2010.1.13

【 メ デ ィ ア 傍 見 】 3

前澤 猛
目次 プロフィール

匿名と戦った “ドラゴン女史”

  悲報
  正月早々、国際ニュース・オンブズマン協会から悲報が送られてきた。
  ワシントン・ポスト紙の前オンブズマン、デボラ・ハウエルさんが、1月2日、旅行中のニュージーランドで事故死したという。68歳だった。
  同紙やAPによると、彼女は車から降りて写真を撮っていた所、反対車線の車にはねられたという。 同乗の夫ピーター・マグラスさんは、「彼女は、間違った方向を見ていた」 という。ニュージーランドは、イギリスや日本と同じ 「左側通行」で、アメリカとは逆。 痛ましい事故だ。
  彼女は、地方紙の編集者をとして、三度、ピュリツァー賞受賞報道にかかわったあと、2005年から2008年までポスト紙のオンブズマンを務めた。 終生、人種や性による差別問題に熱心に取り組み、ポスト紙は、「小柄で痩身だったが、舌鋒は鋭かった。ジャーナリスト仲間からは、 『マザー』 と 『ドラゴン』 という、相反する二つのニックネームで呼ばれ、本人はそれを誇りとしていた」(マット・シュデル記者)と伝えている。



スリムだが意思強固だったデボラ・ハウエルさん
(写真はワシントン・ポスト紙のWebから)

  Eメールの暴力
  オンブズマン時代に直面した事件に 「匿名Eメールによる集中砲火」 がある。ちょうど4年前の2006年1月、彼女はオンブズマンのコラムで、 あるロビーストについて 「民主、共和両党に献金した」 と書いた。実際は 「彼個人は共和党に献金し、彼の指示を受けた者が両党に献金した」 のだった。 本質的な誤りではなかったが、彼女はコラムで訂正した。
  しかし、彼女には抗議が殺到した。とくに匿名のEメールは、口汚ない、わいせつな表現を使ったため、ポスト紙のウエブ・サイトは閉鎖された。 このとき、彼女は、コラムでこう書いた。
  「インターネットの匿名性が、Eメールによる社会的非難をあおっているのだろうか? それは、政治的分裂を助長させているのだろうか。分からない。 しかし、分かっているのは、私の面の皮は厚く、少々の悪態(私も良く使うが)で、私の気持ちがくじかれることはない無いということだ」
  「野卑な中傷や下品な性的言辞が、政治的発言として当たり前になり、事実が論点にならないとしたら、実に悲しいことだ… 私が首になることを望んでいる人には残念だろうが、私にはまだ2年の契約期間があり、これからも思う通り書き続けるつもりだ」 (2006年1月22日のポスト紙コラム 「オンブズマン」)

  匿名ニュースソースを叱る
  日米のジャーナリズムにはいくつかの大きな違いがあるが、 その一つに 「発言者や情報提供者の秘匿と公開」 に対するジャーナリストの意識およびメディア社の方針の相違がある。 日本では、新人記者に 「取材源の秘匿」 がジャーナリズムの鉄則として叩き込まれる。しかし、アメリカでは、それは例外的なものとして扱われる。 ニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙でも、またAPでも、新聞編集者協会でも、同じような規定を持っている。 取材源とひとたび約束すれば、もちろん、裁判で証言を命令されても秘匿を厳守する。 しかし、そのかわり、原則として取材源は明示されるべきだし、従って、取材の相手とみだりに秘匿を約束してはならないことになっている。

  匿名メールに悩まされたハウエルさんは、この 「取材源明示」、あるいは 「アイデンティティ(自己の身元)明示」、 いいかえれば 「発言や情報の出所明示」 の履行を力説していたひとりだった。かつて、次のようなコラムを書いている。
  「匿名減少へ」
  匿名の取材源は新聞の信頼性を損ねる。ポスト紙の実務規則はこういっている― 「我々が名前のない取材源を使ったら、掲載した情報の信頼性を保つために、 読者に余計な仕事を求めることになる。この信頼性維持こそが読者の利益にかなうことを銘記すべきだ」 …
  さらにポスト紙は2004年に、次のように匿名取材源の使用を厳しく規制した― 「報道は、その情報をどこで、どのように入手したか分かるように、 出来る限り読者に透明にすることが必要だ」
  ポスト紙のニュース調査センターの調査によると、各年4月2、3週の紙面の本社記者執筆記事に現われた匿名取材源は、2004年が66件、2005年が68件だったが、 2006年には45件へと改善された。だが、まだまだだ。不用意に、ただ単に 「取材源によれば」 と書く記事が多い。 ポスト紙の規則は、「取材によれば」 とか 「情報によれば」 とか書くことを認めていない。(2006年6月5日。要約)

  匿名情報源の使用に厳しく目を光らせ、匿名社会の危険性を警告していたハウエルさんからみると、日本のメディアは、驚嘆すべき匿名社会だろう。 彼女の冥福を祈りつつ、次回には、続けてこの問題を取り上げ、とくに日本の実態に触れてみたい。
(2010年1月13日記)