2009.8.20更新

音楽・女性・ジェンダー
―─クラシック音楽界は超男性世界!?
小林 緑
目次 プロフィール
第14回

声とジェンダーを考える その2

  またしても前回から大分日が経ってしまい、同じテーマを扱うには余りにも不首尾で気が引けるのだが、お許しいただきたい。 遅延の最大の理由は、昨年に続きこの秋に第二回を予定している 「津田ホールで聴く女性作曲家」 のコンサート準備にてんてこ舞いだったからだ。 11月2日〈月〉、昼夜二回で、女性作曲家によるピアノ音楽史をざっとおさらいする今回の企画 「秋に舞うピアノの名品たち」 については、 また改めてご案内するつもりだが、とりあえず夏休みの今から予定に入れていただければうれしい。

  さて前回の 「声とジェンダー」 は、なんとも雑駁な書き方で読み返して冷や汗が流れるばかり…言い訳がましく、また、しつこいと呆れられそうだが、 ことほどさように、これが難しい論題であることに思い至るばかりだ。前回最後を 「言い尽くせなかったので次回もう一度…」 と結んだ以上、今回はしっかり論を深め、 展開させなければならぬところだが、しかし、時間的にも、何より私の能力からしても、それはとても無理と思い諦めた。 代わりに授業その他で折に触れ試聴材料とした 「さまざまな声」 のCDリストをご紹介し、聴き手の感想に私見を絡めて、本題の区切りとしたい…のだがしかし、 肝心の声そのものをお聞かせできないのでは、どこまでも隔靴掻痒の感が残ろう…重ねてお詫びします。

  以下の私版 「さまざまな声・さまざまな歌い手」 のリストは、基本的に男性の高声から中域、つまりアルト系へ、 女性のアルトから女性としては例外的・特殊な声へ、という順番によっている。 いうまでも無く、これら現代の定番からは逸脱したように見える声で活躍した歌手たちの録音源は、録音というテクノロジーがようやく軌道に乗り始めた頃のもの、 それがCDとして復元されたことだけでもお宝ものの貴重さだが、残念なことに、歌い手についての情報はいたってお粗末。 こんな声を出せるって、一体どんなひと? という野次馬根性はほとんど満たしてくれない…というわけで、ご覧の通り最低限のメモ書きしか出来なかったことを、 どうぞご了解いただきたい。
  なお、♪ 印は当該音源から最もインパクトあるものとして視聴に選んだ曲名である。

さまざまな声・さまざまな歌い手

1.カストラート:アレッサンドロ・モレスキ Alessandro Moreschi (1858-1922):
  ♪ グノー 『アヴェ・マリア』 (1856.バッハ平均律第1番前奏曲を伴奏に活用した編曲)。
  本物カストラートの声を記録した唯一無比のドキュメント。 最後のカストラートとされるモレスキはヴァチカン聖歌隊長でもあった。最高音ニ点ロまで上り詰めるその声質は、まさに男でもなく女でもない、 いわく言い難い衝撃的なもの。私も初めて耳にした時はなにやら辛いものを感じ、最後まで聞き遂せなかった。 しかし、19世紀風の情感込めた歌唱法には心からの感動を誘われる。「素人くさい」 「カラオケのおばさん風」 とコメントした聴き手が多かったのは、 近代クラシックの杓子定規な歌いぶりしか聴いていないためもあろう。
[.“Alessandro Moreschi::The Last Castrato” Pearl Opal CD 9823.1902録音]

