2008.3.9

【マスメディアをどう読むか】

関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議
 丸山 重威
目次 連載に当たって

◎求められる「事実」の報道
日経はなぜ統幕長、海幕長更迭を主張したか
  友人たちの間で、イージス艦・漁船衝突事件に関連して、興味深い討論が始まっている。 メディア関係者は一人もいない。みんなビジネス現場で働いて来た人たち。しかし、いかにこの事件への関心が高く、メディアが注目されていることを示している。

  ▼「腐ったリンゴ」 社説への反響

  口火となったのは、日経2月28日付の社説で、「無責任体質の一例」 として、イージス艦情報漏れ事件で責任を取らなかった斎藤隆統合幕僚長 (前海上幕僚長)、 吉川栄治海幕長の実名を挙げ、「両氏を腐ったリンゴに例えるのは不適切だが、石破氏が直ちに彼らを更迭すれば、海自の全組織に緊張が走る。 それが最も効果的な再発防止策である」 と主張したことからだ。 同紙は1日付でも 「私たちは石破氏に対し、斎藤隆統合幕僚長 (前海上幕僚長)、吉川栄治海幕長を直ちに更迭するよう求めた。 海自の全組織が緊張を取り戻すには、機敏で厳正な処分が必要と考えたからだ」 と重ねて書いた。

  これを取り上げて問題提起してくれたのは、闘病生活を続けながら仕事を続けている I 君。日経も隅から隅まで読んでいる。 28日の社説のあと、「現役を名指し公表です。相当の確証と覚悟でしょう」 と注目してメールをくれた。 確かに珍しい書き方だ、と思ったが、1日付で、それが繰り返されたため、彼はさらに不審を深め、 1.日経だけが 「海自の無責任体質の元凶」 とか、 「腐ったリンゴ」 と書くのは、海自と日経の間に何かあるのか  2.他の新聞がこの問題で現役幹部を名指ししないのはなぜか−との疑問を呈してきた。

  彼は、「みんなそう思っているが、他社は名誉毀損を恐れて書かなかったのではないか」 と思ったらしい。私は、「日経と海自の関係に何かあるのかは知らない。 しかし、彼らは公人であり、この書き方が名誉毀損だとは言えないだろう」 と答えた。 既に 「一般読者」 は、メディアについてそんなふうに考えてしまう。「メディア不信」 は、実に根深い。

  ▼航海長の名前はなぜ出ない?

  しかし、なぜこんなことになるのだろうか。よく考えてみると、今回の事故で問題なのは、基本的な 「事実」 についての報道が、 実に不十分であることに原因があるのではないだろうか。
  普通なら、現場で操船の指揮を執っていた責任士官は誰々で、どこどこのセクションのウオッチに当たっていた誰々から何時何分にどういう連絡が入った。 このスタッフは何時何分に誰々と交代し、こう引き継いだ…、といった具合に、固有名詞が入った事故発生のドキュメントが明らかにされる。 発表では固有名詞があっても、下級の艦員については、階級だけしか報道されないかもしれない。 しかし、飛行機であろうが、列車であろうが、まして大きな客船ででもあれば、まず間違いなくそうした報道がされるであろう。
  ところが、今回の事故では、そうした事実が、非常に抽象的で、具体性に乏しい。それは、「何分前に発見」 とか、それを 「どう訂正した」、ということより以前の問題である。 事件発生当初には「一般例」として見張りの体制が報じられているが、発見や引き継ぎの状況がきちんと報道されているようには見えない。
  また、まとまった報道として、地方紙の2月26日付 (共同配信) とか、毎日3月2日付 「特集」 などがあるが、そこでも艦側の固有名詞は艦長以外ない。 第一、防衛省が呼び寄せ、問題になった 「あたご」 の航海長についてさえ、彼が当時の責任士官だったらしいことが明らかになり、 8日付毎日によれば、書類送検されるというのに、「3等海佐」 というだけで、名前は伏せられたままだ。これで良いのだろうか?

  友人たちのメールの議論では、「海保が何も発表していないのはおかしい」 「『あたご』 の内火艇が何時に何隻、何人乗り組んで降りたのか」 「ダイバーが居たのか、 ヘリはどういう機器を使って捜索したか」 「『あたご』 の潜水艦探知機器は海底を捜査したか」 「自衛隊は潜水艇を出動させて調査させるべきではないか」 などの疑問が一杯出されている。
  この中で報道されているのは、14分後に内火艇2隻を降ろし、あとで 1隻を追加したことくらいだ。
  そうした中では、テレビ報道についても批判が出ている。「テレビでは、女性アナがヘリに乗って画像を見れば分かることをくどくど話させるのではなく、 アナでなくとも、船の構造に通じているものを乗せ、現場の水深、海流の方向、速度などはすぐわかるのだから、エンジン部分等の着地点概算くらいはできたはずだ」

    ▼「責任論」にすり替えるな

  新聞はこういう疑問にどう答えるのか?
  横浜の第3管区海上保安本部が当面の取材先の中心なのだろうが、この取材に十分な体制が取られているのかどうかは疑問だ。 今回の取材で言えば、まさに警察取材同様の緻密さが求められているのだが、これには日頃の取材体制が反映される。
  いま、現場が、発表中心の取材しか事実上できていないとすれば、この 「事実」 の押さえが弱くなるのは当然である。
もともと、今回の取材先は、防衛省や永田町の動きも併せて取材しなければならない点で、いかに問題意識を鮮明にし、一致・連携して取り組めるか、が課題だ。 この点でも、政治部、社会部、支局など、呼吸が合っているのかどうか?

  問題なのは、こんな事件があると、新聞も政治も早走りして、飛行機事故でも同じだが、「事故原因」 の究明を急ぎ、「責任」 を明らかにし、 それを早く明らかにさせようとすることである。そして、原因はよく分からなくても、「私の責任」 と最高幹部に言わせ、クビをすげ替え 「一件落着」 となって、 事件報道が終わりを告げられてしまうのは、結構よくあるケースだ。
  こんな 「すり替え報道」 に支えられ、いい加減な事実取材でお茶を濁している結果、「事実」 の追求が弱くなっているのではないか。 今回の話で言えば、漁協の人達の堂々たる証言で防衛省のウソが次々と暴露された。「海保発表頼り」 の取材だけでは、事実は明らかにされないのだ。
  その状況に、例えばここに書かれたような疑問を持ったまま、次の話題に流れていく報道に、読者は疑問を持つ。「次々流れているが、 もう嫌になってしまう…」 という感想は、極めて率直なメディア批判でもある。

  私は1983年から85年にかけて、共同通信横浜支局のデスクとして、海保の取材にも間接的だが、関わったことがある。
  当時、共同はこの本部を担当する海事記者クラブに、横浜らしい話題を拾う遊軍的な動きを求めながら、記者一人を配置していた。 彼は他社があまり報道しない海難審判なども熱心に傍聴し、関係者を取材し、ある海難事故が静電気が原因だった、との審判結果を他社に先駆けて報道し、 神戸新聞などのトップを飾ったこともあった。
  しかし、「合理化」 の中で、横浜支局の記者も大幅に削減されている。それでも今回の事故報道で、共同の速報は午前6時前だったそうだ。

  共同だけの問題ではない。報道の原点は、あくまでも 「事実」 である。記者たちの奮起が求められている。

2008.3.9