2008.4.8

【マスメディアをどう読むか】

関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議
 丸山 重威
目次 連載に当たって

◎「事件を見る目」、「足で稼いだ」取材
事件報道はどうあるべきか

  どうにもわからなかったのは、八戸で仲良しに見えた母と子の間に起きた 「子殺し」 だった。 報道によれば、殺された息子の小学4年生、西山拓海君は、「お母さん大好き」 の詩を書いていた子供だったというし、母親が虐待していた様子もなかった、 ということだったから、「なぜ?」 の疑問が広がった。

  恐らく母親に、自分を失わせるような悩みがあり、瞬間的に世をはかなんで、衝動的に起きた犯行だったのではないか、と想像した。 地元紙がどうだったか検証する暇はなかったが、その後、少なくとも東京で見ている限り、報道はなかった。

  ▼「ガーデニング王子」殺しの背景
  毎日新聞が4月6日付のトップとして掲載した 「荒れた入植地 『生活苦しい』 過疎の一軒家 孤立感」 の記事は、まさにその背景に肉薄しようとした記事だった、 といっていい。毎日はこれから 「ニッポン密着」 というルポ風の記事を随時掲載するという。

  記事によると、惨事のあった地域は、八戸のはずれ、美保野地区という入植地だったという。拓海君の母親は、戦後まもなく、祖父母の時代に入植。 彼女はこの村で育ち、高校に進学した。しかし、食糧増産のために、と原野を切り開いて始めた農業も、高度成長期に入って立ちゆかなくなっていったのだろう。 高校卒業後、村を出て結婚するがうまくいかなくなって離婚、生まれた拓海君と一緒に村に戻った。 近所の人が語っている。「この辺はいま、ほとんど農業をやっていない。作っても安くて食えない」。 西山家も開墾した300坪以上の農地も一部しか使われていなかったという。

  拓海君は、その一部の土地で野菜や花を育て、楽しんでいた。自分のことを 「僕はガーデニング王子」 と呼び、 「畑から命がぴょこんと生まれます」 と書いていた子ども…。 「おかあさんはとってもやわらかい/ぼくがさわったら/あたたかい きもちちいい/ベッドになってくれる」 という詩も書いた。
  容疑者となった母親が、この拓海君の 「土」 や 「いのち」 への喜びと、希望を共有することができていたら、それを、育てる見つめる余裕を持っていたら、 こんな惨事は引き起こさなかったに違いない。

  毎日新聞は 「明るかった彼女が、こんなに暗かったかなと思うようになった」、「数年前から精神安定剤を飲むようになった」 という知人や親類の話を取材している。 母親の精神状態、心理状態は分からないが、ひどい 「うつ」 が隠れていたのかもしれないし、精神障害かもしれない。そんな 「何か」 が事件を起こしてしまった。

  ▼「農業では食えない」
  私はかつて、直接この地域とさほど遠くない 「むつ小川原」 を訪ねたことがある。もともと 「ヤマセ」 と呼ばれる東からの冷たい潮風で米作りが難しいところだった。 改良に改良を重ねて、やっと米が作れるようになり、入植したが、石油コンビナートの計画が持ち上がり、農地は切り売りされた。 「減反政策」 の中で地域は荒み、大きな家は次々できたが、国策に翻弄された人々の働き口はなく、出稼ぎしか方法が無くなった。

  そのコンビナート計画もやがて消え、次はむつの原子力船。それも挫折し、続いて六ヶ所村の原子力燃料の再処理施設や、 放射能廃棄物の処分や保管場が建設された。しかし、「開発」 の陰で、その周辺地域の農業をめぐる状況が改善されたようには聞かない。

  美保野地区を六カ所と結びつけるつもりはない。しかし、いま、食糧自給率が40%を切る状況の下で、全国の農村で 「農業では食えない」 状況が進み、 後継者難と離農が広がり、似たような悲劇と、それに近い状況が生まれているのではないだろうか。 「ガーデニング王子」 の悲劇は、そういういまの日本社会の病弊が引き起こしたものではないのか。