アレッサンドロ・モレスキ

2.現代テクノロジーによる擬似カストラート:
  ♪ ヘンデル:オペラ 『リナルド』 (1711) より 「涙流るるままに」
  “史上最強” のカストラートことファリネッリ (1705-1782) の生涯を虚実ない交ぜに描いた映画より。主役ファリネッリの声は最新テクノロジーを駆使、 カウンター・テナーのデレク・リー=ラーギンとソプラノのエヴァ・ゴドゥレウスカ、男女両性の声を合成して造り上げたもの。 1に同じく、最高音ニ点ロまで上り詰めたところで陶酔した観客が失神したり、歌い終わったファリネッリに 「神よ!」 の大歓声を浴びせたり、 カストラート人気の絶大さを物語るシーンが巧みに織り込まれている。
[ジェラール・コルビオ監督のフランス映画 『カストラート [ファリネッリ]』 1994年。DVD,COBM-5001]

3.ソプラニスト:フランク・コールマン Frank Colman (生没年不詳):
  ♪ 作曲者不詳 『幼子が人々を導けり』
  英国の聖歌隊で多く活躍したソプラニストとは、男性ファルセットでも最も高い声を出す歌手を指す。それにしても二点変ロ音まで上り詰めるコールマンの声は、 予め知らされなければ誰しも女声と信じるに違いない。去勢手術をしない男性でも訓練次第でこのような声を出せるとは…「歴史上のカウンターテナーたち」 のタイトル通り、 ほかになお7人の男性ファルセットを録音したこのCDも、歌唱史研究にとって必須の資料である。
[ “Chime Again,Beautiful Bells-The historic Countertenor” Opal CD 9848.1932年録音]

4.ボーイ・ソプラノ:アレド・ジョーンズ Aled Jones (b.1972):
  ♪ ヘンデル:オラトリオ 『メサイア』 (1741より) 第一部のアリア 「主の下に来よ」
  12歳の少年が成人女性のレパートリーを容易にこなしていることにまずは驚かされる。しかし最高音の二点トはごく普通のソプラノの声域。 12歳少女、つまり先回触れた “ガール・ソプラナ” の録音があれば同じほどの歌いぶりが期待できるはず…だがこのボーイ・ソプラノ版はいつも大受けだ。 「天使の歌声」 の持ち主は少年との思い込みがよほど強いのだろう。ここにも女形を 「女より女らしい…」 と評してきた美意識ないし思い込みと通底するものがある。
[アレド・ジョーンズ・クリスマスの星。VDC 1229.:1984年録音]。

5A.ソプラニスト:パトリック・ユッソン Patrick Husson (b.1960) [+コルマール少年聖歌隊;Patrick Husson. Sopraniste.K617 K.617047. 1991年録音]:
5B.ソプラノ:デボラ・ロバーツ Deborah Roberts (生年不詳) [+タリス・スコラーズ;ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ教会におけるライヴ映像. The Tallis Scholars Live in Rome. Gimel,GIMLD 994 1994年録画]:
  ♪ グレゴリオ・アレグリ (1582-1652) 『ミゼレレ』
  ヴァチカンの門外不出の名曲として音楽史に伝えられた同じ複合唱作品の聴き比べ。当時の教会声楽の極限とされた3点ハの最高音はABどちらも見事にクリア、 その美しさは甲乙つけ難い。Bは教会建築の豪華絢爛さを堪能できるまたとない映像資料である。加えて歴史的正当性から逸脱しているが、男女混声を採用している点、 私には好ましい。一方Aのユッソンは、普段は庭師を生業としている由…演奏の本番以外にも、 随時さまざまな仕事をこなす伝統的な職人のあり方を今なお引き継いでいるようで、興味深い。

6.カウンター・テナー:ドミニク・ヴィス Dominique Visse(b.1955):
  ♪ オッフェンバック (1819-1891):オペラ 『ラ・ペリコール』 (1864) より 「ほろ酔い歌」
  男女役、悲喜劇、いずれも演じ歌い分けられるヴィスは、皮ジャンにバイク愛用、クラシックは聴かずロック・ファンを自認する異色の歌手。 ここでは最高音ニ点変トをソプラノで張り上げるや一転して最低音一点ハを野太いバリトン声に変え、まさに両性具有の変幻ぶりでヒロインの酔態を聞かせている。 ちなみにこのヴィスが1990年NHKの仏語講座にゲスト出演したヴィデオを見せたところ、話し声はごく普通の男だったのに学生たちもびっくりだった。
[,KING RECORDS KICC 135 1994年録音]

