2012.3.1

【 メ デ ィ ア 傍 見 】 20

前澤 猛
目次 プロフィール

続 「誰が見たのか? 誰から聞いたのか?」
    ―原発事故検証報告の二つの証言

  もう20数年前のことだが、客員研究員として短期滞在した米デューク大学に、興味深い講義 「Decision Making」 があり、学生の人気を集めていた。 「政策決定」 あるいは 「決断」 とでもいえようか。
  キューバ危機やベトナム参戦など、国が危機的状況に直面したとき、米大統領など最高統治者が下した重要な決定は、どのような状況、条件、 判断のもとに下され、それは政治家として正しかったかどうか、を検証、討議するクラスだった。 いわば 「second-guessing」 (後知恵)ではあろうが、政治家を目指す若者に、切迫した複雑な条件下、正しい決断を下させるように訓練する場でもあった。

  さて、たまたま、前回の 【メディア傍見19】 を提稿した翌日の2月28日、 民間識者による原発事故調査機関(福島原発事故独立検証委員会)の詳細な事故検証報告が報道された。
  報告は、将来、緊急重要な政策決定にあたって、日本の為政者は状況をどう判断し、どう行動すべきか、についての貴重な教訓となることが期待される。 ただ、残念なのは、報告が意図したかどうかにかかわらず、福島原発惨事の際の重要な政策決定過程の評価にかかわる部分が、 匿名の人物の発言に大きく依拠していることだ。
  それがまた、メディアによってクローズ・アップされ、読者・視聴者の耳目をそばたたせた。例えば、テレビや新聞報道によれば…

@ 官邸にいた政治家の1人は、当時の状況を子どものサッカーに例えて 「若干の反省を込めて言うと、 サッカーで言えば1つのボールに集中しすぎたきらいはあったかもしれません」 と振り返っています。(28日のNHKニュース)

A 福島第一原発に代替バッテリーが必要と判明した際、菅首相は自分の携帯電話で 「必要なバッテリーの大きさは? 縦横何メートル? 重さは?  ヘリコプターで運べるのか?」 などと担当者に直接質問して熱心にメモをとった。 同席者の一人は「首相がそんな細かいことを聞くというのは、国としてどうなのかとぞっとした」 と述べた。(28、29日付各紙)

  この報告に限らず、菅首相や官邸の言動には、今後様々の 「後知恵的評価」 が下されるだろう。 ただ、この事故発生から数日間の動きの中では、前回引用した朝日新聞の 「官邸の5日間」 でも触れているように、 「原発からの撤退」 の真偽と決断に関する過程が、政策決定の最重要課題だったといえないだろうか。 それには、報告も客観的事実を基に一定の評価を下している。
  海外の報道でも、この部分が取り上げられているし、菅首相自身も、「公平に評価し、大変ありがたい」 というコメントを文書で発表している(29日の各紙)。 このコメントは、揶揄的な批判の的になったが、その是非は別にして、この政策決定の重要性は疑いが無いだろう。

  そこで、問題は、上記の 「サッカー・ボールへの集中」 と 「首相の細かい質問」 についてだが、 この二つの談話は首相に対するマイナス評価の材料と言えるだろうか。首相としての独断的、視野狭窄的言動の裏づけとして報告に込められている。 しかし、情報のブラック・ボックスに置かれた首相の言動としては、プラス評価する人がいるかもしれない。 上記の米大学の講義を思い出し、そうしたクラスだったらどう評価するだろうか、と考えてしまう。

  さて、今回の愚稿を書いた最大の目的は(前回を読まれた読者には、恐らく賛同していただけると思うのだが)、 首相の言動、決定の是非に関する重要な評価材料として使われている上記二つの談話の主が、なぜ匿名なのか、という点だ。 なぜ 「政治家の1人」 「同席者の1人」 なのか。なぜ、そうした談話が土俵に上げられるのか。 出所が明示されない情報は、再びウォルター・リップマンの言葉を借りれば、「確かな情報」 とはいえないはずだが。
(2012年3月1日記)