【 メ デ ィ ア 傍 見 】 16
渡邉恒雄氏を提訴の名誉毀損事件・報告
―敗訴。しかし、争点では原告の主張を採用…
昨年11月に前澤猛が渡邉恒雄氏を名誉毀損で提訴した損害賠償請求訴訟は、7月5日午後、東京地裁で請求棄却の判決が言い渡されました。
関心をもって見守っていただいたジャーナリスト、法曹の方々に感謝申し上げます。
しかし、敗訴とはいえ、意外な内容で、原告当方の主張はほとんどが、ことごとく容認されました。
敗訴の理由は、唯一、「社説執筆禁止事件の事情を知る読者の理解を前提とすると、被告の発言には、
損害賠償を認めなければならないほどの違法性があるとは認められない」 ということです。
つまり、「摘示事実の虚偽性とジャーナリストの名誉権」 との比較考量の甘さにあるといえるでしょう。
判決は 「新聞文化賞」 授賞理由となった 「社論確立」 で、渡邉氏が力説した例示事実が虚偽であり、
「社論に反対の社説を執筆した」 と誹謗された論説委員の名誉が事実上は棄損された、と認めたといえるでしょう。
この判断を真摯に受け止め、渡邉氏がジャーナリストとして深い反省を示すことを期待します。
一方、原告は敗訴したとは言え、最大の関門とされた 「本人の特定」、つまり 「渡邉氏の発言で指摘された論説委員が前澤と認識されるかどうか」
という課題を凌駕できたのは、多くのジャーナリストや識者が、「認識される」 とするアンケートに応えて下さり、
それを裁判所に提出できた結果と認識しています。
この訴訟に際して、温かい支援と励ましを下さった方々に感謝し、この提訴が、これからの日本のジャーナリズムの発展に寄与できることを願っています。
以下は、原告から見た判決内容の寸評です。
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判決の結論 「請求棄却」 は、4月末の突然の弁論終結宣言で予想された。
しかし判決理由は、むしろ、ほとんど原告の主張に沿ったもので、まさに 「想定外」 だった。
結論は 「(被告・渡邉恒雄氏の)本件発言に、原告(前澤猛)に損害賠償を認めなければならないほどの違法性があると評価することは出来ず」
というあいまいな評価だった。しかし、この結論を除いては、当事者の特定、原告の社会的評価、事実関係など、被告側の主張は、
そのことごとくが退けられたとみてよい。逆に、原告当方の主張のほとんどすべてが容認された。
まず、入り口の 「本人の特定」 については、関連する事件がメディア人の間で周知されていた事実が認められため、原告が当事者であると容認された。
次いで、原告の社会的評価の失墜については、実質的に認められたが、その程度の評価から違法性を阻却された。
つまり、被告の発言によって、「社論に反した社説を執筆した論説委員」 と指摘された論説委員が、その 「社会的評価を低下させる可能性がある」 と、
判決は認めている。
そして、最大の争点である渡邉氏の発言 「社論に反対の社説を執筆した論説委員(に執筆をい禁じた)」 の真偽について、判決はその事実を否定し、
真実は次のような内容だったと認定した。
すなわち 「原告(前澤)が従来の社論に従って社説を執筆しようとしたところ、これが被告(渡邉)の意向に沿わない内容であったため、
被告の一存でその執筆を禁じられた」 のを事実内容と認めた。まさに、原告の主張通りの認容である。
その上で、「執筆禁止」 事件を知る読者は、渡邉発言の実際の内容をそのように理解するだろうと認定し、渡邉発言がそう理解されるならば、
被告に賠償責任を命ずるまでの違法性があるとは評価できないと判断した。
残る問題は、発言の虚偽牲を全面的に認め、なおかつ賠償を命ずるまでの違法性は評価できないとした論理構成で、
「指摘事実の虚偽違法性が、読者の事実周知度によって許容されるのか」 という疑問を提起している。
実は、「執筆禁止」 という事実は、この名誉毀損訴訟の訴因ではない。弁論でも、事実認定の争点とされていなかった。
つまり、それが周知の事実であることは、原告、被告双方ともに認めていた。
原告が争点としたのは、論説委員であった原告が 「社論に反対の社説を執筆した」 かどうか、についての事実の立証と、その認定だった。
しかし、裁判所は、あたかも 「執筆禁止」 事件が争点の中心であるかのように判断した印象を受ける。
もし、控訴審に移った場合には、「本人の特定」 は既定の事実とされ、この争点 「社論に反した社説を執筆した論説委員」 に関する真偽の立証と、
原告の 「社会的評価の低下」 の価値判断が争われることになるのではないだろうか。
(2011年7月5日記 7月13日改訂)