7.ラテン系ポップス歌手:エルペディオ・ラミレス(生年不詳):
  ♪ 『ラ・マラゲーニャ』 (民間に歌い継がれた旋律に基づきラミレスが編曲、1938年?)
  日本で人気の高かったメキシコのトリオ・ロス・パンチョスのメンバーで、ヴァイオリン奏者でもあった。一点嬰トから一点ロをファルセットで長く引き伸ばし、 あとの二人も同じく裏声で唱和するのが一番の聴かせどころ。教会音楽を除き基本的に男性ファルセットを排除している近代クラシック歌唱との鮮やかな対比をなす。
[Wonderful Melodies Trio los Panchos Epic Sony ESCA 5064 1960年代録音?]

8.日本のロッカー:忌野清志郎 (1951-2009):
  ♪ 『キミ、かわいいね』 (作曲者名肝沢幅一は忌野のペンネーム)
  今年5月、その早すぎる死が大きな反響を呼んだ忌野のパンクな一面を聞かせる歌唱。高声ファルセットと凄みの効いた地声を瞬時に使い分け、 可愛いだけで実の無い女、ひいては世間一般への鋭い批判精神を覗かせる。ロックにまるで疎い私も心底楽しめた。
[RCサクセッション Hard Folk Succession TOCT-10746. 1972年録音]

9.女性テナー:ルビー・ヘルダー Ruby Helder (生没年不詳):
  ♪ フリードリッヒ・フロトウ (1812-1883):オペラ 『マルタ』 (1847) よりアリア 「かくも穢れなく」
  これこそは私にとって何にも代えがたい大切な声のドキュメント。 最低音嬰トから最高音1点イまで全域を胸声で歌い切る女性が存在したなんて…表現力も一流のテナーに較べ全く遜色ない。 CDジャケットではこのヘルダーの生涯は全く不明としながらも、伝説的名歌手カルーソーのお墨付きでメトロポリタン・オペラにも登場した、とある。 生来の太い男性の声帯でも練習を積めば短く細めて高い声を出せることは上記3と5Aでも証明済みだ。 反して低い声は細い声帯を広げ伸ばさなければならず、女性にとってはいっそう過酷で至難のはず。だが訓練次第でジェンダーの境界は越え得るものだ、 とこの一枚から真底納得させられた。「いやあ、すごいものを聴かせていただきました…考える材料にしたいです」 という音大女子学生の感想文は、 今でも大事に取ってある。蛇足だが、本来ドイツ語のオペラ 『マルタ』 のなかでこの試聴曲のみ 「M’appari…」 とイタリア語で親しまれているのも面白い。
[“The Girl Tenor” Pearl GEMM CD9035.1912年録音。]


ルビー・ヘルダー

10A.コントラルト:ナタリー・シュトゥッツマン Nathalie Stutzmann (b.1965) [Stutzmann/Mendelssohn lLieder. ERATO 2292-45583-2 1991年録音]
10B. カウンターテナー:米良美一.(b.1971):[“ロマンス 米良美一” KING KICC 230 1997年録音]

  ♪ メンデルスゾーン 『歌の翼に』 (1830)
  5Aと5Bに倣い同じ歌を男女の声で聴き較べ。女としては最も低い声の持ち主とされるコントラルトと日本の人気カウンター・テナーを取り上げたところ、 多くの聴き手が米良のほうが綺麗…と感じたようだ。シュトゥッツマンは、断らなければカウンター・テナーとは全く区別できない声質、 この例からも声のアンビヴァレントな特徴がよくわかる。

