2010.1.9

【 メ デ ィ ア 傍 見 】 2

前澤 猛
目次 プロフィール

ポーランド人はユダヤ人を救い、そして?

  ロンドンから帰省中の小松原久夫氏(元日本新聞協会欧州駐在代表)夫妻と、国立能楽堂で初春の能を楽しんだ。夫人はポーランド人のへレナさんだ。
  この日、ヘレナさんと二つの話題を語った。

  一つは、「栄耀栄華は一睡の夢」 をテーマとした能 「邯鄲」(かんたん)が、静かに終わったとき。 「どうして、シテ(主役)が演技を終えたとき、盛大な拍手をしないのか?」。確かに、ヘレナさんが好きだという歌舞伎と違って、能舞台では、見得を切ることもないし、 大向こうからの掛け声もない。「能が終った時には、拍手はしてもしなくても良いようです。拍手と、役者の演技や観客の感動とは、必ずしも一致しません。 でも、シテが揚幕に入るときには拍手があったでしょう」 と説明しても、納得がいかず、いたくご不満の体だった。日本の芸能の伝統や慣習を説明するのは難しい。

  二つ目の論題が深刻だった。第二次大戦中に、祖国で起きたというポーランド人によるユダヤ人虐殺についてで、話のきっかけは、 読売新聞に載ったコラム 「とれんど」(宮明敬論説委員。12月19日夕刊)だった。その要旨は次のようだ。
  ポーランド映画界の巨匠アンジェイ・ワイダ監督が久々に世に問うた 「カティンの森」 を見た。
  ポーランドに侵攻したソ連が1940年春、捕虜にしたポーランド軍将校ら4000人以上を、現ロシア・スモレンスク郊外の森で射殺した事件を扱っている。
  戦後、ソ連の衛星国となったポーランドでも当然、真相は闇に葬られた。
  「殺したのは本当はロシア人なんだ。でも、テストに出たら、ドイツ人がやったと書きなさい」 あるポーランド人外交官は、 小学校の恩師の忠告を今も憶(おぼ)えていると言う。
  事件で父を失ったワイダ監督はこの不条理を告発した。映画の終幕を見ながら、私はポーランド北東部の村を訪れた7年前のことを思い出していた。
  第2次大戦中、この村で起きたユダヤ人集団虐殺事件の加害者がドイツ軍ではなく、村人だと分かったからだった。 真相を語ってほしいと頼むと、古老たちは貝のように口を閉ざした。 役場の女性職員には 「何の関係もないあなたが、なぜそんなことを知る必要があるの!」 と泣いて抗議された。

  ヘレナさんは、体を震わせて反論を止めなかった。「アメリカ人も、日本人も。戦争では、どの国も、どの国民も悲劇を起こす…」。 私はヘレナさんの肩を抱き、「次の機会に、歴史を語り合いましょう」 といって、駅で別れた。

  コラムの筆者は 「歴史の犠牲者を名乗るのはやさしいが、加害者だと認めるには勇気がいる…」 と結んでいる。 決して、ポーランド人だけを非難する積もりではなかったのだろう。しかし、ポーランド人とユダヤ人との関係の大きな部分にまったく触れず、誤解を生む文章だったと思う。 とくに、ポーランド人にとっては、フェアな指摘とは映らないだろう。

  実は、私は、昨年の暮れ、『ユダヤ人を救った動物園―ヤンとアントニーナの物語』(ダイアン・アッカーマン著、青木玲訳。亜紀書房刊)を読んで感動した。 昨秋、このペーパーバック版がアメリカで発売されると、すぐにベストセラーになったと、アメリカのメディアは報じている。 直ぐに原著 「The Zookeeper's Wife: A War Story」 を購入し、来日した小松原夫妻に贈呈した。


  ナチス占領下のワルシャワで、ポーランド人の動物園園長夫妻が、勇気とユーモアをもって、どのようにして多くのユダヤ人を匿い、救ったか―人間と人間、 人間と動物とが織りなす、スリリングで心温まるドキュメントだ。

  読売新聞は8月末、書評欄で取り上げ、「発覚すれば死に直結する二人の命がけの行為によって、多くのユダヤ人が救われたのだ」 「書かれるべき題材が、 優れたライターとめぐり会ったとき、良質のノンフィクションが誕生する」 と評していた(黒岩比佐子)。

  朝日新聞も翌月、「シンドラーや杉原千畝らに共通しているのは、ユダヤ人を人間として見ていることである。ヤン夫妻も同様だった」 と指摘し、 「ワルシャワ市民の12人に1人が、命の危険をかえりみずユダヤ人脱出に手を貸したという…彼らはそもそも初めから人間同士だったのだ」 と書いている(松本仁一)。

  幸いに、これらの書評はコラムより先に掲載された。だから、書評や本そのものを読んだ人たちは、 ポーランドの一般市民がいかに多くのユダヤ人を救出したかの知識を得ていただろう。 そして、コラムが、そのことに一言も触れていないことと、ポーランドの人々について不公平な印象を与えたことに、心痛めたことだろう。

  毎日新聞(1月7日)によれば 「ポーランド南部のアウシュビッツ強制収容所を訪れた09年の年間入場者が前年比17万人増の130万人と過去最高を記録したことが分かった… 博物館当局者は若い世代が増えているとして 『将来への希望』 と歓迎している」(ウィーン中尾卓司)という。

  そして、「ホロコースト(ナチスによるユダヤ人虐殺)の悲劇を聞くことなく、現代に生きる我々の責任を考えることも難しい」 と、ツィビンスキ博物館長に語らせている。 それだけに、「アジアからの来訪者も増え」 ていながら、「韓国が3万5000人、日本からは8200人だった」 という数字は意外だし、身が細る思いだ。

  「ポーランド人の対日感情はとても良い」 と小松原夫妻はいう。ショパンを知らない日本人はいない。 しかし、地理的にも、また知識の点でも、日本人にとってポーランドが、なおかなり遠い国であるのは残念だ。
(2010年1月9日記)