2011.2.1更新

音楽・女性・ジェンダー
―─クラシック音楽界は超男性世界!?
小林 緑
目次 プロフィール
第23回
クラシック音楽の問題点(5)
録音の存在〜クラシック音楽が根源的に抱える矛盾
谷戸基岩

  この連載の第4回目を書き終えてからコンサートに通っているうちに、 ふと3年ほど前に頻繁に耳にしたひとつの言葉が折に触れ頭に浮かんで来るようになった。 それはアメリカの金融機関に関して発せられた 「大きすぎて破綻させられない」 という言葉。 ひょっとしてクラシック音楽業界も 「破綻したら大変だ」 という防衛本能が業界全体として常に働くように出来ているのではないか、 という疑問が頭をもたげて来たのだ。

  そもそもクラシック音楽というものは、以前にも記したように19世紀ドイツ語圏を中心に、楽譜を販売し、演奏者を教育し、 コンサートを興行するという3本柱で成長した産業であった。それは19世紀の間に順調に成長を続けて行った。 そして普仏戦争でプロイセンにフランスが負けると、クラシック音楽の振興に敗戦の憂き目を味わったフランスをはじめ、 それぞれの国の富裕層、貴族、王、政府などが積極的に関与するようになり成長に拍車がかかった。
  しかしほどなく大きな問題が起こった。19世紀末にレコード(録音)が出現し、20世紀初頭にはピアノ・ロールのような自動演奏楽器までも登場したことである。 上述の通り、クラシック音楽の前提である音楽を再現するための3点セット――楽譜販売、演奏教育、コンサートを省略して、 音楽を家に居ながらにして楽しむことの出来るシステムがここに確立してしまったのだ。
  ただ当時の蝋管録音やアコースティック録音のSP盤は音が貧弱だったために大きな脅威とはなり得なかったかもしれないが・・・しかし電気録音のSP盤、 モノラルLP、ステレオLP、デジタル録音LP、そしてCDというレコード発達の流れの中で、脅威は知らず知らずのうちに大きくなってしまったのだ。
  全ての人にとってそうではないだろうが、少なくとも私のように自分で楽器を演奏したり歌ったりしない人間にとっては、 このレコードの登場によって音楽を楽しむ自由が驚異的に広がったことの意味は大きい。
  かくしてレコードの登場はクラシック音楽の産業としての 「在り方」 に矛盾を生じさせたのだ。 怖ろしいと思うのは多くのクラシック音楽関係者がこのレコードの存在に何の矛盾も感じていない点。 自分のレコードを制作するに当たってそれは自分のコンサート活動のためのプロモーション・ツールとして考えている人も少なくない。

  「いやあ、そうは言ってもコンサートでの実演とLPやCDでの鑑賞とでは音のリアルさが全く違いますよ・・・」、 という風に言いたがるクラシック音楽業界関係者は多い。しかしながら私はこの見解には異論がある。
  あらゆる音楽において聴き手に快感をもたらすのは基本的にはその音のリアルさである。 ましてやクラシック音楽のように書法の緻密さが取柄の音楽では、細部が明瞭に聴き取れることが作品および演奏を理解する上での重要なポイントである。 それゆえピアノ独奏や歌曲、小規模な室内楽といった小さな編成のものは小さな会場において間近で聴くのが最も心地よい。
  こうしたものを 「(クラシック)音楽専用ホール」 と呼ばれる残響過多のコンサート会場の舞台から遠い席で聴くくらいなら、 家でCDを聴いたりDVDを見る方がよほどリアルに音楽を鑑賞できるのだ。 こうした会場では舞台からの実音は客席に伝わる間に、乱反射した残響が加わりもやもやした音像になってしまう。 ちょうど衣の厚い天麩羅を想像すれば良いだろう。
  こうした 「音楽専用ホール」 で聴くなら、舞台との距離が近い最前列とその近辺かバルコニーの舞台に近い席がベストだと私は考えている。 実際にヘヴィー・コンサート・ゴーアーの方ほど最前列にこだわってチケットをお買いになっている傾向が強いのは当然だし、 私もそういう基本方針でチケットを購入している。

  たしかにオーケストラの場合には残響の多い 「音楽専用ホール」 は必要かもしれない。 オーケストラをひとつの楽器に見立てれば、その音が互いに融合するための残響は必要であり、ホールがその役割を果たす。 ホール自体が楽器の一部になるのだ。これはオルガンの場合も同様だ。 と同時にオーケストラとは電気増幅という技術が無かった時代に、大きな会場で多くの聴衆に効率よく音楽を提供するシステムとして発展したとも考えられる。 そのために 「残響」 という電気に依らない音の増幅にこだわったという見方も出来るだろう。
  最近思うのだがクラシック音楽業界の人々およびファンがことさらオーケストラにこだわる理由は、 音楽専用ホールにおいて実演で聴くことのメリットが最もあるのはオーケストラであるからではないか? そのこと自体は全く構わないのだが、 その副産物として 「残響信仰」 がクラシック音楽業界に根強くあるのは問題ではないだろうか? 
  つまりホールの用途、大きさに関係なく残響の多い会場が良いコンサートホールだという信仰である。 それぞれの音楽ジャンルにはそれぞれに適した残響があるのだ、という当たり前のことを無視して、 残響が多い会場でなければクラシック音楽はいけないという盲目的な信仰だ。