11.メゾ・ソプラノ:チェチリア・バルトリ Cecilia Bartoli (b.1966):
  ♪ ポリーヌ・ヴィアルド (1821-1910) 『アイ・リュリ』
  バロック以来の名歌手の力量を忍ばせる超絶技巧もさることながら、歌詞に応じた顔、とりわけ目の演技に圧倒される。 歌手の一家に生まれ育ったバルトリは、19世紀最大の歌手の一人で作曲家でもあった女性ポリーヌ・ヴィアルドの再来と言いたいほど。 世界遺産のテアトロ・オリンピコは1584年の完成当時は武器庫を兼ねていたという。戦争と音楽の結びつきを考える何よりの素材というに加え、 今話題の騙し絵を巧みにはめ込んだ背景ともども、実に見どころ豊かな映像である。
[.イタリア、ヴィツェンツァのテアトロ・オリンピコにおけるライヴ映像。DECCA UCBD-1020 1998年録画]

12.コロラトゥーラ・ソプラノ:アラ・ソレンコワ Alla Solenkova (生年不詳):
  ♪ アレクサンドル・アリアビエフ (1787-1851) 『うぐいす』
  驚愕の高声! なんと3点ト音まで上り詰めるのみならず、その近辺の高さで細やかな装飾までもちりばめるのだから、まさに鶯のよう、とても人間業は思えない。 11番のポリーヌ・ヴィアルドが創唱、ヨーロッパに広めたこの超絶技巧のロシア語歌曲はグルベロヴァのような有名歌手も録音しているが、 今や無名となったソレンコワのこの歌いぶりにははるか及ばない。 そしてこればかりはどれほど男性が頑張ったとて女性に成り代わることは不可能の境地ではないか。 逆に女性がどこまで低いバスを出せるか、好奇心をそそられるけれども、しかしそれが 「美しい声」 といい得るものか、はなはだ疑問ではある。
[Solenkova Recital 新世界レコード社、SRCD-0007 1957年録音?]


アラ・ソレンコワ

  「声」 の常識がいかに危ういものか、以上寄せ集めのCDリストからもいくらかは実感していただけただろうか? そもそも 「声を分類しようという考えは、 圧倒的な声域の広さと表現力により、どのような役柄も歌い分け得る歌手が徐々に衰退するとともに、一つの声種、 一つのキャラクターに専門化されてしまった近代の産物なのだ」…もう30年以上も前、『歌唱芸術』 というクセジュ文庫 (1972,白水社) でこの一文に遭遇してのち、 「声」 の摩訶不思議は私の脳裏にこびりついてしまっていた。上記のような途轍もない力量の歌手を代表するカストラートの消滅が、 音楽の 「近代=Modernité」 を画す分岐点に重なるのも、得心が行く。 余談ながら、往時は男性にとって致命的なデメリットだった 「声変わり」 をも、いわゆる 「男らしい」 声を育成する利点に換えたのが近代だ、ともいえよう。 1998年6月に放映されたNHKスペシャル 『男と女の境界線』 の冒頭近く、声変わりの現実に耐え切れず、高声だけで話す訓練を長年自らに課し、 ついに女性そのもののような声を獲得した男性の回顧談は、その意味でも極めて考え深かった。
  なお少し付け加えておきたい。7と8のポピュラー音楽、そして日本の長唄などでは男の裏声・ファルセット歌唱は予想以上に広く活用されている。 またモンゴルや旧ソ連のモンゴル近接民族に伝承されているホーミー、つまり咽喉の使い分けで二つの声を一人で出す技法にも驚かされるが、 男性の特技と伝えられているこの複声歌唱、数年前に来日したモンゴルの女性ホーミー・グループの実演を聴き、通説のあやふやさに改めて想い至ったものだ。 さらにはカンテ・フラメンコの、男女に共通するしわがれ声、イランのアーヴァース、すなわち自由リズムに載せ裏声と地声をすばやく往復する細やかな装飾的歌唱など、 西洋近代の外側には、まことに刺激的で多彩な音声の世界が拡がっている。
2009・8・16