2010.1.28

【 メ デ ィ ア 傍 見 】 5

前澤 猛
目次 プロフィール

情報の「リーク」(漏示)と「ディスクロージャー」(開示)

  「リーク」を認めてクビに!

  以下の記事が1月26日の毎日新聞朝刊社会面に一段見出しで小さく載った。目を疑った。誰がなんと言おうと 「リークはない」 というのが、 NHKにとっては絶対の真実であり、公式見解であり、それに反した見方を持つ職員は首になり、上司は処分されなければならないのか。
リーク「あり得る」 視聴者に伝え処分 NHK、電話応対で
  NHKは25日、視聴者コールセンターの担当者が視聴者の問い合わせに不適切な対応をしたとして、契約解除と上司を処分する方針を明らかにした。
  NHKによると、16日放送した 「手話ニュース」 の中で、東京地検に政治資金規正法違反容疑で逮捕された石川知裕衆院議員が容疑を認めたことを伝える内容を放送。 これを見た視聴者から 「地検のリークがあるのか」 と聞かれ、「あり得る」 と答えたという。
  担当者はNHKサービスセンターと1年ごととに雇用契約を結んでいる元NHK職員。
  そこまでやるのか。NHKの教条主義、官僚主義体質にはあきれる。
  たまたま、その記事の上に、「石川議員 ホテル名?手帳に」 という3段見出しの目立つ記事が載っている。 疑惑の 「水谷建設から陸山会(小沢民主党幹事長の資金管理団体)側への金銭授受」 の現場 「全日空ホテル」 が、検察の押収手帳にメモされているというのだ。 これは捜査情報そのものではないだろうか。「リーク」 なしに書ける記事だろうか。皮肉にも、NHKの公式見解の独善性と処分の不当性を証明してはいないだろうか。

  リークの背景

  そこで、前回のコラム4に続いて、「匿名報道」 と、「匿名を前提としたリーク」 の問題をさらに突っ込んで考察してみよう。まず、リークを生む社会的背景について。
  個が確立せず、正義の告発さえひんしゅくを買う日本では、市民社会や地域社会に、なお村八分的空気が残存し、政界では派閥力学が幅を利かせている。 その上に、新しい法理と市民倫理として 「プライバシーの権利」 が導入されたから、匿名性の存在が社会的に強く 「認知」 されるようになった。 しかも、情報公開より公務員の秘匿義務を重視する風潮から、「ディスクロージャー」 (情報開示)には消極的だ。 そうした社会背景の下で、匿名報道は広く許容され、リークが必要悪となってくる。

  とはいえ、小沢幹事長のからむ政治資金規正法違反容疑を全面否定し、 検察がリークによってメディアを操縦していると非難する民主党政府や議員の言動は常軌を逸している。 国民の目線での政治、行政を目指しているという同党の幹部や議員が、どうして同族意識に凝り固まり、物事を客観的に見られなくなったのだろうか。

  原口総務相はじめ民主党議員が、メディアの多用する 「関係者によると」 という情報源不明の捜査情報に悩まされ、 検察がメディアに 「リーク」 していると見たい事情は分かる。だが、民主党が 「検察リーク」 を批判し、「検察・メディアの癒着」 を指摘するのは、今回が初めてではない。 鳩山由紀夫首相自身が、幹事長だった昨年3月にも強い苦情を申し立てている。 このときは、今回ほど問題にはならなかったが、同党の 「リーク憎し」 感情の根は深い。当時、共同通信は次のように報じている。
  「鳩山氏、西松事件報道はリーク 検察をけん制」
  民主党の鳩山由紀夫幹事長は6日の記者会見で、西松建設の巨額献金事件に関する報道について 「容疑者の供述など、 検察しか知りえないような情報がなぜ伝わってくるのか。これはどう考えてもリークではないか」と述べ、東京地検特捜部の対応をけん制した。
  さらに 「何らかの政治的な意図というものがある。立場上知り得た秘密の情報というものを意図的に流すことは、犯罪的行為ではないか」 と述べ、 守秘義務を定めた国会公務員法に抵触すると指摘した。
  ただ 「検察と真っ向から対抗していこうという発想ではない。事実を事実として述べながら、国民の審判を受けたい」とも述べた。(2009年3月6日配信)
  そうした 「検察によるメディアへのリーク」 批判について、ジャーナリスト重鎮の原寿雄さんは 「検察がいつも正義だと信じていいかは疑ってかかる必要がある」 としつつ、 「ジャーナリズム論として理解できるが…政治的意図を感じざるを得ない」 と語っている(朝日新聞、20日朝刊4面)。そういう両面の見方が公平だろう。