  もうひとつ多くの人々が理解できていないのはいわゆる 「音楽専用ホール」 においては、 舞台上での音の聴こえ方は客席でのものとは大きく異なるということ。 例えばピアノの場合など効果てきめんだが、こうしたホールでは音源から遠くなればなるほど残響の衣が分厚くなり、音のリアルさが失われて行く。 それゆえ一流のピアニストたちはこうした舞台と客席との音の違いを十分に計算してホール残響に合わせた演奏をするし、そのことを苦にしない。 けれどもそれが出来ない人たちもいる。 ピアノという楽器の性能を存分に発揮できる環境としては、過剰な残響によって演奏を制限されないコンサートホールが望ましいのではないか?  個人的には首都圏の中規模ホールでは東京文化会館小ホール、あるいは津田ホールがピアノ・リサイタルにはベストと思っている。

  そうした現状から私はクラシック音楽業界に顕著な 「生音信仰」、 マイクロフォン(電気増幅というプロセス)を通すと音楽の微妙な味が損なわれるという主張にはいささか無理があるのではないか、と考える。 その想いは頻繁にコンサート通いをするようになってから一層強くなった。 大きな集団の音を規模の大きな音楽専用ホールで聴くオーケストラを別とすれば、 生音を最良の条件で聴くことの出来る環境を実現することは今日では困難になりつつある。 一流の演奏家の実演を間近で聴くことこそが一番の贅沢なのだが、それを実現するために小さなホールを使うにはアーティストのギャラが高騰し過ぎている。 残響が多くてもやもやな音しか聴こえない席で聴くくらいなら家でCDを聴いた方が余程ましなのだ。

  聴くことの出来るレパートリーの豊富さ、アクセス可能な演奏の膨大さという点でもレコードは遥かに実演よりも優位に立っている。 何しろコンサートのように同じ時間・場所に聴衆を集める必要が無い。たしかにその分、販売するソフトをどこかに在庫しなくてはいけないという問題も生じる。 しかしそれもネット販売の強化、さらにはダウンロート・サービスの質的向上で早晩解決するのではないか。 こうした問題がクリアーされれば一般的ではない曲に関心を持つ聴衆を世界中から集めて2,000枚売る事が可能だ。 それを生のコンサートで同じ時間・会場に2,000人集めて聴かせることを考えると、それがどんなに大変なことなのかは容易に想像がつくだろう。 また音楽ソフトは19世紀末から今日に至るまで間断なくどんどん蓄積されて来ており、これからもそれが延々と続いて行く。

  勿論、レコードにも欠点はある。録音音源の編集作業が可能なことだ。それは一般にはテープ録音以降の録音の長所と考えられている。 しかしながらそれは諸刃の剣だ。たしかにひとつの演奏をより完璧なものとして仕上げることを可能にする一方で、 音楽家のありのままの姿を伝える機能がそのために阻害されてしまうこともあるからだ。
  以前レコード会社に勤めていた頃こんなことがあった。ある熱演タイプの音楽家に関し海外の制作担当者と話していて 「どうしてライヴ録音にして彼の演奏の白熱を伝えないのか」 と訊ねたところ、「それは一度聴くにはいいが、繰り返し聴くと飽きてくる」 との答えだった。 しかし、一度聴いてインパクトの無いものを果たして消費者は買うだろうか? そして繰り返し聴くだろうか? 実演の白熱が伝わらないもどかしさ、 テンションの低さ、それらは何度も何度も編集されたつぎはぎだらけのものを聴かされることに大きな原因があるのではないか。 私はそんな疑問を持ち続けている。勿論これはプロデュースする側のポリシーの違いもあり一概には言えないだろう。 編集を極力少なくして音楽の自然な流れを大切にしようという制作者もいるだろうし、 録音に際して編集により実演では不可能なことを実現するという明確な目的意識が存在する場合さえもあるだろう。
  いずれにせよ今日では経済効率が余りにも優先され過ぎていて、 以前のように時間をかけてじっくりと録音して手間暇かけて良いものを作ろうという意識が希薄である場合が少なくないように私には思われてならない。 何よりも手間暇かけるための経費を負担するにはレコード(CD)はその価格が他の物価の上昇に取り残され安くなり過ぎてしまったのではないか。 そうした事情も背景にあってか(これは私の勝手な思い込みなのかもしれないが・・・)、 最近では特にオーケストラの録音においてライヴ収録によりCDが制作されることが多くなっている(その場合でもゲネプロ、 場合によってはリハーサルも録音していて編集作業はあるのだろうが・・・)。 あらゆるジャンルにおいてこうした傾向がより一層進み、 これまでに数多くの録音が遺されているような有名名曲の市販用CDの録音では、 トラブルがあっても構わないからライヴの一発録りに近いものをという方向性が基本になればいいのだが・・・と私は心密かに願っている。
2011年1月31日 谷戸基岩