃していたからだ…とは本稿執筆中に入手したスコア (Recent Researches in the Music of the Baroque Era,vool.88,,A=R Editions, Madison, 1998) の解説 (Wanda R.Griffiths、XII-XIII) による。

  もっともドルチに拠れば、このアメリカ版スコアは信頼できないので、自らの演奏には1694年初版のファクシミリから作成した私家版に拠ったとのこと。 またすでにそれを活用してスイス、イタリア、ドイツ、南米などで合わせて10回ほども巡演した実績があるのに、 肝心のフランスのオペラ座などは、フランス人あるいはフランス在住者以外にはガードが固くて受け入れられず実現を見ていないとのこと、 「あそこはまるでマフィアの世界よ」 と憤っていた。

  ところで今回、私がバイロイトまで万難を排して出かけようと決めたのは、このドルチ自身から初日の招待をオファーされたからである。 ボローニャ在住の友人でソプラノ歌手櫻田智子さんからこの企画とドルチの連絡先を教えていただいた時に、 すでにエリザベトの他の器楽曲やバルバラ・ストロッツィのカンタータ、カミラ・ディ・ロッシのオラトリオ等、バロックの女性作曲家作品の素晴らしい演奏振りをCDで聴き、 ダニエラ・ドルチという名前を強烈にインプットしていた私が早速にご挨拶のメールをお送りしたところ、即座に返信でお招きいただいたのだ。

  出発前からどんな女性か、いやが上にも心が高鳴ったが、当日、受付けですぐ私を確認してくださったご本人は、 大柄で金髪の堂々たる美女 (図版5.全身像が無くて残念!)。黒のスパッツにレースをあしらった趣味のよいワンピース姿で決めた舞台下での演奏は格段に鮮やか、 そして舞曲の動きさながらのしなやかな指揮振りは、いかつい男性指揮者とは一味も二味も違ってみた目にも魅せてくれ、なんとも美しい! 現役最高の古樂奏者一人にも数えたいこのイタリア人女性演奏家との出会いだけでも十分に報われた今回の遠出。 加えて片やドイツ王家出身、片やフランス音楽一族出身、それぞれの領域で卓越した二人の女性の遺跡に立ち会えたこの 「もう一つのバイロイト」 体験については、 さらに頭の中身の熟成を待ち、また別の機会に論を起こしたいと考えている。


ダニエラ・ドルチ

  最後に、なんとも残念な一言を付け加えなければなるまい。この珠玉のオペラ劇場が、 なんと二年後には美術館に衣替えされてしまうとのこと…大変な盛り上がりで二回の公演を終えた打ち上げの席で、ドルチが挨拶の冒頭に打ち明けた情報である。 市がオペラ劇場として維持しきれなくなり、年間を通じての来館者が見込める形態に移さざるを得ない、と判断したのだろうか? 詳細は不明だが、 それだけに私としては、今回この場に居合わせた幸運を噛み締めるほかない。 せめて来年、有終の美を飾ることとなる “Bayreuth Baroque 2009” に一人でも多くの方が参加され、 その柔らかな音響と豊麗なインテリアをしかと耳目に留められんことを願うばかりである。
2008.10.18