  「リークはない」というリーク

  それにしても、ここに添付した同紙22日朝刊(2面 「時時刻刻」)の 「検察・報道批判 危うい民主」 の記事は、奇妙だ。
  「元検事 『リークではない』」 いう見出しが目を引く。さらに、本文中でも 「世の中が思い描くようなリークは特捜部にはない」 という核心の発言を、 匿名の 「元特捜幹部」 に語らせている。それでは、この記事自体が、一種のリーク(意図的な情報提供)か、 あるいは検察庁とメディアの 「馴れ合い」 という印象を与えてしまう。〈匿名で 「リークはない」 とリークする〉と皮肉も言いたくなる。 実名で語れる元検察幹部を登場させるべきだった。


朝日新聞2010年1月22日 朝刊

  現に、ロッキード事件を担当した元特捜検事の堀田力氏は、名前を隠すことなく、他紙でこういっている。
・・・検察は恐らく民主党の言動を圧力だとは感じてない。リークだなどと非難され、調査すると言われても、リークはないからだ。 リークによって検察が自己に有利な誘導をしているかのような論調が出ているが、検察は証拠がすべてであり、一方に誘導する意味も利益もない。
・・・捜査中は、隠せることはなるべく隠したいというのが検察の考え。一方で、メディアは事実をいち早く報道したい、捜査の動きを伝えたいと努力している。 そこには、検察とメディアの熾烈(しれつ)なせめぎ合いがある。
・・・検察ヘの取材だけが記者の仕事ではなく、捜査当局が誰から事情を聞いたとか、どこを捜索したなどの情報を集め、捜査の方向性を読み、 事実を確かめる力がある記者もいる。報道各社にはこうした記者が何人かおり、「検察リーク」 という言葉は、彼らを侮辱している。(読売新聞1月26日朝刊)

  朝日新聞社幹部が公表した“検事総長のリーク”

  もっとも、堀田氏の見解が正しいかどうかは、判断が分かれるところだろう。検察側から裏打ちされる情報、あるいはリークといわれるものは、 検察官の 「記者との信頼関係」 「国民の知る権利への理解」、あるいは 「法による支配の実現」 といった正義感や倫理観、 あるいは捜査官としての自負に裏打ちされている。そうした、リーク、あるいはリークと目される事実のうち、最大の事例としては、 「ロッキード事件における検察庁最高幹部と朝日新聞との合意確認」 がある。

  堀田氏は上記読売談話の中で、「ロッキード事件では、政界の事実上の最高権力者と対峙し、絶対に失敗できなという思いだった」 といっている。 その堀田氏の恐らく知らない中で演じられたロッキード事件捜査の一幕は、リークそのものといえないだろうか。 堀田氏のいうように、「(捜査を)絶対に失敗できないという思い」 から出た決意の行動の一端かも知れないが。

  以下に、そのエピソードを語る朝日新聞側当事者の 「証言」 を添付した。
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  ロッキード事件 布施検事総長の決断
佐伯 晋

  ロッキード事件が昭和五十一年二月初め、突如アメリカの上院外交委多国籍企業小委員会の公聴会で暴露されたとき、私は前月付で社会部長になったばかりだった。 十日ほど後の二月十六日午後。私は霞が関の検察合同庁舎に、車の社旗をはずして密かに乗りつけていた。 正面玄関を避け遠回りして裏手の通用口から滑りこんで、あたりに目を配りながら八階の検事総長室へ。(中略)
  「やりますよ。やらなければ検察はもちません」。ゆっくり落ち着いた口調だが簡明直裁な表明だった。え、と息をのむ私たちをみやりながら総長は続けた。 「高検の神谷君を呼んでいいですか」。
  かねて打ち合わせてあったとみえ、一階下の検事長室から神谷尚男東京高検検事長がすぐやってきた。 「この事件の直接指揮をとることになっています」 というのが総長の引き合わせの言葉。なんだ、もう捜査体制までできているのか。
  引き続き総長はポツリポツリと、検事長はそれを敷延するように 「やらなければ検察は国民に見放される」 との心情を吐露した。 私と中川君もこちら側からみた状況分析を懸命に説いた。そのやりとりの中で神谷氏が辞色をあらためて問うた。 「この事件は法律技術的にいくつか相当思い切ったことをやらねばならないかもしれない。その場合でも新聞は、いや国民世論は最後まで検察を支持してくれますか」。
  そうか、それで分かった。秘密会見にあえて応じてくれたのは、そのことを確かめておきたかったのだ。 そこまで思いつめた上で検察は決断している―私は中川君と夕陽を背にした帰りの車の中で、そう深くうなずきあったことを、四半世紀を経ても鮮明に覚えている。
  捜査着手を宣言する検察首脳会議が開かれたのは、それから二日後の二月十八日。
(「とっておきの話?」日本記者クラブ2004年11月刊からの抜粋)
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(注) 76年2月4日、米国の上院外交委員会多国籍企業小委員会で、 ロッキード社の海外での航空機売り込みに伴う不正支出について 「日本でも30億円以上支払われた。うち21億円は児玉氏に渡った」 と発言が出た。
  佐伯氏は、朝日新聞社専務編集担当、代表取締役を経て、1999年退社。

