・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ロッキード事件 布施検事総長の決断
佐伯 晋
ロッキード事件が昭和五十一年二月初め、突如アメリカの上院外交委多国籍企業小委員会の公聴会で暴露されたとき、私は前月付で社会部長になったばかりだった。
十日ほど後の二月十六日午後。私は霞が関の検察合同庁舎に、車の社旗をはずして密かに乗りつけていた。
正面玄関を避け遠回りして裏手の通用口から滑りこんで、あたりに目を配りながら八階の検事総長室へ。(中略)
「やりますよ。やらなければ検察はもちません」。ゆっくり落ち着いた口調だが簡明直裁な表明だった。え、と息をのむ私たちをみやりながら総長は続けた。
「高検の神谷君を呼んでいいですか」。
かねて打ち合わせてあったとみえ、一階下の検事長室から神谷尚男東京高検検事長がすぐやってきた。
「この事件の直接指揮をとることになっています」 というのが総長の引き合わせの言葉。なんだ、もう捜査体制までできているのか。
引き続き総長はポツリポツリと、検事長はそれを敷延するように 「やらなければ検察は国民に見放される」 との心情を吐露した。
私と中川君もこちら側からみた状況分析を懸命に説いた。そのやりとりの中で神谷氏が辞色をあらためて問うた。
「この事件は法律技術的にいくつか相当思い切ったことをやらねばならないかもしれない。その場合でも新聞は、いや国民世論は最後まで検察を支持してくれますか」。
そうか、それで分かった。秘密会見にあえて応じてくれたのは、そのことを確かめておきたかったのだ。
そこまで思いつめた上で検察は決断している―私は中川君と夕陽を背にした帰りの車の中で、そう深くうなずきあったことを、四半世紀を経ても鮮明に覚えている。
捜査着手を宣言する検察首脳会議が開かれたのは、それから二日後の二月十八日。
(「とっておきの話?」日本記者クラブ2004年11月刊からの抜粋)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(注) 76年2月4日、米国の上院外交委員会多国籍企業小委員会で、
ロッキード社の海外での航空機売り込みに伴う不正支出について 「日本でも30億円以上支払われた。うち21億円は児玉氏に渡った」 と発言が出た。
佐伯氏は、朝日新聞社専務編集担当、代表取締役を経て、1999年退社。