  ▼遺体が語る「リンチ」の証拠
  もう一つ、あげておきたいのは、同じ 「毎日」 だが、4月3日付の 「記者の目」。 相撲部屋のリンチ殺人を取材した新潟支局の岡田英記者の 「前親方、公判で告白せよ」 と題する記事だ。

  岡田記者は事件を聞いてすぐ、亡くなった斎藤さんの自宅に駆けつけ、父親の正人さんに遺体と対面させてもらった。
  「『記者さん、見てください。これがけいこでつく傷ですか』。正人さんは私に声を震わせて訴えた。居間の布団に横たえられた遺体には紫色のあざが無数にあった。 右脚にはたばこを押し付けたような跡が2カ所。顔ははれあがり、割れた額に赤黒い血が固まっていた」 と書く。 岡田記者は 「リンチではないか」 と直感し、実家を訪れた前親方に玄関先で疑問をぶつけたが、彼は否定するだけだったという。

  よく知られた通り、警察が検視もしないですませた 「相撲部屋の犯罪」 は、納得できない父親によって行われた大学病院の遺体解剖で、明らかにされた。 しかし、その前段階で、現場を訪ねた前田記者の行動が、父親を励まし、真相を明らかにすることに役立ったことは想像に難くない。 

  ▼「足で稼いだ記事」ということ
  言いたいのは、この2つの記事は、ともに 「足で稼いだ」 記事だということだ。

  八戸署で警察に密着すれば、母親の供述は警察経由で得られるだろう。しかし、この現場に行かなければ、土地の歴史も人々の暮らしも分からない。 「ガーデニング王子」 の幼い命も、その母親も、日本を蝕んでいる、何か大きな流れの犠牲者だったのではないか。

  八戸の記事には3人の記者の署名がある。記者たちが、背景を見通す力を持って現地に行ったのかどうかはわかならない。 新潟の岡田記者の場合も単なる談話取材のつもりだったのかも分からない。 しかし、この 「足で稼ぐ」 取材こそが、「ジャーナリズムの価値」 を支えていることを、忘れてはならない。

  いま、社会の歪みが深刻になる中で、さまざまな犯罪事件が続発し、メディアもこぞってこれを取り上げ、「事件報道花盛り」 の感を呈している。 しかしいま、そこで問題なのは、この 「花盛り」 の事件報道が、警察取材に偏り、警察の情報を流すことだけに勢力が注がれる傾向が強いことだ。
  しかも、報道だけではなく、裁判までもが、ともすれば被害者の声に耳を傾けるあまり、ただ加害者を糾弾し、 「報復」 を求める被害者の家族の声が声高に報道される傾向が強まっている。しかし、本当にこれで良いのだろうか。

  微に入り細に入り、事実に肉薄し、それを報道する。ジャーナリズムはまずこのことが基本だ。 しかし、「なぜそんなことが起きたのか」 を考えるとき、犯罪事件は社会的な環境や条件を抜きに論じることはできないだろう。 そこには、「いまの社会」 の歪みをまっすぐに見る目と、事態に対する想像力が求められ、人間に対する信頼や、深い 「洞察力」 が求められる。

  「事件報道」 とは、人々の単なる 「知りたい」 という願望=興味にこたえるためのものではない。 問題はその事件の 「社会性」 であり 「公共性」 であり、「なぜそんなことになってしまったのか。 その事件は、われわれの社会の歪みの反映でしかないのではないか」 という問題意識こそ求められているものではないのか。 「事件報道」 とは本来、私たちが生きている共通の社会への 「教訓」 や 「警告」 のためのものでしかないのではないか。

  その意味で、この2つの記事は、「警察取材ではない事件報道」 の可能性を示している。

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  「事件報道花盛り」 と書いた。しかし、一方で事件の取材がさまざまな形で制限される危険も広がっている。
裁判員制度に関わって、事件報道についての見解を新聞協会、民放連、雑誌協会などが発表した。 これについて、日弁連人権委員会からニュースへの寄稿を求められ、私の 「懸念」 をそこに書いた。 ニュース3月1日号に掲載されているが、 日本民主法律家協会のサイト に転載したので、併せて読んでいただきたい。
2008.4.8