  「せめぎ合い」からの特種と誤報

  司法担当の記者、論説委員を務めた筆者の体験から言えば、広義での 「検察のリーク」 は否定できない。 上記1月22日の朝日の記事で、元特捜幹部は 「守秘義務と知る権利とのバランスの中で、…感触を与えるくらい」 と語っている。 だが、実際にはもう少し踏み込んでいる。たとえ 「発表」 の形は取らなくても、「捜査の進展について誤解を与えない」、あるいは 「誤報を防ぐために」、 捜査や取調べの内容に触れることは、あり得る。そうでなければ、主任検事や特捜部長や、次席検事や検事正に夜討ち朝駆けする意味がない。 もちろん、検事の人柄で、得られる情報や感触や、肯定否定のサインには、程度の差がある。「熾烈なせめぎ合い」 (堀田氏)の中で、阿吽の呼吸のリーク、 あるいは文字通り意図したリークが生まれる。

  それが、朝日新聞の 「ロッキード事件報道」 のような、捜査の方向を正しく追ったスクープになったり、 ときには、読売新聞の 「売春汚職事件報道」 のような誤報となって、メディア史を彩る。

【注】 「売春汚職事件の誤報」
  1957年10月、東京地検特捜部が全国性病予防自治連合会(赤線業者団体)を贈賄容疑で捜査している過程で、 読売新聞が 「売春汚職、宇都宮徳馬、福田篤泰両自民党衆議院議員を収賄容疑で召喚必至。近く政界工作の業者を逮捕」 とスクープした。 しかし、実際には贈賄はなった。両議員は読売新聞と検察関係者(不特定)を名誉毀損で告訴、東京高検が読売の司法担当キャップ・立松和博記者を同容疑で逮捕した。 後日、同紙は誤報を認める記事を掲載した。一般に 「捜査員の一部が検察内部から情報をリークしていた人物を特定するために流した偽情報であった」 とみられている。 筆者の調べでは、業者から押収した手帳に両議員の名前がメモされており、その情報を検察官が読売記者にリーク。 同紙は事実と捜査の進展の確認を取らない予定稿の段階で輪転機を回した。


  「責任ある情報開示(ディスクロージャー)」へ

  ロッキード事件における 「布施検事総長の決断」 は、民主主義の根幹としての 「法による正義の実現」 のための新聞と検察との 「超法規的」 共同行為、 あるいは良い意味での共謀であったのかもしれない。ここで各新聞社やテレビ局の性格やあり方を論ずるのは控えるが、 事件の発端となったアメリカ上院公聴会のニュースを、朝日新聞は率先して掲載した。 メディアでタブー視されていた 「児玉誉士夫」 の名を出し、彼と事件とのつながりを明らかにした。 しかし、社の幹部と児玉との関係が知られていた新聞は、遅れをとった。そうした報道姿勢の違いが、検察庁と朝日を結びつけたのだろう。 こうした検察とメディアとの共同作業は、事件の大小は別にして、しばしばあったし、また、現に進行中であり、それを政治家はリークといって非難するのだろう。

  リーク問題の根本的解決の道は、現在のような形式的な 「捜査情報の完全秘匿」 制度の改善にある。 捜査当局による、あいまいな、あるいは慣行としてのメディアに対する 「法執行過程の非公式提供」 ではなく、アメリカのように、 「適正な法執行」 と 「知る権利」 双方の要請を満たす 「ディスクロージャー」 の理念が日本でも高まり、そうして、捜査責任者が適宜、 適切に捜査内容を 「公表」 する制度や慣行の導入が望まれる。そこまでわが国が進むのには、日本社会全体の公開性の進展が前提とされるだろうから、 まだかなりの時間を要するかもしれない。
(2010年1月28日記)